正直な胃袋
翌日、ノア先生と水竜のお爺ちゃんたちが無事大聖堂島に帰還した。
ジェイ叔父さんが帝国在住の元騎士たちの義手や義足の調整をしに大聖堂島を離れていることにノア先生はすんなりと納得した。
「いやいや。快適な空の旅でしたよ。ドグール王国へ王都への延長飛行ではそれなりに魔力を使用しましたが、私の飛行魔法よりよっぽど省魔力で飛行できました。帰りの大聖堂島に向かう飛行では王都からの出発時から正規のルートを飛行する時と同様にほとんど魔力を使用しませんので、楽でしたよ!」
満面の笑みのノア先生は、ジャミーラ領でダグ老師であろうがドーラさんだろうがどちらが飛行検証をしても問題ない、と正規の飛行ルートしか検証しないジャミーラ領と大聖堂島間の飛行検証に安全性のお墨付きを出した。
ドグール王国王都への飛行は山頂に到着後、ノア先生が張り切ったせいで予定時刻より大幅に早く王都に到着し、競技会の予選のダイジェスト版を王宮で上映会をすると、マリアの活躍はもちろんの事、見た目の小さいデイジーの刺股の雷撃や、ガンガイル王国留学生チームの魔術具を見て大いに盛り上がったらしい。
そのまま抽選会の生中継をして、東方連合国合同チームが第一試合のチームカラー白に決まった時はまるで優勝したかのような盛り上がりになった、とオーレンハイム卿が笑った。
「最高潮に盛り上がったのは、小さいオスカー殿下に続いてガンガイル王国留学生チームの代表のボリスが抽選を引くと去年の準優勝のチームカラーの白でシード枠になったことで昨年と真逆な立場になったことで、験がいい、と大盛り上がりになっていたよ。まあ、勝負は験がよければ勝てるわけでもないから、お互いの健闘を祈る和やかな宴会になったよ」
ガンガイル王国勢が多い飛行魔法学講座を歓待する宴会で身びいきになり過ぎないよう自制したのか、帝都の魔法学校の映像を生中継で見られるのはスライムたちのお陰だと自覚があったのか、王宮の人たちからガンガイル王国留学生チームへの健闘を祈る声も多数あったらしい。
ドグール王国での競技会の鑑賞で親睦を深めたいきさつがあったので、東方連合国合同チームの初戦に合わせてジャミーラ領への飛行検証をしてはどうか、というウィルの提案は連日の飛行検証になるがあっさりと認められた。
ケインと相部屋なのに不在なら同室が当たり前、という態でウィルがケインのベッドに横になっている状況に、ぼくの魔獣たちはもう誰もツッコミを入れなかった。
「うーん。羽虫に変身して男がこもっている礼拝室の前までいっても邪神の欠片の気配がしなかったんでしょう?」
うつ伏せで頬杖をついたウィルがぼくのスライムにジェイ叔父さんと共に行動する分身からの情報を聞き出していた。
「礼拝室の中に何かいる気配はするんだけど、光影の魔法が反応するほどではなく、でも、不気味な感じがするんだよね。礼拝室前の魔法陣が厳重で、今の領主一族を拒否している気配もするから、何かと複雑なのも、訳が分からなくなる一因だと思うんだ」
ぼくのスライムはぼくのベッドの上でこぼしたジュースのようにだらしなく広がった。
“……人間はとかく面倒な魔法陣で、他人を拒絶するよな”
「魔獣だって縄張を主張しておしっこかけて回るじゃない!」
水竜のお爺ちゃんは一族直系以外を排除する人間のやり方を否定しているのに、キュアは魔法陣を魔獣のマーキングと同列に語ったのでぼくたちは笑った。
「あのねぇ、あたいが最初に礼拝室前に行った時に、おやつの差し入れをしたんだよね。あいつ、屋台のおっちゃんのチャーシューの肉まんに大興奮して、絶賛する長文の手紙を書いてよこしたんだよ。美味しさに感動する気持ちは理解できるんだけど、長年の引き籠り生活で唯一、他者との接点だったアリオたちのような手駒との連絡が途絶えて、人との交流に餓えていたのかな?と疑いたくなるよね」
