褐色の肌色の少年
早朝礼拝の後、ハントは教皇から呼び出しを受けた。
神に誓う場で名前を誤魔化す魔法陣の被験者にハント自身がなったことへのお説教と、魔法陣の有用性を聴取するためだろう。
兄貴とアネモネが使用した手段は精霊言語を使用できるということが大前提なので、自分たち以外に精霊言語の使い手がいるわけない、と決めつけるわけではないが、神学を学び始める年齢で習得できる子どもは稀だろう。
たとえいたとしても、洗礼式で入れ替わった子どもの人数から考えても、全員がその手段を使用したとは思えないので、ハントのように魔法陣や装飾品を魔術具として携帯させて使用した、と考えた方がいいだろう。
デイジーと兄貴と犬型のシロもそう考えているようで、怒られたくない、と子どものように駄々を捏ねるハントを取り囲んで、連中の手段を辿れば追える手がかりが増える、とハントに囁いた。
現状ではハントの子どもは生きているのかさえわからないので、とにかく敵を追い詰めて真相に迫ることで新情報を集めるしかないのだ。
叱られた犬のような悲しい目をしたハントは首を小さく左右に振った。
ハントの表情は自分の子どもが生きていることを信じていても、駄目かもしれない真相に突き当たるかもしれない不安が脳裏をよぎったかのように見えた。
「その先にどんな結果が待ち受けていようと、悔いのないようにしようよ、ハント。望まない結果だったとしても、入れ替わった子はみんな誰かの子どもで、どんな目にあってどうなってしまったのか、きちんと調査しようよ。どんな結果がでても、その子の生まれた土地の教会で正式に登録を破棄してもらって、来世で両親に会えるようにしようよ」
ぼくの言葉に切ない微笑を浮かべて頷いたハントは、ぼくの頭をくしゃくしゃに撫でた。
ハントの行動に抗議をするようにぼくの髪の毛の中から精霊が現れて激しく点滅した。
「わかっているよ。全貌を明らかにして、魂があるべき場所に戻れるように秩序を取り戻す。それでいいんだろ?」
いつものようにニヤリと笑って軽くいったハントはジュードさんに頷いて教皇の呼び出しに応じた。
「最終的にきちんとするのなら、駄々を捏ねなきゃいいのにね」
ケインの感想にぼくたちは頷いた。
噴水広場で朝食の支度をしていると、昨夜はド派手に光っていたね、と露店主たちが教会都市で見た花火の感想を語ってくれた。
花火は魔術具ではなくスライムたちの魔法だと露店主たちが知ると、芸達者だね、とスライムたちを褒めた。
昨日のオムレツのお礼にと通常の旅人なら携帯しない、今朝水揚げされたばかりの魚や新鮮な葉物野菜といったものを差し入れしてくれた露店主たちの気遣いがうれしい。
お握りと味噌汁に焼き魚とサラダ、といただいたものを追加した朝食を持ち寄った人たちと一緒に食べることになった。
昨夜の花火をここで見れたら素晴らしかっただろう、と露店主たちは残念がったが、帰宅したことで家族や近所の人たちと一緒に見晴らしのいい高層階のバルコニーで見物したらしい。
「そうそう、奇妙な巡礼者がいたんだよ」
南西の教会都市で実家が宿屋を営んでいる露店主が言った。
見慣れない魔法学校の制服を着たクリスくらいの年の少年が、みんなが花火を見て喜んでいるのに、一人青ざめて震えだした、とのことだった。
「うちの親父が、音が凄いけど綺麗だろう、と声を掛けると、少年の震えが止まったんだ。その後は落ち着いて花火を見上げていたけれど、ほら、あれ、花火が終わるころに炎のカーテンみたいな火の壁が凄かったじゃないか。あれを見て涙するもんだから、連れの男性が無言で部屋まで連れ帰ったんだ」
露店主の話を聞いたベンさんは、ああ、と低い声で言った。
「少年は日に焼けた褐色の肌色じゃなかったかい?」
