一・秀才の罪
人を判断するときに、見た目をアテにしてはいけません。
クラスで前の席にいる綺麗で優しそうな女子、本当はものすごく性格が悪い人かもしれません。
逆に近所にいる強面のいかにも怖そうなお爺さん、本当は気の良い優しい人かもしれません。
やっぱり人間、話してみないとわからないものです。
そう、話してみることが大事なんです。話してみることが──
その日の朝、公立三ツ谷高校二年四組の教室では朝のホームルームが行われており、そこで先週にあった一学期期末テストの成績表がクラスの生徒たちに配られていた。
優秀な成績を自慢する生徒や、友人とお互いに惨憺たる成績を騒ぎながら大声で笑う生徒がいるなか、震える手で自分の成績表を受け取った痩せぎすで眼鏡をかけた男子生徒、針山智和はその中身を見てほっと息をついた。
成績表に記載されている智和の学年総合順位は三百十七人中一位。前回に引き続いて学年一位の座を守ることが出来た智和だが、それを知った彼には喜びよりも先に安堵の感情が湧いた。
なぜなら、ひとたび学年トップの称号を失ってしまえば、もう誰も自分に見向きをしてくれなくなると彼は恐れているからだ。
秀才である智和には、天才の兄がいた。七年前に難関である中高一貫校の受験に受かり、そこで優秀な成績を収めた兄は大学受験でも志望校に見事合格し、春からは東京の有名大学でキャンバスライフを送って、家族親戚からの期待と注目を集めていた。
そんな兄とは対照的に中学受験で失敗し、高校受験でも失敗をした智和はしがない公立高校に通う羽目となってしまった。一応進学校ではあるのだが、兄の通っていた中高一貫校とはあまりにもレベルの違う環境だった。
結果、親戚からは哀れんだ目で見られながら「不出来な弟」というレッテルを貼られ、家族からはネグレクト同然の扱いを受けるという、これ以上ないほどの状況に追い詰められていた。
そんな智和にできることは、兄と同じ大学に合格することしかなかった。
この学校のテストで学年一位になったところで所詮お山の大将でしかないのだが、それでもこのまま沈んでしまうよりかは遥かにましである。
高成績を維持するためならどんな手段でも使う。それが針山智和という男だった。
成績表を誰にも見せずにファイルにしまい、一時限目の移動教室の教材を引っ張り出している智和の横で、クラスの生徒たちが自分の成績をネタにして騒いでいた。
「どうよ、今回の成績は」
「いやあ、ぜんっぜん駄目だね。親に見せたくねえなあ」
「いやいや、俺の方がもっと酷いかんな。うちのババアに見せたら殺される」
「おいおいマジかよ。美穂はどうだよ。また赤点取ったのか」
「そりゃそうだよ。あたしがまともな点数取れるとでも思っているわけ?」
「そりゃそうか、アハハハハ……」
馬鹿笑いをする彼らの話題は、次第にテストの結果から、来週学校に来るという転校生の話に移っていった。彼らの頭からはもう、テストの結果など抜け落ちているようだった。
そんな光景を見て、なんておめでたい連中なんだと内心彼らを見下した智和は、教科書や筆記用具を持ってひとりで教室から出て、授業のある生物室に向かった。
智和は自分より低レベルな生徒と馴れ合うことを何よりも嫌っていた。
そんなことをする暇があったら、少しでも多くの時間を自分の勉強に費やすべきというのが彼の信条だったし、これまでテストの結果を周囲には一度も表沙汰にしてこなかったのも、あんな連中にちやほやされて満足していては駄目だという意地があったからだ。
生物室に向かう道中、廊下でひとりの男子生徒が教師に向かってなにやら抗議をしている現場に遭遇した。
夏場に入ったというのになぜか学ランを着用しているその生徒の文句に、英語教師の松浦秀義はかなり困惑しているようだった。
