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儀式の夜の街の様子

 上映会が終わったぼくたちは露天風呂に入り直しぬくぬくと温まってから眠りについた。

 ぼくとケインの二人部屋にベッドを繋げて兄貴とジェイ叔父と雑魚寝しながら今日一日の話をしていると、何かと忙しい一日だったのでぼくとケインと魔獣たちはぐっすり眠り込んだけれど、水竜のお爺ちゃんは鎮魂の儀式が終わった夜の帝都の街に繰り出したようだった。


 日の出前に寮の中庭で魔力奉納を済ませると、寮生たちも早起きして魔力奉納をしていた。

「昨日の上映会でガンガイル王国寮生に注目が集まっているだろうから、街の祠巡りを日の出前に済ませたいんだよね」

 ボリスがみんなの心境を代表して言うと、水竜のお爺ちゃんが微妙な表情になった。

「何か良くないことがあったのでしょうか?」

 ウィルが水竜のお爺ちゃんに尋ねると、水竜のお爺ちゃんは、ガハハと笑った。

 “……明け方まで、悪いことは何もなかった。悪いことが何もなかったことが奇跡のような状態なんだ”

 水竜のお爺ちゃんはぼくたちが寮内にいたから知らなかった夜の帝都の様子を語りだした。

 “……夕方礼拝までは少し賑わっているけれど通常と変わらなかったらしいんだ”

 水竜のお爺ちゃんは夕方礼拝の後ぼくたちが帰寮してからの中央広場の様子を、屋台の売り子や客から聞き出した話をした。

 “……鎮魂の提灯を買い求めた市民たちが夕方礼拝のための特設祭壇の前に並ぶと、人出が多かったし、提灯の分だけ幅を取るからいつもより広がっていて、広場の中心部まで続いたそうだ”

「展望デッキから見えた中央広場の灯もそんな感じに見えたよね」

 ぼくたちの感想に水竜のお爺ちゃんは頷いた。

 “……礼拝を終えた市民たちは、鎮魂の儀式が教会内で行われて見られないことに残念がっていると、精霊たちがいつも以上に出現したので騒然となったらしい。市民たちの間を精霊たちが漂うと心が落ち着いて、精霊たちが上空に舞い上がり始めると、遠い戦地で亡くなった戦没者たちや国土の荒廃で飢饉に苦しんだ人々の御霊を見送らなくてはいけない気がしたようで、皆一様に提灯を掲げ始めたらしい”

「提灯の灯が揺れていたように見えたのはそのせいだったんだね」

 “……ああ、そうなんだが、次第に居合わせた人々に心境の変化が起こったらしい。屋台の売り子のお姉ちゃんが驚いていたぞ”

 水竜のお爺ちゃんが言葉を区切ると、ぼくと兄貴とケインは顔を見合わせた。

 急な心境の変化が起こったといえば、兄貴が消えかけてワイルド上級精霊の亜空間に転移し、ほんの少しだけ時を戻してぼくたちが戻ってきたころだろう。

 あの時、兄貴が消えそうにならなかっただけでなく、何かあったか……。

 ああ!

 ぼくは祈りの内容を少しだけ変えてしまったかもしれない。

 “……ご主人様。ご主人様は、地上のさまよえる魂が死霊系魔獣や瘴気に吸収されることなく天界の門に辿りつけますように、と祈っていたところを、地上のさまよえる魂や死霊系魔獣や瘴気に吸収されてしまった魂も禍々しきものから分離して天界の門に辿りつけますように、と変更していましたよ”

 犬型のシロに精霊言語で突っ込まれると、そうだったね、とぼくの魔獣たちも頷いた。

「ぼくたちが展望デッキで祝詞を唱え始めた頃だよね」

 ボリスの一言に、キャロお嬢様は顎を引いて無言になった。

 そうだよね、というかのようにぼくたちを見た寮生たちが無言で頷いた。

 “……まあ、その祝詞の効果かもしれないが、実際のところはわからないんだから、いいじゃないか”

 水竜のお爺ちゃんがぼくをチラッと見て話を続けた。

 “……人が大勢集まる所ではスリや万引きが横行するのに、スリは、落とし物だ、と言って貴重品を返し、万引き犯はしれっと商品を棚に戻したらしい”

