亜空間での合宿
一部内容に筆者の齟齬があり訂正しましたが、本篇に影響はありません。
*イザークと魔獣たちの関係に間違いがありましたので訂正しました。
家族同然と言うことは、秘密を共有して亜空間で研究してもいいはずだ。
「明日に備えて亜空間で研究したいんだけど、いいかな?」
ぼくの言葉に涙をぬぐいながらみんなが頷くと、シロの亜空間に移動した。
「亜空間?」
説明もないまま真っ白な世界に移動したことに目を白黒させるイザークにお構いなく、母さんはイザークに床屋の椅子に座るように促した。
「バッサリ切ってしまっていいかしら?」
「思い切り短くしてください」
状況説明もないまま、今しなければならないことを理解したイザークは床屋に注文するように現状を受け入れた。
母さんとお婆が、ああでもないこうでもない、と言いながらイザークの髪を切っている間、ぼくは爪を切って集めた欠片を掌に握って圧縮した。
錬金術の要領でダイアモンドになるように念じたが圧縮した時点でとても小さくなってしまい、練成した物体はとても目に見える大きさにはならなかった。
魔力の気配を頼りにみぃちゃんの首輪のチャームの中に練り込むと、ぼくのスライムがない目で自分も欲しいと訴えかけた。
「爪が伸びたら全員分を作るよ」
もうさっそく何かしたの!とケインとウィルが詰め寄った。
「さすがに少し伸びた爪を練成してもとても目に見える大きさにならなかったから、魔力の気配で物体を掴んでみぃちゃんのチャームに混ぜただけだよ」
これからは切った爪も髪も無駄にできない、と言うと、ぼくのスライムがフルフルと震えた。
そういえば今までぼくの散髪や切った爪の後片付けをしていたのはぼくのスライムだった。
「あたいが吸収してたけれど、これからは練成用の素材として保管するようにするよ」
「それなら、二番目はわたしね」
キュアは抜け駆けしていたぼくのスライムは最後になるべきだと主張した。
「俺は六、七年かけて仕込んでいるけれど、まだ砂粒よりも小さいぞ」
父さんが収納ポーチから取り出した小瓶の中には一粒の塵のような何かがあるだけだった。
「それ程の年月をかけてこの大きさなのに、よくイザーク先輩にこの方法を提案しましたね」
呆れたようにウィルが言うと、そうなんだ、と父さんは笑った。
「生きたまま魔石を練成するんだから目に見える大きさまでならなくても、ほんの少しをぬいぐるみか何かに混ぜてしまえば、目撃した人はそのぬいぐるみに価値があるように見えるだろう?使い捨て程度の魔力でいいんだ。扉を開けるための魔力の判定なら、実際の魔力量はそれほど関係ないだろう?」
鍵を開けるだけの魔力なら確かにほんの少しだけでいい。
イザークが手をかざしただけで扉が崩れ落ちてしまえば、それはただ経年劣化によるものだと勘違いする人も出てくるだろう。
似たような事例で成功事例にあげられて無茶をすることになりかねない。
「そうですね。何か仰々しい演出があったほうがいいですね。庁舎内の礼拝所の構造は推測できるので派手な演出を考えましょう!」
ぼくがメモパッドを取り出すと、ウィルは一般的な礼拝所の図面を描きこみ、ざっくりと大きさの説明をし始めた。
ぼくたちが喧々諤々話し合っている間にイザークは散髪を終えた。
「元の髪形に似せてみたんですけど、どうでしょう?」
母さんとお婆が合わせ鏡をしてイザークに仕上がりを見せると、前よりカッコよくなっている、と母さんの腕前を褒めた。
大量の髪の毛を母さんとお婆のスライムたちが集めると、イザークは張り切って父さんの前に行き、お願いします、と頭を下げた。
「カイルは説明なしにやってしまったんだが、基本的には素材の練成と同様のことをするんだよ」
父さんはそう言って小さな小瓶をイザークに見せた。
「数年かけてもこの大きさなので、人体の一部から魔石を作り出すには本体そのものの質量が必要なのじゃないかと、なかば諦めていたんだ。けれど、同じ実験を後から始めたラインハルト殿下が、もう、これと同じくらいの大きさの塊を作り出しているから、魔力の多さが石の大きさに関係しているんじゃないかと考えているんだ」
父さんの説明にイザークは頷いた。
