第3章ー4
話が少なからず横道にそれるが。
日本住血吸虫症といっても、何のことか分からない人が多いと思うので、極めて簡単に説明すると。
日本住血吸虫症という名前からすると日本固有の病気のようだが、そんなことはなく、東アジアや東南アジアにも存在する病気である。
ただ、広く存在するか、というと一部の地域に集中して発生している。
日本で言えば、山梨県、福岡県、広島県のそれぞれの一部が罹病地帯として著名だった。
(他の地域には全く無かったという訳では無い)
特に山梨県では深刻な被害をもたらしていた。
その原因だが。
その名の通り、日本住血吸虫という寄生虫が原因である。
だが、問題はこの寄生虫の感染経路だった。
この寄生虫は、一般的な寄生虫と異なり、経口感染ではなく経皮感染をするのである。
経口感染なら、煮沸した食品や飲料水を摂取することで、予防が(相対的に)容易だが。
経皮感染の場合、そういう訳には行かない。
分かりやすさを重視したやや不正確な説明になるが、この寄生虫は人間や猫、牛等の哺乳動物に寄生し、その体内(人間の場合は、門脈等)で生存して、卵を産む。
その卵はその動物の消化管を通って排泄され、その排泄物が水中に流れ込むと、その水中でふ化する。
そして産まれた幼生は、宮入貝という貝に寄生して、ある程度大きくなると、再度、水中に泳ぎ出し、水に浸かった哺乳動物の皮膚を破って、その哺乳動物(人間の場合は血管を通じて門脈等に到達した後)に寄生して成虫となり、再度、卵を産むという生活サイクルを持っている。
そのために、この日本住血吸虫の被害が特に大きかった山梨県の一部では、川の中に素手を入れて手を洗うことさえも、一時は忌避される程の猛威を振るったのである。
(なお、現在の日本では、日本住血吸虫症への対策として宮入貝がほぼ絶滅させられたことにより、日本住血吸虫症は、完全に撲滅されたといってよい病気になっている)
また、もう一つ、厄介なことがあった。
この寄生虫には、その感染経路から、厳密に言えば、消化器官に寄生している訳ではないので、いわゆる虫下しが効かないのである。
この当時に開発されていた治療薬は、世界中を見渡してもスチブナールのみで、しかも通常の場合は20回以上もの静脈注射が必要で、副作用として激しい関節痛や嘔吐等を引き起こすという厄介な治療薬だった。
そのスチブナールにしても、体内の日本住血吸虫を殺すことはできても、それ以上のことができず、既に日本住血吸虫によって発生した肝機能障害や神経障害は治せないので、それに対しては対症療法を行うしかない、という厄介な病気だったのだ。
延々と書いたが、この病気は、当時の中国の長江流域等でも猛威を振るっている疫病だった。
実際に日本軍が最初に苦しめられたのは、表面上は大勝利に終わった1927年の南京事件に伴う出兵の際であり、土方勇志大将率いる海兵隊の将兵が罹患している。
この経験から、1937年から本格化した中国内戦に日本軍が介入した当初から、日本は陸海軍を問わずに、日本住血吸虫症対策に力を注いだ。
流行地においては、水にはできる限り入らず、止むを得ず水に入る際には、必ずゴム手袋、ゴム長靴等で皮膚を防護する。
この予防対策を徹底させることで、日本軍は将兵に対する日本住血吸虫症の蔓延を防いできていた。
だが、あらためてこの疫病の猖獗地帯に侵攻せざるを得なくなったことから、日本軍は予防対策の更なる徹底を図った。
その一方、米軍はこの病気の流行地が米国本土内に無いことから、この病気に対する知識が浅く、軽視していたのだ。
その差が、この後で米軍内に悲劇を起こし、更なる惨禍を招くことになる。
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