五・奇妙すぎる死
透の死体が発見されてから数時間が経ち、プール棟の表にはどこから話を嗅ぎつけたのか報道陣が多く詰めかけていた。入り口で警備をしている警察官たちは波のように押し寄せる彼らの対応に追われているようだった。
無理もない話だ。透は未来のオリンピックアスリートとして何度かテレビのインタビューにも出演したこともある有名人だ。マスコミにとって、これほどの特ダネを逃さないわけにはいかないだろう。
そんな光景を瞳はガラス張りの建物の二階から見下ろしていると、誰かが彼女に後ろから声をかけてきた。
「すごい騒ぎですねえ」
振り返ると、そこには二宮の姿があった。いつからここにいたのだろうか。
「二宮くん、わたしに何か用なの? 事故のことで判った事が?」
「いえ、今のところそういう話は来ていないのですが、ひとつ判らない事がありまして。しかし、本当にすごい人だかりですねえ」
二宮が瞳の隣に立って、外の光景を見下ろした。
「これはさっき聞いたことなんですがね。亡くなった瑞中さん、将来はオリンピックにも出られるんじゃないかと期待されていたとか」
「ええ、知ってる」
「それだけ期待されていたわけですから、企業の実業団からも声がかかっていたみたいで。それもふたつみっつとかじゃなくて、何十社からスカウトマンが来ていたみたいです」
「らしいね。部活中にそういう人たちがここに来て、泳いでいる透を見物してたのを何回か見たことある」
「今ごろ関係各所はてんやわんやといったところでしょうね。有望株がいきなり溺れて死んじゃったんですから。やはり、彼はそれだけ泳ぐのが速かったということでしょうか」
「そうだね。みんな透が泳いでいるのを見て惚れ惚れしてた。わたしも昔ちょっと水泳教室に通ってたりしてたから、透がすごいってことはよく判ってたし、尊敬してた」
それだけに、二股の事実が発覚したときの失望は相当なものだった。
「瞳さん、水泳の経験があったんですか」
「うん」
「それではなぜマネージャーに? 選手として活躍することは考えなかったんですか」
「うちの学校、スポーツ推薦で入ってくる子が多いんだ。だからわたしみたいに学力試験だけで入った人が運動部に入ったところで、そういう人たちと簡単に肩を並べられるわけがないし、肩身の狭い思いをするだけだからね。ただまあ、何かの形で水泳に関わりたいとは思っていたから、今はマネージャーをやっているんだけどね」
「そういう経緯があって、今はマネージャー長になったと」
「マネージャー長のこと、どうして二宮くんが知ってるの?」
「顧問の田島先生からお聞きしました」
「野暮ったいネーミングでしょ、マネージャー長なんて」
「いやしかし、なくてはならない役職であることに変わりはないと思いますよ。まさしく、縁の下の力持ちといったところですね」
「そんなに偉いものじゃないよ。いつもは他のマネージャーと一緒にビート板とかプルブイを用意したりだとか……」
「プルブイってなんですか」
「足に挟むタイプのビート板みたいなものだよ。上半身中心のトレーニングをするときに使うんだ」
「判りました、市民プールにビート板と一緒に置いてあるアレですね。それで他にはどんな仕事を?」
「あとは部員にスポーツドリンクを入れてあげたり、泳いだときのタイムを紙に記録したりするくらいかな。マネージャー長のお仕事だって、今言ったのにプラスして部活が終わった後に他のマネージャーの子たちが書いた備品の数の表のチェックしたり、全員帰るまでひとりで残ってから電気を消して帰ったり、まあそのくらいだよ」
「なるほど、そうですか。昨夜はどうして瑞中さんより先に帰っちゃったんですか?」
「外がだいぶ暗くなっちゃったからね。それで透に片付けとかを任せて先に帰ることにしたんだよ。透がひとりで居残りをするときはだいたいいつもこんな感じだったし、最近は日が短くなったからね」
「瑞中さんが居残り練習をするというのは、よくあったことなんですか」
「ちょこちょこね。本当はダメなんだけど、透ならってことで大目に見てもらえてたみたい」
「それで毎回あなたは彼に付き添っていたと」
「ええ」
「やっぱり、それも仕事だからですか」
「……ええ」
少し前なら恋人と二人きりという楽しみのためでもあったのだが、それはもはや昔の話だ。
「二宮くんはどんな部活に入っているの」
「僕ですか」
「だって二宮くん、ぜんぜん自分の話してくれないもの。少しは君のこと教えてくれたっていいんじゃない?」
「そうですね……どんな部活に入っていると思います?」
逆に質問され返されてしまった。線がやや細めの二宮の体型からして、彼が運動部に入っているようにはみえなかった。
「演劇部とかかな。いや、弁論部ってセンもあるかも。どうかな、合ってる?」
