71.それはどういう感情?
いつもは男ばかりのボクシングジム。
今回は城戸さんだけじゃなく、松雪さんも来たものだから雰囲気が全然違っているように感じられた。
「矢沢くんは来る度に女の子を連れて来てくれて嬉しいよ。若いからモテるんだねー」
「ははっ……」
ニッコニコのトレーナーのおじさんに、僕は乾いた笑いで応じるしかなかった。ていうかその理論だと、若者がみんな無条件でモテるってことですか?
「こういうところ初めてだから緊張しますね。皆さんお強そうで……。うわぁ……ここからでも迫力が伝わってきますよ」
「「「……っ!!」」」
松雪さんがみんなの練習風景を眺めながらそう呟く。
それが聞こえたのかどうなのか。心なしかジムの人たちの動きが激しくなったような気がする。なんか音が無駄に大きいし。あちらこちらから「うおおおっ!」と、いつもはしないような気合いの声が聞こえてきてもいた。
まあ城戸さんが来た時だって心なし浮ついた空気を感じたのだ。見た目だけなら守ってあげたい系の清楚美少女の松雪さんに見られていると思えば、アピールしたくなるのが男ってものだろう。
それにしても松雪さん。トレーニングウェア姿も新鮮だけど、ポニーテールにしているのも初めて目にした。
運動するのならあの長い髪は邪魔になるから自然なんだろうけど、普段は隠れているうなじまで目に入ってちょっとドキッとしてしまった。
「むぅ……」
好奇心旺盛で楽しそうな松雪さんとは対照的に、城戸さんはちょっと不機嫌な様子だった。
あまり言葉を発さない城戸さんが、代わりにとばかりに刺々しい雰囲気を発している。
彼女が無言でいるのはそんなに珍しいことではないはずなのに、今回はちょっと圧みたいなものを感じるのはなぜだろうか?
「比呂先輩と二人きりだったのに……」
「さあ、準備運動を終えたらトレーニング始めるよー!」
城戸さんが何か零していたようだったけど、トレーナーのおじさんの大きな声にかき消されていた。
ボクシングのセンスがよかった城戸さん。というか運動能力が僕とは比にならないほど高かった。
対する松雪さんは運動神経とかどうなんだろう? 同じクラスではあるけど、体育は男女別だからよく知らないのだ。
「って、松雪さん身体めっちゃ柔らかっ!」
松雪さんはほとんど一八〇度じゃないかってくらい開脚してストレッチしていた。
城戸さんも柔らかい方なのに、松雪さんの柔らかさは段違いだった。あまりに柔らかすぎて見入ってしまう。
「小さい頃はバレエを習ったことがありますので。これくらい楽勝ですよ」
そう言いつつドヤ顔の松雪さん。その顔を見るとなんか悔しい。
「それよりも比呂くんが硬すぎるのでは? こんなに硬くて……ふふっ。ケガしないように気をつけてくださいね?」
自分の半分も開脚できない僕を見てか。松雪さんはできない子を見守るお姉さんみたいに優しく笑った。
く、悔しいっ! ジムでは僕の方が先輩のはずなのにぃ~~! ……まだ数回の差でしかないんだけども。
「はっはっはっ。仲良しさんなのはいいが、そろそろ本格的に練習を始めるよー!」
トレーナーのおじさんの号令で、僕たちはトレーニングを開始した。
「うおっ!? 城戸さんいいねいいねー! すごくセンスがあるよー! その調子でパンチを打ち続けてみようか!」
「ふっ! んっ! はぁっ!」
城戸さんがサンドバッグを打つ度にものすごい打撃音が響く。対照的に声が色っぽく聞こえるのは、きっと僕の心に邪念があるからかもしれない。
迫力を感じさせるフォームから、強烈なパンチが繰り出される。動きが激しくて、よく揺れていた……。
「すごい迫力ですね。比呂くんが見惚れてしまうのも当然ですよ」
「わっ!? な、なんで耳元で言うのっ!」
吐息が耳に当たって変な感じがしたでしょうがっ! 松雪さんは「別にー」とそっぽを向く。
「はーい終了! よく頑張ったね! 城戸さんはちょっと休憩しようか」
サンドバッグを打ち終えた城戸さんは肩で息をしていた。あれだけ激しく動いていたんだから息を整えるのも大変だろう。
「はい城戸さん。スポーツドリンクだよ」
「はぁ……はぁ……。これ、比呂先輩の飲みかけ?」
「んなわけないでしょ。封も開けてないのに」
「……」
なぜか城戸さんにじとーっとした目を向けられてしまう。それはどういう感情の視線なの?
「この前はあたしの飲みかけのスポーツドリンクを、あんなにも美味しそうに飲んでいたのに」
「ちょっと城戸さん!? 誤解を招くようなこと言わないでもらえるかな!?」
「紬さんの飲みかけを……比呂くんが美味しそうに?」
ほら松雪さんが反応しちゃったから!
城戸さんの言葉だけ聞くと、まるで僕が意地汚い奴じゃないか。それは誤解である。断固抗議しなければならない!
「そう、あたしと比呂先輩は間接キスをしたの」
「か、間接キス……っ!?」
城戸さんのカミングアウトに、松雪さんが衝撃を受けたかのように後ずさった。
そういう言い方する? いや、間違ってはないんだけど……それをわざわざ言う必要はないんじゃないかなぁ?
異性への免疫が中学生以下の僕には、思い出すだけでドキドキしてしまう行いだ。こんなのは大したことじゃないんだろうし、慌てている方が格好悪いだろう。
僕は城戸さんの背中を押して休憩を促す。
「はいはい、城戸さんは変なこと言ってないで水分とって休む。次は僕がサンドバッグを打つから見ていてよ」
「うん。ちゃんと見てるね」
城戸さんに視線を向けられて、その目がどんな感情を宿しているのかと想像しそうになって……僕はサンドバッグに顔を向けた。
「あれ、松雪さん? どうしてこんなところに?」
松雪さんが声をかけられて、僕も振り返る。
そこにいたのは、プロを目指していると言われていた男の人だった。
「え? け、健太郎……くん?」
そして、どうやら二人は知り合いのようだった。




