騒がしい休日
早朝礼拝からの朝食までの朝の日課を済ませた後部屋に戻ると、キュアとみぃちゃんは起きており、水竜のお爺ちゃんとぼくのスライムの分身も戻っていた。
「……そんなことがあったんだ」
約束通りみぃちゃんとみゃぁちゃんがマタタビを堪能して部屋でごろごろしている間に詳細を聞いたウィルが、自分も行きたかった、とこぼした。
“……子どもたちが揃いも揃って夜更かしせんでもいいだろう。儂の気遣いだよ”
ウィルを誘わなかった理由を、健やかな成長のためだ、と水竜のお爺ちゃんが精霊言語で言い訳をすると、一晩くらいいいじゃないか!とウィルが嘆いた。
「現場に行ったからこそ、言えるんだけど、光影の武器が現場で臨機応変に対応できるからこそ、ついていった身としては足手まといにならないことはもちろんのこと、現地で自分だからこそできる技術を身につけておかなくてはいけない、と痛感したんだ」
ケインが現場でのもどかしさを語ると、ウィルもウィルのスライムもウィルの砂鼠も頷いた。
「カイルの横に並び立つための努力は、並々の努力では駄目なんだよ」
ウィルの言葉にケインとケインのスライムが頷いた。
今後、たびたび寮の訓練所でスライムたちの鎧兜を身に纏ったケインとウィルが訓練する横でみゃぁちゃんと砂鼠も訓練する姿が寮生たちに目撃されることになるのだが、それはまた別な話になる。
「水竜のお爺ちゃんたちは猛虎の子孫たちを見つけられたの?」
話を水竜のお爺ちゃんに振ると、瞳を輝かせた水竜のお爺ちゃんを見れば結果はおのずとわかった。
“……東方連合国の手前の帝国側の緩衝地帯は護りの結界が世界の理と結びついていたから、若干土地の魔力に余裕があった。そこで虎族は縄張を間借りして生活をしていた”
北東の減少した貴重な虎族として、小さな狩場を用意された食客のような立場でギリギリ数の個体が生息していたので、猛虎の森が復活したことを告げると虎たちは喜んだらしい。
「東方連合国周辺に多くの魔獣たちが避難していたけど、土壌改良の魔術具の販売で改善した土地に徐々に移動していったみたいだったよ。現地の魔獣たちが縄張が狭くてきつかった、と散々愚痴っていたんだ」
ぼくのスライムの分身は東部の魔獣たちから情報を集め、魔獣たちの連絡網を作るために水竜のお爺ちゃんと明け方まで奔走していたらしい。
“……季節が限定されるけど、渡り鳥たちは広範囲に移動するから情報拡散の範囲が広いので、土地の魔力の変遷について何かあれば聖獣たちに吹聴してもらうことにしたんだ”
「今回のことで、遠くの土地のことだから、と気にしないでいると、とんでもない目に遭うことを魔獣たちが学習してくれたから、聞き分けがよかったよ」
東方土産としてぼくのスライムが体内からマタタビの枝を取り出すと、ベッドに寝っ転がっていたみぃちゃんとみゃぁちゃんがすかさず駆け寄ってきた。
「これは、今度のご褒美に取っておこうね」
収納ポーチにサッとしまうと二匹は恨めしそうな顔でぼくを見た。
「今日は休みなんだから、のんびりしたらいいんじゃない?」
ウィルの言葉にみぃちゃんとみゃぁちゃんが頷いた。
ちょっとだけだよ、と葉っぱをちぎって一枚ずつあげると、二匹はベッドの上に持ち込んで、葉っぱをかじったり体をこすりつけてうっとりした。
可愛い。
「ぼくも今日はのんびり過ごそうかな」
“……えええええ!劇団さそり座の初日公演だけど、行かないのか!?”
急いで帰ってきたのに、と水竜のお爺ちゃんが嘆いたが、初日の公演のチケットは女の子たちに譲ってしまった。
朝食後に自室で寛いでいるのは情報の擦り合わせだけでなく、劇団さそり座の初日公演に行く女の子たちがお洒落をするのに大騒ぎをしているから、大人しく自室に籠っているのだ。
「キャロお嬢様に交渉したら、連れて行ってもらえるかもしれないよ」
ケインの言葉に水竜のお爺ちゃんは女子寮に入ることを躊躇ったのか、いつも行き来しているみぃちゃんとみゃぁちゃんを恨めしそうに見た。
「声を出して寛いで見るなら、談話室で見たほうがいいよ。今日は、お忍びとはいえ第三夫人が観覧するから警備が厳しくなっているもん」
初日に行く気が全くなかったみぃちゃんが素っ気なく言うと、水竜のお爺ちゃんは、生で見たかった、と不貞腐れた。
「だから、キャロお嬢様についていったらいいよ。もう少し小さくなって、ハンドバックのチャームのふりをすれば、一番いい席で見れるよ。分裂できる寮生たちのスライムは女の子たちのハンドバックのベルトの鎖になってついていくことになっているよ」
ケインの説明にスライムたちが頷いた。
「自分の魔力を外側に出さないように表面に壁を作るイメージで閉じ込めておかないと、手荷物検査で引っ掛かることになるから、気を付けるんだよ」
ぼくが注意点を指摘すると、水竜のお爺ちゃんばかりではなく、ウィルも驚いた。
「スライムたちはそんなことができるのか!」
「みんなができるわけじゃないよ。そもそも、小さく分裂したら魔力量が少なくなって、手荷物検査程度ならすり抜けられるわよ」
ぼくのスライムの突っ込みにウィルは納得した。
