巨頭会談
大聖堂の塔の上部にある謁見の間の窓に近づくと、謁見の間から教皇と皇帝が立ち上がって両手を振ってぼくたちを歓迎してくれていた。
教皇と親しくしていることはジュードさんにはおなじみだったが、皇帝まで教皇と同様の反応をしていることにジュードさんは顔面を引きつらせた。
「皇帝陛下とずいぶん親しくされているのですね」
「いえ、ぜんぜん。魔法学校の卒業記念パーティーで一度拝謁しただけです」
ウィルの返答に、ええ、これで二回目か!と驚いたジュードさんは、ぼくたちと皇帝を何度も見返した。
「ご子息と親しくさせていただいているから、息子の友人として歓迎してくださっているのでしょうね」
皇帝が皇子たちに関心がないことは有名なようで、ジュードさんは、そんなわけないだろ、と言いたげな表情をした。
皇帝がこんなに気さくな態度をするのは教皇の背後に月白さんと従者ワイルドが控えているので、ぼくたちを歓迎しなければいけない雰囲気にのまれてしまっているのだろう。
魔法の絨毯を窓にぴったりと寄せると教皇自らが窓を開けてくれた。
「遊びに行っておいでと言った先から呼び出してしまって済まなかったね」
教皇はぼくたちに手を差し出してエスコートしながら、一貫性のない現状を詫びた。
「いえ、いい気分転換ができました」
魔獣たちを連れて窓から謁見室に入った風来人のようなぼくたちに皇帝の護衛たちは不快感を抑え込むように顔面を硬直させたが、よく来てくれた、と皇帝はぼくたちを見て笑顔になった。
「教皇猊下の鳴り物入りの研究である飛行魔法学講座の実習に威嚇をするような行動をした領があった事をお詫びに来たのです。カイルとウィルにも迷惑をかけた。すまなかったね」
起立したままぼくたちに現状を説明して詫びた皇帝に、その一件があったか、とジュードさんが声を出さずに口だけ動かした。
世界最大の帝国皇帝でも大聖堂島では一人間であり、日々神に祈る生活をしている教会関係者の方が立場的には上位になる特殊な世界観と、それでも慣習的に大国の上位貴族を敬うはずなのに粗忽な態度を取ったジュードさんを見た皇帝の護衛たちは眉を顰めた。
「ぼくたちはノア先生の判断に従っただけなのですが、結果として検証が成功してよかったです」
責任者はノア先生だ、と貴公子然とした微笑を湛えたウィルが返答すると、皇帝は、カカカ、と笑った。
「敵だと認定したら全てを焼き尽くすカテリーナの火竜の紅蓮魔法の勢いだけを利用し、国境侵犯を侵した自警軍を追いだした話は聞きました。そのまま紛争に突入してもおかしくなかった場面を竜族に仲介していただいたおかげで事なきを得ました。どうしても感謝を述べたかったのです」
皇帝はキュアと水竜のお爺ちゃんに頭を下げた。
皇帝からの急な呼び出しは、魔獣たちに会いたかったからだったのか。
「飛竜に礼としてバッファローの肉をガンガイル王国寮長オスカー殿下に託しましたが、水竜には何がよいかわからず、教皇猊下にお話を伺っていたのです」
バッファローの肉!と聞くなりキュアはシャンデリアの間を小躍りしたので、好物だったか、と皇帝は笑顔になった。
“……儂は酒が好きだが、酒を楽しむ雰囲気が好きなんだ。樽一つ酒をもらってもカイルたちとは楽しめないからつまらん。美味い物はガンガイル王国の方が多いし、帝国皇帝からもらうのに魅力のある褒賞って何だ?”
