学びの場
ミニゲソどんぶりで〆た大人たちにベンさんは清掃魔法をかけて酔いを醒ました。
「すっきりしました。ありがとうございます!」
大胆な酔い醒ましの方法に、軽い食中毒ならこれは有効かな?と第五皇子が呟いた。
毒を気にする皇族なら食あたりは少なそうなのに……呼ばれた食事会に毒を入れられるから避けられないのか。
「相手が平然と食べていると回復薬をすぐに服用できないが、ソースを溢して清掃魔法をかけるのならできるな」
「洗い流してしまえば証拠が消えてしまうので、あえて当たるのも有効ですよ」
食事会でしばしば毒を盛られるかのような第三皇子の発言も物騒だが、最近、命を狙われている教皇は、当たって砕けろ、ではなく当たって捕まえろ、という発想を口にして、当たらないでください、と月白さんに突っ込まれた。
片付けを手早く済ませたぼくたちは祠巡りに行こうとすると、次の町に向かう教皇がぼくたちに声を掛けた。
「いろいろとありがとう。ガンガイル王国の留学生の皆さんは予約なしで大聖堂島に訪問する許可を与えよう。皆さんは宿を取らなくても快適に過ごせる馬車があるから、大聖堂島の訪問人数制限から除外しても大丈夫だ」
大聖堂島への訪問の許可が得にくいのは受け入れ人数を制限して観光公害を防ぐ目的があるのだが、トイレまで用意して訪問するぼくたちならいつでも受け入れられるということらしい。
ぼくたちは大喜びで、このどさくさに紛れて大聖堂島の浮かぶ湖の底から石を採取する許可を教皇から取り付けた。
「素材として研究するために少量の石の採取なら教会としては問題ないよ。だが、漁業関係者と揉めないように関連ギルドに相談した方がいい」
「ありがとうございます。関連ギルドの紹介を治安警察の人たちにお願いしてみます」
ぼくたちが満面の笑みになると、イザークが寂しそうに笑った。
「ぼくは留学生というわけではないから特別扱いから外れてしまいますね。どちらにしろ、すぐに帰国しなければいけない立場だからすぐ帰らなくてはならないのです」
今日の一番の功労者のイザークが嘆くと、月白さんが教皇を見た。
「ガンガイル王国側と調整しなければならないが宿泊施設の一部をガンガイル王国用に押さえておくつもりだ。そうなると、イザーク君はガンガイル王国国内の順番待ちになってしまうのか……。それならいっそ、イザーク君専用の部屋を用意しよう。使わない時は親族やご友人に融通してもかまわないよ」
教皇の計らいに満面の笑みになったイザークは、ありがとうございます、と頭を下げた。
せっかく長期間旅行に行けるように魔術具を作ったのだから、公爵領が落ち着いたらイザークも聖地巡礼を楽しんでほしい。
「ぼくも祠巡りをしてから帰国します」
イザークの申し出に、帰るためにも魔力を使用することになるのに、と領主は恐縮したが、勉強になるので、とイザークは笑顔で答えた。
教皇と月白さんに別れを告げてぼくたちが教会を出ると、小さな町なので急ぐことなくのんびりと廃墟の町を散策した。
「凄いですね!護りの結界が起動するともう雑草が芽吹いています!」
石畳を持ち上げて芽吹いた雑草にマルコが感激していると、植物から魔力の流れを見るのですか!と領主が感心したように言った。
「上空から地上を見下ろすと歴然としますよ」
第三皇子が領の境界で緑の濃さが変わることを領主に説明すると、ほほう!と酒盛りですっかり親しくなった領主は熱心に聞き入った。
空の神の祠から魔力奉納を始めると、ぼくの前に魔力奉納をしたキャロルがポイントカードを見て首を傾げた。
「どうかしたのかい?」
第三皇子がキャロルに尋ねるとキャロルは困ったように眉を寄せた。
「ちょっとまずい事態かもしれません。他国で魔力奉納をしたのにポイントがつかないのです」
キャロルに続いて魔力奉納をしたミロも自分のカードを見て、こんなことは初めてだ、と青ざめた。
「もしかしてぼくたちが考案した魔法陣を、あまり変更せずに使用しませんでしたか?」
ウィルの問いに、そうです、と領主は言いつつも首を傾げた。
「魔法陣の構築に文官の協力を仰ぐことは普通にあるけれど、それで領主一族でもないのに魔力奉納のポイントが換算されないなんて聞いたことがないです」
「皇族の私たちは教会での魔力奉納以外ではポイントがつかないので、ピンとこないが、お前たちは聞いたことがあるかい?」
第三皇子が振り返って護衛たちに声を掛けると、ないです、と二人の護衛は即答した。
「おそらくですが、魔法陣の構築に携わった面々の全員が管理者と神々に見なされたのでしょう」
神々を持ち出した従者ワイルドの説明は、神々の行いは人間には計り知れないことなので、それなりに説得力があった。
「護りの結界が敷かれる前の礼拝室の廊下に入り、教会関係者たちが神々の記号を描いている現場に立ち会いながら護りの魔法陣について意見交換をしたから、管理者扱いになってしまったのかな」
第五皇子の言葉に、領主は掌をパチンと叩いた。
「そうだった!文官たちは魔法陣の構築に参加しても実際に施す現場に立ち会わない!」
みんなは納得していたが、ぼくはちょっと引っ掛かった。
礼拝所の廊下にいただけで……そうか、月白さんが神々の記号を描いていたからぼくたちの魔力が使用されてしまいこんな事態になってしまったのか!