「犯罪者が善良なる市民になるなんて、そんなことがあるのか!」

 驚愕するぼくたちに、儂も驚いた、と水竜のお爺ちゃんは笑いながら精霊言語で言った。

 “……それがまた、警備に当たっていた憲兵たちも同じようなことを言うんだ。そうだ、面白いことはそれ以外にもあって、日頃から瘴気が湧きやすい路地裏では精霊たちが大量に出現してまるで瘴気を分解するかのように群がるとばらばらになって空高く舞い上がった、と証言する憲兵もいた”

 本当に死霊系魔獣や瘴気に取り込まれた魂が分離して天界の門に導かれたようで、ぼくと兄貴とケインは安堵の表情を浮かべた。

「戦争に巻き込まれたり飢饉で亡くなったりした魂だけでなく、帝都で亡くなった不遇な魂も鎮魂することができたのかもしれませんね」

 感慨深げに言ったキャロお嬢様の言葉にぼくたちは頷いた。

 “……ああ、そうだろう。鎮魂の儀式の間、帝都はすっかり浄化されていたようで、精霊たちが上空に消え儀式が終わったと実感した時、胸の奥にじんわりと幸福感があった、と売り子のお姉ちゃんは言っていたぞ”

 希望の灯が胸の奥に湧いたのは寮生たちも同様だったので、水竜のお爺ちゃんの話に全員が頷いた。

 “……市民たちみんなが聞き分けがよくなっていたから、中央広場から五つの神の祠に集団で移動するのにも大きな混乱はなく、憲兵の誘導に大人しくしたがったらしい”

 大移動だったのにもかかわらず、通りはどこもかしこも安全で、道行く人は善良で、人ごみを押しのけて我先に、と行動することもなく、足の悪い人のためにゆっくり歩く列と、速足で移動する列に分かれたようだった。

「大きな混乱がなかったので、予定通りに上映会ができました」

 “……おお、上映会は大好評だったよ。そのお陰で儂はどこに行っても親しく声を掛けてもらったし、酒もいっぱい奢ってもらった”

 ホクホク顔で語る水竜のお爺ちゃんに、よかったね、とぼくたちは笑いながら言った。

 “……空中に浮かび上がった巨大映像に度肝を抜かれて、あの水飛沫がよかったね、なんて言われると儂も嬉しかったよ。映像や音に注目が集まっただけでなく、魔力目当てに幼い子どもが誘拐される、というストーリーに心当たりのある市民もいて、誘拐犯を許すな!という雰囲気になっていたよ”

 教会に不信感を抱かせないために謎の男は司祭服を着ていなかったが、市中で誘拐を実行するのは人身売買をするやくざ稼業の悪人か、稼げなかった冒険者なので、市民たちには信憑性があったらしい。

「子どもたちの誘拐への注意喚起になったのですね」

 “……ああ、ばっちりさ。最後の劇団員の挨拶もよかったよ。ガンガイル王国は凄い国で、友好国でよかった、という話でもちきりだった。教会の寄宿舎生たちにも感心していたね。こんなすごい魔法を見せてくれる神学生たちが教会の未来を支えていくんだって、誇らしそうに話していたよ”

 昨年までの寄宿舎生たちの自己評価の低さを知っていた在校生たちは、よかったよかった、と口々に言った。

「そんなにいいこと尽くしだったのに、さっき浮かない表情だったのは何でなんだい?」

 ウィルの疑問に水竜のお爺ちゃんは眉をハの字にした。

 “……人間の善良性ってやつはさ、儂にはなかなかわからないよ。屋台は品切れになったら順次店じまいをしてしまったんで、儂は繁華街の飲み屋に誘われて何軒か、梯子したんだよ”

 水竜のお爺ちゃんは奢ってくれる人についていったらしく、明け方まで飲んでいたらしい。

 “……鎮魂の儀式の後、すっかりみんな善良になったと思っていたのに、最後の店はみんな飲みたくて行った、というよりちょっと一杯ひっかけて帰るだけのつもりだったのに、どえらい金額を請求されたんだ。真っ当な商売をしていたら酒一杯にあんな金額はつけないよ。まともな金額を言わなければ飲んだ酒を吐き出してやる、と言ったらようやく店員はまともな金額を提示したんだ”

