閑話#12 公爵子息三男の憂鬱
※今回は普段の倍の文量になっています!
自宅での洗礼式はつつがなく終わった。
将来の指針を司祭に何を言われるかと思ったが、己の心の欲するままによく学びなさい、と意味不明な神託だった。
学業に専念して文官になれという事だろうか。
三大公爵家の御子息といっても、三男は三男だ。
公爵家は長男が継ぐし、次兄が補佐になって父上が所持している伯爵の称号でも継ぐのだろう。
長兄の子どもたちのことを考慮したらぼくに回ってくる称号はないと思って勉学に励め、と家庭教師が言っていた。
まだ子どもだからと侮らずに現実を教えてくれるのだから優秀な家庭教師なのだろう。
洗礼式のお祝いの晩餐にも父上の姿はなかった。
初級魔法学校の入学試験は入学式前に受けたいときに受ければいいので、ギリギリまで詰め込み教育をして受験するのは品のない事とされている。
だが、中級魔法学校でも通用するほど解答したぼくに新入生代表挨拶の依頼がないという事は、ギリギリまで受験していない高位貴族の関係者がいるのだろう。
入学式前日の夕餉に珍しく父上の姿があった。
「明日の入学式には私は参列しないが、初級魔法学校では優秀な成績を収められるように励みなさい」
ああ。ぼくは新入生代表になれなかったのだ。
入学式が終わればすぐに授業が始まるため、入学式に保護者が来るのは新入生代表者に選ばれる場合のみだ。
父上が来ないという事は、ぼくは二人の兄は成し得たというのに、新入生代表者になれなかったのだ。
家庭教師が散々発破をかけていたのに三大公爵家の争いに負けたのだ。
これでは父上に失望されても仕方がない。
翌朝は朝食前の身支度の時間に家令からラウンドール公爵の心得を再度指南された。
兄たちの進路が揺らいだから、ぼくの教育への熱意が変わったのだろうか。
長兄が上級魔法師として王宮に仕えながらラウンドール公爵を継いで、領地経営は実質的には次兄が行う予定が、次兄が騎士団の飛竜部隊を希望したことで、ぼくにお鉢が回ってきたんだ。
周囲の期待に応えることが、ぼくのやりたいことではない。
だけど、三男のぼくが身を立てるためには実力を示し続けなくてはいけない。
王太子殿下の御子息と同い年の妹よりは学校生活は気楽に過ごせるだろう。
朝食室に足を運んだら父上がいた。
父上と朝食を共にするなんて何時ぶりだろう。
侍従が耳元で母上は支度に時間がかかるから居ないが、一緒に朝食をとる予定で家中が動いていたと言われた。
何かが起こっている気配に武者震いを起こしそうになるのを、右頬を少し上げる程度に抑えることが出来た。
上位貴族として生まれてきた限り感情を抑えるのは赤子でないならば必須なことだ。
「入学式には私は行けないけれど、今日はとても面白い一日になるはずだ。お前は魔法学校時代を存分に楽しみなさい」
朝食のときに言った父上の言葉は意味深長すぎて理解できなかった。
ただ、今日はぼくの常識を覆す何かが起こりそうな気がしてワクワクしてきた。
一日の始まりに何かが起こる気がして気分が高揚するのは何時ぶりだろう。
期待したら裏切られる。
世の中はそんな風に出来ているのだ。
ぼくは予定された時間に馬車に乗り、予想されたように手厚い歓迎を受けて入学式の会場に入った。
右頬を少し上げるだけで表情を崩さず耐えたぼくを誰か褒めてほしいね。
貴賓席に母上が列席したことで、会場内では新入生代表はぼくだろうと会場内の関係者以外の全員が思っていたのだ。
そんな中、真の新入生代表者は辺境伯領の末席に座っていた生徒の名が呼ばれたのだ。
名前を呼ばれた時は、本人には事前に知らされているから分かっていたはずなのに、頬を赤らめて少し俯いた。
貴族としては失態なのだか、ぼくには微笑ましく思えた。
ぼくがやりたくてもできない、心をくすぐる表情だったのだ。
でも、そんなことは一瞬の出来事だった。
彼はしっかりとした声で、はい、と返答すると、上位貴族もかくやという姿勢で登壇し、堂々と臆することなく所信表明を述べたのだ。
毎日の生活に彩を添える、日常をワクワクさせる魔術具を制作できるように魔法道を究めたいと言ったのだ。
魔法は厳密に使用範囲を規制されている。
魔法陣の極みを突き詰めたのが上級魔法師で、神への敬虔なる祈りをもってして祝詞を通じて魔力を発動させる魔導師とは管轄が違うのが常識だ。
魔法道とは何なんだ!
