辺境伯領の事情
「ジュエル。ここで保管していた邪神の欠片は消滅したけれど、この封印の魔術具の予備を作ってくれないかい?」
「承知いたしました」
次世代への知識の引継ぎを見越してエドモンドが父さんに依頼すると、二つ返事で了承し封印の魔術具を自分の収納ポーチにしまった。
「ああ、そうじゃな。しばらくはガンガイル王国で邪神の欠片が浮かび上がることはないだろうけれど、帝国の旧ランドール王国領の状態があまりよくないんじゃ。今までは帝国全体が酷すぎたから無難な領地経営に見えていたが、周辺地域の魔力が回復してガンガイル王国のラウンドール公爵領との魔力の差が今後災いをもたらす気配がある。一族の分隊を派遣して様子を見ているが、あそこで内紛が起これば一族は撤退せざるをえない。世代をまたぐ話になるじゃろうが、近隣で邪神の欠片が浮かぶとすれば、あそこだろうね」
将来、ガンガイル王国に起こるであろう憂慮をマナさんは指摘すると、長期的に備えることを勧めた。
「教会は当面、取り逃がした組織の残党を追跡します」
教皇の発言に、儂も少しばかり手伝ってやる、と水竜のお爺ちゃんが精霊言語で口を挟んだ。
水竜のお爺ちゃんをみんなが注目すると、水竜のお爺ちゃんは得意気に胸を張った。
“……儂は死霊系魔獣など恐るるに足りないから、夜間、怪しい地域を見回ってやろう”
水竜のお爺ちゃんはディミトリーの存在を隠してワイルド上級精霊との約束を教皇に伝えた。
「手がかりが少ないので助かります」
教皇が手放しで喜ぶと、エドモンドも口を開いた。
「ガンガイル領からも情報提供をします。カイルたちの誘拐事件の詳細から教会の秘密組織と関係のありそうな調書を提出しましょう。ああ、誘拐事件の口外法度は取り消そう。精霊が出現しても精霊使いとは限らない、ということが世間に認知されたので、子どもたちが精霊たちに守られたことを秘密にする必要がなくなった」
エドモンドの発言に父さんもマナさんも頷いた。
「誘拐事件の主犯は原野で消息を絶ったが、状況から容疑者死亡と断定した。現場で死霊系魔獣の出没が確認されているのでほぼ間違いない。主犯は死亡したが、悪徳冒険者の生前の足取りを調査すると我が領の寒村から洗礼式前の子どもの死者を大量に出した年に、北部の寒村で収穫物の搬送の護衛の仕事を請け負っていたことを騎士団の第六師団が突き止めた」
エドモンドは溜息を吐くと言葉を区切った。
人口統計から地方で極端に子どもが育っていない年代に、悪徳冒険者が辺境伯領にいたことに第六師団長が注目したらしい。
「亡くなった子どもたちは近隣の教会の共同墓地に埋葬されていたが、第六師団が掘り起こしたところ遺灰の量が少なかった。悪徳冒険者が警護した収穫物の積み荷が馬車の台数から計算すると積み荷数量と合わなかった。果たして子どもが減少した理由は何だろう?と追跡調査をしたのだ」
かつて辺境伯領では領都が拡大したことに伴って領地の護りの魔法陣を改造したから、北方ギリギリまで農村を開拓して、痩せた土地を強引に農村にした経緯があった。
シロがぼくと目を合わさないということは悲惨な結末を知っていたけれど、悲惨すぎてぼくには言えなかった類なのだろう。
「ああ、残念な結末だった。西南の領境の教会の墓地に洗礼式前に亡くなった子どもたちの墓地を掘り返したら遺灰の痕跡が教会の記録より大量にあった」
マナさんがぼくの肩にそっと手を置いた。
ぼくが生まれた村でも不作の年に洗礼式前の多くの子どもたちが口減らしに遭っていたはずだった。
口減らしと言っても、洗礼式前の子どもが奉公に出されるはずもないから、隔離して食事を減らしたりして衰弱死させていたのか、と考えていたが、人身売買をする悪徳冒険者が暗躍していたのか。
“……ご主人様。ご主人様の出身の村でも体格のいい子は食欲旺盛なので人身売買の対象になりましたが、お父様は幼少期に小柄で小食だったので、病気の子どもたちと共に隔離された部屋に収容されましたが生き延びた強運の持ち主でした”
貧しい農村の三男で偶々生き延びてしまった実父は村で肩身が狭かったのだろう。
