噂の擦り合わせ
「皇帝陛下は南の端まで征服しないと戦争を終わらせない、と軍の上層部が決めてかかっていた、というのがもっぱらな今現在の帝都の世論だよ」
ノア先生の説明では、戦争終結を望まなかったのは軍上層部で、皇帝陛下はきりの良いところで終結させることを望んでいたらしく、第一皇子が戦争を長引かせ、親族の第一夫人の関係者に利益誘導をしていた、と失脚した第一皇子派に責任を押し付ける世論になっていた。
第二皇子が事実上軍を把握しており、第五皇子を重用し始めると軍内部の細かい数字を羅列して、南方戦線の使途不明金の追及をはじめ、その結果戦果を理由に誤魔化せない部分が露呈し、にっちもさっちもいかないままで南方戦線は膠着化、というか事実上停戦状態になっていたようだ。
「まあ、この流れができた下地はあったのですよ。戦争によって増えた国土と、出兵によって国内から喪失した魔力を研究して戦争が長引いた場合の損失を計算した教員もいましたが、学期をまたぐと学校からいなくなっていました。かくいう私も予算のつかない研究をしなくなりました。口にしないだけで長期化した戦争による弊害を誰もが感じていました」
自嘲するかのように頬を引きつらせたグレイ先生の肩にノア先生が手を置くと、ノア先生は小さく頷いた。
「私の恩師は半端な飛行術を披露するな、と私に口を酸っぱくして命じていました。私は魔術具を使用しないで飛行できますが、短時間しか飛行できないので前線に送り出されることもありませんでした。ですが、軍属学校の受講生たちは中途半端な飛行魔法術で前線に送られました。私は師の教えを守れなかった」
項垂れるノア先生に、あの流れは止められなかった、とグレイ先生が首を横に振った。
「ぼくの出身は世界のほぼ北の端ですが、ぼくの知人に南方戦線帰還騎士が数名います。なぜ、北の端から南の戦地に赴くことになったかと言えば、我が国が押しに弱く断れなかったからでしょう。人間社会は所属した組織の掟から反した行動はできないのです。ぼくたちが反省すべきことは、北の果ての地から騎士を派遣する意義のある戦いだったのか?帝国は我が国にそれだけの対価を払ったのか?ということを検証し続けなくてはならないのですよ」
キャロルが薄っすらと微笑むと、ガンガイル王国の秘境の地の姫としての貫禄を出し、これが噂の男装の麗人、と広域魔法魔術具講座の受講生たちが囁き合った。
申し訳ない、と小さいオスカー殿下が項垂れると、長期借款は必ず返済していただきます、とキャロルは微笑んだ。
「魔法学校も長年にわたり軍属学校の影響力が増していたので軍事関係の研究ばかりになっていました。昨年の粛清の三日間で一掃されるまで、南部戦争は南端を制覇するまで続くだろう、と魔法学校でも誰もが疑っていなかったのです」
グレイ先生の説明に、粛清の三日間?とマテルが首を傾げた。
「ああ、昨年、南西海洋で発生した嵐が発達したまま帝都まで到達する大災害があったのですが、皇帝陛下は嵐の混乱に乗じて、軍属学校と魔法学校の癒着を税務上から調査を入れ、結果的に大規模な人事異動があったのです」
「昨年の段階で魔法学校と軍属学校に税務調査が入り、その流れで帝国軍の不鮮明な資金の流用が明らかになり、終戦の方向に行ったということでしょうか?」
戦争終結の裏側を知りたいマテルがグレイ先生に詳細を尋ねると、ハハハとグレイ先生は笑って誤魔化した。
「軍の内情は一教員にすぎない私にはわからないですね。ただ、あの時は魔法学校内で長きにわたって軍属学校の影響下が続いていることを不信に感じた文官が水面下でずっと調査していた、というのが私たち職員の印象でした。軍関係者が動揺した事件と言えば教会関係者による不祥事の、帝都魔術具暴発事件に他ならないでしょうね」
ノア先生がそう言うと、あれは広域魔法を発動するつもりだったのだろうか?とグレイ先生は帝国軍の話より邪神の欠片の暴発が五ヶ所同時に起こったことを偶然とは考えていないようで、広域魔法で帝都を混乱に陥れようとした秘密組織の意図に感づいているようだった。
「ああ、魔術具の話になるとグレイ先生は軍の状況どころではないようですね。帝都で同時多発に魔術具が暴走する事件が合った時、軍の統括や命令系統に問題があるように見えたのですよ。まあ、功を焦った皇子たちの暴走、と片付けられましたが、南方戦線が長期化しているのも軍が無能だからでは?と口にはできませんでしたが、あの時、誰もが脳裏をよぎりましたよ」
そんな帝国軍に負けたのか、とでも言いたくなる気持ちを隠すように斜め下を見たマテルは奥歯を噛みしめた。
「でも、あの件は教皇猊下が天馬の背に乗り邪気を鎮め、七人の皇子が七大神の祠に魔力奉納をして帝都の護りの結界を強めたことで、終息したので、皇子殿下たちの争いは不問に付されましたよね」
グレイ先生の言葉に、魔法の絨毯の上で態度の悪かった異母兄弟を思い出した小さいオスカー殿下は渋い表情で頷いた。
