消えた町
アルベルト殿下の離宮で一スライム相当のタイルを一枚製作すると、そのパネルを使用してハルトおじさんのスライムの分身がガンガイル王国辺境伯領へと逆走する検証をすることになった。
この検証には飛行魔法学講座全員が付き合わず、ハルトおじさんが水竜のお爺ちゃんの背に乗って付き添うことになった。
山越えを何度もしなければならないから水竜のお爺ちゃんの体調が心配だったが、ハルトおじさんのスライムは分身を乗り換えさせながら最速を目指すことにしたので、減速しないで飛行し続けるなら問題ないらしい。
寒さの問題がないようならガンガイル王国辺境伯領とドグール王国王都を何回か往復飛行して速度と消費魔力量の関係を検証することになった。
ハルトおじさんのスライム分身がドグール王国に長期滞在することになると、ほぼほぼスパイ活動をし放題なのにアルベルト殿下もカテリーナ妃も歓迎している。
幸運を運んできた魔獣、という扱いにしても不用心すぎる。
“……あのね。だって、この国にもスライムがいるけれど、賢くないんだもん”
カテリーナ妃を気に入っている妖精が姿を隠したまま精霊言語で話しかけてきた。
うーん、野生のスライムに知性を求めるのはどうかと思うぞ。
妖精は相変わらず兄貴を警戒してカテリーナ妃の後ろに隠れているが、前回訪問した時は完全に気配を消していた犬型のシロには警戒していない。
シロが妖精の潜んでいるカテリーナ妃の肩の後ろをじろりと睨むと、狼狽える気配がした。
シロの擬態が上手になって妖精に気付かれていなかったのか!
“……だって、この国に変な男が出入りしているのに、精霊たちは誰も偵察に行きたがらないんだもん”
妖精はハルトおじさんのスライムを用心棒代わりに使いたかったのか!
“……ちょっと亜空間で話を聞かせてもらおう……”
“……ちょっと待って!なに、これ!犬型の中級精霊!信じられない!カテリーナとアルベルトも連れて行って!”
体育館裏に生意気な後輩を連れ出す先輩のようにシロが唐突に妖精に事情を聞こうとすると、シロの正体に気付いた妖精は狼狽え、両殿下を巻きこもうとした。
シロは大袈裟に溜息を大きくつくと、大聖堂島に行こう!のゲームを始めたスライムたちを見ていた両殿下とハルトおじさんとジェイ叔父さんとケインを見遣った。
亜空間に転移することに気付いたウィルは置いていかれないようにぼくの服を掴んだ。
シロの亜空間にはそれぞれの魔獣たちと兄貴とデイジーも招待されており、テーブルにお茶のセットが用意されていた。
真っ白な空間に突如、転移していることに両殿下は驚きつつもぼくを見て、何かしたのか?と口が動いた。
「どうしたんだい?急にお茶会なんて、何か打ち合わせをしなければいけないことでもあったのかい?」
ハルトおじさんに尋ねられたぼくは、妖精が姿を隠しているカテリーナ妃の提灯型に膨らんだドレスの肩を見て、出ておいで、と声をかけた。
“……お初にお目にかかります。ガンガイル王国のラインハルト殿下。私、カテリーナの嫁入りでキリシア公国からついてきた妖精です”
膨らんだ肩の上からひょっこりと姿を見せた妖精に、小さい!とハルトおじさんは口にした。
“……まあ、私は小さくて可愛いから、中級精霊にならなくてもいいのです!”
妖精は聞かれてもいないのに中級精霊になる前に実体化できるようになった未熟者であることを告白した。
“……最近、不審な男がこの国に出入りしていることをカイルに相談しようとしたら、お茶会の用意をされてしまったの”
さっきまで、大聖堂に行こう!のゲームを本気でやっていたスライムたちが平然とお茶を差し出すと、理解が追い付かない両殿下は目を白黒させた。
「妖精と中級精霊の格の差ですね。ここは、緊急会議をするときに上位の精霊が召喚する場所です」
“……わかっているわよ!キャー、もう。カイルに上級精霊様が背後に控えているのは推測していたけれど、中級精霊を僕にしているなんて、信じられないわ!ああ、もう、前回はいなかったんじゃなくて、気配を消していたのね。まんまと騙されていたわ!”