ぼくのスライムは男の報告をしながら、わざとらしくため息をついた。
「手紙を書くペースが話に聞いていたよりずっと早いんだ。領主一族の青年が礼拝室の前に、予定外の差し入れを届けに行く靴音に反応したのか、美味しい匂いに反応したのかわかんないよ。礼拝室の扉にご飯を差し入れする小さな棚がついているんだけど、肉まんを置く直前にメモ紙が隙間から差し出されて、料理人は戻ってきたのか?って書いてあったんだよね」
これは完全に胃袋が先に陥落した、とみぃちゃんとみゃぁちゃんがツッコミを入れると、ウィルの砂鼠も頷いた。
「まあ、調味料が違うから匂いで屋台のおっちゃんが戻ってきたことを悟ったんだろうけど、反応の速さにびっくりしちゃったわ」
ベッドで体を反らすように天井を見上げたぼくのスライムは触手で頭を抱えるような仕草をした。
「夕飯にね、元騎士が作った天丼を出したんだけど、あいつ、おっちゃんが作ったと勘違いしたんだ。だからね、必要な素材が手に入り、義手の調節をする技術者が来たから完璧な料理ができるんだ、って元騎士が手紙に書いたら、あいつ黙り込んじゃったんだ。ここぞとばかりに領主が皇帝からの勅命だ、と手紙を書いているんだけど、それ以来、無反応なんだよね」
“……そりゃ、邪神の欠片の魔術具をばらまかせていた張本人が教皇に呼びだされたら、行きたくないだろう”
水竜のお爺ちゃんの突っ込みにぼくたちは頷いた。
「でもさぁ、義手義足の技術者のジェイ叔父さんがいる、と聞いたら会いたくなるもんじゃないのかな?」
「引き籠り生活が長すぎて、人と会いたくないのかな?まあ、百年単位で火山に閉じ込められていたクレメント氏は解放されるなりお喋りが止まらなかったのは、人との交流に飢えていたぽいから、人それぞれだね」
ぼくのスライムの疑問にウィルが、結局わからない、と言うと、じっと話を聞いていたみぃちゃんが口を開いた。
「もうちょっと待ってみたらいいよ。ジェイ叔父さんは焦っていないんでしょう?」
「そうなんだよね。ジェイ叔父さんは猫の手のぬいぐるみの魔術具を作って遊んでいるわ。こういうことは引き籠りの経験者に任せておけばいいのかしらねぇ」
猫の手、と言われてみぃちゃんは自分の前足の指を広げると、可愛い手だね、とキュアがみぃちゃんの手を撫でた。
話に聞くだけだと可愛い玩具しか連想できないけれど、ジェイ叔父さんのことだから何か面白いことを考えていそうだ。
“……少し時間がかかるならジャミーラ領の飛行検証についていっても大丈夫そうじゃないか。どんなパンダが出来上がったかちょっと楽しみなんだよな”
「ああ、それ、キャロお嬢様が楽しみにしていたから、明日、迎えに行かなきゃいけないね」
みぃちゃんの指摘に、そうだった、と思い出したぼくたちは夜更かしせずに寝ることにした。
上級魔導士の特権を拡大解釈して教会の転移魔法の間を使いケインたちを迎えに行くと、ノア先生から連絡があったようで、みんなは帝都の中央教会で待っていた。
「コンペに小さいオスカー殿下たちが参加できないのは残念ですが、ジャミーラ領の方々に東方連合国合同チームの実力を生中継で見てもらう機会があることはいいことですわ!」
キャロお嬢様はそう言ったが、自分たちの本戦前にできるだけ用事を片付けておきたいから予定の前倒しを歓迎しているのだろう。
検証に参加する面々が大聖堂島の噴水前に集合すると、人が乗れるタイルの長距離飛行検証より競技会出場選手たちに注目が集まり、キャロお嬢様が野次馬に手を振ると、歓声が起こった。
「ジャミーラ領への検証飛行でタイルに乗るのは私なのですが、注目度が全く違いますね」
おっさんより美少女に注目が集まるのは仕方ないよ、とキュアが愚痴るオレールの耳元で呟くと、それはそうだ、とオレールは項垂れた。