「カイルやケインが気配を完全に消せる時があるのは、そうやって自分の魔力を遮断していたからなのか……」
何かしているとは思っていたんだ、とウィルが悔しがった。
それからウィルは黙り込むと、黙々と一人で魔力を遮断するイメージの練習をし始めた。
ウィルは相当な負けず嫌いだから、そのうち習得するだろう。
ぼくたちの休日はそれぞれの方法でまったりと過ごす……つもりだったのだが、部屋のドアを激しくノックする音で、そうはいかないのだと悟った。
「どっちのハンドバックにしても似合っているよ」
談話室に呼ばれたぼくたちはキャロお嬢様のコーディネートについて助言を求められたが、慎重に言葉を選んだ。
ぼくとケインが母さんやお婆の行動から学んだ経験則では、どっちがいい?と聞くときは、たいてい心の奥でお気に入りが決まっていてそっちを言ってほしい、という願望があり、反対を言ってしまうと迷いが長引くことになるのだ。
「黒のラメのハンドバックは大人っぽくてカッコいいですが、光の加減で紫紺に見えるこっちの黒い方が第三夫人より派手な小物にはならないでしょうから、無難ですよね」
冷笑の貴公子ことウィルは幼少期に連れ出されたお茶会の場数が多いので、発言内容の抑えどころを踏まえている。
「そうですよね。キラキラするのも素敵ですが、チラッと光沢のある紫が見えるのもいいですよね」
見事に正解の方を言い当てたウィルに、ぼくとケインは心の中で拍手をした。
この後も、やれストールがどうした、だの、扇子を持っていくべきか、など、細かいことで出かける直前まで騒いでいた。
アドニスと女子寮職員リリアナとして第三皇子夫人が寮に到着し、そこでまた、どれとどれを比較したのよ、とお喋りに付き合わされ、時間がない!と制して、全員をアリスの馬車に乗り込ませた。
アリスの馬車は劇場街に直行せずに王宮に立ち寄りると、第三夫人の離宮のそばまで第三夫人を迎えに行った。
第三夫人の横に簡素な服を着た皇帝が付き添っていた。
談話室に集まり、ぼくのスライムのスクリーンで見ていた留守番の寮生たちは、やっぱりか、とうすうすこの展開を予想していた反応をした。
陛下のチケットはありません!とキャロお嬢様がきっぱりと言うと、皇帝と第三夫人は朗らかに笑ったが、宮殿の衛兵たちをドン引きした。
皇帝は懐から一枚のチケットを取り出し、ひらひらとキャロお嬢さまに見せびらかすと、付き添いのクレメント夫人が眉間に皺を寄せた。
小さいオスカー殿下からチケットを奪い取ったのか!といった内容を遠回しにキャロお嬢様が指摘すると、皇帝はばつが悪そうに顎を引いた。
小さいオスカー殿下のチケットは第三夫人のボックス席とは違う、とキャロお嬢様が指摘すると、そこを何とか頼む!という視線で皇帝は女子寮監ワイルドを見た。
冷ややかな表情の女子寮監ワイルドの後方で俯いていた女子寮生の一人がいたたまれなくなり、おずおずと自分のチケットを差し出した。
満面の笑みになった皇帝にキャロお嬢様が舌打ちをすると、面目ない、と皇帝が謝罪した。
『この埋め合わせは必ずする!』
来世の一件とはからめないでくれ、初めてのデートなんだ!と小声で皇帝に懇願されると、恥ずかしそうに赤面して俯く二人に乙女心を擽られたキャロお嬢様が、しかたがない、と頷いた。
そそくさと皇帝がアリスの馬車に向かって歩き始めると、衛兵たちの顔色が変わった。
警備計画にない行動をした皇帝に衛兵たちが焦って制止しようとしたが、お忍びだから王宮の馬車は使用しない!と一喝してしまった。
補助椅子だったら用意できる、と女子寮監ワイルドが塩対応をしたが、それでかまわない、と皇帝は我を通した。
こうして、皇帝まで乗せたアリスの馬車が宮殿の敷地を出ると、馬上の近衛兵たちが後を追いかける奇妙な行幸となってしまったのだ。
劇団さそり座の初日公演の観劇に華やかに装う人々を見るためだけに劇場街には多くの人が集まっている中、物々しい警備が敷かれているのは第三夫人がお忍びでご観覧することが周知の事実だったので、大きな混乱はなかった。
到着したアリスの馬車が衛兵たちに囲まれていたので、第三夫人を一目見ようと押し掛けた人々を憲兵たちが総出で人垣を作って押さえているのも不自然ではなかった。
馬車の扉から劇場までの道に赤絨毯が敷かれ、衛兵たちが両側を取り囲むと、おおお、と人々から声が上がった。
大切に王宮に囲われていた第三夫人が初めて王宮から外出なさるのだからこのくらいはするのだろう、と囁き声が飛び交う中、馬車から降りたのが皇帝だと気付くと、悲鳴のような歓声が上がった。
皇帝が第三夫人をエスコートして赤絨毯の上を歩くと、皇帝陛下万歳!と人々から声が上がった。
「お忍び、って、この状態ではどこも忍べていないよね」
ぼくがこぼすと、寮生たちも頷いた。
「こうなりそうな気がしたから、女子たちにチケットを譲ったのではなかったんだよな」
子どもとはいえ第三夫人のそばに男性が近づくと皇帝からいらぬ嫉妬を買いそうだから、とぼくたちは遠慮しただけだったのだ。
皇帝の後方に、はにかんだ笑みを浮かべたキャロお嬢様とアドニスたちが続くのを見ながら、あの場にいなくてよかった、と寮生たちは胸をなでおろした。