水竜のお爺ちゃんが首をかしげると護衛たちは水竜から目を逸らせた。
「人間の場合だと褒賞は土地を授けることが多いのですが、水竜はもらっても困るでしょう?」
皇帝の言葉に水竜のお爺ちゃんは頷いた。
“……面倒なだけでうれしくない。儂はカイルと楽しく旅ができればいいのだ”
「うーん。それでしたら、飛行魔法学講座の飛行許可に関する物ならどうでしょうか。教皇猊下とも話していましたが、広範囲に飛行検証をするのにいちいち範囲を推測して帝国側からも許諾を得なければならないのは面倒でしょう。ノア先生の指定する日時に帝国全土のどこを飛行しても構わない、と勅令を出せば、水竜への褒賞になるでしょうか?」
“……ああ、儂はそれでいい。政治的なことを気にせずカイルたちと飛行できる日をもらうことを褒賞として受け取ろう”
「帝国は飛行魔法学講座による大聖堂島への飛行検証を全面的に応援する」
皇帝が宣言すると教皇は安堵の表情を浮かべた。
「お茶のおかわりをお持ちしました」
窓から訪問したぼくたちの分のお茶の支度ができたところでぼくたちはようやく席についた。
魔獣たち用の小さい茶器まで用意されていた事に皇帝は目を細めた。
「うちの妻もスライムを飼い始めました。初級魔獣使役師の資格を取りたいと張り切っています」
皇帝の発言にぼくとウィルは目を見開いた。
あれほど厳重に囲い込んでいたアメリア妃殿下を魔法学校に再履修で登校する事を認めるなんて、意外過ぎる。
驚愕するぼくたちに、ハハハと皇帝は笑った。
「無理を言って、休日に講座を開いてもらうのだ。付き添いにキャロライン姫とオーレンハイム卿夫人がついてくださるから安心だ。できることなら、妻の行くところはどこにでもついていきたいが、仕事が多くてかなわない。最近は全土を抜き打ちで視察に行っているのですよ」
帝国全土の魔力の不均衡を正さなくては来世でアメリア妃殿下と再会できなくなる皇帝は、現世の妃殿下の行動を制限しすぎないことにしたようだ。
“……ご主人様。キャロラインがアメリアの市民カードを保管する役回りになったことで、キャロラインの機嫌を損ねるわけにはいかないようです”
一途を通り越して偏執的になっている皇帝にお目付け役ができたことで束縛が緩んだようだ。
“……儂もぶらぶら世界中を散策しているが、帝国はもう少し土地の魔力を安定させた方がいいぞ。なんだっけ、そうさ、あれだ、ストレスで丸く毛が抜ける……”
「円形脱毛症?」
ウィルが小声で軽度認知障害の高齢者に囁きかけるように言うと、水竜のお爺ちゃんは、そうそう、と頷いた。
“……そうだ、その、円形脱毛症みたいに魔力が抜けている場所があったり、腫瘍のようなしこり、いやそこまで大事じゃなくて、そうだな、手の届かないところの皮膚の下にできて赤くなってむず痒いやつ……”
「背中ニキビ?」
“……そうそう!背中ニキビみたいに、大事ではないけれど放置したら腫れあがって炎症が大きくなるように、今は問題がなくても、いつか死霊系魔獣を集めそうな気配のする場所があったりするんだ”
水竜のお爺ちゃんは飲み仲間から仕入れた人間の体の不調に例えて帝国の現状を皇帝に忠告した。
「ああ、あの保管場所から持ち出されたアレがらみなんだな……」
皇帝は、水竜のお爺ちゃんが背中ニキビに例えた物が前世の自分が加工した邪神の欠片だと気付いたようで、眉を顰めた。
「……もしかして、水竜はその背中ニキビを治療して回っているのか!?」
“……放置したら死霊系魔獣が湧くだけだから、回収するしかあるまい。現地の魔獣たちが迷惑しているんだ”
猛虎の森の話も耳にしているのか水竜のお爺ちゃんの話に皇帝は頷いた。
「微細な死霊系魔獣の気配に敏感な軍人を派遣しよ……」
“……やめとけ!負の力とはいえ特殊な魔力を軍人が手にしたらろくなことが起こらない!”