両者に区別はないのか!
神学を学ばなくては神の名を知ることはできない。
だから、一度神学を学ぶ選択をすれば魔導師になる以外の選択肢は無くなる。
例え両方を学べたとしても教会に帰属する以外の生き方は選択できなくなるのだ。
魔法陣を行使せずに魔法を使うには祝詞を唱える以外にない。
祝詞を簡略化したのが呪文だが、発動率が低く現代では誰も使うことはない。
魔法と魔道を究極に極めたものが無詠唱魔法と言われているが伝説の魔法だ。
初級学校の入学時の所信表明には壮大過ぎる野望だ。
ぼくは肩が震えそうになるのを抑えるために、右口角を少し上げた。
面白いじゃないか。
準男爵エントーレ家の長男のカイル。
一代貴族のエントーレ家の養子にして長男。
家庭教師が作成した要注意人物の中に記載はあったが、ほとんど色物枠だと考えていた。
これは楽しい学校生活の始まりだと思った。
魔法書の取り扱いは厳密に資格で閲覧範囲が決められており、予習は不可能なのだ。
だが、辺境伯寮の生徒たちは教科書を見ただけで全員が正確に描き上げたのだ。
これは学習の仕方が根本的に違うのだろう。
あの楽しそうな生徒たちの中に入ってみたい……。
友だちが欲しいと思ったことはない。
近づいてくる人間はみんな下心があると思え、と家庭教師に言われて育った。
理想的な学友候補のリストも見せられた。
同時に警戒人物のリストもあった。
仲の悪い三大公爵家の共通の敵、辺境伯領の出身者はここ数年驚異的に成績を上げてきている。
辺境伯領出身者は思考が偏屈で理解力が劣るというのが定評だった。
成績の向上もなにか領を上げて改善策を取ったのだろう、程度でそこまで世間の注目を浴びていなかったのだが、今後は間違いなく変わる。
カイルに声掛けをしたのは、そんな下心があってのことだった。
カイルは不思議な少年だ。
辺境伯領生ばかりのグループに厚かましくも入り込み、人間関係を観察してみたところ、カイルがこのグループのリーダーだった。
生徒たちは身分も年齢も関係なく、お互いを尊敬して互いのためになる情報を惜しげもなく交換し合う間柄だった。
偏屈で理解力が劣るのは王都の貴族たちの方ではないか。
午後の魔力出力で、ようやくぼくは魔力量でのみ辺境伯寮生に追いついた。
そのままノリで魔力操作まで始めてしまった時は焦ったが、彼らが簡単にやってしまえることが出来ないなんて癪だから、その後叱責されることはわかっていたが、やってしまった。
楽しかった。
胸がときめいたのだ。
与えられた課題を完璧にこなす勉強より、仮説から検証してみることはワクワクするのだ。
帰宅したら入学を祝う晩餐があると言われた。
兄上たちのときでさえ父上は晩餐にはいなかったのに、今日は両親と三才の妹までそろっての晩餐になった。
妹が食べこぼすと控えていた侍女がすぐに清掃の魔法を使うので母上の機嫌を損なうこともなかった。
「面白い一日になっただろう?カイルの父は魔獣暴走後の王都復興の立役者で、我が領に是非ともほしかった人物なのだが、ラインハルト殿下にしっかり囲われていて、辺境伯に取られてしまった」
王家と辺境伯家との婚姻関係を崩そうと三大公爵家がどれほど手を回して王妃から側室に落としても、王家からの御降嫁や婿養子の関係が止まらず、王政に干渉しないからといっても無視できる存在ではないのだ。
「カイルとはニックネームで呼び合うほど親しくなれました」
「それは良かった。王太子殿下の御子息の婚約者候補の筆頭は辺境伯の孫のキャロライン嬢だ」
同い年のうちの妹が筆頭候補ではないのか!
