一生忘れられない味
第三皇子に手を引かれて軍高官が庁舎の外に出ると、軍高官は先ほどまではいなかった軍人たちに囲まれ軍の宿舎へと連行された。
ぼくたちが教会に戻るとベンさんたちは教会の裏庭で昼食の用意をしていた。
待っていたみんなに古代魔法陣の封印が無事に終わり、教皇と領主が町の護りの結界を張っていることを説明した。
廃墟の庁舎には立ち入らなかったみんなは孤児院の片付けを手伝っていたらしい。
「庁舎の前でぼさっとしていてもどうにもならないから、教会で孤児院の資料を見せてもらっていたら、軍人さんがどやどやとやって来て資料を写していったぞ。どうなっているんだい?」
大量の麵を茹でながらベンさんが第三皇子に質問した。
「ラーメンかい?」
「いや、焼きそばだ」
「なんだか知らないけれど美味しそうだ。ああ、そうだ、追加で来た軍人たちは第六皇子の手の者たちだよ。何かと第五皇子に絡んでくるやつで、面倒だから第四皇子の失態を匂わせておいたんだ。私たちと一緒にいた軍高官は第四皇子の親族でね、監査官の立場でありながら不審な金のやり取りがあったようで拘束されたよ。まあ、私と第五皇子が徒党を組んで廃墟の町に乗り込んだように見えれば、第六皇子が絶対介入してくると踏んでいた。うちの兄弟は何か簡単に功績があげられそうなところには必ず首を突っ込んでくるからな」
第三皇子は愉快そうに笑ったが、軍高官の認識札を取り出した第五皇子は眉を顰めた。
「面倒なものを私に預けましたね」
「なに、第四皇子の親族の失態の資料を手にした第六皇子が、万に一つも第四皇子に懐柔されても奴の認識札をお前が持っていれば奴は逃げられん」
第三皇子の言葉に、やっぱり面倒なものじゃないか、と第五皇子は呟いた。
烏賊焼きを仕込むぼくたちの手元を見て、美味しそう、と言う第三皇子は、実子の行方に気を揉んでいるようには見えなかった。
「今回保護された孤児たちの中に帝都出身者はいなかったですよ」
兄貴がそれとなく口にすると、知っていた、と第三皇子は呟いた。
「あの子がいたなら必ずわかる。……ちょっと特徴的な子なんだ。逆にそこを利用されて見せかけの魔術具で誤魔化された可能性がある」
淋しそうに目を細めた第三皇子が呟くと、笑うことで気を紛らわせているようにも見えて切なくなる。
「古代魔法陣が封印されたお祝いに、帆立のバター焼きもつけてやろう!」
ベンさんが食材収納の魔術具から大量の帆立を取り出すと、ヤッター、と第三皇子は喜んだ。
帆立のさばき方をベンさんから教わる第三皇子を第五皇子が神妙な面持ちで見ていた。
従者ワイルドが力なく首を横に振るということは、第三皇子の子は邪神の欠片の魔術具に関わってしまったのか上級精霊にも行方がわからないのだろう。
犬型のシロが申し訳なさそうに俯くと、兄貴がシロの背中を撫でた。
気の毒に思ってもぼくたちにはどうしようもないし、無理してはしゃいでいるようにも見える第三皇子の慰めになればと、美味しいものを振る舞う準備をした。
焼きそばと鉄板焼きの準備が終わるころ、領主と教皇が戻ってきた。
遅くなった昼食に誘うと、領主は恐縮しながらも嬉しそうに頷いた。
詳細を聞きたそうに二人についてきた軍人たちの席はない。
「教皇猊下のお力添えのお陰さまで仮の護りとは言えないほどの立派な結界を張ることができました。皆様のご協力にも大変感謝しております」
昼食の席でまず真っ先に感謝の言葉を口にした領主に、第三皇子が尋ねた。
「では、ガンガイル王国の提案を全面的に受けるつもりなのですね」
「ええ、ガンガイル王国の聖地巡礼の拠点の町として復興のご助力をいただくことを全面的に受け入れます」
本当に助かりました、とぼくたちに頭を下げた領主は、これで自分が突然消し炭になることがなくなった、と目を潤ませた。
本当に酷い領地を押し付けられていたのに、ガンガイル王国との交流が決まれば、復興の早さはきっと領主の想像をはるかに上回ることになるだろう。
