第4章ー5
そんなことまで、土方千恵子が考えてしまったのは、一度、火を噴いた、いや高まってしまった声を静めるのは、中々難しいと思うことが世界的に起きていたからだった。
それこそ、現在進行中の第二次世界大戦がいい例だった。
日本国内どころか、他の主要連合国といえる米英仏国内でさえ、そろそろ和平交渉をすべきではないか、という声が少しずつ高まりつつある。
1939年から丸3年近く、独は打倒されたし、ソ連、共産中国も現実を理解して、無条件降伏に近い条件で講和に応じるだろう、これ以上、戦い続ける必要はあるのか、という声である。
だが。
ここまで世界的な規模での戦争となると、色々としがらみが出てくる。
日本国内でも、ソ連空軍の空襲による被災者や、独ソ海軍の無差別潜水艦戦により亡くなった船員の家族といった民間被害者を中心に、共産中国政府の全面解体に伴う満州国による中国統一、ソ連政府の無条件降伏以外の講和は断じてすべきでない、という強硬論は根強い上に声が大きい。
千恵子が聴くところの、まるで、日露戦争時のポーツマス条約締結前の日露講和反対派のような主張だ。
しかし、あの時はどうにもこうにも無理な主張だったが、問題は、その強硬論が現在は実現可能性があることだった。
今の日本は、米英仏等と協調して戦い続ければ、それは不可能な話ではない。
だが。
問題は、その後だった。
ソ連が無条件降伏し、共産中国政府が解体された場合、旧ソ連領、及び中国全土では、民族、宗教主義の嵐が吹き荒れるのは必至だった。
更に、その嵐はインド亜大陸やそれ以外の地域(東南アジアや中近東、更にはアフリカ)でも吹き荒れそうな気配を示している。
ソ連と共産中国政府を、正面からのみならず後方からも崩壊させるために、半ば空手形まで切って、連合国は、ソ連国内や中国本土での民族、宗教主義を煽っているからだ。
それに対抗するように、インドでの民族、宗教対立をソ連等は煽った。
更にこういったことを煽り合うと思わぬ余波まで生じてしまう。
例えば、英国の委任統治下にあるパレスチナでは、ユダヤ人とアラブ人の対立が火を噴きつつあった。
ナチスドイツやハンガリー等でのユダヤ人迫害から逃れたユダヤ人が、シオンの地であるパレスチナを目指して、そこにユダヤ人国家を築こうとしているからだ。
これに対して、現在住んでいるアラブ人は激しく反発し、小規模な武力衝突に至っている。
他の英仏等の植民地でも、世界各地の民族、宗教主義の高まりを前に、自分達も独立等を求めよう、そのためには武力にも訴えよう、という動きが各地で起きつつある。
これを英仏等は鎮めようとはしているが、どうやれば鎮まるかという手段に苦慮している。
それこそ、寝た子を起こしてしまったようなもので、中々寝付く、鎮まる筈がない。
ずっと平穏だった筈の日本領の台湾にまで、そのような声が上がりつつあり、米内光政内閣は、第二次世界大戦遂行のためには台湾の協力が必要なことから、綱渡りのような対台湾政策を講じないといけない有様となっている。
千恵子は、そこまで想いを巡らせ、更なる気鬱になった。
本当に第二次世界大戦は終わるのだろうか。
表向きは終わっても、民族宗教紛争の嵐は引き続き吹き荒れて、事実上、第二次世界大戦は続いてしまうのではないだろうか。
気鬱のせいか、身体の奥深くから痛みが奔り出した気がする。
いや、違う、本当に痛みが奔っている。
少し早い筈だが、これは陣痛だ。
よく考えたら38週目だった。
和子がほぼ予定日通りに産まれたし、産科医も少し遅れている気がすると言っていたので、まだ大丈夫と思い込んでいた。
千恵子は慌てて女中に産婆を呼ぶように命じた。
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