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辺境伯領の司祭の処世術

「儀式に祝詞はつきものです。子どもたちの鼻歌の古代祝詞に反応して魔法陣が光ったとしたなら、今までの我々の祝詞では大広間の魔法陣に効果がないということでしょうか?」

 衝撃を受けたような表情で司祭が言うと、マナさんは首を横に振った。

「大広間の魔法陣を光らせることを前提とした祝詞ではなかろう?古代魔法を使用する者は誰でも祝詞を唱えられたのだから、祝詞は魔法陣を媒介することを前提にしていたと考えられる」

 マナさんの説明に教皇と司祭は項垂れた。

「我々は先に魔法陣を学んでから神学を学ぶので祝詞は魔法陣を行使するより上位の魔法だと思い込んでいた。大広間の魔法陣が祝詞とあわせて作られたものなのに、言葉と文字を失った時代に魔法陣と祝詞が別々に研究されたから、我々の祝詞では反応しなかったのか」

 教皇の言葉に司祭は頭を抱えた

「ですが、使えない音を消した断片的な子どもの鼻歌の祝詞に魔法陣が反応するというのも考えにくいです」

 首を傾げる司祭に、仕方ないじゃないか、とマナさんは言った。

「あのね。神学や教会関係者たちを馬鹿にする意図は全くない発言だと思って聞いてほしいんじゃが、子どもを育てたこともなければ、畑を耕したこともない教会関係者たちの考え出した祝詞に、病気や怪我や不作のひもじさを乗り越えて七歳を迎えられた喜びを神々に感謝する親子の心情を祝詞に乗せられないだろう?」

 歯に衣着せずに言ったマナさんの言葉に、司祭は奥歯を噛みしめたが、教皇は素直に頷いた。

「幼いころから神学を学ぶために集団生活をしていた教会関係者たちは、人間の普通の営みから隔離されてしまっている。神に生涯を捧げ、独身だから子育てをしないことはもちろんだが、日々の暮らしの糧を何一つ我々は生産していない」

 教皇の言葉に不満気な表情をした司祭に、話は最後まで聞きなさい、と教皇が諭した。

「言葉を失った時代では何はさておいても新たな聖典の神学を研究する必要があり、聖職者は研究をするだけで、市井の人々に支えられて、なんとか安定した世界に戻すことができた。その後も、教会と人々の営みが切り離されたままだが、我々の祈りで世界中に護りの結界を維持していることを理解しているマナさんはそのことを否定していない。ただ、あまりに専門になりすぎたため、祝詞が世界の本質に即したものなのか疑う視点を失っている、とマナさんは言っているのだ」

 人の営みと教会と魔法が密接だった時代には当たり前に認識していたことを、現代の教会関係者は見失っている、と教皇は司祭を諭した。

「君は、ガンガイル王国ガンガイル領が辺境伯領と呼ばれ、数年前まで教会関係者の中でも過酷な僻地の勤務地、とされていたことは知っているよね」

 教皇の言葉に司祭は頷いた。

「君が赴任した時にはもうガンガイル領は発展していたから聞いていたよりずっといい赴任先だっただろう。それでも、精霊たちがあちこちで出現するのも、精霊神誕生の地だから当たり前だという認識だっただろう?」

 司祭が頷くと教皇は続けた。

「君の素直さが、連中に付け込まれたのかもしれない……。いや、君を蔑む意図はない。むしろ、君が素直に実直に神事と向き合い脇目も振らずに日々の仕事をこなす性分だったから、教会の不正にかかわらずにいたのだろう」

 世界中で目撃例がない精霊たちがいたるところで出現しても、精霊神を祀る都市だから、と気に留めない図太さが、不正のはびこっていた教会組織できな臭い場面に遭遇しても追及することなく距離をおけた、と教皇は推測した。

「定時礼拝の礼拝方法の変更で日々のお勤めの魔力の負担が減ったように、洗礼式の踊りの魔法陣が起動すると世界中に影響を及ぼすような慶事が起こる可能性が高いのに、初めて大広間が光ってから四年も放置されていたのは、魔法陣を解明しようとした前司祭や職員たちが左遷されてしまったことが、関係ないとは言い切れないだろう?」

 教皇の追及に司祭は無表情を貫いた。

「洗礼式で出現した大広間の魔法陣を放置していた君を責めるつもりはない。教会は長い間、教会内の派閥争いの陰で、教会こそ世界を護る要であり教会を中心に治世が回ることを『背化の理に則る』と称し武闘派の上級魔導士を抱え込んでいた秘密組織が暗躍していた。秘密組織の意向に反すると、よくて左遷、最悪は市民カードごと消滅してしまっていた。どうせ数年で移動になる、と放置していたほうが保身になる」

