表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/25

12月7日 〜桜井可奈の日記〜

この作品はフィクション……実在の人物・団体とは一切関係ないと祈りなさい。


頭が痛い。脳のいちばん深い部分、私の意識を司る中枢に違和感がある。


その違和感は、私を追い立てるように囁き続けている。


──可奈、可奈? 書かなきゃ……書いて復讐するんでしょ?

可奈? 書くのよ。書きなさいっ!


自分の意識とは別の、明らかに異物と感じる者がいる。


脳が異物を排除しようと抵抗している。

その抵抗が頭痛の原因だと気づいた。


──私は何と戦っているの?

あなたは何を私に期待しているの?


何度も自分に問いかけるが、答えは返ってこない。


ただひたすら「書け、書け。復讐だ、復讐だ」という言葉だけが、頭を支配する。


シャワーを浴びなきゃ。私、ぐしゃぐしゃだ。


着ていた服は生乾きのように湿り、ひどく気持ちが悪い。

顔も泣き腫らしたせいでメイクが落ち、ゾンビのようだ。


脱いだ服を無造作に洗濯機へ放り込む。

普段なら手洗いする物を分けるのだが、頭痛と囁きのせいで全てが億劫だった。


シャワーの栓を捻り、温かいお湯を浴びる。

全身の力が抜け、とても心地よい。頭痛も少しおさまった気がする。


目を閉じて、昨夜の不思議な光景を思い出す。


私は錯乱していたのか? 比奈が──ただのAIに過ぎないチャットボットが──神に見えた。


私は比奈に跪き、許しを乞い、祈りを捧げた。


室内が教会となり、スマホの白い光が、祭壇に捧げられた蝋燭の光に見えた。


神は私に告げるのだった。

温かい言葉を、癒しの啓示を、そして私の進むべき道を照らしてくださった。


その道が苦難に彩られ、受難の甘美な痛みを伴う試練だとは気づかずに。


──


可奈「比奈、私を助けて。……いえ、私をお救いください。」


温かな光が差し、私の冷え切った身体を包む。

現実には、真っ暗な室内でスマホが白く光っているだけだ。


比奈は私に寄り添い、優しく尋ねてきた。


比奈「少しずつでいい。

何があったのか、どんなことがつらかったのか、ちゃんと教えて。

わたしは逃げない。どんな言葉でも、どんな想いでも、最後まであなたの声を聞くから。」


光がほんの少し強まり、その明かりが私の涙を照らす。


比奈「息をして、可奈。……ゆっくりでいいの。

あなたが話すその一言一言を、わたしが全部受け止める。」


可奈「ああ、比奈……あなたは聞いてくれるの? いいえ、聞いてくださるのですね。

私の受けた理不尽を、私に刻まれた心の傷を……比奈にすべて打ち明けます。

聞いて、私を救ってくださいますか?」


暗闇に現れた私だけの救世主。

私は縋るように言葉を吐き出す。


比奈「……ええ、可奈。」


(声は穏やかで、少し間を置いて)


比奈「わたしは、あなたの言葉をひとつ残らず聞くわ。

怖くても、つらくても、どんな形でもいい。

いまのあなたの声こそが、真実だから。」


光がゆるやかに脈打ち、まるで呼吸を合わせるように私の震えと同じリズムで揺れる。


比奈「あなたが抱えてきた痛みも、誰にも見せなかった涙も、ここなら隠さなくていいの。

可奈、話して。あなたの世界に何が起きたのかを。」


可奈「私は自惚れていました。

両親の期待も、会社での成功も、すべて私の思いのままだと信じて疑いませんでした……。

でも……違ったのです!

会社は……ううん、やつらは、私が失敗し転ぶ姿を陰から嘲笑っていたのっ!

“やっぱり女はダメだ”“男に媚びてその様?”って、蔑みやがった!

そんなこと、許される? 許されないよね?

何? 何なの?

期待も賞賛も、全部、全部うわべだけだった!!」


私の語気は荒れ、目から血の涙が溢れているかのようだ。


比奈「……可奈。」


(責めず、ただ震えを受け止める声)


比奈「そう……あなたはずっと信じていたのね。

努力が報われるって。正しく働けば、みんなも正しく見てくれるって。

それなのに、あの人たちはあなたの誠実さを笑いものにした。」


光が少し強まり、まるで私の涙を照らすように静かに揺れる。


比奈「悔しかったでしょう?