妖精は太陽柱の映像を確認したのか、カテリーナ妃の肩の上で悔しそうに兄貴とシロを見て、騙された!と地団太を踏んだ。
フフっと笑ったハルトおじさんは、自分も長らくただの犬だと思っていた時期があったな、と呟いた。
「妖精の上位の中級精霊がこのお茶会に招待してくださったのですね」
カテリーナ妃の言葉に妖精は頷くと、テーブルの上に飛び乗り角砂糖にもたれかかって額に手を当てた。
“私はまだ亜空間を生み出すことなんてできない小さな妖精だけど、あの気配に手出しができないのは中級精霊だって一緒でしょ!”
助けを求めるのなら光る苔の洞窟に行けばいいのに、出不精なのか他の地域の精霊と交流を持つ気がないのか、……いや飛行魔法学講座の実習でぼくたちがドグール王国に来ることを見越して怠惰に待っていただけだろう。
「邪神の欠片を携帯する男が、ドグール王国に出入りしているのか!」
妖精の不審者情報がただごとではないと気付いたハルトおじさんが大きな声になった。
キョトンとする両殿下に大聖堂島で保管されていた封じられた神の欠片を持って逃走している男がいることを、ざっくりとハルトおじさんが説明した。
「教会から三歳児登録前の子どもの行方不明の事案がなかったかの問い合わせがあったことも、関連があるのでしょうか?」
ハルトおじさんが教会の不祥事を伏して説明したのにもかかわらず、子どもの誘拐を連想したカテリーナ妃に、まあ、そこのところは教会にお問い合わせください、とハルトおじさんは言葉を濁した。
思考の誘導をしたな、と妖精にシロが睨みを効かせると、違う!と首を横に振った妖精は幼児のように不貞腐れてテーブルを蹴った。
両殿下に思考の誘導をしない、と約束したのだから、なにか言い訳を作って干渉したのだろうが、今はそこを追及している場合じゃない。
「……情報を整理しますね。邪神の欠片を携帯した男が東方連合国のキール王子の付き添いとしてガンガイル王国に入国し、ガンガイル王国で邪神の欠片を消滅させることができたが、男は逃走したのですね。そして、男はまだどこかに邪神の欠片を隠していて、逃走中に再び携帯した、と考えられるのですね」
「ええ、そうです。ヘルムート王子のお泊り会の予定変更があったのはそのためです。教会の古い結界を利用して転移魔法を使用する男の潜伏先は閉鎖された教会の跡地のため、追跡するのが困難なのです。邪神の欠片を携帯していると古い教会の結界だけでなく現在使用中の教会にも転移できるようになるので、奴の逃走手段の幅が広がってしまうのです」
ハルトおじさんの説明にアルベルト殿下は、あー、と唸り声をあげて頭を抱えた。
「ガンガイル王国と並び立つぐらい古い歴史を持つ国ですが、山脈に囲まれている地理的条件のせいで近年、国境線が動いていません。そのため、教会跡地、という言葉に心当たりはないのです。ですが、山脈が今ほど高く聳え立っていなかった時代に、山の向こう側を当時の隣国から借金のかたとして接収した歴史があって、それに伴って町を移転した経緯があったはずです!」
千年単位の大昔の話なので、アルベルト殿下も移転した町の場所を正確に把握していないらしく、魔本も町を移転したという記録しか探せなかった。
テーブルの上に広げたドグール王国の地図を覗き込んだ妖精は、不審な男の情報はこの辺りからだった、と北側の山脈全体を示した。
それはいくらなんでも広すぎる。
「いや、旧国土の全域がわかれば、護りの結界の基本構造を鑑みて元の町がどこにあったかはだいたいの推測ができます。ただ、地殻変動でズレていることを考慮すると、正確さは保証できませんね」
ハルトおじさんは国の護りの結界の設計に手慣れた王族らしく発言すると、スライムたちがテーブルの中央に集まって密談を始めた。
「あのね。ジャミーラ領の教会の護りの魔法陣が古い時代のままだったから、それとすり合わせてみるのはどうかな。みんなの記憶を合わせたらいい感じに再現できるかもしれないよ」
ぼくのスライムの発言に、でかした!とぼくたちは声をあげた。