そうだ、と露店主が言うとベンさんは頷いた。
「南方戦線で家や家族を焼かれた経験があるんだろう。帝国軍の火炎砲の魔術具は轟音と共に火の玉を連射させるものがあり、標的を焼き尽くすそうだ」
花火の音に戦地を思い出したのだろう、とベンさんが言うと、露天主は首を傾げた。
「戦争難民にしては高価そうな装飾品を身に纏っていたよ」
「戦渦に巻き込まれて避難するにしても、手放せない由緒ある装飾品を持たなければならない身分の少年だろう」
ベンさんの推測にキャロルとマルコが頷いた。
「実家で何かあったら私が逃走時に持参すべきものは決まっています」
「何があっても他家に渡してはいけない物ならありますね」
その少年は教皇が招待した南方諸国の王族の少年だろうとぼくたちは推測した。
「それじゃあ、元王族か大きな領主の子息ってことだろう?そんな少年が花火の音程度で身をすくませるんじゃあ、御家再建のめどはつかないだろうなぁ」
教会都市は不可侵の独立国家で戦渦に巻き込まれる危険を気にしたことがない露店主たちは呑気に言った。
治安警察隊の努力で恒久的な平和が続いていることに教会都市の市民たちは慣れ過ぎている。
少年はおそらく教会都市に入る前に魔力の使用を制限される特別通路を使用しただろう。
敵対する帝国の町から教会都市に移動する緊張感に加え、魔力を封じられた状態で自分の身を守る手段が腕力だけになる空間に入れば相当の心の重圧になったはずだ。
多感な時期に戦争を体験した少年に爆音と炎に対して心的外傷が残っていることは想像に難くなく、突然の花火の音や光に身が竦むのは臆病な反応ではない。
「他国のことですから何とも言えませんが、護りの結界を知る人物がその土地からいなくなることは、後世の人たちが大変なことになるから、何としても誰かが生きのこらなければならない、とぼくは教育されましたよ」
アーロンの言葉に、君も王族なのか!と露店主たちが驚くと、ムスタッチャ諸島諸国は傍系王族だらけです、とアーロンは笑った。
「へぇ。何世代も先を見据えて行動するのが貴族なのか。いろいろと大変だねぇ」
「いやぁ、本当にあの子は今日、大聖堂島に来るかねぇ。今朝の早朝礼拝で教会の礼拝所が光るとあの子は司祭より先に礼拝所を飛びだしてしまったんだよ」
「ああ、その子なら俺も見たな。教会を飛びだして大聖堂島の方角を見ると腰が引けていた」
南方からの巡礼者はほとんどいないため、褐色の肌の少年は目立ったようで目撃者が多くいた。
「治安警察隊員の話だと、今朝は大聖堂島の方角から日が昇ったのかと勘違いするほど大聖堂島が輝いていたようだね。過去最高の輝きだったと話題になっていたよ」
精霊たちが朝霧のように漂っていた、と露店主たちは眼福を得たと喜んだ。
「……迎えに行こうかな」
ぼくの呟きに話を聞いていた全員がぼくを注視した。
「敵地を抜けてやってきた少年が轟音や火柱に戦禍を思い出して怯むのは当然の反応だよ。いくら聖地とはいえ巡礼者のほとんどが帝国民なんだ。本国の教会が光り出したころに少年は旅に出たはずだから、教会が光ることだって慣れていないはずだよ。幸い、ぼくたちのメンバーに帝国民はほとんどいない。ここは敵地じゃない、と伝えに行きたいんだ」
ぼくの言葉にマルコが頷いた。
「もし、ぼくがキリシア公国の城のバルコニーから見下ろす城下町が業火に襲われているなか、お前だけが逃げろ、と未来を託されたなら、どんなに臆病だと言われても、逃げ延びて生きのこることを選択することを恥だと思わないでしょう。彼が大聖堂島を敵が集まっている場所だと考えたなら、今頃どうやって教会都市を去るかを考えているでしょうね」
マルコの言葉に留学生一行ばかりか露店主たちも少年の置かれている状況に気付いて、ああ、と表情を歪めた。