あの村長に、実の両親の僅かばかりの遺産をもぎ取られたような気がしていたが、村人たちは自分たちの実子を失ったのに、村の貴重な食糧を食べて生き延びた実父の財産は自分たちの物だ、と主張したのは彼らにとっては当然のことだったのだろう。
子どもの誘拐の話は諸外国の話ばかりだったのにガンガイル王国、しかも辺境伯領で、子どもの人身売買があったことに動揺したキャロお嬢さまが全身を震わせた。
「うちの領が豊かになったのは本当に近年のことなんだ。キャロラインの物心がつく頃に丁度領の運気が上がったころだから、キャロラインに自覚がなくても仕方ない」
セオドアはガンガイル王国では王都と領都が双子のようにそっくりな護りの結界で互いが補完し合っていたため、国土が拡大するたびに無理にでも領都を拡大して周辺に農地を増やさなくてはならなかった事情を説明した。
「ああ、領主一族の不甲斐なさに体が震えるだろう。だが、ガンガイル王国の護りの結界を整えるために人間が住める限界値ギリギリまで農村を拡大させる必要があったんだ。儂は厳しい北方の地を開拓しても開拓民の人口ギリギリしか養えないことは数字上わかっていた。ギリギリということは開拓民の子どもが生まれたら養えないだろうということだ。数字上から予測できることだったのに、苦節の期間が過ぎれば発展すると信じていた。……領の発展が北方開拓からなされることを夢で見ていたから、何とかなると甘く考えていた結果、カイルの生家は追い詰められて山小屋の管理人になった」
エドモンドの告白にマナさんが頷いた。
「山小屋刺殺事件は邪神の欠片がかかわっていたので、わしにも予見ができなかった。だが、ユナが、カイルの実母が北方の地で薬草の研究をするという選択をすることが厳しいものになることはわかっていたが、同時に一族にとってとても珍しい男児の誕生があるかもしれないという予見ができた。わしも目が眩んでいたのだろう。先を見越して行動することは大切なことだけど、そのために犠牲になる命を軽んじていたわけではないのじゃが……ユナを失ってしまった」
ユナ母さんの死を悼んで涙するマナさんの肩にぼくは顔を埋めてただ涙を流した。
ぼくだって両親の死を尊い犠牲なんて言葉で片付けられない。
「……どれだけ気を付けていても邪神の欠片を持った暗殺者が突然出現してしまったら、どうしようもないです。邪神の欠片の被害者の孤児がこうして光影の剣を手にしたのも神々のお心遣いのお陰だと実感していますが、みんながぼくを支えてくれたからぼくは頑張れたんです。父さんと母さんの子になってお婆やケインと家族になって、マナさんや辺境伯領主様と懇意になって、キャロお嬢さまたちと無邪気に遊んで、ぼくはすくすくと育っていったのです。みぃちゃんとみゃぁちゃんに癒され、スライムたちと遊んでぼくの情緒は育ちました。キュアと出会って飛竜の魔法の補助を得て無茶ができるようになりました。気がつけば辺境伯領が豊かになったようにガンガイル王国も豊かになりました。この好転に、世界中が豊かになるために神々がぼくに期待して光影の剣を授けてくださったのなら、できる限り頑張ります。亡き両親が、今生に生きたことを繋ぐ存在がぼくだから、ぼくが頑張れば、両親の死は犬死じゃないはずです」
マナさんを慰めるために言った言葉なのに、涙もろい父さんと水竜のお爺ちゃんが途中で嗚咽を漏らした。
「完璧な治世などそうできるものじゃない。だが、我々の判断に多くの人の命がかかっていることを……肝に銘じているんだけれど、やってしまうんだよ」
エドモンドの嘆きにセオドアは頷いた。
「報告書に上がってくるのは数字ばかりだが、その数字には領民の命がかかっている。こうしてカイル君の実の両親の話を聞くと身につまされるけれど、個別の事情を知らなければただの数字にしか見えない。かといって知人の状況ばかり気にしていたら身内の優遇になってしまう。それでも、浮かび上がってきた個別の事情を徹底的に調査すると、今回のように大きな不正の末端の記録を詳細に残すことができる。山小屋刺殺事件とカイル君誘拐事件は全く別の事件だったが、共通項の多さから不審に思った騎士団の諜報を担当する第六師団長が野生の勘で食い下がり、我が領やガンガイル王国どころか、帝都や南方諸国まで赴いて不審な教会関係者を追っていた。身内贔屓で予算を振り分けたわけではなく、本当に第六師団長が世界の闇を暴くためと言って食い下がっていたのだ」