「だからですね、僕が納得いかないのは、どうしてこんな論述問題を予告なしに入れたのかということなんですよ。こんなの範囲表に入っていなかったじゃないですか」
「あのなあ、それに関しては前にも説明したじゃないか! 実力問題としてテストの最後に論述問題を一問入れるって言っただろう、二宮」
二宮、という名前を聞いて智和はぎょっとした。
同級生とあまり積極的に関わろうとしない智和だが、二宮の名前は何度も耳にしたことがあった。
なんでも、これまでに何度か殺人事件の捜査に関わり、それらすべての事件を解決に導いたという奇妙な遍歴を持っているそうだ。
その話を二宮のファンだという女子生徒たちの会話から耳にした時、智和は鼻で笑った。
だから何だというんだ。いくら外で妙なことをして注目を集めていようと、結局のところ勉強ができなければ意味がない。そして女子たちの話によると、二宮の成績は中の上の下とのことだった。
そんな人間が自分よりも崇められていることに、智和は決して良い感情を抱いていなかった。
目の前にいる二宮の話に耳を傾けると、まだ彼は秀義に文句を言っているようだった。
「そんなことは知っているんです。問題はですね、テストの最後の最後で将来の夢を英語で教えてくださいなんて問題を入れてきたことなんです! 残り時間が少なくて切羽詰まってるところでいきなり自分の将来の夢を英語で書けなんていわれても、パッと出てくるわけないじゃないですか」
「しかしそれを含めてのテストなんだから! ちゃんと答えられたやつだって何人もいるんだぞ。たとえば四組の芹澤とか……」
芹澤、という名前を耳にした時、その場から通り過ぎようとした智和の足が再び止まり、二宮たちの話に再び耳を傾けた。
「あの人は帰国子女だから解けて当然ですよ」
「芹澤だけじゃないぞ、他には……」
秀義がそこまで口にした時、彼と智和の目が合った。
「そうだ、針山もだぞ。ほら、そこにいる」
二宮が不機嫌そうな顔で智和のほうをみた。
「針山、おまえ今回の英語のテストで最後の論述問題、しっかり解けたよな」
「……ええ、まあ、一応」
秀義に声をかけられた智和は、なぜか歯切れの悪い返事をした。
「頼むよ、今度この二宮に論述問題の解き方を教えてやってくれ。今回きちんと書けたおまえなら、うまく二宮に教えられるだろう?」
「えっ、それは……」
「ちょっと松浦先生」
二宮が秀義に抗議をした。
「そういうのは先生の役割でしょう」
「いいじゃないか、生徒同士で勉強を教え合うのも。それに、英語に限らず針山は成績がいいんだぞ。いろいろ勉強になるかもしれない」
二宮に勉強を教えるという点では不服だが、秀義の褒め言葉を受けて智和は内心まんざらでもない気持ちだっ
た。
「よろしいですか。だいいち、僕が不満を持っているのはですね、テストの出題形式であって……」
二宮がそこまでいったとき、天井にあるスピーカーから予鈴が鳴った。
「おっと、悪いけど一時間目から一組で授業が入っているんだよ。話はまた後でな」
そう言い残すと、秀義は逃げるようにその場から去っていった。
「行っちゃった」
二宮は明らかに不満そうな顔をしていた。
「困ったなあ。うまいこと言いくるめて、テストの点数を加算してもらおうと思ってたのに」
「成績、悪いのか」
「順位が前回から少し落ちましてね。八十九位から九十二位なんです。あと数点加算すればうまいこと順位が低下しなくて済むところだったんですけども」
ふん、高校生探偵だとか呼ばれて持て囃されているが、結局のところこの二宮という男は、この程度の人間なんだと智和は得意になった。
二宮がそんな智和をみて、なぜかきょとんとした顔をしていた。
「……なんだよ、その顔は」
「いや、なにか嬉しいことでもあったのかなって思って」
「どうしてそう思うんだよ」
「だって君、ニヤニヤしているじゃない」
