大川千尋の独断総括ノート・負けるな千尋の巻
……はじめまして、大川千尋です。
突然ですが、お祭りの代名詞と言えばなんでしょうか。花火? 盆踊り?
あたしにとっては広場に並ぶ屋台です。りんご飴、フランクフルト、焼きそば、イカ焼、チョコバナナ屋。ちなみにあたしはかき氷がいちばん好きです。ついでに好きなかき氷のシロップはいちご。
食べ物もですが、遊んで景品がもらえる屋台もあります。的当て、輪投げ、金魚すくい。
その中であたしがいちばん好きなのは千本引きです。ひもに括り付けられたたくさんの景品が並んでいて、その先に伸びているごちゃごちゃしたひもの束の中から一本を選んで引いて、お目当ての景品が引っ張られるかドキドキするアレです。そう、アレ。
ですが、あたしはこれまで千本引きで一度もお目当ての景品を引いたことがありません。なぜでしょう、すぐ壊れるヨーヨーとか、ドラえもんの安っぽい貯金箱とか、そんなのばっかりです。
次の夏祭りこそ当てるぞ、ニンテンドースイッチ!
繁華街にあるこじんまりとしたバーに、ふたりのスーツ姿の女性がカウンター席で横並びになって座っていた。県警捜査一課の刑事、大川千尋と藤野愛美である。
千尋と愛美は目の前のカウンターに置かれているふたつのグラスをそれぞれを持つと、愛美が口を開いた。
「それじゃあ改めて、退院おめでとう」
おめでとう、と同時にふたりはお互いのグラスを合わせて、チリンと音を鳴らした。
「えへへ、ありがと」
グラスのなかの液体を揺らすと、ふたりはそれを軽く口に付けた。
今夜は数日前に発生した誘拐事件の当事者となってしまった千尋を、彼女の警察学校での同期であり友人でもある愛美が労おうと、このバーに誘ったのだった。
カクテルを飲むと、千尋は溜息をついた。
「いやあ、また明日から出勤かあ。病院生活、ラクでよかったのになあ。一日中ベッドに横になってテレビのワイドショー見てるだけでよかったんだよ。ゴネておけばもう二、三日くらい入院できたかなあ」
「絶対やめてよ。病院だって健康な人を入院させる余裕なんかないだろうし、こっちだって事件の後処理が色々大変なんだから」
「うわあ。それ聞いて余計行きたくなくなった」
千尋が露骨に嫌そうな顔をした。
「こっちは誘拐されたんだよ、それも同僚に。もう少しくらい休ませてくれたっていいんじゃないかなあ」
「駄目だって、千尋に大きな怪我はなかったんだし。それにあんな誘拐をされたほうが悪いんだって。なんなの? お父さんが病気になったから一緒に来てくれ、っていわれて本当についていっちゃうなんて。いまどき小学生でも引っかからないよ」
「だから、家族を思いやる気持ちだよ。これこそ現代人が忘れてしまった尊いものなんじゃないかなあ」
「何を大袈裟な。千尋も刑事なんだから、もう少し人を疑うことくらいしなよ」
呆れた愛美は再びグラスに口をつけた。
「そうは言うけどね。愛美ちゃん、それはこっちの台詞だよ」
「どういうこと」
「あのね、今回の事件の真犯人は霧崎さんだったわけじゃん」
「そうだね」
「ニノが霧崎さんを犯人だと疑った理由は、あたしが誘拐された現場まで車で送ったのが霧崎さんだったからじゃん」
「そうだったね」
「なんでみんな気づかなかったのかなあ。たとえニノに言われなくたって、そのくらいみんな気づけたはずじゃん、なんでみんな霧崎さんを真っ先に疑わなかったの!」
「ああ、言われてみれば確かに」
「言われてみれば確かに、じゃないよ! どっちが人を疑えって話だよ、もう!」
ぽん、と手を打った愛美に千尋がふんぷん怒った。
「もしみんなが霧崎さんをすぐに疑ってたら、この事件はすぐに解決していたのにさあ!」
「じゃあ逆に訊くけど、千尋は誘拐されていたとき、これは全部霧崎さんのせいだってすぐ気づいたの?」
「え、ええっと、それは……」
愛美に尋ねられた千尋は、目を泳がせて愛美の顔から視線を逸らした。
まあ、気づかなかったということだろう。