「キャロライン嬢は男装して騎士の子どもたちと遊んでいるという情報もありますよ」
辺境伯領の生徒たちも一枚岩ではない。
寮に入らずタウンハウスから通学している生徒たちは相変わらず質が悪い。
カイルがかかわっていない生徒は伸び悩んでいる分口が軽い。
「慣例上キャロライン嬢は王族の誰かと婚姻関係になるのだが、王太子殿下のところ以外ではラインハルト殿下のお孫さんになるのだが年齢的に厳しいだろう」
「キャロライン嬢を側室に落とす必要があるのですね」
「それは現状難しい。辺境伯領の快進撃は魔法学校だけではないのだ。経済発展が目覚ましい」
「新しい神が誕生されてから王国内はどこの領でも豊作で景気がよいのではありませんか?」
「話に聞くだけでは夢のような発展ぶりだ。カイルと友人関係を保ち、夏休みに遊びに行くと称して偵察してきてほしいのだ」
「わかりました。信頼を勝ち取って招待されるようにいたします」
ぼくの個人的な好奇心ではなく父からの依頼でカイルと親しくしなくてはならなくなった。
そのことを少し残念に思っていることに気がついて、胸がジリジリした。
毎日一緒に登校することで距離を縮められたのだが、辺境伯寮の生徒は初級学校の校舎からいなくなっていた。
カイルの親友はボリスだ。
あのポジションを奪うためには騎士コースの受講が必須だ。
自宅で剣術指南も受けていたので、初級の卒業相当までは簡単にとることが出来た。
カイルは寮と学校の往復以外は親戚のパン屋に入り浸っているだけだ。
接触したいのに登校時にしか会えない。
ボリスの後をつけて行ったら図書館だった。
付属の図書室で見かけたこともないのに中央図書館にボリスが自主的に来るとは思えない。
「やあボリス。カイルに会いに来たのかい?ぼくも一緒に行きたいな」
有無を言わさず閲覧室に押し掛けた。
本棚に並んでいた書籍を確認して、カイルが一番欲しがっているものが魔法学の知識だと読んで揺さぶりをかけるが手答えがない。
家庭教師が言っていた。
個人的な悩みや相談事をすると、相手との距離が縮まると。
優しいカイルは親身になって相談事にのってくれた。
互いの夢を語り合って、互いの失敗談に大笑いしたのは楽しかった。
親友認定も済ませたから、次は素材採取の実習を共にしなくてはいけない。
カイルの優秀さは座学だけではない。
あっという間に採取の合格をもぎ取ると、音楽の魔術具を出してくつろぎ始めたのだ。
実習のペアの相手は優秀だと聞いていたのに全く鈍間な女子だった。
白い繭が出現した当初は冷静に対処できていた。
騎士の実践型実習では予定外なことが起こることは有名だ。
だが、結界の外に魔獣が集まって来ていることに気がつくのに、カイルとボリスに後れを取ったのだ。
出遅れた事に羞恥を感じる前に、結界の外に集まって来ている魔獣の量に愕然とした。
結界が持たないだろう……。
教員が救援信号を打ち上げたが、後から後から集まって来ている魔獣の負荷を考えると間に合わないだろう。
ぼくは誰を一番に守るべきか……。
カイルは瞬時に打開策の魔法を編み出した。
魔法陣を見た時に原理はすぐに分かった。
出来るか出来ないかではない。
成功させなくては命がない。
ぼくがタイルを土魔法で制作しているうちにカイルは鈍間な女子二人分もタイルを制作し、ぼくが魔法陣を刻んでいるうちに不器用な騎士の生徒の魔法陣を描き上げていた。
結界が破られて地響きと土煙が迫ってくる中で、カイルは自分用のタイルを戦うすべのない薬草学の教員に投げ渡したのだ。
命の危機なのに、なぜ他人を優先するんだ!
