魔獣たちの影
寝間着に着替えたぼくたちが繋げたベッドで雑魚寝していると、水竜のお爺ちゃんとぼくのスライムの分身は夜の帝都の散策に出かけた。
水竜のお爺ちゃんが気にしていたのは戦争の終結で帝国の国境線が明確に定まったことで、帝国の護りの結界が南に延びることになり遷都の必然性が出てくるはずだが、かつての帝国の北進で遷都した帝都だから南に国土が増えたのなら旧首都の南方あたりに首都を移転すべきじゃないかと考えたようで、昔の護りの結界を探ってみたくなったらしい。
そこのところはぼくも気になっていたけれど、広範囲に護りの結界を探って魔力枯渇を起こすわけにはいかないので躊躇っていた探索を水竜のお爺ちゃんがやってくれるなら嬉しい。
「帝国は古代大陸の地脈の流れをぶった切るように魔力枯渇を起こしている土地があるから、ぼくの仮説があてはまらない場合が多くて嫌になるよ」
大陸移動説を支持しているケインは帝国に入国してから土地の魔力の地層を検証できない土地が多くてうんざりしていた。
「帝国の前の首都が白砂になってしまっているなんて衝撃的だよね」
繋げたベッドの真ん中に広げた地図は帝国の廃村を記したものだったので、帝政批判につながりかねない記述だから部屋の外で広げるには憚られるものだった。
「気持ち悪いのが、この地図に教皇猊下が摘発した孤児院の場所を落とし込んでいくと少しずれているけれどほぼ重なるんだよね」
ケインが色を変えて印をつけると偶然とはいいがたいほど荒廃した土地の近隣に悪辣孤児院跡地が集中していた。
「為政者が見捨てざるを得なかった土地だから秘密組織の連中が好き勝手出来たとも言えるけれど、正直、どっちが先だったのかが気になるよね」
ウィルは秘密組織が目をつけた土地が荒廃していった可能性を指摘すると、魔本が唸った。
“……秘密組織の記録の取り方が明らかになっていない以上まだ明言はできないが、孤児院に収容された孤児たちの死亡率から推測すると、近隣の都市で魔力が枯渇する前に孤児院の人体実験は行われていたと推測できるぞ”
魔本が孤児院の孤児の記録から推測すると兄貴とシロが遠い目をして頷いた。
「秘密組織は帝国の南進を促すような行動をしたり、帝国内部の荒廃が進むように画策したりして、世界一強となった帝国の内部からの崩壊を促し、護りの結界を世界中に張り巡らせている教会の権威をあげた時に、自分たちに都合のいい教皇に挿げ替えて世界を支配しようとしたんだよね」
「そう言ってしまえばそうなのかもしれないけれど、邪神の欠片を利用しようとした時点で神学を学ぶ誓約をした門徒としてどうなのかと疑問に思うんだよね」
ウィルの言葉にケインは秘密組織の在り方を真っ向から否定すると、犬型のシロは頷いた。
「人生ってさ、なんて語る年でもないけれど、ぼくだけじゃなく、この年まで生きるのが大変な人が多いじゃないか。だからといって、あんな禍々しい力を借りて世界征服をしようと思うなんておかしいよね?」
三歳で邪神の欠片を所持した暗殺者と対峙したぼくの人生も波瀾万丈だけれど、三歳で誘拐されたケインも、三大公爵家の恵まれた環境に生まれたウィルにもそれなりの苦労があった。
誰だって、もっと力があったなら、と願う状況に置かれることがあっても、瘴気を呼ぶ邪神の欠片の力を使おうなんて非倫理的なことは考えないはずだ。
「神学の誓約は聖典の内容に則って魔法を行使することを誓っているから、書き換え前の旧聖典に存在した神のなれの果ての邪神の欠片について、誓約の中で禁止していないんだよね」
兄貴の説明にシロは頷き、ぼくとケインとウィルは首を横に振った。
存在自体が認められないから明文化されていないだけであって、駄目なものは駄目だろう。
“……いつから秘密組織があったのか、と胡散臭げな文章を探すと、邪神の欠片に対するあこがれみたいな記述は割と昔からあって、精霊使い狩りをした連中の一部も邪神の欠片を信仰した裏返しみたいなところがあったんじゃないか、と大賢者様は考えていたぞ”
魔本の説明にぼくとケインは顔を見合わせた。
「どんなに禍々しい存在でも、強力な魔力を有しているとなれば使用したくなる人間もいる、ということだろうね」
ぼくの言葉にウィルは眉を顰めた。
「伝説の精霊使いは、現在精霊使いだと名乗りをあげる人はいなくても、マナさんとか東の魔女とか、それっぽい人がいるように、邪神の欠片の使い手で人間の寿命を超えて生きている人物もいるのかな?」
ウィルの疑問に、想像できるけれど想像したくない、と兄貴とシロは頭を抱えた。
「邪神の欠片の魔術具を携帯していたゾーイもサントスも見た目通りの年齢だったんだよね」
ケインの疑問に兄貴とシロは頷いた。
現在拘束されている二人は身元調査も済んでおり、本名の確認がとれたらしい。
「ねえ、みぃちゃんとみゃぁちゃんと砂鼠が女子寮内のパトロールを終えたみたいだよ」
タブレッドに変身したみゃぁちゃんのスライムの映像を見ていたキュアが寮の建物内のパトロールを終えた三匹が中庭に出たことを教えてくれた。
ぼくたちが地図を片付けると、みゃぁちゃんのスライムは大型スクリーンに変身して壁に張り付いた。
