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閑話#21 アナベル

「ご主人様!あたいを光影の剣で消滅させて、もう一回やり直しましょう!」

 どうしようもないほどの恐怖感に心が支配されそうになるけれど、声を絞り出して叫んだ。

 ご主人様は悲しそうに顔を歪めた。

 あたいを消滅させたくなくて泣きそうな表情をするご主人様を見るのは忍びない。

 あたいの分身が邪神の欠片に取り込まれてしまい、ワイルド上級精霊の亜空間に緊急避難してご主人様に消滅させてほしいと願い出るのは、これで四回目だった。

 先の三回の失敗は元研究員の男がブチ切れするタイミングを掴み損ねて瞬殺されたが、今回の失敗は重ね重ね不甲斐なさすぎる。

 分身ではあの黒い霧にやられてしまう、ということで、あたいの本体を羽虫サイズに圧縮させて挑んだのに、あっという間にやられてしまった。

 ジシンカジョウナノウナシ!クソクライガイイキニナルナ!イキガッテイタッテブンフソウオウダ!ウンコヲクッテマリョクヲモラッタ……。

「違う違う!絶対そんなことはない!どんな罵詈雑言聞こえたとしても、カイル君のスライムは可愛くて賢くて強いんだ!」

 イザークの言葉にウィルも魔獣たちも何度も頷いた。

 ありがとう!

 イタイイタイイタイ……初めての分裂の興奮と同時にあった身を切るような痛み、クライセマイコワイ……ディーが対決した邪神の欠片と融合した死霊系魔獣の後始末で地下に潜った時の興奮と恐怖……!

 あたいの記憶の奥底から引きずり出される感覚で、どこも痛くないはずなのに全身に苦痛が走る。

 違うもん!……苦しかったけど、あたいは報われたもん!

 邪神の欠片の呼び起こす負の感情なんて負け……キライキイラキキラキキライスライムナンテキタナクテキモチワルイ……。

「アナベル。ぼくの大切なアナベル!たとえ時を戻して、もう一度会えるとわかっていても、アナベルを消滅させるのは辛いんだ!でも、今このアナベルの苦しみを一刻も早く解放してあげたい。だから、よく聞くんだ!アナベル、いいかい。失敗は恥じゃない。邪神の欠片が好む負の感情を、可愛いらしいものが好きな記憶に転換させるんだ!アナベルは可愛い!アナベルの人生の、いやスライム生のどんな一時だってぼくは愛している。負の感情に支配されそうになり抵抗しているアナベルも、たとえ負けてしまっても、どんな瞬間でも、アナベルは可愛らしい。ぼくはアナベルを愛している!だから、次の時に何があっても、アナベルは間違っていない。どんなアナベルでも、アナベルのままでいればいい」

 ……ご主人様!

 あたいを真名で呼びかけてくれるということは、あたいはご主人様以外誰にも屈しないほど強くなったと認めてくれたのね!

 ご主人様は何もできない普通のスライムだった頃からあたいを可愛がってくれていた。

「カサブランカ!ご主人様を守って!ストレイチア!キュア!あたいを見届けて!イザーク!あたいの言葉を魔力で補強して!私、カイルのスライムアナベルは邪神の欠片の精神干渉に屈せず、邪神の欠片を消滅させてみせると誓います!」

 真名でシロとみぃちゃんに呼びかけると背筋が伸び、イザークは何も説明しなかったのに察して声を上げた。

「カイルのスライム、アナベルの言葉は実現する!」

「一人ですることじゃない!アナベル!みんなで成し遂げるんだよ。アナベルがみんなを愛しているように、みんながアナベルを愛している。だから、消滅しないでくれ」

 ご主人様は両手で握った光影の剣をあたいの体の中心に刺した。


「ホットココアにマシュマロは必須。他にも目新しい物があると、もう少し打ち解けるかもしれないから、祝賀会の御馳走からレアチーズケーキを一切れ拝借してきました」

 領城の厨房でご主人様が屋台のおっちゃんや元騎士たちと打ち合わせをしていた。

 何で?何でご主人様がここにいるの!?競技会の決勝戦は!?

 時を戻ったあたいは本体を圧縮した羽虫姿だった。

 ワイルド上級精霊様!ありがとうございます!

 “……競技会の決勝戦の会場にはみぃちゃんのスライムが操作する身代わり人形がぼくの代わりに観戦しているよ”

「イシマールのチーズケーキなんて贅沢ですね。ガンガイル王国と帝都を行き来しているイシマール作のケーキなんて、俺たちだって滅多に口にできるものじゃない」

「外に出たくなるように好奇心を煽りつつ、ブチ切れさせないように機嫌を取るのなら、この贅沢も仕方ない」

 元騎士と屋台のおっちゃんが話し込んでいる隙に、ご主人様はあたいが消滅した後にたてた五回目の作戦を圧縮した精霊言語で知らせてくれた。

 礼拝室に引き籠っている男の機嫌次第で廊下に出現する黒い霧が襲ってくるタイミングが変わるので、ひとまずご機嫌を取りつつ、男に差し入れをする領主一族の男性とご主人様が入れ変わって廊下の偵察に行くことになっていた。

 “……おそらく、礼拝室の扉についている小さい扉は元研究員の男の自作だと思うから、こちらの意思で開閉できるのではなく中から男が開けているのか、それともトレーを押し込んでいるのかを確認してみるよ”