死んではいけない人間はカイルの方だ。
ぼくは自分のタイルをカイルの方に投げようとしたら、強制的にタイルの上に乗せられて、カイルの魔力をタイルにたたきつけられて、上昇していた。
土煙の先頭がカイルに迫っているのに、最強のお守りがあるからとタイル制作をつづけた。
神様に本気で祈ったのは初めてだ。
ぼくはカイルの無事を、自分の命に代えてもいいとさえ思って祈った。
五才で哲学書をちょこっと読んだだけで神童のつもりでいた。
本物の神童は知識だけではないのだ。
どう行動できるかなんだ。
生きのこらなければいけないのはカイルの方なのだ。
涙があふれてくるのに、タイルへ注ぐ魔力を抑えて下降する勇気もない。
ぼくはただ泣くだけのみっともない子どもなんだ。
涙と埃でかすむ視界に見えたのは、カイルに突進した猪が後方に吹き飛ばされて後ろから来た猪を押しつぶしている様子だった。
最強のお守りは最強だった。
そしてぼくは気がついた。
ぼくを浮かせるためにものすごい勢いで吹いている風はタイルの外側では強い下向きの風となって前進してくる猪を地面に叩きつけているのだ。
ぼくは浮いているだけでカイルを手助けしているのだ。
カイルが自分のタイルを作り上げて乗ったとたん、すごい勢いで上昇しタイルが親指の爪くらいの大きさに見えるほど遠くまで打ちあがった。
貴族の子弟の方が魔力の量が多いなんて、ただの思い上がりだ。
その証拠にカイルの猫がみんなのタイルに魔力供給するために飛び回っている。
冷静に考えると笑えてくる。
猫にも劣る魔力量なんだ。
カイルはその後も奇想天外な発想で猪の怒りを静めた。
かなりの高品質の回復薬を元凶になった猪の子どもに与えて、猪たちを森に帰してしまったのだ。
糞マズイ子ども用の回復薬にくたばっていた時に、もう少し待てば騎士団が討伐したのに、高価な回復薬を使ってまで何故森に帰したのか聞いてみた。
「猪が森からいなくなってしまったら、猪を捕食する大型魔獣が餌を求めて降りてくるようになるよ」
自分は浅はかな子どもだと自覚した。
何もかもが、想定外だった。
最初に来た救助は、騎士団の部隊に所属していない飛竜に乗ってきた人で、カイルとボリスの知人だった。
飛竜は死ぬ直前まで騎士団に使いつぶされる。
死期が近づくと使役契約を解いて森に還ると言われている。
使役契約者が見つかっていない飛竜がいるから、兄上は飛竜騎士を目指しているのか!
続いてやって来た騎士団の救助班に、実践的な実習に初級の新入生がいる事態の説明を飛竜に乗ってきた男が一言で納得させてしまった。
彼は伝説級の飛竜騎士だったのだ。
カイルが呪詛返しの魔法を行使したが、おまじない程度だとその時は思っていた。
それよりも、現場検証が続いているのに、優雅に魔術具で音楽を流しながら、見たこともない料理のお弁当を、事情聴取の合間に食べることに驚いた。
「こういうことは時間がかかるからご飯でも食べて、お喋りしながら自分の番を待っていようよ」
「魔力を使うとお腹がすくし、同じことを何度も聞かれるから、イライラしないようにしっかり食べておいたらいいよ」
カイルとボリスはなぜか落ち着いていて、乳母のような気遣いを見せた。
お弁当はどれも美味しくて、夢中になって食べてしまった。
「外でのご飯は手に持って食べれる、お行儀を気にしなくていいものが一番美味しいよね」
大きなエビは高級食材で、我が家でも格式を気にするパーティーじゃないとメニューに上がらない。
「エビフライはひとり二本ね。先生の分も取っておいてね。唐揚げはもう一つ別の折にも用意してあるからたくさん食べてね」
「豪華すぎです」
「美味しすぎて食べ過ぎてしまいます」
「寮の食事は本当に美味しくて豪華だけど、食費は以前と変わらないから気にしなくていいよ」
詳しく聞けば、寮の中庭に畑や鶏舎もありみんなで育てているとのことだった。
猪も何匹もらえるかと、騎士団に交渉していた。
「寮の鶏は卵のために飼っているから、唐揚げのお肉は購入したものだよ」
あの女子生徒からもらった草は本気で食べる気だったんだとわかった。
食事中の雑談で他の生徒たちも辺境伯領の内情を聞き出そうとしていた。
だが、音楽の魔術具の歌や演奏が洗礼式前の子どもたちの演奏だったことで全ての話題を攫って行った。
この子たちが次々と入学してくるのか!