「教会としてもガンガイル王国の国民がこの町の教会の転移の魔術具を使用して聖地巡礼に来てくださることを歓迎します」
教皇の発言に、転移の魔術具を一般開放してくれるのか!とぼくたち全員が驚いた。
「各地の教会が定時礼拝で光るようになってから、魔力奉納時に使用する魔力量が少なくなり、転移の魔術具を多用できるようになったのです。私がこうして各地を直接視察できるのもそう言った事情からです。ガンガイル王国側の提案は魔術具の使用であって、魔力は使用者が負担するのですから、教会側としては大歓迎です」
「宮廷側との交渉は私が取り持つ」
「国境検問所の誘致は私が担当します」
教皇の説明に第三皇子と第五皇子が協力を表明すると領主は喜んだ。
どうやら、国王と辺境伯領主は古代魔法陣の封印に助力する見返りとして大聖堂島から東に位置するこの町に転移魔法で聖地巡礼をする国民の拠点とするため、教皇に教会の転移の部屋の使用許可を、領主に国民の町の滞在許可を要求し、二人の皇子には子どもたちの受け入れ条件に宮廷との折衝役を頼んだようだ。
今後の人生が劇的に変わる判断を下したことをまだ半分しか理解していない領主が、目玉焼きの載った焼きそばをナイフとフォークで食べると、これは実に美味しい、と絶賛した。
「この香りのよい緑の粉は何ですか?」
「青のり、と呼ばれる海藻です。乾燥させて粉にして料理を彩る食材として使用します」
「ガンガイル王国は海産物の加工だけでなく、養殖や鮮度を保ったまま運搬する技術が高いので、こうして内陸で海の幸を堪能することができるのです」
ベンさんが青のりの説明をすると、第三皇子は海産物全般に話を広げた。
「見た目はどうかと思いますが、烏賊焼きも美味しいですよ。生姜醤油でお召し上がりいただくのがお勧めですが、内臓のソースを絡めると格別に美味しいですが、癖があるので好みが分かれるところです」
ベンさんが鉄板の上で焼いた烏賊を一口サイズに切り分けると、スライムたちが生姜醤油の皿を領主と教皇に配膳した。
「私は世界中の教会を巡っているが、どうしても問題がある土地ばかりに行くのでなかなか美味しい郷土料理を食べられない。でも、ガンガイル王国の関係者がいると格段に食べ物がおいしくなる。昨晩はガンガイル王国からの供物のおさがりをいただいて、とても美味しかった。その内臓のソースの方もいただけないかな?」
教皇は烏賊ゴロソースに絡められたゲソも食べたいとベンさんに頼んだ。
「私もいただきたいですね。新鮮な海の幸なんてもう一生口にすることができないでしょう!」
領主は見慣れない烏賊の形に動揺することもなく果敢にチャレンジすることを選んだ。
月白さんが日本酒の酒瓶を持ってくると、その組み合わせは間違いない、とベンさんは頷いた。
小さなガラスの御猪口をスライムたちが配ると、教皇も領主も、小さい!と驚いたが、月白さんが日本酒を注ぐと、香りで酒であることに気付いた。
「お酒ですか!ありがたいのですが、この後の仕事に差し障ります」
「ガンガイル王国からいただいた供物のおさがりだから少しだけいただくのは問題ありませんよ。それより、神々に感謝して美味しい食事をいただくことで、料理の神や酒の神、発酵の神など様々な神からご利益をいただける方が、領にとって良いことになるでしょう」
月白さんの説明に教皇が頷くと、この喜びを魔力奉納で神々に還元するということですね、と領主は満面の笑みになった。
この町とガンガイル王国との交流が深まれば、新酒が供物として捧げられることを神々が期待している、と月白さんが商会の人たちに目で訴えると、わかりました、と商会の人たちは頷いた。
従者ワイルドも笑顔で二人の皇子の御猪口に日本酒を注いだ。
この町の復興のために奔走することになる二人の皇子への労いの意味もあるのかもしれない。
「見た目より強いお酒なので舐めるように味わってから、生姜醤油の烏賊を味わってください」