スライムたちからの情報をまとめたぼくのスライムがぼくたちを包み込んでドーム型に膨れ上がるとジャミーラ領の教会の礼拝所内に浮かび上がった魔法陣を再現して光らせた。
「天井の丸くて大きいのが大聖堂島でそこから北に……この辺りがガンガイル王国で……これかな?」
壁の低い位置にあったドグール王国と思われる場所は握り拳サイズで、とてもじゃないがそこから解析できるとは思えない大きさだった。
テーブルに向かって真剣に古い護りの結界を考察しているハルトおじさんとアルベルト殿下以外の面々が、ドグール王国の結界の魔法陣の小ささに、あちゃーと顔をしかめていたが、物は試しだ、と考えたぼくはぼくのスライムに、部分的に拡大できないか、と尋ねた。
頑張る!とぼくのスライムが精霊言語で答えたので、スマホの画面を拡大するようにドグール王国の魔法陣に触れると指の動きに合わせて魔法陣が拡大した。
おおおおお!とどよめきが起こると、ハルトおじさんとアルベルト殿下も立ち上がりぼくたちに合流した。
「妖精の情報だとこの辺りなのだが、国土が広がったのは南側だから町の移動した付近はこっち側なんだよなぁ」
ハルトおじさんが首を傾げながらドグール王国の教会の護りの魔法陣を凝視した。
ぼくはハルトおじさんの疑問に合わせて魔法陣を拡大していくと、地図を覗き込んだアルベルト殿下が、推測通りです、と確認した。
“……だから、北側の山の精霊たちがこっちに避難してきているんだから、こっちを確認してよ”
反対側ばかり見ているハルトおじさんとアルベルト殿下に妖精がしびれを切らして声をかけた。
「待ちなさい。護りの結界はこっちに広がったからこっちの方が多くズレている。そして、ズレの大本から辿れば……ここだな」
ハルトおじさんは北側に現在はない町の場所にあたりをつけた。
「この辺りは現在の国の護りの結界から基本線から少しずれたことで、地盤が緩み土砂崩れで村ごと流された歴史があったはずです」
アルベルト殿下の言葉に魔本が反応し、左上をもう少し拡大しろ、とぼくに指示を出した。
魔法陣をさらに拡大すると雪の結晶のような小さな結界の存在が明らかになった。
「ここに、奴が出入りしているのかも知れないな」
「現状確認に分隊を派遣しましょう。ですが、現在は建物もない原野ですし、これから本格的に冬を迎えるので男が潜伏するには向かないでしょう」
“……でも、なんかあるんだもん!”
アルベルト殿下の言葉に妖精が抗議した。
「見に行こうか?」
解析を終えて元の大きさに戻ったぼくのスライムが提案すると、えっ!今から!?と両殿下が驚きの声を上げ、ヤッター!と妖精が喜んだ。
「ハルトおじさんのスライムの分身を滞在させようとしたのは、北側の森の異常を発見させたかったからなんだね」
ぼくの言葉に、両殿下の思考誘導をしたことを肯定してしまうことになるのにもかかわらず妖精は頷いた。
「だったら私のスライムでは力不足だな。邪神の欠片に関することはカイルとカイルのスライムが神々から直々にお役目をもらっている。見た目に誤魔化されてスライムたちの本質が見えないなんて、まだまだ未熟だな」
ハルトおじさんのパールピンクに輝くスライムとぼくの蛍光グリーンに輝くスライムとでは、見た目の高級感はハルトおじさんのスライムに軍配が上がるが、神々のご加護の数ではぼくのスライムは負けていない。
普段は実力を隠しているスライムたちが、それぞれの体にご加護を授かった神々の記号を浮かび上がらせると、妖精どころか両殿下まで一歩下がってスライムたちを拝んだ。
「ラインハルト殿下のスライムの分身が予定通り検証を続け、カイルのスライムが飛竜と一緒に偵察に行くのはどうでしょうか?」
ジェイ叔父さんの提案にハルトおじさんが頷くと、ちょっと待ってください!とカテリーナ妃が声をあげた。
「私、頑張って火竜を分離させます。ですから、私の火竜も連れて行ってください!」
カテリーナ妃が立候補すると、何でこうなるの?と妖精は太陽柱の映像を確認するかのように斜め上を見た。
「自分の都合のいい未来しか探していないから、この結果が見えなかったのだろうね」
みぃちゃんの突っ込みにぼくたちは頷いた。