「蓄音器の購入は親族の商会に問い合わせてね」
カイルは商売上手な子どもだった。
緊急特許申請の制度は知っていたが、初めて申請書を見た。
青く光ったという事は、国内限定だ。
飛行魔法は金のなる木だ。
今後、国際特許の取得に向けてカイルを取り込むべく貴族たちが動き出すのは間違いない。
親友としてカイルにふさわしい研究所を紹介しなくてはいけない。
カイルの好みを知るために調査員を増員しよう。
誇り高き魔獣である飛竜が涙を流してカイルに体を預けている。
それはとても美しい光景で、静謐な時間であった。
魔獣を使役するという事は、互いの命を預けあう事なのだろう。
こんな信頼関係にカイルとなりたいものだ。
学校に帰ると大変なことになっていた。
校舎が鼻が曲がるほどくさいのだ。
カイルの呪詛返しは、ぼくの想定以上の大惨事を引き起こしていた。
主犯は騎士団の追跡魔法で問答無用で拘束されたが、洗浄の魔法をかけてもすぐに匂うのだ。
彼らはすぐに別室に連行されたが、問題は知っていても止めなかった生徒たちだ。
ぼくやカイルを面白く思わない生徒が沢山いるのは知っていた。
今日の実習であいつらひどい目にあうぞ、と言う噂が広まったせいで、知っていたのに止めなかった生徒の数が、中級学校を中心にかなりの割合になっていたのだ。
あまりの匂いに全く関係のなかった生徒まで具合が悪くなってしまい、この日の授業は中止になった。
当初は中級学校の食堂での食中毒が疑われたが、嘔吐や発熱といった他の症状はなく、震えるほどひどい腹痛ではなく、なんとなく痛い程度なので、食あたりとも違っていた。
そして一番確信が持てたことは、罪の重さで症状が違うのだ。
実習で何か嫌がらせがあるのを噂で聞いて先生に報告した、または何も知らなかった生徒に症状はない。
生徒から何かしらのいたずらがあることを知らされていたのに、もう実習に出発してしまっていたし、引率の教員が二人もいるからと気にしなかった教員は、腹痛と下痢。
噂を知っていたのに、そんなことをやるわけがない、と楽観視していた生徒は、腹痛のみ。
噂を本気にしていたのに放置した生徒は腹痛とおなら。
噂の結果を楽しみにしていた生徒は腹痛と下痢。
保健室での聞き取りの際の雑談で、この傾向がはっきりとしたのだ。
学校での事情聴取でカイルの呪詛返しの魔法の効果だとわかる前に判明したため、我が家へ謝罪に来る生徒の馬車が渋滞を起こし、ぼくがまだ帰宅していないことで自宅は大混乱に陥ったようだ。
学校へ安否の問い合わせをしても騎士団の救助があったとしか返答がなく、母上は学校に乗り込もうとしたが、馬車の渋滞が学校から我が家まで続いていたので動けなかったらしい。
鳩の速達便で詳細が判明した時には、従者たちが街道に出て辺境伯寮に行くように誘導したのだ。
のちに『辺境伯寮の大審判』と呼ばれるのも当然の事態だったのだ。
父上も王宮での執務を放り出して、その日は早く帰宅した。
ぼくは怪我もなく帰って来られたことをいち早く知らせようとエントランスまで出迎えに行った。
父上は玄関の扉が閉まるなり大声で笑いだした。
お腹に手を当てて時折、ヒーヒーと裏声になりながら涙を浮かべて笑ったのだ。
