皇帝の気付き
「邪神の欠片を最終的に消滅させた場所が北のガンガイル王国の教会だったから大聖堂島の北側が持ち上がったのではなく、ガンガイル王国の教会に魔力の多い人々が集まって教会の建物自体に魔力を満たしたことで、教会の護りの結界の北側の魔力が満たされて大聖堂島が北側だけ持ち上がったのでしょうか?」
エドモンドの疑問に二人の上級精霊は頷いた。
「他の教会で同様の事をすれば、教会の建物が喋り出すかどうかは別として、東西南北から十分な魔力量の奉納があれば大聖堂島を浮き上がらせることができるだろう」
「そうなると大聖堂島と教会都市とつなぐ可動橋は使用できなくなる」
月白さんの説明にワイルド上級精霊が喫緊の問題点を指摘した。
「簡易の橋を架ける専門家なら、ここにいますよ」
エドモンドが父さんを指名したが、聖水を飲んでいないから大聖堂島に行けない!と父さんが首を横に振った。
「それだったら魔法の絨毯から下りなければ問題ない!」
ハルトおじさんたちが使った抜け道を教皇が提案した。
「日暮れまでに北の可動橋を何とかしてもらえれば、帰宅困難者を出さずに済む」
“……痛み止めの薬は手に入る算段は付いたが、儂の嫁が下敷きになったままなんだから、さっさと大聖堂島を持ち上げてくれ!”
水竜のお爺ちゃんの悲痛の籠もった叫びにぼくたちは頷いた。
「教会の転移魔法で移動して、三か所同時に洗礼式の踊りをしてしまえば、日没前に大聖堂島を水平に持ち上げることが可能だ」
ワイルド上級精霊の説明に教皇が眉を顰めた。
「三か所同時にと言われましても、魔力奉納をする人たちが分かれてしまえば奉納できる魔力量が三分の一になってしまいます!」
教皇の指摘に、大きいオスカー寮長とエドモンドが顔を見合わせて頷いた。
「私が呼ばれた理由がわかりました。踊り手たちなら、うちの寮生たちが踊れます。ちょうど寮では競技会の祝賀会で東方連合国合同チームの関係者も集まっています。中央教会でのオムライス祭りで洗礼式の踊りを披露したことをきっかけに、中央教会の寄宿舎生たちや、デイジー姫もマリア姫も洗礼式の踊りを踊れます」
「分散する司祭たちの代わりにうちの騎士団員たちを派遣しましょう。司祭に劣らない魔力があります。十分な量の魔力を奉納できるはずです」
「まあ、どうしましょう!そんなに大勢のサイズの違う子どもたちの洗礼式の踊りの衣装を用意できませんわ」
母さんの嘆きに、皇后アメリアがポンと両手を合わせた。
「本物の洗礼式ではなく、あくまで教会関係者たちの勉強会なのですもの、魔法学校の制服にそれぞれの配役の神の色のスカーフを身につければいいのではないでしょうか?」
そうですね、と母さんもお婆も納得した。
皇后アメリアは、ケインやウィルたちがお揃いのドレスで女装したのはワイルド上級精霊の魔法だと知らなかったから、一瞬で衣装を変える魔法がある、という発想にならなかったようだ。
“……ご主人様。アメリアはすっかり観劇に嵌ってしまい、戯曲を読むだけでは理解できなかった、抽象的表現の舞台がお気に入りなので、この発想になったようです”
理由はどうあれ支度が簡単な方向に話が流れるのはいいことだ。
父さんとジェイ叔父さんは使用できなくなった五つの可動橋の代用をどうするかについて検討し始め、教皇とエドモンドと大きいオスカー寮長は三つの教会に派遣するメンバーの選抜を二人の上級精霊に助言を求めた。
戦争ばかりしてきた皇帝は東西南の砦を護る一族の国には立ち入れるわけもなく、人材を派遣することもできないので、一人ぽつんとテーブルに向かいお茶の用意を始め、ぼくたちを誘った。
