噂の力
寮生たちが集まる談話室で、水竜のお爺ちゃんの限定魔獣カードが発売されるかもしれない、という話をしたので、噂が市中まで広がるのは早かった。
寮生たちが早朝に祠巡りをしていることは市民たちに知れ渡っていることを利用して、商会関係者が仕込んだ市民がさも偶々出会ったかのように、おはようございます、と挨拶をすると、水竜の魔獣カードが発売されるのは本当なのかい?と尋ねた。
「ガンガイル王国から輿入れされた皇帝陛下の第三夫人殿下の姪孫にあたる姫様が帝国留学をされたので、輿入れ以来公の場にお出ましにならない第三人殿下とご面談をされる記念に、特別な魔獣カードを制作するという話を寮内で聞きましたよ」
「まあ、本当なのね!うちの子が気にしていたのよ。帝都の夜空に出現した水竜がカッコよかったから、きっと次の魔獣カードの新作に水竜のカードがあるはずだ、ってうるさくって」
仕込みの市民が大きめの声をあげると、店の前の掃除をしていた人たちが手を止めて聞き耳を立てた。
「魔獣カードで一番強いとされている不死鳥のカードは三枚しか発行されなかったので『幻のカード』と言われているのですが、その『不死鳥のカード』より強いカードになる、と聞いています」
「水竜が大聖堂島を守護する聖獣なのだから最強になるのは当然でしょう?」
「そんな!世界大震災で多くの命が失われるところを、創造神の僕たる不死鳥が世界を縦横無尽に飛び回り人々を回復させた、という、あの伝説の『不死鳥』を超える魔獣カードが販売されるなんてあり得ません!」
仕込みの市民に不死鳥のカードがいかに最強のカードかを力説する寮生を、ミーアが遮った。
「いいえ。今回は特別なんです!あの、世紀の大恋愛の末結ばれた姫君が連れ去られるように帝国留学して以来、一度も親族とお会いしたことがないのに、ようやく姪孫の姫様とご面会なさるのですよ!ガンガイル王国寮ではお祭り騒ぎです!あなたも知っているでしょう」
「ああ!その面会を記念して発売されるカードなら『水竜のカード』が最強になることもあり得るのか!」
「帝都限定販売の超希少カードになることは間違いないだろうな……。何とかして入手したいものだ」
「ガンガイル王国寮生ならコネで入手できるんじゃないのかい?」
仕込みの市民の問いかけに、ぼくたち全員が、無理!無理!と即答した。
「一般販売されるとしたら、ほんの数枚ほど帝国魔獣編の五枚セットの中に不規則に同梱されるだろうからよほどの強運の持ち主じゃないと入手できないでしょうね」
「単体販売は高貴なお方が買い占めるので絶対無理です」
「それじゃあ、うちの子が帝国魔獣編の五枚セットのカードを買ったら、偶々入っているなんてこともあるのね!」
「運がよければ封入されているでしょうね」
「まあ、どうしましょう!封入されていたらうちの子だったら絶対に手放さないでしょうけれど、オークションにかけたら……」
「とてつもない金額で落札されるでしょうね」
運次第で一攫千金も夢じゃない内容の話題になると、掃除の手を止めて聞き入っていた人たちがそそくさと店の中に入っていった。
ぼくたちがにんまりと笑うと、仕込みの市民が真顔で言った。
「発売日を教えてくださいね。私、絶対に買います!」
仕込みの市民は途中から小芝居ではなく本気で話し込んでいたようだった。
「いやぁ、まいりました。『現在発売中の魔獣カードには水竜のカードは封入されていません』と店の前に張り紙をしてあるのに魔獣カードが飛ぶように売れるんです!」
商会の代表者は行灯や提灯を制作していた工房を魔獣カードの生産に変更しても追いつかない、と寮長室でこぼした。
ぼくと兄貴とウィルとジェイ叔父さんが寮長室に呼ばれたのは、魔獣カードの増産の方法の相談でもあるのだろうか?