「ほらね、そういうことだよ。もし二宮くんが居なかったら、本当にどうなっていたことか。ちゃんと彼に感謝したほうがいいよ」
「ああっ、そこだよ、問題なのは!」
千尋が大声をあげて愛美を指差した。
「あたしが思うに、ニノがいなくてもあたしは助かってたと思うんだ」
突拍子のない事を言い始めた千尋に愛美は困惑した。
「そんな、どうして?」
「だってさ、あたしがあの場所で見つかったのは、誘拐犯が警察にあの場所を教えたからだよ。別にニノの推理で場所を当てたわけじゃないじゃん! たしかに霧崎さんを捕まえたのはニノだけど、別にそれはあたしが頼んだ事じゃないもん。だからあたしはニノに感謝する必要なんかないと思う!」
「そりゃ言われてみればそうだけど、ちゃんとありがとうって言ったほうがいいんじゃない……? 二宮くん、千尋のことけっこう心配してたよ?」
「いや、ここでありがとうって言っちゃ負けな気がする!」
「だからなんで!? 負けってなに!?」
次第に大きくなっていくふたりの声は店中に響き始めた。さすがに周囲の目が気になったふたりは一旦カクテルを飲んでクールダウンした。
「……この頃ね、パワーバランスが逆転してると思うんだ。もともとはあたしのほうが立場が上で、ニノが下だったはずなのに」
「えっ、最初から今みたいな感じじゃなかったの?」
「違うよ! 最初はもっと、現職の刑事としてあたしのほうが上……上だったはず……」
千尋の声はだんだんと沈んでいった。
「そうか。二宮くんに舐められたくなかったから、県警の柔道大会で優勝したなんてウソついたんだ」
「えっ、バレちゃったの!?」
「まあね。ついでに千尋が大会の予選で負けた時のビデオ見せてあげた」
「えっ、待って、なんでそんなビデオがあるの!?」
「なんでって、大会の映像は全部撮って動画サイトにアップされてあるんだよ。知らなかったの?」
「……いま初めて知った」
「二宮くんね、毎晩寝るまえにこのビデオ見ないと、一日が終われないって言ってた」
「う、うっそお……」
がっくり、と千尋が肩を落とした。
「なおさら感謝なんてしてやるもんか」
「そんな事言わないの。愛されてるって事なんだから。ちゃんとありがとうって言わないと、そのうち愛想尽かされちゃうよ?」
「いいもん。愛想なんて尽かされないし。それに明日、ニノとスイートヘブンのケーキバイキングに行くことになってるもんね」
「あっ、行くことになったんだ。ケーキバイキング」
「うん。前はあんなことがあっておじゃんになっちゃったけど、今度こそ……」
千尋がそこまで言った時、彼女のハンドバックに入っている携帯電話がなった。
「ごめんね、ちょっと」
愛美にそういって、千尋はバッグから携帯を出した。
「あれ、ニノからだ。こんな時間にどうしたんだろ」
「出てあげたら?」
「うん」
千尋は画面に出ている通話ボタンを押して、電話に出た。
「もしもし、ニノ? どうしたの? んっ? 明日のケーキバイキングのこと? うん、楽しみだよね……えっ、どういうこと? えっ……そう、うん……ああ、そう、そう……判った、それじゃ……うん、じゃあね……」
千尋が電話を切ると、愛美がなんだか悲しげな顔をし始めた千尋の表情を伺った。
「……二宮くんから、なんだったの?」
愛美が恐る恐る尋ねると、千尋は愛美に泣きついた。
「ケーキバイキングが中止になった」
「えっ、どうして?」
「学校の友達の誕生日パーティーに呼ばれたからだって。それも女の子から」
「あらら。確かに二宮くん、女の子にモテそうだしねえ」
これじゃあ愛想を尽かされる日も近いな、と愛美は思った。
「ねえ愛美ちゃん。あたし、いま、ちょっと悔しいんだ」
「……どうして?」
「あたしより十歳も年下の女の子に負けたからだよ……」
「いや、それは負けて当然でしょ」
わんわんと胸もとで泣く千尋の背中を、愛美は撫でた。
「負けるな千尋の巻」 完