セオドアがキャロお嬢様に言い聞かせるように説明した
「その予算が通ったのも領の収益に余裕が出たからだ。そしてその余裕はカイルの両親が犠牲になり、カイルがジュエルの元に引き取られてから起こったことだ。……カイルの実両親は尊い犠牲ではなく、本当に不幸な死だ。我々がすべきことは領民の安全を確保することと、カイルの両親が生きていてカイルが領都に引き取られなかったとしても、地方の才能を埋もれさせないようにすることへの教訓にすべきなのだ」
エドモンドは涙を拭ったぼくを見ながらそう言った。
「第六師団長はその調査で発見したのですか?」
夕方礼拝までの時間が差し迫っていた教皇は結論を急いだ。
「教会内の秘密組織内で暗躍した男の存在です。邪神の欠片の魔術具を携帯して東方連合国の王子を誘拐したり、誘拐の指南をしたりしていた男です。教会内では上位聖職者ではないけれど秘密組織内ではかなりの影響力があったようですね。第六師団長シモンの調査で、ガンガイル王国内で魔力量の多い子どもを狙った事件の背後にいた男を突き止めることができました」
いきなり核心をついたセオドアの発言に教皇は喉笛が鳴ったような息を吐いた。
ガンガイル王国内の魔力が多い子どもを狙いキャロお嬢様の誘拐未遂事件を起こしたディーの当時の上司だろうか?
“……ああ。どの文書を見ればいいかわかれば私の出番だ。そのシモンの報告書によると、ディーの直接の上司ではなく、ディーが心酔していた『世界の理に則った世界に戻す』と間違った世界の理を推し進めていた男だ。男は邪神の欠片の魔術具を使いこなせる人材を求めて、生まれながらに魔力の多い子どもを狙っていたようだ”
“……ご主人様。ここは教皇と月白に任せてしまった方がいいです”
大聖堂島がその男の拠点だったなら、この件は月白さんに任せた方がいいだろう。
「教皇猊下にお渡しする資料の準備をさせていますが、七年かけて集めた情報なのでかなりの量があります。まとめるまで今しばらくお時間がかかるかもしれません」
セオドアの言葉に教皇は頷いた。
「それほどの資料をいただけるなんてありがたいです。今晩、私はガンガイル領の教会に宿泊する予定です。ガンガイル領の教会は洗礼式の子どもたちが大広間を光らせる、と伺ったもので、教会の建物を調査する予定です」
教皇の言葉に、なるほど、とエドモンドが納得した。
「王都の教会で洗礼式の会場が光ったという話はまだ聞いていませんね」
セオドアの言葉に父さんが首を傾げた。
「洗礼式の踊りが全く違いますからね。七大神役の子どもたちなんていませんでしたよ」
王都と領都の違いを父さんが指摘すると、そもそも踊らない地域が多い、と世界中の風習を知っているマナさんが言い出した。
「私の出身地域でも洗礼式に踊りなんてしませんでした。大聖堂島、いや、教会都市に子どもがいませんから、私は大聖堂島に来てから洗礼式を取り扱ったことが一度もありません」
教皇さえ知らない事を告白すると、月白さんは首を傾げた。
「世界が混乱した時期には洗礼式の登録さえ数年遅れてしまったから、その時から途絶えたんだろうな」
ワイルド上級精霊の活躍で混乱期が短かった、辺境伯領で古の風習が残ったらしいことが朧気に推測できた。
指摘されるまで洗礼式のことなんて考えたこともなかったかのような素振りの月白さんに、昔から月白さんが仕事をしなさ過ぎたから教会都市に子どもがいなくなったのではないか?なんて考えると、月白さんに睨まれた。
「女性の住民がいない大聖堂島はともかくとして、教会都市に子どもが生まれないのは、おかしなことだな。いないことが当たり前になっていたから気付かなかったよ」
月白さんが呑気な声で指摘すると、調査することが増えた、と教皇は頭を抱えた。