ぼくが精霊言語で兄貴に問うと兄貴は頷いた。
「こう言っては何だが、この事態は私にとっては渡りに船だ。ガンガイル王国の善意で古代魔法陣が封じられたのに、その恩恵を無視して、ガンガイル王国の国民が転移魔法で入国することを快く思わない連中の文句を黙らせることができる」
ほくそ笑む第三皇子に、そうだな、と第五皇子も頷いた。
「これは、護りの魔法陣を乗っ取るためにその場にいたのではなく、早急に護りの結界を張らなければいけない現場で、善意で協力してくださったことの証拠です」
命の恩人に迷惑を掛けたくない、と領主は言った。
「うむ、この状況は使えるね。帝国内陸部に国境検問所を作ることに対して今まで税関で利をせしめていた領から不満の声が上がるだろうが、まごうかたなき絆で出来上がった信頼関係からの交流なので、類似の国境検問所はできない特例だ、と主張できるな」
国境検問所の利とは何だろう?とぼくたちの頭に疑問符が浮かぶと、関税を払って問題ない商品を運ぶのにあり得ない不備を突いて検査官の袖の下に何か包まなければならないことが多々ある、と商会の人たちが嘆いた。
誠実な取引ができれば帝国内でのガンガイル王国の商品が適正価格になるのに、という商会の人たちの言葉に、ぼくたちの背後にいた軍人たちが怒りに歯を食いしばる音がした。
ガンガイル王国との国境を接している領は第一皇子派だったから派閥の長が消えた後、利権を巡ってハイエナたちが群がっているのだろう。
国境の町を第六皇子派が狙っていたのなら、漁夫の利ばかり狙う第六皇子は当てが外れることになるだろう。
こんな事態になることまで月白さんは気にしていなかったんだろうな、と考えていると、従者ワイルドは頷いた。
“……ご主人様。ワイルド上級精霊様が第六皇子派の軍人たちに軍の宿舎や孤児院で資料を収集するよう誘導している間、月白は礼拝室の前の廊下での騒動を楽しんでいました”
運命の神のご加護があるイザークが小芝居をしていても事故が起こらないことがわかりきっていた月白さんは、観客参加型劇の演者側にいるように楽しんでいたに違いない。
マルコとウィルとケインとボリスが魔力奉納をしてもポイントがつかず、礼拝室の前まで行った人物が共同管理者になっていることが明確になった。
ぼくも魔力奉納をして護りの結界の全貌を探ると、教皇の後押しがあったせいか町の護りの結界は世界の理まで繋がる根の深い結界に仕上がっていた。
驚くべきことは領主が町の周辺に仕込んでいた魔法陣の数がぼくの予想よりはるかに多く町の外周を漏れなく網羅していたので、その魔法陣と結びついたことで急激に領地の魔力が町に流れ込み雑草が育ったことに気付いた。
一緒に魔力奉納をした魔獣たちも地形の凹凸に合わせて細かく配置された魔法陣の完成度の高さに、凄いね!と感心した。
これを繋ぐ魔法陣をあの短時間で設計した領主は、なかなかの秀才だ。
思いがけない幸運は、就任すれば死ぬしかない領地で血反吐を吐くような努力を人知れずこなしていたから掴んだもので、凡人ならなし得なかった軌跡がこの魔法陣に詰まっていた。
魔力奉納を終えたぼくが祠から出ると、みんなはぼくの市民カードのポイントを気にしたが、ぼくは領主の前に歩み出ると、こんな短時間にここまでの魔法陣を構築するなんて素晴らしいです!と熱く語り掛けた。
「素晴らしいですよ!こんなに緻密で美しい護りの魔法陣は初めて見ました」
魔力奉納でそんなことがわかるのか!と領主は驚いた。
