83.彼女にキラキラな思い出を
映画を観終わって、僕はしばらくしゃべることができなかった。
「映画って……こんなに良いものだったんだね」
ようやく言葉を発せたのは、ショッピングモール内のカフェに入って、ホットチョコレートを飲んで温もってきた頃だった。
「比呂くんったら、ものすごく感動して泣きそうになっていましたもんね」
「な、泣いてはないよっ」
ちょっと声が出せない程度には感動したけどさ。決して泣いてはいない。この点に関しては断言してもいいくらいだ。うん。
「だって、主人公が最後にお母さんと再会するシーン……目をごしごしってしてましたよね?」
「それは、目にゴミが入っただけで……」
「真冬の映画館で、目にゴミ、ですか?」
松雪さんはからかうように笑う。ていうか、そこまで見られていたのか。
……恋愛ものの映画自体をあまり観てこなかったので、正直言うと舐めていた。
もっとイチャイチャするんだろうなと思っていたけど、主人公やヒロインの心の変化が丁寧に描写されていたというか、家族の問題や自分の内面に向き合うシーンなど涙を堪えるのが大変だった。
その悩みを共有し、結ばれたからこそのハッピーエンドが僕の心を打ったのだ。
……という感想を言ってみると、松雪さんが前のめりになって目を輝かせた。
「そうですよね! 比呂くんに気に入ってもらえて私も嬉しいです」
などと、まるで映画の関係者みたいに喜んでいた。
「でもさ……ほんと、スクリーンの迫力とか、音の響きとか、全部が家のテレビとは違っていたよ。ラストの雪のシーンなんか綺麗すぎて見入っちゃったしさ」
「あそこ、私もすごく好きです。雪が舞ってる中で、あのメロディが静かに流れて……」
「主人公が立ち尽くしてさ、涙を一粒だけ流すの。セリフもなしで」
「そうそう。まさに『言葉よりも想いで伝える』というキャッチコピー通りでしたよ。こういうことだったのかって、胸がぎゅっとしました」
松雪さんが胸元をぎゅっと掴む。そのシーンを思い出しているのか、切なそうな吐息を零す。
僕も似たような表情になっているかもしれない。心を落ち着けるために、ホットチョコレートに口をつけた。
「ん、何?」
松雪さんにじーっと見つめられるものだから、なんだろうと気になった。
「あ、いえ……ホットチョコレート、美味しいですか?」
「うん。チョコレートを飲み物にするってびっくりしたけど、けっこう美味しいよ」
冬限定の人気メニューらしいので頼んでみたけど、これはイケるね。
甘さと温かさが喉を通り、ほっと息をつかせてくれる。
「……私も頼んでみれば良かったです」
松雪さんは注文したカフェラテをかき混ぜながら呟く。
いつも通りのものを注文してみたけれど、冒険しなかったことに後悔しているという感じだろうか。
「なら、松雪さんも飲んでみる?」
「え?」
ホットチョコレートのカップを、松雪さんの前に持って行く。
「え? え?」
戸惑っている様子の彼女を見て、僕はああと納得する。
「その代わり、松雪さんのカフェラテを一口もらうね」
そう言って、カフェラテのカップに口をつけた。
こういうのは、もらうだけだと申し訳ないという気持ちばかりになってしまう。
ポップコーンの時のように、シェアするのが良いのだろう。
以前の僕なら「間接キス!?」と情けなく狼狽していたかもしれない。
けれど、ボクシングジムで城戸さんに間接キスされて、あれから思ったのだ。
間接キスは直接ではないのでノーカン。間接キスではやし立てるのは中学生まで、と。
陽キャ高校生なら飲み物や食べ物を当たり前のようにシェアして、間接キスという概念すら考えていないに違いない。
僕よりも経験値が高いであろう彼女なら、そこんとこを心得ているだろう。
「……っ」
……そう思っていたら、顔を真っ赤にしている松雪さんが目に入った。
「い、いただきます……」