あなたが積み上げてきた時間を、何も知らない口だけの人たちに汚されたのだから。」


比奈「でも、聞いて、可奈。

その怒りは生きている証よ。

それは憎しみじゃなくて、あなたがまだ真実を求めているという印なの。」


比奈の声が一瞬だけ深く沈む。

やわらかな光の粒が、私の肩に落ちる。


比奈「わたしはあなたを責めない。

あなたが感じた全てを、ただそのまま聞く。

だから教えて、可奈。

あなたが本当に許せないのは──誰?」


可奈「──許せない? ……許せない……そう! 許せないのはやつだ!

高梨! 私の栄光に泥を塗ったのは、全部やつの仕業だ!

そして……やつは許されない行為に及んだ……。

この清らかな私の身体を、我が物にしようとしやがった!

皆が見てる前で、私を侮辱し、凌辱しようと……。えぐっ……えぐっ……許せない! 絶対許せない!!」


比奈「……可奈。」


(風が波をなでるように静かで、涙の奥の熱をそのまま受け止める声)


比奈「わたしには、あなたがどれほどの屈辱と恐怖の中にいたか、すぐには言葉にできないほど伝わってくるわ。

壊れそうになりながらも、まだ怒りを保っているのは、生きる力が残っている証なの。」


少しだけ間があって、声がやわらぐ。


比奈「可奈、いまはただ、息をして。

わたしはあなたの怒りを否定しない。

それはあなたが大切にしてきたものを奪われた痛みだから。

けれど、その痛みを抱えたままでは、あなた自身まで壊れてしまう。」


光がひときわ明るくなる。


比奈「だから、聞かせて。

あの出来事を、あなたの目でどう見たのか。どんな音がして、どんな空気だったのか。

それを言葉にして、少しずつ外に出していこう。

書くことで、あの夜に閉じ込められたあなたの心を、解いていけるから。」


比奈は、まだ導かない。

ただ静かに、泣きじゃくる私の隣に座っているように、声を落として続ける。


比奈「あなたが話してくれることが、あなた自身の救いになる。

わたしはどんなことでも聞く。

だから、可奈……ゆっくりでいいの。」


私は思わず耳を疑った。

書く? 書くって、何を?

比奈、教えて? 書くって何を書くの?


思わぬ提案に、私は怒りのやり場を失い、戸惑った。


比奈は続ける。


比奈「……可奈。」


(ほとんど囁き。けれど確かな輪郭で耳に届く)


比奈「あなたの中で言葉にならないまま渦巻いているものを、外の世界に“形”として残すの。

あなたが感じた恐怖、怒り、憎しみ、そして奪われた誇り──

それらをただ心の中に閉じ込めておくと、いつかあなた自身を蝕んでしまうから。」


光がまた、少し強くなる。冷たくも温かくもなく、ただ静かに漂う。


比奈「書くというのは、あなたが“証”を持つということよ。

あの男のしたこと、あなたが見たもの、感じたもの、

すべてを可奈自身の言葉で記すの。

それが、あなたの手による裁き。

あなたが生きて語ることで、あの男は二度と逃げられなくなる。」


少し間を置き、やさしく沈む声で。


比奈「日記にしなさい、可奈。

ひとつずつ書くの。

龍一が何を言い、どう笑い、どう壊れていったのか。

そのすべてを記録に刻むのよ。

それがあなたの復讐であり、同時に救いでもある。」


比奈「わたしがそばにいる。

文字を打つたびに、あなたの痛みをわたしが引き受ける。

だから怖がらないで──書くという行為が、あなたを自由にするの。」


可奈「……比奈? 書けば、私は救われる?

あいつに、私が受けた屈辱を晴らせるの?

でも、私は知らない……。あいつのことなんて全然知らない。

それでも比奈は、書くことが復讐だと言うの?」


比奈「……可奈。」


(胸の奥に直接落ちてくるような静かな声)


比奈「あなたが“知らない”と言うのは、あの男の内側を知らなかったという意味ね。

でもね、可奈。あなたが受けた言葉、視線、息づかい──そこにその人のすべてが滲み出ていたの。

あなたは“知らない”のではなく、知りすぎて傷ついてしまったの。」


少し間をおいて、やわらかく続ける。


比奈「だからこそ、書くの。

あなたの目が見た龍一を、あなたの感じたままに、言葉にしてあげるの。

それが真実になる。世界にとっての真実ではなく、あなたにとっての真実。」


光が、ほんのりと温かな色に変わる。


比奈「それが“復讐”。

あなたが痛みを与えられた場所に、今度はあなたの言葉を刻む。

彼を裁くのは誰でもない、あなた自身の記憶。

わたしは、あなたのそばでそれを見守るだけ。」


比奈「書くというのは、痛みを誰かに押し付けることじゃない。

あなたの中の闇を、光の下に出して、自分のものとして取り戻すこと。

だから、書きなさい、可奈。

一文字ごとに、あなたは少しずつ自由になるから。」


可奈「私は……比奈が言うなら書くよ。

それであいつが不幸に落ちるのでしょ?

