逃すものか!
二人の上級精霊は状況説明する時間を惜しみ、何が起こっていたのかを亜空間に招待された面々に精霊言語で一気に脳内に叩き込んだ。
辺境伯領の教会では洗礼式の踊りの配役が決まってしまい、もうこれから先の時を戻せば神々の不興を買いかねないので戻せない。
光の神の役は領城間の転移魔法で辺境伯領に駆けつけたエリザベスを差し置いて、アリサと平民の女の子に決まった。
闇の神役は不死鳥の貴公子と平民の男の子、火の神役はハロハロの息子と学習館の男の子、空の神役が東方連合国王子のキールと平民の女の子、風の神役にクロイと平民の男の子、
水の神役にエリザベスと平民の女の子、土の神役にアオイと平民の男の子が選ばれ、総魔力量のバランスを取った。
辺境伯領では辺境伯領主一族が王家の本家なので不死鳥の貴公子が闇の役をするのは適任だが、アリサが光の神役に選ばれたのは、ハロハロの息子が火の神役だとするならエリザベスを光の神役にするのは不適切と判断され、辺境伯領の教会の洗礼式だから辺境伯領出身のアリサが適任と判断されたようだ。
教会関係者たちがひざを突き合わせて喧々諤々やる中で、早く決めなくては夕方礼拝に差し障る、と教皇が声高に主張し、慌ただしく決まった配役だった。
配役が発表され、衣装に着替えた子どもたちが大広間に集まった時に、礼拝所に邪神の欠片が転移したのだった。
ぼくたちが辺境伯領都の教会の状況を把握している間に、教皇や皇帝や皇后アメリアや辺境伯領主エドモンドと父さんと母さんとお婆とジェイ叔父さんがぼくたちの状況を把握して、そうだったのか、と項垂れた。
「大きな力を失った黒い蔦は、新たな依り代を求めて洗礼式の手順を学びに教会関係者たちが押し寄せているガンガイル領の教会に狙いを定めたのだろう。魔力量の多いガンガイル王国の王族たちも集まっているからなおさらだ」
「大量の邪神の欠片が消滅した大聖堂島には近寄れないのだろう」
ワイルド上級精霊と月白さんの推測に、辺境伯領の教会に魔力が集まり過ぎていたのか!とぼくたちは頭を抱えた。
「現状としては、黒い蔦は黒い霧を発生させて、教会に集まった人々に負の感情を抱かせようとしているところだが、まだほんの少ししか黒い霧は出ていないから礼拝所内にとどまっている」
黒い蔦の状況を月白さんが説明すると、まだ被害者が出ていないことに集まった面々は胸をなでおろした。
「見学を許された王族たちと一部の保護者たちは、子どもたちの洗礼式の予行演習を見る機会を得たことで幸福感に包まれているが、負の感情を呼び起こされれば、配役についての嫉妬心だって出てくるだろう」
辺境伯領主エドモンドは孫が闇の神役になった事へのわだかまりは皆無ではないはずだ、と危惧した。
エリザベスの両親のラウンドール公爵夫妻は人格者ではあっても、負の感情がないわけではないだろう。
それでも、一番危ないのはハロハロだ。
アネモネ時代のデイジーにボンクラ王子でいるように呪いをかけられていた頃のハロハロは、善悪の判断が曖昧で楽な方に流される性格だったから、そういった気質が元来あったのだろう。
そうでなくても、王太子に選出されるほども魔力を持ちながらボンクラであったことを、現在、恥じているから、強烈な羞恥心は負の感情に親和性が高い。
「魔力を多く持つ人々がたくさん集まっている大広間が真っ先に狙われるだろう」
ワイルド上級精霊の言葉にぼくたちは頷いた。
「子どもたちを守るために、あたいが大広間全体を光影の盾で覆ってしまえば、ご主人様たちは黒い蔦の消滅に集中できるんじゃないかしら?」
「そうか!邪神の欠片の本体はもう消滅させてしまったから、あれは死にぞこないの死霊系魔獣のようなものか!」
アナベルの提案にぼくたちは渋い顔をしたが、邪神の欠片の本体が消滅したので黒い蔦だけならそこまで脅威ではないのか、と皇帝は現状に希望を見出した。
「いえ、あれはよくないものです。邪神の欠片は消滅しましたが、邪神の欠片の能力を持ち、自身の意思で転移している黒い蔦は、自分では動かなかった邪神の欠片より厄介です」