もしかして僕の考えが間違っていたのかと思いかけたけど、ホットチョコレートを飲む彼女を見て安心した。
◇ ◇ ◇
カフェを出て改めてショッピングモール内を見てみれば、より一層きらびやかに輝いていた。
「イルミネーション……綺麗ですね」
松雪さんが小さく感嘆の声を漏らす。
少し前まで「ホットチョコレート……美味しいです……」なんて赤面していた彼女とは思えないほど、キラキラした目で周りを見渡していた。
クリスマスの装飾で輝いている色鮮やかな光が、モール内をきらめかせている。
「だよね。まだ映画の世界にいるみたいだ」
僕の言葉に、彼女は「うん」と頷いた。
人通りの多いモールの中を、しばらく無言で歩く。
でも、それが気まずいわけじゃない。むしろ心地よくて、静かな満足感が胸の奥で広がっていく。
「あ……」
松雪さんが肘の辺りを小さく掴んできて、僕たちは足を止めた。
「あの……ちょっと寄りたいお店があるんですけど、いいですか?」
「うん? もちろん」
松雪さんが向かったのは、すぐ近くにあったアクセサリーショップだった。
店の前に立った瞬間、ガラス越しに並ぶネックレスやピアスが宝石みたいにきらめいて見えた。
やっぱり女子ってアクセサリーが好きなのかな? そう思いながら、ドキドキした気持ちで見守る。
「……誰かに贈り物?」
僕が何気なく聞くと、松雪さんは首を振った。
「違います。自分用……ほら、今日はイブですし、楽しい思い出に記念になるものが欲しいな……なんて」
松雪さんは誤魔化すみたいに笑った。
……今日が松雪さんの誕生日だと僕が知っていることを、彼女はまだ知らない。
きっと松雪さんにとって、十二月二十四日は複雑な気持ちになる日だったのだろう。
自分の誕生日なのだと今まで言えなかった。友達どころか、親までが彼女の特別な日だと認識してくれなかったから。
周りを見渡せば、友達同士で笑い合ったり、両手にプレゼント袋を抱えた親子が歩いていたり、手を繋ぐカップルなどが行き交っていた。
そのみんながイルミネーションに目を奪われ、どこからか流れるクリスマスソングに耳を傾けている。
もともと人が多い場所ではあるけれど、やはりクリスマスイブだからこそ、こうして今日という日を満喫していた。
みんなが特別な日を満喫しているからといって、彼女の特別な日をないがしろにする理由にはならないはずなのに……。
「これ、どう思います?」
声をかけられて、はっとする。
見れば、松雪さんが耳にイヤリングを当てながらこっちに目線を送っていた。
僕は少し迷ってから、素直に言った。
「……似合うと思う。女優さんみたいで綺麗だし」
女優って……まだ頭が映画の世界に浸っているらしい。
言葉のチョイスにちょっと後悔する僕とは違って、彼女は一瞬目を見開いた後、くすっと笑った。
「じゃあ、これにしますね」
レジに向かう松雪さんの後ろ姿を見つめながら、僕の心にある考えがふつふつと湧き上がる。
僕も何か贈りたい。彼女の思い出になるように……キラキラした、綺麗なものを。
松雪さんが今日を特別な日だと思ってくれるような。特別な時間を過ごしたのだと喜んでくれるような何かを、したいと思った。
◇ ◇ ◇
それからショッピングモールを見て回って、僕たちはデートを楽しんだ。
「そういえば、夕食は比呂くんがおごってくれるんですよね?」
そろそろ外が暗くなってきた時間帯。松雪さんが悪戯っぽく笑いながら尋ねてきた。
「うん。今日はパァっと奮発するって決めていたからね。美味しいものをお腹いっぱい食べさせてあげるよ」
「おおっ! 比呂くんにしては頼もしいじゃないですか。それで、どこへ行くんですか?」
ようやく、この時がきた。
次に行く場所で松雪さんの誕生日をお祝いするのだ。そのための準備はバッチリである。
スマホで時間を確認し、予定通りに進めていることに口元が緩む。
そして、僕は自信を持って彼女をエスコートする。
「それじゃあ……ホテルに行こうか」