寮長室には寮長とハルトおじさんとオーレンハイム卿と商会の代表者の他に従者ワイルドがいるということは、魔獣カードは本題の前の世間話なのだろう。
「子どもの遊びだと思っていた魔獣カードに、高値で転売できるのがたくさんあることに気付いた市民たちがこぞって買い漁るうちに、大人でも魔獣カード遊びにハマる市民が続出して、街角のあちこちで魔獣カード対戦をしているから、それが宣伝になって、さらに売れるというわけです」
「実際に対戦すると戦略を練るのにそうとう思考するから、子どもに助言しているうちに大人がはまってしまうもんだ。何より、対戦で下級兵士たちが指揮官気分を味わえるから、爽快感があるらしいな」
ハルトおじさんは、上官の命令に絶対服従だった兵士たちが魔獣カードで憂さ晴らしをしている、と説明した。
どうやら、戦争終結に伴い引き上げてきた兵士たちが故郷に帰る前に土産を買うという名目で、希少カードがあるかどうかの運試しで購入し、そこから深みにはまっていったらしい。
「酒や女は、おっと子どもの前でしたね、翌朝、頭痛を残すお酒や、一時だけ優しくしてくれるお姉さんに金をつぎ込むより、手元に残って転売可能な魔獣カードは暇つぶしとして最適だったようですね」
商会の代表者は寮長に睨まれて表現を変えたが、除隊時の退職金や年金の手続きに時間がかかり帝都にたむろする兵士たちが花街でトラブルを起こすこともままあったのに、魔獣カードにハマることで減っているらしい。
思わぬところで魔獣カードが帝都の治安維持に貢献することになったようだ。
「ああ、そうだ。第三夫人の離宮から手紙があった。手土産に魔獣カード図鑑が欲しいとのことだ。この流れは、面会当日に皇帝陛下に『水竜のカード』を献上した方がいいということだろう」
この件で呼ばれたのか、と商会の代表者は頷いた。
「オーレンハイム卿が図案を制作してくださり版型はもう出来上がっています。ジーンさんが一枚ずつ魔法陣を施してくださる完全な一点ものを十枚ほど製作する予定です。そのうちの一枚を献上品にしましょう」
商会の代表者の言葉にオーレンハイム卿が頷いた。
「ああ、陛下への献上品のカードにオーレンハイム卿が加筆していただけませんか?」
一点物の価値をさらに上げて、献上品としての格をあげよう、とハルトおじさんが提案するとオーレンハイム卿は快諾した。
「ジェイ君やカイルたちを呼んだのは、面会が確実に実施される見通しが立ったので、卒業記念パーティーの時のように寮で鑑賞会ができないか、と相談したかったん……」
「できますよ」
寮長の言葉が終わらないうちに従者ワイルドが即答した。
できるの?とぼくたちが無言で従者ワイルドを見ると、従者ワイルドはぼくのスライムを見遣った。
「お嬢様の付き添いは、ミーアとアドニスとクレメント氏と女子寮寮監ですから、女子寮寮監の代わりに私が付き添えば、寮でカイルのスライムがスクリーンに変身すればそのまま映像を映し出せますよ」
従者ワイルドはどういったカラクリなのかを一切説明しなかったが、上級精霊ならできるだろう、と全員が納得した。
指名を受けたぼくのスライムはテーブルの上でワイルド上級精霊から精霊言語で直接映像を送ってもらえる大役を仰せつかったことに、感激で打ち震えていた。
テーブルの上のスライムたちが、よかったね、頑張ってね、とぼくのスライムを取り囲んで一緒になって喜んでいる。
「……あのう、大変聞きにくいのですが、上級精霊様は女装されるのですか?」
ハルトおじさんはみんなが気になったことを勇気をもって切り出すと、従者ワイルドは、ハハハと笑った。
「私は性別がないので衣装を変えるだけだ」
精霊に性別がないことを知っていたぼくと兄貴以外が、えっ!と驚く様子に魔獣たちがケタケタと笑った。
「女子寮監ワイルドとして同行していただけると、安心しました。いくら生まれ変わりとはいえ、うちのクレメント夫人が自分を嵌め、亡国の王とした元親友を目の前にして打ち合わせ通りに振る舞えるかどうか心配していたのです」
ワイルド上級精霊がそばにいるだけで気持ちが落ち着くので、クレメント氏の暴走を防げる、とウィルが安堵した。
犬型のシロも兄貴も小さく頷いているということは、当日、クレメント氏が暴走する可能性があったのか!
「氏はこのところ落ち着いた老夫人の雰囲気を漂わせていたから、仇敵との再会だと忘れていた」
ガンガイル王国側としてはアメリア第三夫人とキャロお嬢様の面会が一大事ですっかり失念していたが、クレメント氏にとっては転生した魂とはいえ積年の恨みがある皇帝と対面する機会だったことを、ハルトおじさんが思い出した。
「皇帝陛下がクレメント夫人を見てどう反応するかで、皇帝陛下に前世や前前世の記憶があるかを判断するんでしたね」
確認するように寮長が言うと、ぼくたちは頷いた。
皇帝が神学生だった時代のその後の人生が太陽柱の映像にないということは、邪神の欠片の研究に携わっていた、ということに他ならない。
邪神の欠片の魔術具を使用していたディミトリーを行使できた時点で、おそらく前前世の記憶があるのに違いないが、邪神の欠片の知識があるのに、なぜ、帝都魔術具暴発事件で邪神の欠片が使用されたのに皇帝は放置したのか?など、謎が多い。
前世の記憶があると言ってもぼくのように日頃はそれほど思い出すことなく、知識が必要な時だけ思い出すのなら、ぼくたちが一気に解決してしまったから思い出す間もなかっただろう。
執着する女性のことを転生しても追い続けるように、転生するたびに出会う親友を覚えているだろうか?
裏切ってしまったかつての友のことなど思い出さないかもしれない。
「人間の記憶は自分の都合のいいように書き換えられるものだ。何度も転生している皇帝の記憶は史実通りではないだろう。クレメントの記憶もまた同様だ。私が立ち会うことで少なくともクレメントは正気を保ったまま対面することになり、何らかの反応を皇帝から引き出すだろう。その後、皇帝がどう動くかは選択肢が多すぎる」
ワイルド上級精霊は面会の結果を明言することなく、何かがある、とだけ匂わせた。
「未来が不確かなのは理解しています。だからこそ我々は迷いつつも最善を模索して行動するのです。どうぞ、キャロラインとクレメント氏をよろしくお願いします」
ハルトおじさんはワイルド上級精霊に丁寧に頭を下げた。