 こちらの意思で差し入れできるのなら追尾型の光影のロケットランチャーを撃ちこむことが可能になるので、イザークを連れてくる前に偵察しよう、ということになったらしい。

 光影の魔法を使えるあたいが取り込まれてしまうと、あたいが光影の盾になってイザークを守ることができない。

 万全を期すために状況を見据えてから作戦を練り直す予定だった。

「新しい調理助手はずいぶん若いんだね」

 元研究員に差し入れをする領主一族の男性が厨房に入ってくると、認識阻害の魔法で成人男性に見えるご主人様に声をかけた。

「はい、カークと申します。デザートを得意としていますから、本日は差し入れに温かいココアと冷たいレアチーズケーキをご用意いたしました」

 上手そうだな、と領主一族の男性が味見をしようと手に取ったカップに催眠の魔法陣が施されており、領主一族の男性は恍惚となって味見をしている間に、ご主人様が入れ変わる算段だった。

 あまりに美味しい物を提供する料理人たちは見慣れぬ魔術具も多く持参しているので、何でも厨房に持ち込める状態だった。

 ココアを口にした領主一族の男性がとろけるような表情になった。

「香り、コク、甘み……最上級の幸せを口の中にもたらしてくれる♡……このケーキも甘酸っぱくて絶品だ!」

 そうでしょう、と元騎士と屋台のおっちゃんが領主一族の男性に相槌を打っている間に、ご主人様は領主一族の男性そっくりだと周囲に認識させる魔法をかけていた。

 領主一族の男性は催眠状態になっていて、ご主人様が自分と入れ替わっていることに全く気付いていなかった。

 あたいは変装したご主人様を礼拝室へと案内した。


 一回目同様に廊下の前に手紙が落ちていた。

 ご主人様が拾った手紙をチラッと見ると、内容は一回目と同様にカレーパンについてだった。

 今回の作戦は元研究員のブチ切れを引き延ばす作戦なので、美味しい物は引き続き差し入れ中だった。

 ご主人様が小さな扉をノックすると中からカチリと音がした。

 ご主人様がトレーを扉に押しつけると扉が開き、トレーは吸い込まれるように滑らかに中に入ってしまった。

 いつもならあたいがここで扉の奥を覗き込むが、今回は用心してただの案内役に徹する。

 ご主人様は執拗に探る気配もなく領主一族の男性の行動と変わらないようにあらためて手紙をじっくりと読んだ。

 一回目はここでマシュマロがないことに男が激怒したが、今回は……。

「何だこれは!こんなうまいものがあるのを隠していたのか!」

 レアチーズケーキの存在を手紙で匂わせていなかったのに、突如、差し入れした事に男は大興奮したようだ。

「お気に召していただけましたようで、何よりです」

 ご主人様が領主一族の男性そっくりの声で言ったのにもかかわらず、礼拝室の中でガタガタと大きな音がすると、黒い霧が小さい扉から流れ出てきた。

 “……下がれ!”

 ご主人様は身体強化で身をかわし光影の剣を出現させながら、あたいに前に出るなと命令した。

 非常事態のあたいの役目は羽虫からキュアの形に変身し、ご主人様の背後でご主人様が黒い霧を避けきれなかった時に散弾銃で少しでも浄化させることなの。

 黒い霧はご主人様の光影の剣で浄化されることを恐れ、ご主人様の剣先から逃れるようにご主人様から一定の距離を保って広がった。

 ご主人様は光影の剣では霧を全て浄化できないと判断すると、光影の剣から光影の魔法の杖に変更し左手に持ち替えると、風魔法で黒い霧を渦上にまとめて引き寄せ、右手に握った光影の網鉄砲を放った。

 とぐろを巻いた黒い霧はご主人様の投網を逃れ、あたいに向かって一直線に飛んできた。

 あたいは光影の散弾銃を放ったが、跳びかかる蛇のようにあたいに襲い掛かった黒い霧は散弾銃が命中したところだけ消滅したが、黒い霧全体を消滅させることができず、あたいはご主人様が放った網鉄砲に引き寄せられて事なきを得た。

 “全身を光影の魔法で覆うように防御に重きを置け!”

 ご主人様は四回も消滅したあたいを気遣い、防御に全振りするように指示を出したけれど、あたいだってご主人様を守りたい!

 翼の生えた光影の毬栗に変身して、いざという時にご主人様を守れるように、ご主人様の後方を飛行した。

 あたいを攻撃して返り討ちに遭い、千切れた汚い綿あめのようになった黒い霧をご主人様が再びとぐろ状に集めると、今度は逃すまい、と丸く圧縮するように黒いボール状にした。

 ご主人様が光影の網鉄砲を撃ちこむと命中したが、小さい扉から新たな黒い霧が出現し、ご主人様の方に流れた。

 あたいは毬栗の針を連射しご主人様に向かう黒い霧を浄化させていると、小さい扉から細長い蔦のようにしなる黒い物が飛び出してきて、あたいに絡みついた。

 強烈な痛みと負の感情に支配されそうになるが、五回目だから負けるわけない!

 あたいは体中の魔力の循環を高めて浄化の光を最大限になるように強く意識した。

 あたいを捕らえた黒い蔦が散り散りに千切れる。

 苦痛と恐怖心から開放されたあたいが見たのは、ご主人様に向かって小さい扉から飛び出してきた新たな黒い蔦だった。

 光影の毬栗にもう一度変身して無我夢中で光影の針を連射していると、あたいは黒い霧に取り囲まれていた。

 ご主人様が風魔法で黒い霧とあたいを離すべく格闘している間に、あたいが仕留め損ねたご主人様を狙っていた蔦にあたいは囚われた。

 ……もう駄目………。

 “……アナベル!分身と切り離して蔦を避けろ!”

 あたいは本体の体をぎゅっと圧縮し、黒い蔦に囚われている部分を分身として切り離し、雫がこぼれ落ちるように黒い蔦から脱出すると、温かいご主人様の魔力に包まれた。

 ワイルド上級精霊の亜空間に招待される前の体の揺れを感じた。

 ………あたい。また失敗しちゃったよ。

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