伝説の魔獣の棲み処にある素材
パネルが空を飛んだのは偶然だった。
猿の楽園でぼくたちが魔猿たちと競技会ごっこをしていると、競技台替わりに即席で作ったパネルの一つが空を飛んだのだ。
パネルがチームカラーに染まる時にゲーミングキーボードのように光ったら面白いかと、光る素材を練り込んだパネルの一枚が、魔法陣も描いていないし祝詞も唱えていないのに刺股を持った魔猿が飛び乗るとフワフワと浮かびだしたのだ。
飛び乗った魔猿もパネルを染めることしか考えていなかったのに浮かび上がったことに驚いて飛び降りたが、パネルは誰も乗せていないのに上へ上へと上昇し続けた。
飛び上がったキュアがパネルに降り立っても止まることなく浮き続けた。
「王都の魔法学校の実習で作った空飛ぶパネルの発展形?」
ウィルの質問にぼくは首を横に振って兄貴と犬型のシロを見ると、二人は困ったように首を傾げた。
邪神の欠片が関係していないのにこの出来事は太陽柱に映像がないようだ。
「空を飛ぶための魔法陣は何も書いていないよ」
親指の爪くらいの大きさに見えるほど上昇したパネルから降りたキュアが、パネルを縦にするとパネルはいきなり落下し始めた。
危ない!
落下するパネルを水竜のお爺ちゃんが蹴り飛ばし横向きになったパネルは再び浮上し始めた。
「地上と水平になると浮上するのかな?」
パネルが浮く原理はともかくとして操作方法がありそうだと気付くと、ぼくのスライムが浮上するパネルに飛び乗った。
重心を傾けパネルの片側を下げると下降し始めた。
おおおおお!と勝手に浮上したパネルを制御できそうな状況になり、ぼくたちは歓声をあげた。
そこから、競技会ごっこをそっちのけにして、パネルを並べて魔力を流し、他にも浮くパネルがないか、魔猿たちも協力して探し始めた。
競技会ごっこに使用していたパネルは個人戦で楽しめるように持ち運んで猿の楽園内のあちこちで遊んでいたので、持ち寄って魔力を流してみると浮かぶパネルが数枚あることが判明した。
「浮かぶものと浮かばない物の違いは何だろう?」
みんなで適当に土魔法で作ったものだけど、光らせ方に各自こだわりがあったから、誰が製作した物が浮いているかは一目瞭然だった。
みんなの視線がぼくに集まった。
「何を混ぜたんだい?」
ウィルがぼくの肩を叩きながら言ったが、制作したぼくにも特別な素材を混ぜた自覚はない。
「光る素材に何を混ぜたの?」
ケインが訝し気に眉を顰めて追及したので、ヤコウタケと……いくつか素材の名前をあげたが、珍しい物はなかったのでみんなで首を傾げた。
兄貴とシロに心当たりがなく、デイジーも首を傾げているということは、精霊も認識していない素材ということだろうか?
掌が熱くなる感覚もないから邪神の欠片は関係ない。
ぼくのスライムはケインのスライムやウィルのスライムに浮かぶパネルの操作方法を伝授していた。
地面に対して水平だとその場に停滞し、傾き具合で、上昇、下降、旋回と操作していた。
魔力の使用感はほとんどなく操縦に集中できる、とスイムたちが精霊言語で感想を言った。
魔力の使用感がないのに飛ぶ?
あれ?かつて、大聖堂島は空に浮いていたけれど、あんなに大きな島が浮いていたのだから……。
ぼくは収納ポーチの中をゴソゴソと探し出した。
今回パネルに使用した光る素材を並べていると、ケインは白い砂の入った瓶を摘まんだ。
「カイル兄さん!これ、ラベルと中身が違うよ!」
貝殻の粉末と書かれたラベルの中身は貝殻から作った石灰のように真っ白だったが、ケインが瓶を日に透かして見ると、白い粉に光が透過していた。
ただの石灰ではなさそうだ。
ラベルと中身が違う!という言葉に、素材の整理整頓を担当しているぼくのスライムがパネルを操作して瓶の中身を確認しに飛んできた。
ケインから瓶を受取り、中身を確認したぼくのスライムは触手で頭を抱えると、申し訳ない、とパネルの上で土下座した。
そのまま触手を魔力のペンに変身させラベルの文字を上書きした。
湖底の泥(極小粒)
「湖底の泥!?大聖堂島の湖の湖底の泥を大きさ別に分けたのかい?」
ケインの問いにぼくのスライムは頷いた。
大聖堂島の湖の底に浮石の素材があるのでは、と思いつつ調査が進んでいなかったぼくたちは、思いがけないところから飛ぶ素材を発見して、え?となった。
「大聖堂島の泥なんてほんの少ししか採取できませんでしたよね?」
遊覧船から見ていただけのキャロルに質問されると、実際に湖底調査を行っていたぼくたちは、うん、と頷いた。
水竜のお爺ちゃんが目覚めた時にちょっとした騒ぎになったから遠慮して少ししか採取しなかった。
「追加の素材が欲しいのなら、水竜のお爺ちゃんに頼めばいいでしょう。どうせ毎晩お散歩で出歩いている時に奥さんの様子を見に帰っているんでしょう?」
デイジーがそう言うと水竜のお爺ちゃんは頷いた。
“……ほしかったら儂が少しなら採取してきてやるが、せっかく戦争が終結したのに省魔力で空を飛ぶ魔術具の素材なんて……なんか火種になりそうで嫌だな”