「まあ、七人の皇子殿下たちもあの一件の後から、軍内の粛清に乗り出したのだから怪我の功名ですわね」
帝都魔術具暴発事件の事情聴取以来、第二皇子の人格が変わったかのように真面目に働きだしたことをデイジーが指摘すると、ノア先生とグレイ先生がぼくたちをまじまじと見た。
「ガンガイル王国寮生の事情聴取に第二皇子殿下がかかわっていたらしいと小耳に挟んだのだけれど……」
いたかもしれませんが覚えていませんね、とぼくたちがとぼけると、二人の先生は顔を見合わせて、そういうことにしておこう、と言った。
「第三皇子殿下と第五皇子殿下がガンガイル王国留学生一行にご同行されていた、と風の噂で聞きましたよ」
ノア先生の言葉にぼくたちは頷いた。
「第五皇子殿下の母殿下のご実家の領に立ち寄った際、第三皇子殿下と第五皇子殿下にお会いいたしました。ですが、ぼくたちの旅に同行した方々は、休暇中の軍人のイーサンとハントです。気さくな方々で、道中、たいそう笑わせていただきました」
ガンガイル王国は第三皇子も第五皇子も推していない、とキャロルが明言すると、休暇中の軍人ですか、と二人の先生は苦笑した。
「第五皇子殿下が帝都にご帰還されてから怒涛の勢いで流れが変わりましたから、ガンガイル王国が何らかの形で関与しているのでは、との見方が帝都では主流でした」
「いやはや、蓋を開けてみたら、終戦協定には東方連合国縁の方々が仲介に入っているようでしたので、帝都では第七皇子が暗躍したのでは?といった噂もありました」
ノア先生の言葉に小さいオスカー殿下は天を仰いて口をパクパクさせた。
「もう、どうせ公然の秘密でしょうから暴露しますが、第三皇子兄上の実家で私はちょっと毒を盛られたので、同行していたデイジー姫が暴れましたが、ぼくは一切暗躍していません!」
帝国東部を旅しながら魔力奉納をしていたけれど、大聖堂島に到着するまで南方戦線のことは気にかけていなかった、と小さいオスカー殿下が明言した。
「大聖堂島でなぜ、南方戦線のことを気にかけたのですか?」
聖地巡礼で戦争のことを気にかけるのか?とグレイ先生が質問を返すと、小さいオスカー殿下はマテルを見遣った。
「彼は緑の一族とご紹介しましたが、南方諸国の出身です」
肌の色を見たらわかる、と二人の先生は呟いた。
「被害者に会えば戦争の事実と向き合いますよ。彼は未だに爆音や閃光に戦慄を覚えるのですよ。家族を失い、生きのこったことを恥じていた。彼の人生に非なんてない。だけど、彼の祖国が戦争に負けたことは事実です。私はそのことに責任がある立場です」
淡々と事実を語った小さいオスカー殿下の言葉にマテルが素直に頷くと、加害者と被害者が同じ馬車で旅をしていたのか!と二人の先生は顎を引いてマテルと小さいオスカー殿下を交互に見た。
「南方戦線が始まったのは二人が生まれる前ですよ」
この二人に戦争責任なんてないでしょうに、とデイジーが呆れたように言うと、二人とも子どもだし、と二人の先生も頷いた。
「終戦後の処理に東方連合国縁の方々がいるのはデイジー姫が関係しているのでしょうか?」
ノア先生がデイジーに直球の質問するとデイジーは鼻で笑った。
「南方戦線の利権に関わっていない人物が選ばれただけですわ。帝国の南進は、かつて長らく続いた北進に失敗した代替の意味もあったのでしょう」
幼く見えてもこの中で誰よりも長生きしている、いや水竜のお爺ちゃん以外で、長生きしているデイジーらしい視点で語ると、ああ、と二人の先生は自分たちの視野の狭さを嘆いた。
「まあ、子どもの見解ですわ」
オホホホホ、とデイジーが笑って誤魔化すと、北進は許しませんわ、とキャロルもオホホホホ、と笑った。
「うん、まあ、帝都では終戦を歓迎する市民たちが多かったよ。勝利を喜ぶというより終戦にホッとする雰囲気ですね」
「軍人たちが帰還し始めるとまた雰囲気が変わるのかもしれないが、戦勝パレードをするような話は上がっていないですね」
戦後処理が集結するまで帝都で記念行事はなさそうだ、と二人の先生が帝都の雰囲気を説明すると、マテルは首を傾げた。
「戦後処理で帝都を離れていらっしゃるのは第三皇子殿下と第五皇子殿下ですよね。他との皇族方は帝都に滞在なさっているのですよね」
マテルの疑問にノア先生は頷いた。
「正確に知らないけれど、多くの皇族方は帝都にいらっしゃられるはずですよ」
マテルは小さいオスカー殿下を見て呟いた。
「……何名かの皇族は帝都にいらっしゃらないようですね」
大人しくしていない兄上たちがいるのかなぁ、と面倒くさそうに小さいオスカー殿下が呟くと、兄貴とシロが頷いた。
帝都に戻ったら何かあるのだろうか?
“……ご主人様。皇族にはできるだけかかわらなければ大丈夫ですよ。勝手につぶし合うだけです”
皇族に関わる気はないけれど、うちにはクレメント氏、いや、クレメント夫人が神妙な笑顔で控えている。
帝都に戻ったら一波乱あることには違いないだろう。