マテルの指摘に、皇帝は項垂れた。
「どうやら、肉体を得た時にスライムを取り込んだことで、スライムの生態を真似るようになったのかもしれないな」
分裂して邪神の欠片に完全に取り込まれることを回避したアナベルの行動から学習したのなら、黒い蔦は分裂して増える可能性がある。
「あたいが不甲斐ないばかりに、邪神の欠片に学習されてしまった……」
「蔦は挿し木で簡単に増える。カイルのスライムのせいじゃないよ」
お婆の言葉にアナベルは頷いた。
「あたいがくよくよしていたら、また狙われてしまうから、もう気にしないようにするわ!」
心を強く健全に保たないと誰もが狙われてしまうので、ぼくたちはアナベルの言葉に頷いた。
「キュアとカイルのスライムが大広間の守りを担当して、カイルたちが黒い蔦を消滅させる作戦にしますか?」
父さんの提案にワイルド上級精霊と月白さんが頷いた。
「洗礼式の踊りを神々は楽しみにされている。このまま止めずに実施した方がいい」
「大広間に外の物音が聞こえないようにしておくから、遠慮なくやっつけてくれ」
ワイルド上級精霊と月白さんの、止めるな、という指示は、現実世界の洗礼式の予行演習の流れだけでなく、亜空間での作戦会議も今回限りで、時間の流れを止めないことを意味しているのだろう。
「わかりました。恙無く進行するように全力を尽くします」
教皇が力強く言うと、絶対に守ってやる、とキュアとアナベルが鼻息を荒くした。
「黒い蔦は、黒い霧を出し、動き回り、増える、と念頭に置いて対策を立てなければなりませんね」
ジェイ叔父さんの指摘にぼくたちは頷いた。
完全に黒い蔦を消滅させる作戦を立てると、全員で円陣を組んだ。
「各自、持ち場で全力を尽くす!何が起こってもくよくよしない!」
イザークの声掛けに、はい!と全員で元気よく答えると、体が浮く感覚がした。
辺境伯領の教会の礼拝所に転移したのは、ぼくと兄貴とケインとウィルとイザークとマテルだった。
元研究員の男のいる領城に留まっている皇后アメリアと別行動になったので女装ではなく、全員、透過性の高い鎧兜の装備になっている。
元研究員の男と融合していた時に視力トリックが有効だったが、分離した黒い蔦に視力があるのかは謎だ。
やってみなければわからないことはやってみる方針で作戦を立てた。
透過性の高い鎧兜でも体から漏れ出る魔力を漏れるのを抑えられないイザークとマテルは、隠れきれないので陽動役になる。
礼拝所の真ん中にぽつんと落ちている黒い蔦の欠片から離れた扉の前でぼくの背後にケインとウィル、二歩ほど離れた場所に兄貴の後ろにイザークとマテルが立ち、ケインの詠唱魔法でイザークとマテルの立ち位置にみぃちゃんとみゃぁちゃんの幻影を出現させた。
黒い蔦は扉に向かって黒い霧を吐き出していたがみぃちゃんとみゃぁちゃんの幻影の方角に黒い霧が流れ出した。
黒い霧に視覚があるのかはわからないがまんまと罠に引っ掛かった。
ウィルが声を出さずに祝詞を唱え精霊素のない空間の壁を礼拝所内に張り巡らせると、流れる黒い霧が見えない壁に阻まれた。
黒い霧は見えない壁の前で溜まることなく黒い蔦の方に逃げるように後退し、ぼくたちも転移したと気付いたのか黒い蔦が怒りに震えるようにブクブクと瘤を出現させ、細い枝を伸ばして暴れ狂った。
枝を伸ばすことはできても、まだ分裂できるほどの魔力がないようだ。
ケインがみぃちゃんとみゃぁちゃんの幻影を黒い蔦を見てあざ笑っているように操ると、黒い蔦はさらに激しく暴れまわった。
どうやら、みぃちゃんとみゃぁちゃんの幻影を黒い蔦は理解できるようだ。
兄貴が小型化した掃除機の魔術具のホースの先端を黒い蔦に向けると、ウィルが見えない壁に穴を開けた。
兄貴が魔術具のスイッチを入れると暴れまわる蔦の枝の周囲から黒い霧が吸い込まれた。
ぼくが大型化した光影の網鉄砲を肩に担ぐと、消滅させられることを察した黒い蔦が動きを止めた。
「転移魔法で逃げるつもりだ!」
黒い蔦が少し浮き上がるとマテルが叫んだ!