 司祭は否定も肯定もせず教皇の話を黙り込んで聞いていた。

「秘密組織の連中は、ガンガイル王国は北の端の国というイメージを強調することで精霊たちの出現を邪教信仰のある国、としてこの国の発展を悪しきものにしようとしていたようだ」

 秘密組織がガンガイル王国を陥れようとしていた話の流れになると、領主夫妻の表情が険しくなった。

「実際、君はこの教会に赴任して初めて精霊を見ただろう?そして、これほど発展した街を見て、精霊たちと街の発展について、何の疑問を持つことなく、そういうものだ、と受け入れた。精霊たちが出現すると神事を円滑に執り行える恩恵を受けながら、教会本部には邪教信仰を後押ししているように解釈されないように精霊たちがいるとしか報告しなかった。君の素直さを秘密組織の連中はガンガイル王国が世界に与える影響力を抑えるために利用した。だが、連中は洗礼式で魔法陣を光らせた子どもたちについて、甘く見過ぎていた」

 教皇がぼくたちを見てそう言うと、マナさんと領主夫人と父さんは頷いた。

「一般市民たちの祠巡りの流行や定時礼拝の変更による恩恵は教会関係者なら誰でも実感していることだ。だが、それ以上に凄いのは、彼らがかかわった土地の魔力量の急増なんだ。直接かかわった地は漏れなく豊かになり、土壌改良の魔術具を販売した地域は広範囲に及び効果を発揮している。その影響力たるや、帝国の派閥が瓦解してしまうほどだ」

 教会の仕事以外は全く興味のなさそうな司祭は、はあ、と言っただけだったが、エドモンドは得意気に頷いた。

「秘密組織の摘発に繋がったのもカイルたちの通報がきっかけだったんだ」

 教会内部に大きな衝撃を与えた出来事に直接ぼくたちがかかわったと聞いた司祭はぼくたちを凝視した。

「教会内部の不正が世界中を揺るがす醜聞として広まらなかったのは、ガンガイル王国側は数年前から教会に不正を行う者がいることを把握していながら、告発できるタイミングまで慎重に調査をし、私自身が不正にかかわっていないことを確認してから私に事の顛末を暴露してくれたおかげで、世間では危険な魔術具の研究をしていた者たちへの粛清という程度の認識で済んでいる。教会が面子を保てるのもガンガイル王国の皆さんのお陰なんだ」

 教皇の言葉に司祭はぼくたちを見回して、ゴクンと生唾を飲み込んだ。

「教会が威信を保てなくなると、日々のお勤めや季節の神事を行うことにも支障をきたすだろう。教会の護りの結界に魔力を流せなくなったら、世界は再び混乱に陥る。我々はそんなことを求めていない」

 長年、教会の不正を知りながら口を噤んでいたエドモンドの言葉に司祭は青ざめた。

「教会の不正は教会で正すことができなければ、教会の護りの結界にその土地の為政者が介入しなければいけなくなる。教会は貴族に神学を公開しないことで護りの結界を独占して教会の権威を守ってきた」

 マナさんの言葉に司祭は教皇とエドモンドを交互に見た。

「ああ、ガンガイル領主は神学への誓約を果たしたので、祝詞を習得したら君の代理を務めることができるようになるだろう」

 教会と対立して教会の務めを放棄されることのないように為政者は常に教会を尊重していたが、為政者が神事を行えるようになれば、為政者が教会を糾弾することが可能になる。

「……なぜ猊下は神事の誓約を貴族に開放されたのですか!」

 唇を震わせて質問した司祭に教皇は柔らかく優しい声色で話しかけた。

「誤解してはいけない。貴族に開放したのではなく、神学を学びたいと考える人々すべてに開放したのだよ。神々がそれを望んでいらっしゃる」

 教皇の背後で月白さんが頷いた。

「先ほどの宣誓の儀を見ただろう?緑の一族の族長の誓約を神々が祝福なさっていたじゃないか。領主夫妻やジュエルさんに至っては枢機卿クラスの祝福をいただいた。ジュエルさんは貴族の出身ではなくパン屋と薬師の長男だよ。人々が広く神学を学ぶことを神々が望んでいることを強く肯定しているようではないか」

 教皇の言葉に司祭は頷いた。

「あのね。多くの人々が神学を学んでも、みんながみんな司祭になれるわけじゃない。それは神学校でしのぎを削った司祭が一番知っていることだろうに。エドモンドは時に物事の核心にいきなり迫ることができる御仁だが、司祭の仕事をこなすための祝詞を覚えるとしたら、エドモンドの残りの生涯では足りないじゃろうね」

