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第3章ー1 中国奥地侵攻作戦発動等

 第3章の開始になります。

 共産中国打倒のために、中国本土、奥地への侵攻作戦を、日米連合軍は発動することになります。

 時間が少なからず戻るが。

 1942年5月半ば、極東戦線においても大きな動きが始まっていた。

 言うまでもない、日米連合軍を主力とする中国奥地への本格的な侵攻作戦の発動である。

 それまで、日米満韓連合軍は、基本的に華北、華中を中心とする沿岸部を制圧したのみであり、いわゆる長期持久戦態勢を構築して、共産中国軍と中国本土においては対峙していたという現状があった。


 これは様々な事情がそうさせていたと言っても良かった。

 1931年の満州事変勃発によるいわゆる満州国成立が、このような事態を招いた第1段階だった。

(実態はともかくとして、この時以来、中国では二つの国家、政府が並立して、お互いに中国全土が自国の正当な領土であると主張するようになった)

 そして、1937年のいわゆる中国内戦の開始が、第2段階と言える。

 これは、いわゆる共産中国の中国全土統一のための満州国侵攻作戦に対し、日本が満州国側に立っての事実上の参戦をしたことから、表向きは内戦であったが、実態は事実上の戦争となったのである。

 しかし。


 この頃から、いわゆるナチスの脅威が強まったこと、更に第一次世界大戦後の長きにわたる独ソ連携、中ソ連携、それから半ば連携して生み出された中独合作といった背景から、日本は中国奥地へ引き込まれることでの国力消耗を嫌い、華北、華中を中心とする沿岸部の制圧による長期持久戦態勢の構築で耐えることにした。


 このことについては、中国全土の統一を悲願とする蒋介石率いる満州国政府から強い不満が、日本に対しては内々に示されたが、満州国自身もソ連の脅威を完全に看過する訳には行かず、1938年中に日本軍の侵攻作戦(いわゆる徐州侵攻作戦)の成果で、そのような態勢が構築された後は、表向きはほぼ戦線が固定されてしまい、そうこうしている間に第二次世界大戦勃発、ソ連軍の満州侵攻等という事態が、アジアにおいては起こったのである。


 このような状況に至ったことから、米国も本格的に参戦することになった。

 アジア、極東戦線においては、マッカーサー将軍を総司令官として、米軍が大量に派遣された。

 日米満韓が協議した結果、まずはソ連を主敵とし、ソ連極東領を制圧した後で、中国奥地への侵攻作戦を発動することで、共産中国を崩壊させるという大方針が、1939年中に策定はされた。

 とは言え。


 ソ連軍の戦力は強大としか言いようが無かった。

 1939年9月に始まったソ連軍の大攻勢は、陸のみならず、海や空でも脅威を与えた。

 陸では、いわゆる満州のほぼ全土がソ連軍の占領下となり、鴨緑江や南山、万里の長城で懸命にソ連軍を食い止める有様となった。

 海でも、ソ連太平洋艦隊の潜水艦は、日満韓の通商路に脅威を与えた。

 空では、日本の帝都、東京までがソ連空軍の空襲の脅威に一時だったがさらされた。


 1940年春以降、米軍が大量に駆けつけたことから、日米満韓軍は反攻を開始したが、1940年中には満州をほぼ回復するだけに止まり、ソ連極東領制圧に掛かるのは、1941年になってからになった。

 そして、1941年中にイルクーツク以東のソ連極東領を日米満韓軍は制圧し、更に、いわゆる外蒙古、モンゴルをソ連から日米満韓側に寝返らせることに成功した。


 こういった戦況の好転があったものの、開戦以来の損耗で、満韓軍は消耗、疲弊しきってしまった。

 こうした事情から、中国奥地への侵攻作戦は、1942年春になってから、ほぼ日米の連合軍で行われるという事態になってしまったのである。

 米軍は引き続きマッカーサー将軍が、日本軍は岡村寧次大将が、侵攻作戦の指揮を執る。

 日米は速やかに侵攻作戦を成功裏に終えようと共に考えていた。

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