「いやいや、オレール研究員は中年の星です。今回の検証飛行では最初から最速を目指してくださいね」
ノア先生はジャミーラ領からの飛行検証の搭乗者より速い速度で飛行してほしい、とオレールに無茶ぶりをした。
ダグ老師は裏領主のような存在で、ドーラさんはその跡継ぎだ。
オレールは中級貴族出身のしがない研究員で生まれ持った魔力量では二人に敵うはずがないのだが、飛行魔法を長年研究していた同志としてノア先生はオレールに二人より早く飛行してほしいと願ったようだ。
「それでは出発いたします!」
タイルに乗ったオレールが飛行を開始すると、噴水広場に集まった人々から拍手と歓声が上がった。
いってらっしゃい!と治安警察隊員たちから手を振って見送られる中年の星オレールは、ちゃんと人気者だった。
ぼくたちは魔法の絨毯でオレールの飛行を追跡した。
上空から見下ろす地上は教会都市の周辺も緑に覆われるようになり、魔力不足だった帝国国土全域に魔力が戻ってきているのを実感できた。
「国土が回復すると、国民の魔力も上がるのかな?競技会に出場する選手たちの魔力量が去年よりも多いんだよね」
予選全試合に出場したボリスの感想に、祠巡りが流行したからじゃないかな、とウィルが即答した。
「祠巡りの流行に加えて、選手たちの大半が冒険者ギルドに入ったことも関係していそうだよ。オオスズメバチに追われるような経験でも、そこから反省点を見出したら成長するからね」
兄貴の言葉に、そうだねぇ、とぼくたちも納得した。
その後、オレールの飛行速度がノア先生の記録を抜くと、中年の星に抜かれた!と叫びながらもノア先生は嬉しそうだった。
「これは……一目瞭然ですね」
予定時刻より早く到着した大岩の砦の中でダグ老師とドーラさんのパンダのぬいぐるみを比較したぼくたちは、あきれて半開きに開いた口をどう動かしたらいいのか考えあぐねていたが、オーレンハイム卿夫人はきっぱりと言った。
「いや、私のパンダが、餌にありつけない野犬のように不自然に細い部分があるのは認めますが、親父、いえ、ダグ老師のパンダは、だらしなく太りすぎているじゃないですか!」
どちらがいい、とオーレンハイム卿夫人は口にしなかったのにもかかわらず、首を絞められて引き延ばされたようなドーラさんのパンダのぬいぐるみと、鏡餅に手足が生えたようなダグ老師のパンダのぬいぐるみでは、ダグ老師に軍配が上がることを自覚しているドーラさんは頭を抱えた。
目の前に見本がいるのによくこんな造形になったな、とぼくたちばかりでなく魔獣たちも目で語っていたが、創作意欲を減退させないように誰も何も言わなかった。
「思い描く造形を立体化するのは難しいけれど、手を動かして、あれやこれやすることは楽しかったでしょう?」
優しく二人に語り掛けるオーレンハイム卿の口調にダグ老師とドーラさんは制作している時を思い出したのか笑みを見せて頷いた。
「最初は誰だって下手くそなのですよ。それでも、この二体のパンダのぬいぐるみの決定的な違いは、太っていることでも痩せすぎていることでもなく、モデルのパンダの本質を現しているかの違いで、見る人の印象が変わるのですよ」
オーレンハイム卿の言葉にぼくたちは頷いた。
“……魔力が足りなければよそからもらおう、魅力的な魔力があったら執着して世界中から探し出そうとする、パンダの本質を現しているかのようだね”
だらしなく伸び切ったパンダのぬいぐるみを指さした水竜のお爺ちゃんを本物のパンダが睨みつけた。
“……ふくよかなのは豊かな象徴だから儂もこっちがいいけれど、もう少し可愛らしいのがよかったな”
パンダの注文にダグ老師は、選ばれたことを喜びつつ、もう少し手を加えて可愛らしくすることを約束した。