 マナさんの言葉に、自分の興味のあること以外は無理だろうな、とエドモンドは笑って頷いた。

「それでも、季節ごとの大きな行事の祝詞を領主が一緒に唱えてくれたらどれだけ我々の負担が減るかを考えてごらんなさい」

「冬の吹雪の終息を願う神事に儂が参加することで猛吹雪が和らぐのなら、儂は喜んで参加するぞ」

 教皇の言葉にエドモンドは即座に賛同した。

「この地で獲れた作物をいただき、日々神に祈るだけの暮らしをさせていただいている。我々の祈りがこの地を豊かにし、豊かになった地で人々は神に感謝して教会に供物を託し、我々がおさがりをいただく。この流れは素晴らしいが、人々と神事が切り離されてはいけない。我々の意識を変えなくてはならないんだよ」

 司祭は教皇の言葉に頷いた。

「カイルたちが帝都に戻れば神学を学ぶことが帝都で流行するだろう。ガンガイル王国でもすでに新たな神学校設立の動きが出ている。私はこのガンガイル領では少し特別な神学校を作れないかと検討している」

 特別な神学校?とエドモンドと司祭が教皇を凝視した。

「この教区を担当しているから実感しているだろうけれど、精霊の存在が世界中に確認されてガンガイル領に邪教信仰はないと認められた現状で、他の教区に移動したいと思うかい?」

 教皇の問いに司祭は首を横に振った。

「そうだろう。自然環境は厳しいが、それ以上に魅力的で快適な魔術具と美味しい食べ物が豊富なうえ治安がいい。これを知ってしまうと余所にはいきたくないよなぁ。だから、この地で神学校を設立しても司祭となって全国に移動することを希望しない生徒ばかりになってしまうことが予測できる。だから、ガンガイル領の神学校は、ガンガイル領周辺の教会に派遣する司祭の養成コースを数人程度の規模にして、古代魔法陣や聖典の研究をする専門家を養成する神学校にしようと考えているんだ」

 教皇の言葉にぼくたちは頷いた。

「私は魔法学校を卒業後、辺境伯領騎士団への入団を希望していますから、社会人でも学べる学科があれば神学校に入学したいです」

 クリスの率直な意見に教皇とエドモンドは嬉しそうに頷いた。

「そういうことだから、大広間の魔法陣の解明は新設する神学校で研究することにして、この教会の職員たちに無理難題を押し付けたりしない。神学校設立に合わせてしかるべき専門家を派遣する」

 教皇の話を最後まで聞いた司祭は露骨に安堵の表情を浮かべた。

「マナさんに質問があるのですが、緑の一族はマナさんやカイルの生母のように、みんな古代祝詞の歌を歌えるのですか?」

 父さんの質問にマナさんは首を横に振った。

「ジュエルはユナの姉のメイを知っているから想像できるじゃろう?興味のない娘たちは全く覚えないが、研究者職に就くと少しでもご利益があるかもしれないと考えて覚えている娘もいる」

 料理に興味がなかった時はメシマズだったメイ伯母さんを思い出してぼくとケインと父さんは笑った。

「今年の洗礼式の子どもたちに教えるのは期間が短すぎるな」

 エドモンドが頭を掻いてそう言うと、子どもたちで実験しないでください、と領主夫人が苦言を呈した。

 父さんとマナさんは微妙な表情になった。

「今年はともかくとして、来年は三つ子たちが洗礼式を迎えます!三つ子たちはカイルに心酔しているから何でも真似したがるのです。へんてこな鼻歌を歌いながら魔獣カードで遊んでいるけれど、どうしよう?止めるべきでしょうか!」

 焦る父さんにマナさんは首を傾げた。

「鼻歌が古代祝詞だと知ったら三つ子たちは躍起になって覚えようとするだろうし、わしらが何も言わなくても、ケインやキャロお嬢さんが自然と思い浮かべたように、洗礼式の水晶に触れると思い浮かべてしまうこともあり得る。いくら長生きしているわしだって、古代祝詞の原型を知っているわけではない。曖昧なことを子どもに教えるのはどうかと思うよ」

 下手に手を回さない方がいいとマナさんが言うと、エドモンドは眉を顰めた。

「不死鳥の貴公子のために一年で古代祝詞を解明させようと躍起にならないでくださいね!そもそも、あの子は不死鳥の貴公子という異名に苦労し続けているのですから、これ以上むやみに箔をつけるようなことをしないで、あの子はあの子の努力で立場に相応しい人間に成長させるべきです!」

 辺境伯領主夫人のお怒りの言葉に、不死鳥の貴公子誕生の際の演出をやり過ぎた自覚のあるエドモンドと父さんはシュンとなった。

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