 いくら小さくなっているとはいえ、上映会の映像では大量の水を口から吐き出していた水竜のお爺ちゃんが酒を吐き戻すといえば、店一杯に酒を吐き出しかねない、とぼったくりバーの店員も考えたのだろう。

「水竜のお爺ちゃんからぼったくりをしようとするなんて、ずいぶんと豪胆な店があったのですね」

 キャロお嬢様が呆れたように言うと、そうなんだ、と水竜のお爺ちゃんは頷いた。

 “……儂が傷痍軍人たちの間で小さくなって飲んでいたから気付かれなかったのかもしれないし、傷痍軍人の一人に実家が金持ちの奴がいたから、そいつが金蔓にしか見えなかったのかもしれない”

 夜の店で騙されるなんて騙される方も悪いと考える向きもあった寮生たちは、いくら実家が太くても傷痍軍人から金を巻き上げようとするなんて!と風向きを変えて憤った。

 “……鎮魂の儀式から時間が経つと善良さが剥がれ落ちてしまう人間もいるから、早朝の祠巡りはいつも通りに気を付けた方がいい”

 みんながみんな善良だった時間は夢のように儚い時間だった、と水竜のお爺ちゃんは嘆いた。

「世の中なんて世知辛いものですよ。善良に生きていたからと言って、幸せになれるものでもありませんわ」

 世の中から悲劇はなくならないのです、とミーアが嘆くと、子どもなのに詳しいね、と水竜のお爺ちゃんが突っ込んだ。

「物語にたくさんありますもの。それでいて、事実は小説より奇なり、なんていうのですから、何事も楽観するのではありません、とお母様に躾けられました」

 “……いいお母さんだな。……うん、まあ、そういうわけで、スリも人攫いもいなくなったわけではなさそうだ”

「そうでしょうね。でも、その儚い一瞬の時を過ごした経験から、善良の種が必要な時に芽吹いてくれたらいいな、とぼくは思うよ」

 またまた甘いことを言う、と言いたげな視線をケインから向けられた。

「たいがいの人は犯罪者になりたくてなるのではなく、生活苦だったり、善人でいたら暮らしていけない環境で生活していたりするから、そうなってしまう人がほとんどでしょう?そんな人たちでも一瞬でも悪いことを止めることで満足感を感じたなら、この後の人生で、ここぞという一瞬に良心が湧いてくるかもしれないじゃないか」

 ぼくの言葉にウィルが頷いた。

「ああ、そうだね。誘拐した子どもを引き渡す寸前で、フッと良心が湧いて、子どもをうっかり見失ってしまうなんてことが、起こるかもしれない。善良さを知らなければ、そんな心の隙間が現れないだろうね」

 “……そうだな。あんなに簡単に善悪が入れ変わるんだから、そういうこともあるかもしれない。人間って面白いな。儂も早朝の祠巡りに付き合うよ”

 人間にがっかりしていた水竜のお爺ちゃんは気を取り直したようで、帰ってきたばかりなのにまた街に行く、と言い出した。

 ぼくたちは魔獣たちを連れて日の出直前の街に繰り出した。


 七大神の祠の広場はすっかり片付けられており、塵一つなく清潔だった。

 “……人間の善良さは継続しているのか!”

 水竜のお爺ちゃんは自分が騙されそうになったことですっかりしょげていたが、いつも以上に清潔な街を見て掃除をした善人がいることを喜んだ。

 実際、祠巡りで会う人たちは魔法学校の制服やガンガイル王国の魔法学校の制服で祠巡りをするぼくたちに礼を言う人たちばかりだった。

「夜遊びをする人たちを騙すことを生業にしている人間に引っ掛かっただけですね」

 キャロお嬢様に核心をつかれた水竜のお爺ちゃんは、ほどほどにします、と反省するかのように精霊言語で言った。

 “……いや、またやるよ”

 ぼくのスライムが突っ込むと、水竜のお爺ちゃんは素直に頷いた。

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