瞳が答えると、二宮は気まずそうに笑った。
「残念ながらハズレです。答えはですね、ラジオ体操研究部です」
「ラジオ体操研究部?」
「その名の通り、ラジオ体操について研究する部活です。ちなみにうちの学校には演劇部も弁論部もありません」
「どうして演劇部や弁論部がないのに、ラジオ体操研究部なんて変な部活があるの。というより、そんな部活が本当にあるの?」
いま目の前にいる二宮の存在同様、瞳にとってなんだか現実味がない話だった。
「本当ですよ。ここ最近の活動はですね、ラジオ体操第四の考案です」
「第三はないの?」
「第三は昔NHKが作ったそうなんですがね、動きをラジオの音声だけで伝えるのが難しいってことで長いこと封印されていたようで。ですが、最近ある大学の先生がいろんな資料を調べて復元したそうです」
「ラジオ体操に第三があるなんて初めて知った。どんな体操なんだろう」
「今度教えてあげますよ」
そういうと二宮は胸の前で両手の掌をぱちん、と音を立てて合わせた。
「さてと、そろそろ話の本題に入りましょうか」
「えっ、まだ本題に入ってなかったの?」
瞳はぽかんと口を開けた。
「はい、実を言うと事件の現場でまたひとつ気になっていることがありまして。そこで瞳さんの知恵をお借りしたいのですが」
二宮がそういうと、瞳は嫌な予感がした。自分は他にもミスを犯していたというのだろうか。
「わたし、そんなに頭いいわけじゃないよ」
「いえ、そんなに身構えて頂かなくて結構です。思ったことをお話ししてくださればそれで結構ですので」
「それで、気になったことって?」
「はい、プールに置いてあった携帯電話のことなんですがね」
「透の携帯のこと? それがどうかしたの」
「彼は亡くなる直前、恋人である一年生の大橋萌花さんに携帯でメッセージを送ったそうです。大橋さんのことはご存知ですね」
「知ってるよ。彼女が透と付き合っていたことも、わたしだけじゃなくて部のみんなが知ってると思うよ」
「問題はですね、その携帯電話があったのがプールサイドだということなんです。普通ですね、プールで携帯を使う用事なんて考えられません。ロッカーのなかに着替えと一緒に入れておくでしょう。なぜ彼の携帯はプールにあったのでしょうか」
なんだ、そんなことかと瞳は安堵した。
「そんな悩むようなことじゃないよ。透はひとりで泳ぐとき、いつも携帯で音楽を流していたんだよ。だから携帯がプールにあったとしても、不思議でもなんでもないよ」
「はい、水泳経験者の知り合いからもそんな意見を貰いました。しかし、だとするとまた別の疑問が湧いてくるんです」
「どういうこと」
人差し指をぴんと立てる二宮の姿を見て、瞳は再び不安な気分になった。
「先ほど瑞中さんの携帯の中身を確認したらですね、音楽は常にエンドレスで再生されるように設定されてありました。
考えてみてください。彼が泳いでいるときはいつも携帯で音楽をエンドレスで流していたということは、彼が昨夜溺れた際も携帯から音楽は流れ続けていたはずなんです。
そして、もしそうだったとしたら、今朝遺体がプールで発見された時も音楽は延々と流れ続けていたか、携帯が電池切れを起こしていたかのどちらかになっていたはずなんです。しかし、実際には遺体が発見された時、音楽なんて流れていなかったそうです。そういえば瞳さん、あなたも第一発見者のひとりだそうですね?」
「……ええ」
「その時、携帯から音楽は流れていましたか?」
「……何も聴こえなかった」
「だとするとあとに残ったのは充電切れの可能性ですが、試しに携帯の電源を点けてみたら充電は充分に残っていました。つまり彼が溺れた時、携帯から音楽は流れていなかったというわけです。ここまでの考えをまとめると、瑞中さんは溺れた時、泳いでいなかったということになってしまうわけです。
ではなぜ彼は溺死したのか。少なくとも泳いでいる最中に溺れてしまったというわけではないでしょう、つまり──」
「二宮くんはこう言いたいの? 透は誰かに溺れさせられたって」
「その通りです」
ご名答、と言わんばかりに二宮は瞳に人差し指を向けた。
「そんなの、考えすぎでしょう」
「しかし溺れていたレーンの場所といい、携帯から音楽が流れていなかったことといい、今回の事件は奇妙な点がこんなにあるんです。これでおかしいと思うなというのが無理な話です。瞳さん、何か参考になる意見だとか、ございますでしょうか」
「悪いけど、わたしに訊いてもなんの得にもならないよ。わたし、二宮くんのようにいちいち細かいことを気にする人じゃないからね」
瞳は二宮にぷいと背を向けた。
「それじゃあね」
瞳は足早にその場を離れたが、背後に二宮の鋭い視線が刺さってきたのを感じた。