月明かりが照らす中庭に走り出たウィルの砂鼠をみぃちゃんとみゃぁちゃんが追いかけている映像を映し出した。
何しているの?というかのように精霊たちが時折点滅するだけで異常のない中庭を走り抜けた三匹は寮の塀側に回る前に打ち合わせをするかのように身を寄せ合った。
「本気で脅かす気なのかな?」
「「「今、誰か外にいるのかい!」」」
やり過ぎないといいのに、と兄貴が三匹の暴走を心配すると、ぼくとケインとウィルはこんな時間に寮の敷地の外に誰かいることに驚いた。
「侵入しようとはしていないけれど、女子寮を覗こうとしている位置にいるね。ああ、露天風呂は下からは見えない構造だから大丈夫みたいだよ」
ぼくのスライムは分身を飛ばして不審者の位置を特定した。
ウィルの砂鼠は塀の上を走り抜けてぼくのスライムが精霊言語で指示した不審者情報の場所に急行した。
「敷地内に侵入していないから、脅かすだけで十分だよね」
塀の陰に身を隠し映像から見えなくなったみぃちゃんとみゃぁちゃんがやり過ぎないか心配したケインが確認するように言うと、ぼくのスライムは首を横に振るかのように体の上部を横に振った。
「女子寮を覗き見える場所にいるだけで許されない犯罪でしょう!」
「どの部屋もカーテンが閉まっていたから大丈夫だよ」
ぼくのスライムが語気を強めるとキュアが大袈裟だと否定した。
「うーん。うちの寮は今日、将来、王族に嫁ぐことが内定している姫が入寮して、しかも、現在、皇籍こそ喪失しているけれど第三皇子夫妻のご息女が入寮された。そんな女子寮を覗ける場所に深夜にいるだけで拘束しても問題ない気がするよ」
明らかな不審者を放置しない方がいい、とウィルは主張した。
「アドニスの容姿が特徴的過ぎて城壁で目撃された情報が第三皇子夫妻の子の特徴であることに気付いた人物がいたなら、今頃大騒ぎになっているだろうね」
兄貴の指摘に、そうだろうな、とぼくたちも納得していると、ぼくのスライムが爆弾発言をした。
「スライムたちが怒っているから全員捕まえる気でいるよ」
寮生のスライムたちが全員終結して不審者を拘束する気なのだろうか?
そんなことを考えていると、みゃぁちゃんのスライムのスクリーンからギァーという奇声が聞こえた。
スクリーンに映し出された映像は、月明かりの影にしてはやけに濃く巨大な鼠の影が塀を挟んだ道路と向かいの建物の塀を覆い、塀と塀の間から男性が出せる音域の一番高いキーで叫ぶ声がした。
寮の塀から飛び出したのは小さなウィルの砂鼠だったが、下方から蜜蜂サイズのウィルのスライムの分身が強烈な光を当て巨大な砂鼠の影を作り出していた。
「ちょっと待って!ウィルのスライムの分身は光と闇の神の祝詞を使っているじゃないか!」
光の発生源と砂鼠の距離や角度を考えてもあんな大きさにならないし、陰の動きとウィルの砂鼠の動きが違うなんておかしい!
あんなに可愛いウィルの砂鼠が凶暴な牙をむき出しにした怪獣のような姿で反対側の建物の塀にとびかかったように見えていた。
「砂鼠のしっぽを身体強化すると、あんなに不審者がぶっ飛ぶのか!」
飛び出した砂鼠が腰を抜かした不審者に向かって回転しながらしっぽを叩きつけると不審者が道路の真ん中に回転しながら飛ばされていた。
あまりの出来事にぼくたちは口をあんぐりと開けてスクリーンに見入っていると、ウィルのスライムの分身が不審者を寮の塀に磔にした。
「寝ているみんなを起こすのもなんだから、朝までこうしておこうよ」
ウィルの提案にぼくたちは頷いた。
みぃちゃんとみゃぁちゃんはどこに行ったのだろう?
スクリーンからヒャーというまた違う男の悲鳴が上がった。
アングルが変わった映像では巨大な猫の影が不審者の影に高速で猫パンチを食らわせている姿を映し出していた。
さらに画面が切り替わると、やんのかステップを踏む巨大猫の影におびえる不審者に弾丸のように体当たりするスライムたちが映し出され、またまた画面が切り替わるとスリングショットのようにスライムに飛ばされた不審者が寮の塀に叩きつけられる姿が映し出されていた。
スライムたちは不審な影を見つけるとビュンビュン音を立てて突進していた。
「いったい何人の不審者がいるんだ!」
ぼくたちが見ただけですでに、五人の不審者が寮の塀に磔にされていた。
「夜が明けるまで、あと数人拘束されるだろうね」
兄貴の言葉にシロも頷いた。
画面の中でスライムたちがオーバーキルだろ、といいたくなるほど不審者に体当たりしている。
「あれ!司祭服の男がいる!アドニスを探りに来たのは貴族の密偵だけでなく教会関係者も混ざっているよ!」
スライムたちにボコボコにされた男の一人は教会の司祭補の制服を着ていた。
秘密組織の関係者だろうとあたりを付けたスライムたちに他の不審者よりきつめの攻撃を受けたようでぐったりとしていた。
「大丈夫かな?」
悪人といえどもやりすぎを心配したぼくに、みんなは急所を外しているよ、とぼくのスライムが言った。
何人かの不審者が股間を押さえているから、どうやら急所を狙われたような気がするけれど、命に別状がある場所を攻撃したわけではなさそうだ。
画面から悲鳴のような声が聞こえるが、寮の結界が音を遮っているのか部屋の窓の外はとても静かだった。




