第7章ー10
そういった昏い状況が、中国本土ではこの当時、相次いでいたが、そのような昏い話が極東全体で満ち溢れていた訳では無かった。
暗闇の荒野の中における蝋燭の灯りに過ぎないが、少しは明るい話も無くはなかった。
1942年12月下旬のある日、新生モンゴル共和国の首都ウランバートルでは、寒風が吹きすさぶ中とは言え、暖かい笑いに満ちた声が、住民の間で交わされていた。
先日、取りあえずの応急措置に近い代物だったが、北京からエレンホトを通り、ウランバートルを経由してウランウデに至る軽便鉄道が完全に開通していた。
更にそれを踏まえて、軽便鉄道に並行する形での本格的な鉄道の着工が宣言されていたのだ。
そして、今日は本格的な鉄道建設のための、いわゆる鍬入れ式が行われており、住民の多くが興味深げに見物に来て、将来のことに希望を抱き、笑いさんざめいていたのだ。
「これが日本の仏教に基づく鍬入れ式ですか」
「ええ。日本式のやり方を認めて下さり、ありがとうございます。でも、どうしてもやりたかったのです」
現在のモンゴル共和国の首班、徳王陛下は、その鍬入れ式に列席しており、日本陸軍の簗瀬真琴少将と会話していた。
ちなみに、簗瀬少将は、現在、モンゴル共和国に駐屯している日本軍の最高責任者という立場にあり、鍬入れ式の施主的立場にあって、今回のことを主導していた。
「宗派は違うとはいえ、同じ仏教徒ではありませんか。その仏教徒がしたいといってきたことを、妨げるようなことを、私はしません」
「お心遣い、ありがとうございます。少しでも早く、また、無事故でこの鉄道を開通させたい、と願っていて、その願いを形にしたかった」
「それはいいことですよ」
二人は更に会話を交わした。
簗瀬少将は想いを巡らせた。
同じ大陸の西の方では、キリスト教徒同士が、東方正教徒とカトリックという宗派の違いから、未だにいがみ合いが再発生しているという。
その一方で、ここでは宗派の違いを乗り越えて、工事を無事にしようという願いを共にしている。
こんな風に西の方も宗派の違いを乗り越えられればいいのに。
もっとも。
日本国内でさえ、かつては宗派間の争いは耐えなかった。
いや同じ宗派の筈なのに、信徒がお互いに刃を向けることさえあった。
19世紀に入ってさえ、浄土真宗西本願寺派内部が三業惑乱問題で、信徒同士が対立の果てに、いわゆる一向一揆勃発寸前という事態にまで陥り、江戸幕府が介入せざるを得ない、という事態が起こった。
それを想えば、宗派間の対立を乗り越えるというのは、言うは易く行うは難し、という事態に他ならないとしか言いようが無い。
それでも、宗教、民族の対立を乗り越えて、物事を解決していきたいものだ。
簗瀬少将は、そう想い、その想いが現実のものになって欲しい、と想った。
そんな簗瀬少将の想いを、一部察したのか、徳王陛下は、口を開いた。
「軽便鉄道により、物資の運搬量が増えています。増えた物資を活用して、ウイグルやチベットの面々への援助をよりおこなうことができそうです」
「それは、有難い話です」
簗瀬少将は即答した。
ウイグル民族やチベット民族と言った少数民族の独立運動を煽ることで、中国本土を削る、という作戦は、日米にしてみれば、第二次世界大戦後を見据えた行動で、蒋介石率いる満州国政府が、不快以上の想いを抱こうとも、遂行されねばならない作戦だった。
徳王陛下の言葉は、日米のそういった行動を推進するものであり、簗瀬少将にしてみれば、有難い話に他ならなかったのだ。
その一方で。
簗瀬少将は皮肉な想いをせざるを得なかった。
日本の国益を重視せねばならないが、泥沼に日本は陥りつつあるのではないか。
第7章の終わりになります。
この後、エピローグを5話、投稿して、第13部を完結させる予定です。
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