「お前が大変な目にあったのに悪かったな。王城でずっと笑うのを我慢していたので、タガが外れてしまったのだ」
父上を嵌めようとしていた貴族は多い。
そういうやつらは自分の手は汚さず人を使って罠を仕掛ける。
己の手を直接汚さないから騎士団の追跡魔法からは逃れられても、カイルの呪詛返しは逃れられず、王宮でいきなり悪臭を発する人物が複数人出たのだ。
トイレで苦しみぬくほどの腹痛ではないのだが、ふとした拍子に物凄く匂うのだ。
本人たちは体調不良で帰宅したが、彼らの関係者は全員臭いのだ。
悪臭を放つ全員が帰宅したら仕事が回らないだろうという人数だった。
匂いを放つ人物は父上の政敵の派閥のものばかりで、父上は王宮の一室に一時軟禁された。
だが、息子が学校の実習で故意に魔獣暴走の襲来を受け、騎士団に救助されたと一報が入り形勢が変わったのだ。
騎士団は魔獣暴走の一報と、解決済みの情報で混乱をきたしたが、緊急特許の申請があったので、何か画期的な魔法で解決したことがわかった。
事情が判明すればするほど、匂いの原因は父上ではなく、自分たちへの因果応報であることが言い逃れできなくなった。
本人たちは違う、関係ない、と言い張るのだが、言えば言うほど悪臭が酷くなるのだ。
いくら換気をしても本人たちに清掃の魔法をかけてもすぐに悪臭を発するのだ。
「息子の無事な顔を見たいと言って退城したのだ。あんな悪臭を放っていたのでは、とても明日は登城できまい。やつらはおしまいだよ」
父上はお前が無事で何よりだ、さあ、冒険談を聞かせてくれ、と言ってぼくの肩を抱き寄せた。
生きててよかった。
心からそう思ったのに、声に出して言ったのは父上だった。
おまけ ~とある家庭教師の呟き~
公爵家の三男は聞き分けの良い賢い子どもだ。
ご両親の関心がご自分に向かない事にも嘆かず下唇を噛むだけだ。
貴族は表情で考えを読まれるようではいけないのだ。
私の職務は一般教養の教示することであって、愛情不足の子どもを可愛がることではない。
彼の賢さは学業のみならず、自分が一貴族としてどう見られるべきかまで気にすることが出来た。
結果、いつも口角を少しだけ上げる笑顔で控えめな姿勢をする子どもに育った。
学業も剣術も人並み以上にできるのが当たり前、というご両親の考えの元、私は彼に詰め込めるだけ知識を詰め込んだ。
新入生代表者に彼が選ばれなかった時はクビになると思っていた。
だが、初日の学校から帰ってきた彼は、いつもの冷笑ではなく、頬をバラ色に染めてた満面の笑顔で言った。
「お友達ができたんだよ!」
ご両親に敵が多いので、人間関係には厳しく警戒するようにと指導してきたが、年頃の子どもにとっては酷なことだったのだろう。
彼のこんな嬉しそうな顔を初めて見たのだ。
毎日ご友人のことをお話になるのだが、疑問に思うことがあったので聞いてみた。
「なぜ休日の様子までご存じなのですか?」
「ぼくのお小遣いで、カイルの調査をしてもらっているんだ。仲良くなるためには相手のことをよく知らないといけないでしょう」
お友達と仲良くなるために行動調査をする前に、仲良くおしゃべりするべきだろう。
私はただの家庭教師のはずなのだが、やはり情操教育も職務範囲なのだろうか。




