45.松雪綾乃はちゃんとしたい【イラストあり】
紬さんをミスコンで優勝させるために、将隆くんと千夏さんにお願いして彼女をバンドメンバーに加えてもらいました。
その狙いは上手くいきました。練習している時から感じていましたが、紬さんの存在感はステージでよく映えます。
「さあ紬さん! あとは盛り上がった観客の皆さんにぐっとくる一言をお見舞いしてあげてください!」
「ぐ、ぐっとくる?」
「オイコラ松雪。城戸にプレッシャーかけてんじゃねえよ」
本番のバンド演奏が終わり、ミスコンに送り出そうと紬さんに声をかけていると、将隆くんに怒られてしまいました。
しかし、この時は紬さんの優勝を誰も疑っていませんでした。それほどまでに体育館の熱気が伝わってきていましたから。
「城戸紬って、父親を半殺しにしたっていう女子だろ。そんな奴がミスコンに出場してもいいのかよ?」
──悪意をぶつけられるこの時までは。
ステージに立って、最後の一言を口にしようとしていた紬さんに一人の男子が声を上げました。
それは波紋となって体育館中に広がっていきます。
たった一言で人の心は変わります。良いこと以上に、悪いことであっさりと……。
この空気には身に覚えがありました。
私がこの世で最も嫌いな空気……だからこそ、とてつもなく恐ろしい……っ。
「……っ」
なんとかしなければ。そう思うのに、口を開いても声が出てきません。
気づけば喉が引き攣っていて、身体も震えていて……。私は何一つ行動できませんでした。
「おい松雪。このまま放っておいていいのか?」
見れば将隆くんが険しい顔をしていました。千夏さんも心配そうにしています。
いいわけがありません。でも、恐怖で萎縮してしまった私の身体は、それすら伝えられなくて……っ。
「ち、違うんだYoー!」
比呂くんの声が体育館に響いたのは、そんな時でした。
彼はたぬきのお面を被ったままステージに立って、リズムを取るみたいに身体を左右に振っていました。
私にはわかります。
比呂くんは緊張を誤魔化そうと、わざとリズムに乗っているフリをしているのでしょう。
手も膝も、声すら震わせて……。
それでも紬さんを助けたい一心で、その身を張っていました。
「噂なんかに踊らされないでYo! ありのままの彼女を見てYo! 誰か本当に無意味な暴力を振るう城戸さんを見たことがあるのかYo!」
比呂くんの必死な声が、私の胸の奥を震わせました。
怖さを知っているからこそわかります。
比呂くんが不安と恐怖に押し潰されそうになっていることを。
そして、絶対に上手くいく保証なんてものもなくて……。自分が笑い者になってもいい覚悟で、大勢の前に立ったということを。
「あいつ……すげえ度胸だな」
違いますよ将隆くん。
本当に度胸があれば声も膝も震えたりしません。
なけなしの勇気を振り絞って、大切な人のためにあの場で必死に訴えかけているのです。
そんな比呂くんの姿が私には眩しすぎて……。今にも泣いてしまいそうになるのを堪えなければなりませんでした。
◇ ◇ ◇
文化祭が終わって、帰宅してから自室で制服も脱がずに、ベッドに寝てぼんやりと天井を見上げていました。
無事に終わった、とは言えないのに結果だけ見れば上手くいっている……。
「不思議な感覚……」
こんなことは初めてでした。
比呂くんが紬さんを庇って、それに感化されて妹さんが現れて、そして紬さんはミスコンを優勝しました。
悪印象の空気に傾きかけていたにもかかわらず。比呂くんが声を上げたからこその結果です。
良い印象が悪い方へ逆転してしまうことは珍しくありません。
ですが、その逆は難しい。少なくとも、私が目の当たりにしたのは初めてでした。
「綾乃? あれ、寝てんの?」
「お兄ちゃん、ノックくらいしてくださいよ」
いきなりドアを開けて入ってきたのは兄でした。兄妹とはいえデリカシーがなさすぎです。
「今日文化祭だったんだよな。疲れているんだろうけど、制服で寝るとしわになるよ」
「少し横になっていただけですよ。すぐに起きます」
「もしかして白雪姫ごっこしてた? キスしたら起きてくれる?」
「誰もそんなことは望んでいませんっ」
お兄ちゃんは表情と声色に起伏がないので冗談かどうかの判断がつきにくいのです。
軽々しくそんなことを言うから勘違いさせてしまうのですよ。しかし、それでも女子から人気があるのだから不思議なものです。
……いいえ、それだけを言うのなら私たちはよく似た兄妹かもしれませんね。
「文化祭で何か悲しいことでもあった?」
ベッドから起き上がると、お兄ちゃんにそんなことを聞かれました。
急な言葉だったので一瞬詰まりましたけど、そんな表情にはなっていないことを確かめてから口を開きます。
「何も。良いことしかありませんでしたよ」
「……わかった」
何が「わかった」なのでしょうね。
結果は良いことだらけ。紬さんも、比呂くんも、好転する未来しか見えません。
とても良いことで。私が望んでいたことのはずで……。
「そもそもお兄ちゃんは何の用があって妹の部屋に来たのですか?」
「漫画読み終わったから持って来た。いる?」
「あげる、みたいに言わないでください。私が貸していたものを返しに来ただけじゃないですか」
お兄ちゃんは私の部屋の本棚に漫画を戻すと、次の巻を取ります。気になる引きでしたから仕方ないでしょう。黙って貸してあげます。
「あと、母さんが今日帰ってくるって」
「そう、ですか」
私は立ち上がって、クローゼットに手をかけます。
「用事が済んだのなら出て行ってください。私はこれから着替えますので」
「可愛い妹の着替えだ。手伝おう」
「出てけ」
だから冗談ならもっと表情や声色で表してください。
お兄ちゃんが部屋から出たのを確認して、大きく息をつきます。
「よし」
今度こそ制服を脱いで、着替えを始めました。
私はちゃんとしなければいけません。
比呂くんに負けないくらいちゃんとしなければ。それが彼のあの姿に憧れてしまった、私の決意でした。