二宮に言われて、頬が緩んでいることに気がついた智和は慌てて表情を取り繕って、二宮に「気のせいだろ」といった。言われた二宮は釈然としない様子だった。
「まあ良いや、それよりも……ええっと、針山くん、だっけ」
「そうだ」
「さっき松浦先生がテストの成績が良いって言っていたけども」
「自慢じゃないけど、今回のテストでは九十七点だった」
言葉とは裏腹に、智和は自信満々に答えた。
「ああそう。それでラストの論述問題も解けたと」
「……まあな」
「よくあんなの解けますねえ。僕なんか問題を見た瞬間に頭が真っ白になっちゃって、手も足も出なかった。どんな勉強をしたら答えられるようになるんですか」
「……日々の勉強の成果だよ。どこかの誰かさんみたいに、外をほっつき歩いて探偵ごっこなんかやっている間に、俺はこつこつと真面目に勉強しているんだ」
智和の皮肉を聞いて、二宮は目を丸くした。
「あれっ、僕のこと知っているんですか」
「クラスの女子どもはみんなお前にお熱だよ。連中からおたくの話がうんざりするほど耳に入ってくる」
「いやあ、恥ずかしいなあ」
そういって照れ笑いを浮かべる二宮の顔を見て、智和は表情を歪めた。
これだからこういった人種は気に入らない。自分みたいに血の滲むような努力もせずに、周囲からちやほやされているような人間を智和はこの世で最も嫌っていた。
「そうだ。針山くんの英語のテストの答案用紙、見せてくれないかなあ」
「どうして俺がお前に自分のテストの答案用紙を見せなきゃならないんだよ」
智和は心底嫌そうな顔をした。
「論述問題をどう解いたのか気になって。参考にしたいんです」
「悪いけど、今日は家に置いてある。見せたくても見せられない」
本当は教室にある自分の鞄に入っているファイルに挟んで保存してあるのだが、二宮に見せるのが癪なので智和は嘘をついた。
しかしその嘘を二宮はいとも容易く見破った。
「またまた。今日は成績表の返却があるから、万が一成績表の内容に間違いがあったときに訂正できるように、答案用紙を持って来いって連絡があったじゃないですか」
二宮の鋭い指摘に、智和はなぜだか思わず感心してしまった。流石、難事件を解決したと言われているだけのことはある。
「はいはい、その通りだよ。ちゃんと持ってきているよ」
「なんで嘘なんかついたんですか」
「お前に見せるためだけにわざわざ出してくるなんて、面倒臭いからだよ」
「そんなこと言わないで、お願いします。いまは無理でも、昼放課とかにでも」
「駄目だ。昼には……クラスの奴と弁当を食べることになっている」
これも嘘だ。智和に一緒に弁当を食べるような友人はいない。
それに二宮は「ふうん」といった。
もしかしたら薄々嘘だと勘付いているのかもしれないが、さすがにそれをわざわざそれを言うのも可哀想だと思ったのか、今度は指摘してはこなかった。
「友達との約束なら仕方ありません。それじゃあ放課後にでも」
「悪いけど、放課後は学習塾がある。他のやつをあたることだな。それじゃあ俺は授業があるから、これで」
二宮に背を向けると、智和は振り向きもせずにその場を早足で去った。もう彼とは二度と話すことはないだろう。この時の智和はそう思った。
生物室に着くと、既に多くの生徒が席についてお喋りをしていた。
智和が自分の席に座ると、近くにいた女子が智和に話しかけてきた。
「ねえ、針山くんだよね」
「そ、そうだけど」
周りから孤立している智和に女子から話しかけてくるのは珍しいことだった。思わず智和の胸が高鳴った。
「ねえ、針山くんに訊きたいことがあるんだけどさ」
「なっ、なんだよ」
まさか、俺に勉強を教えてくれと頼んでくるのかと智和は期待した。二宮ならともかく、女子なら大歓迎だ。
しかし彼女が次に発した言葉は、智和を大いに失望させた。