イザークは集めた髪の毛を圧縮し始めると、もっと小さく、と父さんが助言を出した。
ぼくたちと母さんが扉の開錠に使う魔術具の制作に夢中になっていると、兄貴とシロがお婆に詰め寄った。
「イザーク先輩の髪が伸びたことにクレメント氏が興味を持っているから、イザーク先輩の特異体質で偶々伸びただけだ、という説明では納得しないかもしれないよ」
女装して第三夫人と面会することを企んでいるクレメント氏が数時間で腰まで髪が伸びる育毛剤に興味を示すのは当然のことだろう。
個人の体質、魔力量などを考えても元国王のクレメント氏なら属性も魔力量もそこそこあるはずだ。
せっかく亜空間にいるのだから時間もあるし、ということで、お婆は急遽育毛剤の改良に取り掛かることになり、魔術具の方は母さんに任せてぼくたちも助手として手伝った。
それぞれが夢中になって研究していると自分の制作を終えた母さんに一休みするように言われた。
休むと言ったらベッドが出てくる空間にイザークは驚いたが疲労が溜まっていたようで横になるとすぐ眠りについた。
こうしてシロの亜空間に長時間引き籠ってようやくイザークは髪の毛から作る魔石を完成させた。
あれだけ大量の髪の毛から出来上がった魔石は父さんの塵のような魔石よりやや大きいだけで小さな粒でしかなかったが、視力強化で見るとほんのり水色で透き通った綺麗な魔石だった。
「さあ、ここに魔法陣を刻みましょう!」
極端に先端が尖った特殊なペンを母さんが持ち出すとイザークの顔が青ざめた。
「そんな!ジーンさんの特殊な技術を教えてくださるのですか!」
極小の魔石に魔法陣を描くことに動揺したのではなく、母さんの特殊な技術を伝授してもらえることにイザークは狼狽えていた。
「息子同然なのですから、教えますよ。というか、普通の人なら無理ですけれど、イザーク君ならできます!」
根拠のない謎の自信を持った母さんはイザークに語り掛けると、コツは身体強化なのだと具体的に説明した。
「視力と腕に身体強化をかけて手ぶれせずに魔法陣を描くことを意識すればいいのです」
母さんは昆虫の極小の魔石の粒をイザークのテーブルの前に山盛りに積み上げた。
イザークの練習にはもう少しかかりそうなので、ぼくたちは育毛剤の研究を続けた。
ぼくたちはすね毛で実験を続けては剃り上げて、地道に自分の体毛を集めた。
そうこうしている間にイザークは母さんから合格をもらい、自分の石に魔法陣を刻んだ。
「これでこの魔石を悪用されることがなくなったから、これをあげよう」
父さんは市電の魔力電池に似た箱型の魔術具をイザークに手渡した。
「いいのですか!」
イザークが震える手で受け取ると、父さんは笑った。
「特殊な育毛剤の開発のきっかけを作ってくれたお礼でもあるし、ラインハルト殿下のための魔術具の試作品を検証してもらうのだから問題ない」
どうやら王都に一々魔力奉納に戻らなければならないことを嘆いたハルトおじさんが、イザークと同様のことを考えて魔術具の制作を父さんに依頼していたようだった。
「あのままだったら、ラインハルト殿下の寿命が尽きるまで魔術具が完成することはなさそうだったのに、ここまで形になったのはイザーク君のお陰だよ。さすが運命の神のご加護が篤いだけのことはある。絶妙なタイミングで出会えた」
父さんは何度も頷きながらしみじみと言うと、イザークは感激してまた涙を浮かべた。
「あの場でぼくの魔力の塊を作ろう、と言い出したのはもしかしてこの魔術具のためだったのですか?」
「ハハ、すまないね。古代魔法陣に触れられる運命の神のご加護の持ち主なら、開発に行き詰っていたこの魔術具を完成させられるかもしれない、と下心があって提案したんだ」
イザークは涙を浮かべたまま笑うと、下心ではなく知的好奇心ですよね、と言った。
「扉を開錠する見せかけの魔術具も完成しましたよ」
イザークが練習用に魔法陣を刻み込んだ昆虫の魔石を魔術具に取り付けた母さんの言葉に、さすがですね、とイザークは笑った。
「まるでこうすることが決まっていたかのように無駄なく魔術具に利用するのですね」