水竜のお爺ちゃんは帝国軍が邪神の欠片を回収する事を拒絶した。
“……アレは人間が、いや、創造神に作られたこの世界のどのような存在であろうとも、神々に拒絶されたものを禍々しき物を利用してはならんのだ!”
妻が大聖堂島の下敷きになったきっかけとなった存在を徹底的に排除したい水竜のお爺ちゃんは、皇帝に強く主張した。
「禍々しき物に強く惹かれるのも人間の性なのでしょう。アレは人間の心の奥に潜む負の欲望を増幅させて自らを世界中にばらまくように誘導していると考えられます」
教皇の言葉に、心当たりのある皇帝は息をのんだ。
「今、善良で忠義に篤い人物でも、アレに触れるとどう転じるかがわからない、と言うことですね」
皇帝の言葉にぼくたちは頷いた。
“……見つけ次第、儂が回収するのが一番理に適っているだろう?”
皇帝は力なく頷いた。
「水竜はアレの禍々しさに豹変することはないのですか?」
“……ないとは言い切れないが、儂の妻は大聖堂島が落下して下敷きになって眠りについたままだ、と言えば皇帝にも理解できるだろう?”
愛しき妻の復讐相手に心の奥を揺さぶられることはない!と水竜のお爺ちゃんが断言すると、おおおおお!それはまちがいない、と皇帝は力強く頷いた。
「陛下に注視していただきたいのは、回収しきれなかった物が瘴気を集め始めた時の対処です。教会に連絡を入れて人払いをしていただきたいのです。対処できる人物と魔獣を派遣して消滅させますので、軍には人払いとその地に生息する魔獣たちを退避させていただきたいのです」
教皇の要求に皇帝は眉を顰めた。
「アレを前にして信頼できる人物なんて……。いるのですね」
お茶を啜るぼくとウィルを見た皇帝は、それは誰?とは尋ねずに教皇に存在することを確認した。
「誰にだって心の後ろに仄暗い欲望があるのが普通です。ですが、それなりに幸せであることを最優先に考えることができる人物はアレに引かれる必然性がないのでしょう。そういった人物には神々のご加護がたくさんあります」
教皇も誰とは言わず、お茶を飲むぼくたちに微笑みかけた。
「無欲である、と言うことですか?」
「いえ、無欲ではないですよ。彼らは人生を楽しんでいます。過分に欲しがらず、分け合う喜びを知っているから、禍々しい欲望と縁がないのでしょう。私にできることは、彼らを働かせすぎないことです。忙しいと人間は心を静かに押し殺してしまう。彼らが善人であるのは、彼らが優しさを損なわないようにと彼らを見守る人々が支えているからです」
教皇の言葉に魔獣たちは、そうだねぇ、と精霊言語で囁きながら頷き、茶菓子のクッキーを頬張った。
イシマールさんのカフェの魔獣用クッキーをぼくたちの魔獣たちのために皇帝が用意したのだろう。
飛行魔法学講座で活躍したスライムたちへの皇帝からの詫びの品の一つなのだろう。
「最近まで、その視点は私に欠けていました。私は与える立場にいるから、功績に合わせた利を配ればそれでよいと考えていました。利によって人を動かすことが仕事だったので、育てる、見守る、という視点が欠けていました」
皇帝の言葉に、部下の教育だけでなく息子の教育にも失敗していたよね、と魔獣たちが精霊言語でツッコミを入れると、教皇の背後で月白さんが小さく頷いた。
「私は教皇猊下の見込んだ人物を全面的に信頼します。瘴気が湧く地点を発見し次第、各領地の自警団や軍で対処せずに教会に通告することを勅令として出すことにしよう」
「ご理解ご協力ありがとうございます」
教皇の言葉に皇帝は頷いた。
こうして教皇と皇帝の巨頭会談に飛び入り参加したぼくとウィルと魔獣たちは、邪神の欠片の排斥に帝国軍は関与せず教会から魔導士と魔獣が派遣される協定の議定書作成の現場に立ち会ってしまったのだった。