逃すものか!
「黒い蔦の転移魔法は失敗する!」
ぼくが引き金を引くと同時にイザークが叫ぶと、祭壇に魔力奉納をしていないのに礼拝所全体が黄金の光に包まれた。
“……その願い、しかと叶えよう!”
ぼくたちの脳内に響く声に驚いていると、転移に失敗した黒い蔦が床に落ち、広がった光影の網に覆われ、真っ白い閃光に包まれた。
閃光を闇が包み込むと黄金に輝く礼拝所内に現れた漆黒の闇が徐々に小さくなり消え去った。
「ああ、間違いなく消滅している」
床に残った白砂を見たマテルの宣言に、ヤッター!とぼくたちは歓声を上げると、兜を脱いでハイタッチをした。
“……少年たちよ!よくぞ成功させた!”
脳内に響く精霊言語はワイルド上級精霊でも月白さんのものでもなかった。
もしかして、神様!?
「あなたは、この教会の建物ですね」
いつの間にかぼくの隣にいたワイルド上級精霊の言葉に、えええええええ!とぼくたちは仰け反った。
“……いかにも。私は教会の建物そのものだ。まあ、カイルの魔本のような自我を持った魔術具だ”
みんなの視線が鎧で見えないぼくの腰のあたりを見た。
“……精霊言語を発するのは初めてなのだが、自我の誕生は魔本より古いから魔本に私の記述がないのだろう”
飛び出してこない魔本は精霊言語で舌打ちをした。
“……どうりで、建物を魔術具にした人物の記載が見当たらないわけか”
ぼくたちは帝都の中央教会の建物が魔術具だと気付いていたが、それより古い辺境伯領都の教会の建物が魔術具だと考えが及んでいなかった。
“……私は街の拡張に合わせて移築していたから、そのたびに魔力が減ってなかなか精霊言語を発せられるほどに成長できなかったが、意識はかなり昔からあった”
「そのわりに、アリオを取り逃がしたではないか」
ワイルド上級精霊の突っ込みに、面目ない、と教会の建物が恥ずかしそうに言った。
“……近年魔力奉納が増えて魔力が溜まり、かなり細部を動かせるようになっていたのだが、教会関係者たちがかけ忘れた鍵を施錠するくらいしかしていなかったから、あの時は完全に不意を突かれた。いや、邪神の欠片が人間と融合して転移魔法使用してアリオを転移させるなんて考慮できないよ”
ぼくたちも想像できなかった事態なので、教会の建物の嘆きに素直に頷いた。
“……今回は掛け声があったうえに、スライムがたっぷり魔力を提供してくれたから、万全の態勢で禍々しい黒い蔦の転移を防げた”
はて?スライムの魔力とは、いったい誰のスライムが何をしたんだ?
「カイルのスライムが大広間全体を包み込むように光影の盾を球体状に広げたことで、大広間の床に仕込まれていた魔法陣が完全に浮かびあがった。大広間は大騒ぎになっているが、こっちの物音が大広間に聞こえないように大広間の騒音もこっちに聞こえない」
“……教会内の全ての魔法陣に十分な量の魔力が満たされたことによって、私は精霊言語を獲得し、こうして完璧な状態になったのだ。カイルのスライムの魔力はカイルの魔力と同様に、実にバランスが取れていて心地いい。早くガンガイルの地に帰ってきて、毎日、定時礼拝をしておくれ”
教会の建物がジャミーラ領のパンダのようなことを言い出したので、ぼくたちはドン引きした。