ぼくたちは食後の予定を変更して少年を迎えに行こう、という話になった。
どうせ少年も聖典を読むことになるのだろうから一緒に読もう、とみんなも考えたのだ。
「ちょっくら、治安警察隊員に声を掛けてくるよ」
「俺は連絡船ギルドに話を付けてくる」
露店主たちは治安警察隊に少年が帰路を選択したら検問所で足止めしてくれるように頼みに行ってくれることになった。
手早く片付けをすますと、商会の人たちに教会関係者への伝言を託し、ぼくたちは南西部の教会都市に向かうことにした。
可動橋の時間を待っていられないので連絡船の船着き場に行くと、一足先に話を付けに来てくれていた露店主のお陰で、定期便ではなくスライムの船で渡る許可が連絡船ギルドの職員から速やかに下りた。
「湖の主を連れている一行を連絡船の運行時間まで待たせるなんてできませんよ」
ぼくとケインの間を飛んでいる水竜のお爺ちゃんを見ながらギルド職員は言った。
「ありがとうございます!」
ぼくたちはギルド職員に頭を下げたが、水竜のお爺ちゃんは当然だと言うかのように胸を張った。
船着き場でぼくのスライムが湖に飛び込むと連絡船に変身した。
おおおお、とギルド職員たちがどよめき拍手をするなか、ぼくたちは急いで船に乗り込み、南西の教会都市へ急いだ。
南西の教会都市側の船着き場には治安警察隊から連絡が入っており、ぼくのスライムの連絡船を快く接岸の誘導をしてくれた。
「件の少年はすでに宿屋を出払っていますが、まだどこの検問所にも到着していません!」
詳しい事情を説明していないのに、ぼくたちが少年を探している、という情報だけで治安警察は少年の動向を追ってくれていた。
上空から捜索しようとキュアが飛び立とうとすると、待てい!と水竜のお爺ちゃんが精霊言語で制止した。
“……警戒心が強そうな少年に上から捜索したら威圧感が出るだろう。儂が呼びかけてやる”
怯えさせないのが一番いいだろう、とぼくたちが頷くと、水竜のお爺ちゃんはニヤリと笑った。
“……南方からはるばる聖地に赴いた少年よ!”
水竜のお爺ちゃんの呼びかけに留学生一行も治安警察隊員も船着き場にいた一般巡礼者たちも水竜のお爺ちゃんを見た。
水竜のお爺ちゃんは少年に直接呼びかけるのではなく、南西の教会都市にいる全員に呼びかける騒々しい手段に出た。
“……いやぁ、一人だけに呼びかける方が幻聴みたいで怯えさせるだろう?”
水竜のお爺ちゃんは精霊言語を理解できる人に向けて言い訳をした。
ぼくとケインとデイジーが頷くと水竜のお爺ちゃんは呼びかけを続けた。
“……教皇猊下に選ばれし少年たちを其方の迎えに遣わす。皆良き子どもたちだ。その場にとどまって待て!”
ウロウロするな、と水竜のお爺ちゃんが少年に呼びかけると、この事態を面白がった精霊たちが集まって町の中に一本の光の柱を作った。
ああ、あそこにいるみたいだぞ!とあちこちから声が上がった。
光りの柱は教会都市を出る検問所近くに立ち上がっており、少年が帰ろうとしていたかのように見えた。
「ここまで目立ってしまったのだから、もう、魔法の絨毯で迎えに行こうよ」
ウィルの提案に兄貴は頷いた。
「飛行許可を取っていないよ」
ぼくが突っ込むと、後方から声がかかった。
「治安警察隊隊長です。たった今、魔法の絨毯の飛行許可を出します!」
とんとん拍子に話が進んだのでぼくは魔法の絨毯を取り出した。
結局、上空から迎えに行くことになってしまい少年を怯えさせることにならなければいいが……。
兄貴とシロもデイジーも気にしないで魔法の絨毯に乗り込んでいるということは大丈夫なのだろう。
「行ってきます!」
魔法の絨毯が上昇すると治安警察隊隊長や隊員たちに手を振って見送られた。