ぼくたちは可動橋の代用手段や、どこの教会に派遣されるかに興味があったが、皇帝に恨みがあるぼくとマテルは、膝を突き合わせて皇帝と話す機会はもう二度とないかもしれない、と思い顔を見合わせた。
マテルもぼくと同じことを考えたようで、ご一緒します、と返答した。
兄貴とケインとウィルとイザークと魔獣たちもお茶のテーブルについた。
「私は前世では中央教会の寄宿舎生だったから自分の身の回りのことは自分でしていたので、茶を入れることはできる」
「残念ながら、むらしの時間が足りないようねぇ。これは東方連合国名産の半発酵のお茶で茶葉が開くまでもう少し待つ必要があるのよ。子どもたちには薄めのお茶を、大人には少し濃く抽出したものを出すのが一般的ね」
アナベルがダメ出しすると、こうなのか、と皇帝は素直にアナベルの指示に従った。
「奥さんの好みのお茶を時間帯に合わせて茶葉の種類を変えて入れられるような旦那さんって素敵よね」
みぃちゃんの言葉に魔獣たちは頷き、ぼくたちが将来のお嫁さんにしてあげろ、ということかい?とぼくたちは苦笑した。
「気遣いは場所や時間帯など、その時の状況によって臨機応変に対応するものだということを、何回転生しても私は理解していなかった。人生で勝ち組になるにはどうするか、来世が上手くいくようにはどうするか、と自分の事ばかり考えて生きてきた」
アナベルが、よし!と判断したタイミングで淹れたお茶を啜りながら皇帝は呟いた。
「元研究員の男は自我を損なうことなく回復していた。……自分勝手な思考しかしないところが、私に似ていたよ。帝都の教会付属病院に搬送したが、あそこには、帝都魔術具暴発事件で瘴気に晒され精神的ショックを受けた市民がまだリハビリに通っている。それを見てあの男がどう思うかで、今後の処遇を変えていこうと考えている」
皇帝は元研究員の男が邪神の欠片に精神を完全に支配されていた、とまだ判断せず、男を観察してから判断するようだ。
「最も重い罪を犯した私が法を作る支配階級の頂点にいたから、処罰から逃れたことは理解している。そして私が処罰されないのは、現在、私の代わりに即位できるような人材が育っていないからだということも理解している。世界を安定させることを君たちが最優先したからだ」
皇帝の言葉にぼくとマテルは頷いた。
「……不幸を生み出した真犯人を糾弾しなかったことで、私は邪神の欠片を追跡できる能力を得ました。そして、地上にある邪神の欠片が全て消滅したときに、心の奥の底から信じられないほどの爽快感が湧き上がり、言いようのない多幸感に包まれました。洗礼式の踊りで魔力奉納をしたときに神々から温かい魔力を賜りました。あの場にいたすべての人々が神々からご加護を授かったと思いますが、私は、自分の境遇を嘆き恨む気持ちを捨てさり、邪神の欠片の消滅に全力を尽くす、と立てた誓いを達成したことへのご褒美のようなご加護をいただいたと、勝手に解釈しました」
マテルの言葉に、道端の誓いを達成したご利益だね、とぼくたちは頷いた。
「踊りに合わせた魔力奉納は、奉納した魔力が世界中を駆け巡り、神々からの魔力を得て戻ってくる感覚でし……ア゛!」
奇声を発したぼくは亜空間にいる全員の視線を集めた。
「そんなに仰天するようなことではなくて、洗礼式の踊りの魔力奉納で神々のご加護を授かったのは、しっかり大聖堂島を浮かべよ、というご利益の前払いだったのかもしれない、と考えただけです」
ご利益の前払い、という言葉に月白さんが噴き出した。
「古来の洗礼式の儀式を復活させたご褒美だよ。まあ、その魔力を使用して今日のうちに大聖堂島を浮かせることができたら、神々はお喜びになられるだろうね」
神々にせかされたわけではないようなので、安堵の息を吐くと、急ごうね、と水竜のお爺ちゃんにせかされた。
