十六・決定的な証拠
「この男に見覚えはないかな」
警察署の取調室にて郷家警視は、目の前の椅子に座って取り調べを受けている肌が浅黒い東南アジア系の顔立ちをした外国人技能実習生の青年、ワンチャイ・バンカラピカルに一枚の写真をみせた。
そこには人相の悪い金髪の男、田中英治の姿が写っていた。千尋が監禁されていた現場に落ちていた金色の髪の毛をDNA鑑定したところ、警察の前科者のデータベースに保存されていた英治のDNAと一致していたのである。
「知ッテル。コノ人ダヨ、ボクニ頼ミゴトシテキタ人ハ」
たどたどしい日本語で話すワンチャイに、郷家警視は念を押した。
「本当に、この男で間違いないね?」
「コノ瞳ガ嘘ヲツイテイルヨウニ見エル?」
「ずいぶん難しい日本語を知っているんだな、おい」
そんな取り調べの様子を、部屋の壁に取り付けられているマジックミラー越しに捜査一課の刑事たちが観察していた。そのなかには、洋介の姿もあった。
市内の町工場で働くワンチャイに田中英治と思われる人物が接触してきたのは、一週間前のことだという。
夜、仕事を終えたワンチャイが工場から自分の住むアパートへひとりで帰っているとき、突然見知らぬ男に声をかけられたのだという。
「最初ハ怖イ人ナノカト思ッタ。ボクヲ騙シテ、オカネヲ取ロウとスル人ナノカト。ダケド違ッタ。アノ人、五万円ボクニ渡シテ、仕事ヲキチントヤッテクレタラ、アト二十五万円ヤルト言ッタ。ダカラボク、ソノ男ノ人ニ言ワレタコトヤッタ」
「君ねえ、仕事の内容からして怪しいと思わなかったのか? 公園のベンチの下に置いてある鞄を持ち出して、それを橋の下に落とせだなんて、どう考えたって怪しいだろう」
「ボクダッテ怪シイト思ッタ。ダケド、オ金ガ欲シカッタ。オ給料、オ母サンへ仕送リト、ボクノゴ飯デ殆ド無クナッチャウ。困窮シテイタノデス」
「困窮って、これまた難しい日本語を知っているなあ」
郷家警視がワンチャイの証言に困惑していると、今度はワンチャイのほうから警視に質問をした。
「アノ、オ巡リサン」
「何だ」
「ボク、二十五万円貰エル?」
「いやあ、それは無理だろうなあ。悪いが、諦めろとしかいいようがない」
「ソンナ! ガールフレンドニ、ラッセンノ絵ヲ買ッテ欲シイッテ懇願サレテイルノニ!」
「なあ、それってその子に騙されているんじゃないか? もうちっとこの国の人間に気をつけたほうがいいぞ、君」
夜も遅いということで、郷家警視は取り調べを切り上げると部下にワンチャイをアパートまで送らせた。いちおう、送検するかどうかはワンチャイの今後の態度で決める事になった。
郷家警視が取調室から出ると、彼のもとに聞き込みを終えて署に戻ってきた刑事から報告があった。
「田中英治に車を貸したという人物から証言を得られました。仕事に使うから貸して欲しいと田中に頼まれたそうです。今夜二十時半頃に車は返されたそうですが、返す際に田中はここを離れて東北のほうへ行くと車を貸した人物に告げたそうです」
「そうか。それで車のナンバープレートは調べたのか?」
「ええ。Nシステムで調べたところ、十七時四十七分にちょうどあの駅ビルの付近を走行していたのが判りました。大川刑事が誘拐されたと思われる時刻と、ほぼ一致しています」
「それで、田中とは連絡は取れたか」
「いえ。電話にも出ず、彼の住むアパートまで行って訪ねてみましたが、田中の姿はありませんでした」
「そうか」
報告を聞いて警視は呟くと、ふんと鼻を鳴らした。
「決まりだな。田中にはれっきとした動機がある。過去に犯罪を犯して裁かれたことに対する、警察への逆恨みだろう。身代金を要求したのも、前科のおかげで仕事と生活費に困ったのが理由だろうな」
郷家警視は自らの推論を語ると、部下たちに命令を出した。
「今すぐ田中英治の行方を追うんだ。他県の警察にも連絡して、田中の写真を送るように。今度こそ奴を捕らえるんだ。いいな!」
はいっ、と刑事たちは返事すると、それぞれの持ち場へと散らばっていった。
「ああ、そうだ霧崎」
警視に呼び止められた洋介は、その場でぴたりと立ち止まった。
「なんでしょうか」
「今夜はご苦労だったな。早く帰って、明日はゆっくりと休め。後は俺たちに任せろ」
「……ありがとうございます」
そういって洋介は軽く頭を下げた。
その後洋介は捜査一課のフロアに戻って、自分のデスクを整理して帰る支度をした。周囲でバタバタとしている部下たちに労いの言葉をかけると、部署を出て地下駐車場へ行くためにエレベーターに向かった。
エレベーターに向かう途中の廊下で、二宮が壁に寄りかかりながら、ひとりでぽつんと立っていた。
「お帰りですか」
天井から照らされる青白い蛍光灯の光のなかで、二宮は洋介に声をかけた。