「針山くん、さっき二組の二宮くんと話してたよね。どんな話をしてたの?」
そう訊かれた智和は一気に気分が沈んだ。そして、教室で二宮の話をしていたファンの女子たちのなかに彼女がいたことを思い出した。
「別に。そんなことをあんたに教えてどうするんだよ」
不機嫌になった智和はぷいとそっぽを向いた。
そういった態度が周囲から孤立する要因になっていることを、彼は自覚していなかった。
机のほうを向くと目の前の席に、クラスでも隣の席のである女子生徒の芹澤が座った。彼女も智和が苦手とする人物のひとりだった。
風紀委員である芹澤は、中学生時代に親の仕事の都合でイギリスで暮らしていたという変わった経歴を持っているようで、そのおかげで英語の成績は智和を上回るほどの好成績を誇っている。
そんな彼女に対抗心を燃やしている智和だが、彼女のほうは自分にちっともライバル意識を持っていないことが智和の神経を逆撫でさせた。
無意味に智和が苛々しているなか、教室のスピーカーからチャイムが鳴って生物の授業が始まった。授業の内容は顕微鏡を使用したユスリカのパフの観察だ。
こんなもの、教科書を見るだけで済む話だろう。どうしてわざわざ貴重な時間を潰してまで結果が判りきっている無意味な実験なんかしなきゃいけないんだと智和の不満が募った。
同じ机の班員が実験に使う顕微鏡やユスリカ、酢酸オルセインを取りに行っているなか、智和が教師から配られた実験内容のプリントに実験結果の予測を嫌々書いていると、机の上を雑巾で拭いていた芹澤が彼に一枚のメモ用紙を渡した。
そこには”例の件について。十七時に風紀委員室で”と書いてあった。それを読んで、智和はごくりと生唾を飲んだ。
「……放課後は勘弁してくれ。塾があるんだ。昼放課はどうだ」
「悪いけど、いまさっきお昼に別件が入ったところなの。どうしても駄目なら、また明日と言うことになるけど」
「判ったよっ、今日でいいから」
智和のほうがしぶしぶ折れた。仕方ない。塾のほうにはあとで連絡を入れて、今日は休むことにしよう。それほど芹澤との例の件は、智和にとって重要なものだった。
この後、智和は気の遠くなるような思いをしながら一日を過ごすことになった。そしてようやく放課後になったが、まだ自分の腕時計の針は十六時少し前を指していた。
十七時になるまでの間、塾に言い訳の連絡を入れたり、誰もいない教室で自分の机に勉強用具を広げて時間を潰そうとしたが、これからのことを考えるととても勉強に集中することはできなかった。
──芹澤に全てをバラされたらすべて終わりだ。いったい、俺はどうすればいい?
そう思い悩んでいると、約束の時間が近づいてきた。智和は鞄から財布を出すと、芹澤のいる風紀委員室へ向かった。
二年生の教室がある二階から渡り廊下を通って特別棟に入り、重い足取りで階段で二階から三階に上がっていくと、風紀委員室がようやく見えてきた。
教室の開き扉と違って、風紀委員室の扉はドアになっている。そのドアには擦りガラスがはめ込まれていて、そこには”風紀委員室”という文字が書いてあった。
ドアの内側からはよく聞こえないが、部屋の中では芹澤が誰かと話をしているようだった。
腕時計を見ると、ちょうど十七時になったところだった。しかし中にいる芹澤たちが話を止める気配はなかった。
くそっ、時間を指定してきたのはそっちだろう。時間くらい守ってくれよっ。
時計と睨めっこしながら待っていると、部屋の内側からドアが開いて、ひとりの女子生徒が出てきた。芹澤ではなかった。
部屋から出てきた女子生徒はドアの近くに立っていた智和の存在に気がつくと、彼に向かってお辞儀をして「どーも」と言った。
「……どうも」
智和がやや困惑ぎみの返事をすると、女子生徒は頭を上げてすごすごとその場から去っていった。
何だったんだ、あいつ?