水竜のお爺ちゃんはパネルが飛んだことに興奮するぼくたちに釘を刺すと、ボス猿も頷いた。
“……目新しいものを欲しがる連中の争いの種になるから、公表しない方がいいよ。伝説の魔獣の棲み処にある素材は伝説のままでいい”
ボス猿と水竜のお爺ちゃんの意見にぼくたちは頷いた。
父さんのスライムやエドモンドのスライムがこの場にいるので、辺境伯領主は伝説の素材のありかを知ってしまったが、沈黙を守ることのできる一族なので大丈夫だろう。
マルコもアーロンもマテルもデイジーも秘密を守ると誓い合った。
猿の楽園の秘湯からぼくたちが下山すると、魔猿の村に入る前から漂ってきたじっくり煮込んだカレーの匂いにぼくたちのお腹が鳴った。
ゆっくり遊んできましたね、と日が傾いてから帰ってきたぼくたちに村人たちが声を掛けてくれた。
「村長宅で夕食会と上映会があると聞いているので、楽しみにしています」
上映会?とぼくたちが首を傾げると、ぼくのスライムが、えへへ、と笑った。
“……村人たちはあたいを見かけたら、競技会のハイライトが見たい、と思うみたいで、今日も夕食の後に競技会の決勝戦を上映することになりそうなんだ”
競技会の期間、毎日速報を伝えに飛んできたぼくのスライムを見ると、条件反射のように村人たちは競技会の映像が見たくなってしまうかもしれない。
村人たちと夕食を共にしてみんなで決勝戦の映像を見ると、勝者となったガンガイル王国チームも人気があったが、刺股を振り回すデイジーや地味に活躍する小さいオスカー殿下も人気があった。
“……魔猿たちは小柄だから、小さいのが活躍すると喜ぶんだよねぇ”
ぼくのスライムの感想にみぃちゃんとキュアが頷いた。
話に聞いていた競技会をマルチアングルで撮影された映像で見た新入生たちやマテルが衝撃を受け、これに参加するのか、と頭を抱えた。
「今年度はきっとルールが変更になるはずです。外国勢が勝ち過ぎましたからね」
小さいオスカー殿下の言葉に、主催国に都合のいいようにルール変更があるのは当たり前だ、とぼくたちが口々に言うと、面白ければなんでもいい、と村人たちは言った。
魔猿の村で過ごす一夜は難しい問題が何も持ちあがることなく、ぼくたちは気楽に過ごすことができた。
魔猿の村を後にしたぼくたちは整備された街道をアリスの馬車で普通に通行した。
ガンガイル王国は各地で援助していたのでどこの検問所でも笑顔で出迎えられ、スムーズに通行することができた。
飛行魔法学の滑空場に立ち寄ると、ノア先生とグレイ先生が広域魔法魔術具講座の受講生たちを引き連れて麦の収穫を行なっていた。
「予定より早く収穫時を迎えたので、広域魔法魔術具を使用したハーベスターの実験を早めることにしたのですよ」
滑空場を広域魔法魔術具を使用した試験農場にしたことで、休校期間も地元に帰らず畑の世話をする事になった広域魔法魔術具講座の受講生たちは、一見するとすっかり農夫のようにしか見えないほど馴染んでいた。
ガンガイル王国のお姫様がいるはず、と広域魔法魔術具講座の受講生たちが目を凝らしても、女の子はデイジーしかわからなかったようで、姫はどこだ?という囁きがあちこちから聞こえた。
収穫が早くなるようなことが何かあったのか?とノア先生とグレイ先生に聞くと、二人は首を傾げた。
晴天の日に突如出現した竜の形の積乱雲がクルクルと広範囲に竜巻のような風を起こし、麦が倒れるかと心配したが、ピタリと風が収まると、霧雨が降りそそぎ、雨が止んだかと思うと、穂を膨らませた麦が色付いていたらしい。
「滑空実験の予定もなかったのに、あの日は何となく出かけたくなって、グレイ先生を誘って滑空場に来ていたのです。慈雨とでも言うのでしょうか、私たちはあの霧雨にあたると心が洗われるようでしたが、植物たちは急成長してしまって、大忙しです」
ぼくたちの祈りは直接戦争に関係なかった地では恵みの雨となっていたようだ。
「終戦締結日に降った雨なので帝都では涙雨と呼ばれていますよ。軍関係者の中には戦闘を思い出して過呼吸になった人たちもいたようで、帝都はちょっとした騒ぎだったようです」
帝都を離れていた二人の先生は他人事のように言うと、戦争の当事者だったマテルは小さく肩を竦めた。
気遣うようにマテルを見ると、小さく首を振って、大丈夫だよ、とマテルは呟いた。
「戦争終結で帝都は勝利に湧いたのですか?」
毅然とした口調でマテルが二人の先生に尋ねると、ノア先生とグレイ先生は気まずそうに顔を見合わせた。
ぼくは咄嗟に内緒話の結界を張ると結界の中に小さいオスカー殿下がいたので、気まずそうに二人の先生が笑った。
「ぼくの存在は気にしないでください。そもそも、宮殿内でも存在感が薄いですから、この場に居なかった、いえ、ぼくは今馬車で寝ています」
自分はこの場に居ない、と小さいオスカー殿下が言い出すと、二人の先生は大爆笑した。
「では、私の話は個人的見解ではなく、こういういう世論もある、と聞き流してほしい」
ノア先生は前置きをして、終戦時の帝都の様子を話し出した。