ベンさんに勧められた順番でまずお猪口に口を付けた教皇は、甘くて後味が辛いすっきりとした味わいだ!と日本酒を気に入り、生姜醤油で烏賊を食べた後、日本酒を口にすると無言で頷いた。
烏賊の味を知っている二人の皇子も日本酒と烏賊の相性の良さにこれこれと頷いた。
「これは最高の珍味ですね!旨味を旨味で流し込むなんて、最高の贅沢です!」
領主は美味しさのあまり何度も頷くと、こっちもいけますよ、とベンさんは烏賊ゴロ焼きを取り分けた。
磯の香りに鼻が慣れたころ出された烏賊ゴロソースの匂いを気にすることなく教皇と領主がゲソを口に入れると想像以上の美味しさに目を見開いた。
二人は同時にお猪口を手にすると日本酒を流し込んで、美味い!と声を揃えた。
「町の復興が進めばガンガイル王国の巡礼者たちの供物が大聖堂島まで持ち込まれます。楽しみにしていてくださいね」
教会の代表者の言葉に教会関係者たちの頬が上がった。
ぼくたち子どもの席にはスライムたちが小さめの茶碗にご飯をよそってくれた。
「焼きそばに白米ですか!」
「ポリッジにトーストを合わせるような食事のようですね」
キャロルとミロが首を傾げると、ぼくは自分の目の前の烏賊ゴロ焼きの上にバターを落とした。
鉄板の上でバターが焦げる香りがするとみんなの視線がぼくに集まった。
「これをねご飯に載せると、最高に美味しいんだよ」
白いご飯の上に載せたゲソを口の中に掻きこむと、バターの香りと磯の香が鼻に抜け、白米の甘さと烏賊ゴロソースの塩味とバターの脂が口の中で共演する最高の味わいになった。
ぼくがしみじみと味わっているとみんなも真似をし始めた。
「酒はほどほどにしておいて、大人にも白米を用意しましょうか?」
従者ワイルドがそう言うと大人たちも頷いた。
「カイル君があまりに美味しそうに食べるから、つい食べ過ぎてしまいそうだ」
第三皇子が笑いながら言った。
「食後は祠巡りですから、たくさん食べて頑張りますよ」
ぼくの言葉に食べ過ぎを気にしていた男装女子の三人がハッとした表情になった。
「朽ちかけた祠が魔力奉納で蘇るのなら、作り直す必要がないのですね!」
「たくさん食べて頑張ります!」
キャロルとミロが茶碗に手を伸ばすと、マルコは烏賊ゴロ焼きにバターを落とした。
「ええ!今日、三回目の祠巡りじゃないか!」
本気なのか!と第五皇子が大声を上げると、領主と教会関係者たちは驚いてぼくたちを見た。
「転移魔法の魔力を負担したのに、すでに祠巡りを二周もしていたのか!」
唖然とする領主に、凄い子たちだろう!と第三皇子が自分の子どもたちのように自慢した。
「みんなで魔力を負担したから、それほどでもありません」
「それに、祠巡りでは魔力枯渇を起こすほど魔力を奉納する事態になりません」
「一人一人の負担が少なくても、この人数で回ればそれなりの魔力量になりますよ」
ぼくたちが口々に説明すると、自分の負担が軽くなる領主は、ありがとう、と言うとさっきは堪えた涙が溢れだした。
もしかして領主は泣き上戸なのか!
「神罰を起こさず護りの結界を維持する重圧によくぞ耐え、この地を死地にすることなく護り続けた。その緊張感がいかばかりかだったかは、命じた方は気にしない。其方は捨て駒として扱われたのに、生き延びたんだ。ガンガイル王国の留学生一行との出会いを神々に感謝しようじゃないか」
第三皇子は酒瓶を手にすると領主の御猪口に注いだ。
「ほら、飲みなさい。まだ、帆立のバター焼きがあるから、白米を食べるのは早すぎる」
領主を号泣させるような言葉を掛けながらも酒を飲む口実のように茶化した第三皇子の発言に領主は涙を拭って笑い出した。
「どうぞ!これも酒に合いますよ」
ベンさんが切り分けた分厚い帆立を口に入れた領主は幸せそうに口角をグッと上げた。
「……美味しいです。一生忘れられない味です」
そうだろう、と第三皇子は頷くと、お猪口をグイッと空けた。
加速した酒盛りの昼食会に、呼ばれていないのに見張っていた第六皇子の手先の軍人たちの喉が鳴ったが、ぼくたちは気の毒だとは思わなかった。