髪を染めていたり、制服を着崩したりもおらず身だしなみがしっかりしていたあたり、風紀委員から注意を受けるような生徒には見えなかった。
お辞儀をしてきた女子生徒のことをぼんやりと考えていると、部屋の中から「どうぞ」という芹澤の声が聞こえてきた。
部屋に入ると、中にいるのは芹澤一人だけだった。
部屋の壁はほぼ全てバインダーの入った鉄製の棚でぎっしりと埋め尽くされ、奥にある窓からは部屋が中庭に面しているせいで外からの光が殆ど入ってきていなかった。その光景は智和に殺風景という印象を与えた。
「お待たせしてごめんなさいね。色々と用事があったものだから」
芹澤はそういいながら、机に置いてあるノートに何か記録をしているようだった。ノートの隣には、棚に収められていない巨大なプラスチック製のファイルがひとつ置いてあった。
「いや、いいんだ。そんなことより、さっさと話の本題に入りたいんだけど……」
「判った、ちょっと待ってて」
芹澤がノートに書き込みを終え、それを鞄にしまうと智和のほうを見た。
「それで? 先生にはちゃんと話したの?」
「いや……それがまだなんだよ」
「どうして? ちゃんと約束したでしょう、全部正直に打ち明けるって」
「だって言えるわけないだろっ、テストでカンニングをしたなんて……」
あの忌まわしい出来事が起こったのは今回の期末テストでの、英語の試験中のことだった。
最後の論述問題で智和は躓いてしまった。それはあの高校生探偵がいっていたように、突発的に出された実力問題だった。智和はこういった暗記が通用しない問題にめっぽう弱かった。
試験の終了時間が迫るなか、魔がさしてしまった智和は隣の席の女子の回答をカンニングし、若干言い回しを変えてその内容をほぼ書き写した。
あともう一文だけ見させてくれ、と欲張った時、智和はその女子と目が合ってしまった。その女子が芹澤だった。
テストが終わったあと、智和は芹澤に咎められた。そしてこのことを教師に説明すると約束させられた。
「大丈夫、自分の口からちゃんと言えば、そこまで厳しい処分にはならないと思うから」
智和にそう説明した芹澤だったが、そういう問題ではないのだ。ただでさえ家庭内での立場が危ういのに、ここでカンニングの事実が発覚したら一巻の終わりだ。自分から不正を犯したと告白することなど出来るわけがなかった。
「気持ちは判るよ、言い辛いことだからね。だけどこんなの駄目だよ。ちゃんと先生に言わなきゃ」
風紀委員とだけあって、芹澤はかなりお堅い性格だった。
なにが気持ちは判るよ、だ! お前なんかに俺の気持ちなんて判るわけがないんだっ。
こうなってしまっては仕方ないと、智和はポケットから自分の財布を出して、そこから五千円札を出した。
「……それは?」
「これをやる。その代わり、カンニングのことは誰にも言わないでくれ。足りないんだったら、いくらでも用意してくるからさ」
智和は地面に膝と手をついて、芹澤に向かって情けなく頭を下げた。
「頼むよ、お願いだ」
しばしの沈黙のあと、芹澤が声を発した。
「もういいよ、顔を上げて」
それを聞いた智和は顔を上げて、がっと立ち上がった。
「黙ってくれるのか」
願うように智和はいった。しかし、芹澤の返事は彼の期待を裏切るものだった。
「いいえ。残念だけど、わたし、これから職員室に行って先生に報告してくるから」
そういって自分に背を向けた芹澤に、智和は悲痛な声をあげた。
「そんな、ちょっと待ってくれよっ。五千円じゃ足りないって言うなら、いくらでも用意してくるからさあ!」
「……これはお金の問題じゃないの。あなたには悪いけど、わたしをお金で買収できる女だと思わないで」
「そんな、頼むよ! 誰にも言わないでくれっ」
「ひとついい方法があるよ」
「なんだ、教えてくれ」
「一緒に職員室に行きましょう。大丈夫、わたしをお金で買収しようとしたことは、先生には黙っててあげるから」
駄目だ、この石頭に聞く耳なんか持ち合わせちゃいない。このままでは俺は破滅だ。どうすればいいんだ!
その時、智和の視界に机の上に置かれてある巨大なファイルが入った。
智和は咄嗟にそれを手に取るとファイルを芹澤めがけて思い切り振りかぶり、彼女の後頭部を硬い角の部分で力強く殴った。
うっ、と呻き声を漏らすと芹澤は呆気なく地面に倒れた。そんな彼女に智和は続けて何度もファイルで殴った。
そして智和が我に帰った時、芹澤は完全に意識を失い、彼女の頭からは血が滲み始めていた。
「お前が悪いんだからな」
芹澤の哀れな姿を見て、振り絞るような声で智和はそう呟いた。