「そうだ。二宮君も早く帰りたまえ。今、何時だと思ってる?」
「心外ですねえ。堂本刑事たちと僕を同行させようなんて提案したのは、霧崎警部のほうではありませんか。そのお陰で、こんな時間まで僕はここにいるんです」
「それはそうだが、どのみち君はそうしていたんじゃないのか?」
洋介は呆れるようにいうと、二宮が返した。
「その通りではあるのですが、それよりあの時の警部の提案はじつに不思議でした。散々僕に帰れといっておきながら、急にあんなこといい出したのですから。本当のところは、自分の持ち場に押しかけて邪魔をされないように、僕を別のところにやって厄介払いしようとしたのではないですか?」
「まさか。二宮君は私が大川を誘拐した犯人の一員だと思っているのか? そして犯行の邪魔をされたくないから、私は君を遠ざけようとしたとでもいうのか?」
「いやいや、そんなこと一言もいっていないじゃないですか! 僕はただ単に、警部が僕に仕事の邪魔をされたくないから、そんなことをしたのだと思っていただけです。そこまで深く考えてなんかいません」
口ではそんなことをいっているが、二宮が洋介を揺さぶろうと試みているのは明確だった。
「二宮君。君が私を疑っているのは判っているんだ。大川が監禁されている場所が判った時、君たちは車で私のあとをつけていただろう。あれも、私が道中であのオートバイに乗った人物を乗せて逃がそうとしていないかどうか見張っていたんだろう」
洋介が問い詰めると、二宮は苦笑いを浮かべた。
「鋭いですね、気付いちゃいましたか」
「その通りだったんだな?」
「まあ、それもあります」
「それも? 他に何があるっていうんだ」
洋介は再び、二宮に得体の知れない不気味さを感じた。
「大川さんが監禁されていた建物に向かう際、あなたは真っ直ぐにあの場所へと辿り着きました」
「それの何がおかしいんだ」
「考えてみてください。身代金が奪い去られたあとに誘拐犯から来た連絡で、誘拐犯はこういいました。大川千尋は野良牧町にある寂れたテナントにいる。昔レンタルビデオ店だった時の面影が残っているから、それを目印にして探せと。
この話の中で、犯人は何丁目何番地とまで詳しく説明しませんでした。したがってカーナビに道案内をしてもらうことは出来ませんし、もう潰れてしまったお店ですから店名で検索して道案内をしてもらうことも出来ません。だからあそこへ辿り着くためには、道に迷いながら建物を探さなければならないわけです。
ですがあなたは一度も道に迷わなかった。まるで最初からあの場所を知っていたかのように。
警部、どうしてあなたはあのテナントの場所を知っていたのですか?」
いちいち些細なことに突っかかってくる子供だ、と洋介はげんなりした。もちろんそんなミスを引き起こして、気付かれてしまった自分自身に落ち度はあるが、それを武器にしてねちねちと追求してくる二宮も二宮だ。
「あの建物の場所を最初から知っていて、何の問題がある。単に私がそういう建物があることを前々から知っていて、あの電話を聞いた時すぐに、ああ、あそこの事だなと気が付いただけだ。それだけだ」
洋介の弁明を聞いても、二宮は依然として洋介に訝しげな視線を浴びていた。咄嗟の言い訳だと勘付いているのだろう。
「なあ、二宮君。君はさっきから細かいことばかり問題にしてくる。だが、それがなんだというんだ? いくら君が私が誘拐犯かもしれないと騒いだところで、本当にそうなのかを指し示す決定的な証拠はない。そんなこと、君も判っているだろう?」
「……それは、おっしゃる通りです」
「君にいいことを教えてやろう。大川を誘拐した人物が誰なのかは、もうこちらで摑めている。あとはその人物を追って逮捕すれば、私が君のいうように本当に誘拐犯の一味なのかどうか、すぐに判る。そして──」
「それをするのは僕ではなく警察の仕事、だと?」
「判っているのなら、それでいいんだ」
洋介は二宮に向かって微笑を浮かべた。
「では、私はこれで失礼するよ」
洋介は二宮に背を向けると、「そうだ」と思い出したように呟いた。
「それと、もう警察の事件に口出しをしようなんて思わないことだ」
それじゃあ、と最後にいうと洋介は二宮の前から立ち去り、そのまま数メートル先にあるエレベーターのなかへと乗り込んでいった。
「あっ、ここにいた」
廊下でひとりになった二宮のもとに、渡が駆け寄ってきた。
「これから警察病院に行って大川先輩に話を訊きにいくところなんですが、二宮くんはどうします? 今夜はもう遅いですし、また明日あたりにお見舞いに行くってのもありますけど」
「……一緒に行きます。改めて出直すほうが、よっぽど面倒ですから」
エレベーターの階数表示が下がっていくのを、二宮は静かに眺めていた。