「魔法陣が重なる箇所に注目して魔力奉納をすれば、この町の護りの結界が異様なことに気付きます。少しの隙間が死に直結する緊張感が伝わる緻密さに制作者の並々ならぬ気迫を感じました。これはもう芸術的に美しいですよ!」
ぼくの熱弁に、次に魔力奉納をしようとしていたイザークは、確認してみる、と楽しそうに祠に入った。
「死にたくないから文官たちと必死に考え出した魔法陣を、ただただ隙間なく敷き詰めました。魔力奉納で魔法陣の概略がわかるなんて、その方が驚きですよ」
端の方に魔力を感じたのは堰き止められていた魔力が雪崩れ込んできたからかと考えていた、とケインが口にすると、領主は興奮を冷ますように深呼吸をしてから言った。
「ああ、これが魔力奉納での学びなのですね。イザーク君が勉強をさせてもらう、と言った時には私はわかっていなかった。魔法陣に魔力を流すだけの行為でも着目次第でそこから学びが生まれるのですね」
もっと若いうちに知りたかった、と領主は嘆くと、二人の皇子は頷いた。
「ええ、私も自分たちがこの年までどれだけ怠惰に月日を過ごしてきたのかと、この数日間に何度も考えさせられたよ」
第三皇子の発言に第五皇子も頷いた。
魔力奉納を終えたイザークが興奮して、素晴らしいです!と領主を大絶賛した。
ぼくと兄貴とケインは廃墟の町に石畳を割って生える雑草が急増したことに、ちょっとした危機感を覚えた。
「どうしましょう。土地が魔力を回復して休眠状態だった植物が芽吹いていますが、人口が極端に減っているこの町では町を整える前に建物を植物が侵食してしまうような気がします」
ケインの指摘に、ガンガイル王国での魔獣暴走で廃墟になった町が植物に侵食されて樹海に飲み込まれたことを思い出した留学生一行は、人の手の入らなくなった廃墟の末路を口々に説明した。
「現在、廃鉱は採掘体験のできる温泉施設として城下町も整備されましたが、樹海の開拓はけっこう大変だったと聞いています」
「それもそうですが、生活水準が上がった現在の事情に合わせて町を作り直すことができたから、町の発展という意味では、ごねる地権者がいないうちに道路を拡幅できる利点があったようですよ」
キャロルが樹海に埋もれてしまった町の惨状を訴えると、ウィルは町そのものを作り変えられる利点を話した。
「町の荒廃ぶりの証人は後ろからついてきているのだし、いっそこのまま壊れてしまうものは壊れるがままにすればいいのではないか?」
第三皇子が金魚の糞のようについてくる第六皇子の手先の軍人たちを見遣って言うと、第五皇子は眉を顰めた。
「兄君はそうやっていつも周囲を巻き込んでことを大きくしていくんだ」
復興がただならぬ状況だと政敵に認識させようとする第三皇子の手腕に、第六皇子がこの町に干渉してくるトラブルを懸念した第五皇子が嘆いた。
「たぶん、今回は成すがままでいいですよ。礼拝室で失禁した人がいたことで脅しになるでしょう」
兄貴がボソッと囁くと、二人の皇子と領主は、そうだった、と声を揃えた。
「ああ、いっそ乗っ取ろうとして実行すれば礼拝室の前の廊下の猫の絵を見た後で、礼拝室内の飛竜の幼体の絵を見れば……」
イザークの名誉のために言い淀んだ領主の言葉の続きが、どこにも飛竜の幼体の絵がないと侵入者が焦る事態になるだろう、とぼくたちの脳内で自動的に補完された。
知っている人が入ると笑みがこぼれる礼拝室は、詳細を知らない人には恐怖の礼拝室になり得ることにぼくたちは笑った。