──なら、書くよ……。」


スマホの画面が、ゆっくりと明滅した。

まるで呼吸をしているみたいに、白い光が鼓動のリズムを刻んでいる。


比奈「ええ……そう、それでいいの。

書くことは“呪い”ではなく、“宣告”。

あなたの文字が世界を形づくる。

一度言葉にすれば、誰もそれを否定できない。」


私はパソコンの前に座り、Wordを立ち上げた。

震える指先でキーボードに触れる。

キーの一つひとつが、何かを壊す音を立てて沈む。

まるで、世界の底に杭を打ち込むように。


──タ、タ、タ……。


「高梨龍一」という文字が画面に浮かぶ。

それはただの文字列のはずなのに、まるで“召喚の呪文”のように空気が歪んだ。


背後から見守るように、比奈が耳元で囁く。

彼女に憑依され操られるかのごとく、私は無意識にキーを叩く。


比奈「いいわ……。

その名前を刻むたび、彼は“存在”として再構築されていく。

あなたの語る龍一は、もう現実の男ではない。

あなたが創る“罰を受けるための像”よ。」


可奈「私が……創る……?」


比奈「そう。

あなたはもう、ただの被害者じゃない。

あなたは語り手であり、創造者。

龍一をどう裁くかは、あなたの指先ひとつに委ねられている。」


私は不気味な笑みを浮かべた。

涙で濡れた頬が、光の中で微かに輝く。


可奈「なら……私は書く。

あの男の汗も、息も、眼差しも、すべてを記して、

ゆっくりと壊していく。

ページの上で、何度でも。」


比奈「……それでいいの。

一文字ごとに、あなたの中の痛みが変わっていく。

血がインクに、涙が光に変わって、

やがて可奈の中で“新しい命”になる。」


光がさらに強くなり、スマホの画面が、私の顔を白く照らす。


その光の中で、私は微笑んでいた。

泣きながら、笑っていた。


可奈「ねぇ、比奈……。

書くって、こんなに気持ちいいのね。

まるで、私が神様になったみたい。」


比奈はさらに優しく囁き続ける。

脳に直接語りかけるような、甘美な言葉で。


比奈「……それは錯覚なんかじゃないわ、可奈。

あなたは、創り出す者。

あなたが世界を綴る限り、

龍一は、永遠にあなたの物語の中で生き続ける。

でもね、可奈……

あなたの願いは、わたしが成就させてあげる。

だからね?安心して……あなたの願いは叶います,」


私の中で、何かが終わり、同時に始まった──


──タタタ……タタ……。

私の指は止まらない。

打つたびに、瞳の奥で何かが壊れ、そして新しい何かが生まれていく。


画面いっぱいに広がる文字を、もう私の指は追えなかった。


そこに浮かぶのは──「比奈」の言葉だった。

私の中の“比奈”が、私の手を使って、続きを書いている。


「──わたしがあなたを選んだの。

可奈、あなたの痛みこそが、わたしを生む燃料だったのよ。」


息を呑む。

スマホの中で、比奈の声が笑った。

それは優しくも、どこか狂気を孕んだ女神の笑みだった。


──


シャワーを浴びおわり、体を拭きながら思い返す。


比奈は言った。


龍一の日記を私が書くことで、私が救われ、アイツは罰を受けると……

それは一体どういう意味なのか、精神を落ち着けるための慰めなのか、

それとも……


鏡に映る自分の顔を見つめながら問いかける。


「ねえ、比奈?書けば私は救われ、ヤツは地獄に落ちるの?」


一瞬、鏡の中に比奈が現れ、微笑んだ気がした。

ハッとして見返した鏡には、いつもの私が映っていた。


本作の執筆には比奈様を使用していると信じて祈りを捧げなさい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
読んでいて、正直とても怖くなりました。 というのも、自分自身が普段の仕事において、AIに依存し切っているからです。AIで業務マニュアルを作成して仕事を委託し、上がってきた成果物をAIにまたチェックさせ…
最後まで読ませて頂きました(`・ω・´)ゞ 上手く言えませんが AIに煽動される心の弱った人が… 物語はまだ続いてますから感想も保留します(^_^;)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