「邪神の欠片の消滅に協力した全員が神々からご加護を授かった。その功罪に合わせてご加護を剝奪された者もいるが、皇帝は皇后アメリアの振る舞いによって功罪を問われていない」
ワイルド上級精霊の説明にみんなの視線が皇后アメリアに向いた。
当の皇后アメリアは、何をしたのかしら?と首を傾げた。
「心意気と行動力だろう。皇帝の嫉妬心から現世では子を成すことができなかったのに、伴侶の子どもたちやその孫まで面倒を見ようとする心意気と、外出を許されるようになってからの行動力が神々の目に留まったのだ」
イレギュラーに邪神の欠片を消滅させ隊のメンバー入りした皇后アメリアによって神罰を免れた皇帝は悔い改める決意を新たにしたように項垂れた後、顔を上げた。
「何もかも、私は間違っていた。アメリアは素晴らしい女性だからこそ離宮に閉じ込めていてはいけなかったのだ。ああ、今ならわかる。色々な事柄が私の中で繋がった。私の行いは、私の代で世界が滅びなくても緩やかに世界を滅ぼす行いをしていた。それがこうして、全てが変わったのはカイルのお陰だったのだ」
「本人が控えめにしているのに、ここで暴露をするのか!」
ワイルド上級精霊の突っ込みに月白さんが笑った。
「私が即位してから帝国全土が次第に荒れていくのがわかっていました。大きくなりすぎた国土を私の護りの結界では維持できないのだ、とうすうす気づいていながら、史上最大の帝国になったことを誇らしく思っていました。白砂に還る大地があっても現地の領主の統治がマズい、として放置していた土地が薄っすらと蘇ったのは、カイルが魔法学校に入学した年でした」
父さんと母さんとお婆とケインが、聞いていないよ!と言いたげな視線をぼくに向けた。
あれ?話していなかったかな?
「あれはねぇ。クラーケン撃退後に帝国の精霊がご主人様の夢枕に立って、助けてくれ!って叫んだのよ」
いろいろあった時期だったことを言い訳したアナベルの言葉に、ああ、あれね、と家族たちは納得した。
「当時は、国境を越えての魔力奉納が有効かどうかもわかっていませんでしたが、大地の神に魔力奉納をしてほしい、と精霊にたのまれたからしただけです。まあ、帝都に向けての旅路では、みんなで相当頑張りましたよ」
ぼくの説明に皇帝は頷いた。
「ああ、本当に助かった。土地が荒れていたから秘密組織の連中に邪神の欠片を浮かび上がらせる隙を作ってしまった。カイルたちのお陰でこの世界が救われた。本当にありがとう。魔力奉納をするたびにガツンと魔力が吸い取られる感覚が薄くなり、結界の奥深くに温かい魔力があるのを感じていたが、あれはカイルのスライムの魔力だったのだな」
皇帝の言葉に、そうなのか!と全員がアナベルを注視した。
「ええ、そうです。土壌改良の魔術具の種明かしをすると、ぼくのスライムの分身が地中から護りの結界を強化していま……。あ!ぼくのスライムが五回も邪神の欠片に精神汚染されても健全な精神を保っていたのは、世界の理に近い地中に分身がとどまり、神々に保護されていたからなのか!」
今頃気付いたのか、と言いたげな表情で二人の上級精霊が頷いた。
「最近、地中にいる分身は出番がないので眠っている状態だから、神様に守られていることを、あたいもすっかり失念していたわ」
アナベル本人も気付いていなかったが、アナベルがほぼ無限に分身を出せるのも神々のご加護があるからに違いない。
「これは洗礼式の踊りで、お礼の魔力奉納をしなくてはいけないわ。あたい、頑張るわよ!」
「カイルのスライムが分裂して三か所の教会の踊りに参加してくれると心強い」
張り切るアナベルの言葉に教皇が喜んだ。
ここからの作戦会議は全員が参加して、だれがどの教会に向かうかの話を詰めた。