「うちの領主様は自分に都合のいい未来を予知夢としてみると、部下に無茶振りする癖があるんだよ。お嬢様が危険な町に立ち寄るけれど何とかしろ!とだけしか言わないのだから、騎士団は大騒ぎになってね。領主一族の護衛を担当する第一師団長が円形脱毛症になったんだよ。気の毒に思って育毛剤を差し入れしたらこうなってしまった。まったくもって神々の采配としか言いようがない」
父さんの言葉にぼくたちは頷いた。
「さあ、ここにイザーク君の魔石を埋め込んでしまえばこれはイザーク君の魔力しか溜めない魔力電池に仕上がる」
イザークが父さんに促されて魔術具の箱の装飾に小さな石をはめると魔術具は水色の輝きを放った。
「さあ、完成した。後は、イザーク君が領に帰って使用感を定期的に手紙で報告してくれたらいい。そうだ、暗号を決めておこう」
父さんはイザークと魔術具の使用感を植物の成長に例えて報告する打ち合わせをした。
「口外しない約束をしているけれど、あれは自分の分も欲しいよ」
ラウンドール公爵領の魔力奉納の義務を持つウィルが本気で欲しがった。
「育毛剤の効能も高まったけれど、まだ、あんなに一気に伸びることはないから素材の収集に何年もかかるよ」
ケインが突っ込むと、そうだよね、とウィルが笑った。
一日で三センチメートルほど伸びる育毛剤が出来上がったけれど、髪が一日に三センチも伸びたら不自然だ。
毎日散髪するのも面倒なので、日常で使用するならすね毛が目立たなくていいということになったが、さすがに量が少ない。
亜空間で粘ればなんとかなるが、それではぼくたちが不自然に年を取ってしまう。
「地道にコツコツ集めなさい」
母さんの言葉に元気よく、はい、とぼくたちが答えた。
「戻りましょうか」
お婆が声を掛けるとシロはお婆の工房にぼくたちを戻した。
「夢中になり過ぎていて気が付かなかったのですが、何日あの部屋に滞在していたのでしょうか?」
シロの干渉から開放されたイザークが顔色を変えると、まったく時間が経過していないことをぼくたちは代わる代わるイザークに説明した。
外に出て薄暮の夜空を見せると、雲の流れが来た時と同じだ、とイザークは理解した。
「まるで何日も過ごしたみたいな気がしたのに、濃密な一瞬を過ごしただけだったなんて信じられないよ」
イザークは亜空間を夢の中の出来事だと勘違いしているように言ったが、手に持っている魔術具を大事そうに撫でて夢ではないことを確かめた。
「ああ、その魔術具が完成したことは辺境伯領主さまにはまだ内緒にするから、収納ポーチにしまい込んでくれ。こっちの魔術具をすぐ取り出せるように手前の腰に下げておいてくれ」
父さんは小型の短銃の魔術具をイザークに手渡した。
「ありがとうございます!」
「気にするな、息子よ!」
父さんの言葉に嬉しそうにイザークが微笑んだ。
「行きましょうか。父さん」
イザークの返答に、家族が増えるっていいな、と父さんも微笑んだ。
魔法の絨毯で宿舎に戻ると、母さんは三つ子たちとの約束通りちょっと自宅に帰っただけ、と言う態で子どもたちの宿舎を覗きに行った。
おまけ ~次期公爵領主のお忍び旅行 其の4~
夜は死の匂いを運んで来る。
死体を町に置くことは許されず、即日、火葬される。
夜が来るとどこかで、ただ火葬を待つ人々が名前を呼ぶことさえできずに誰かの死を悼んでいる。
葬儀らしい葬儀もせずに母の出棺を見送った日から昼と夜の境目にふと胸に湧く感情を思い出した。
けれども、魔法の絨毯が高度を上げると、夕方を恐れた日々があったことを忘れさせるほど辺境伯領の宵の口は美しかった。
夕方礼拝の名残でほんのりと光る教会を中心に無数の光の線が街を覆っており、それでも一番星を掻き消すほどの光量ではなく、やがて夜空を埋め尽くす無数の星と街の空間を挟んで対をなすのかと思えるほど柔らかな光だった。
その明かりは市井の人々を守る魔術具の明かりで、まるで地上の星のようで一つ一つが人々の命そのもののように思えた。
生と死って何だろう?
カイルの自宅にいた老婆は、成人後に帝都留学を果たす偉業をなした、ぼくが憧れる存在の才媛ジュンナさんだった。
帝都にいるはずの人がどうして自宅に帰っているのか?という疑問より上級精霊の干渉で時の流れがあべこべになりぼくの髪が伸びた、ということを理解するだけで精一杯だった。
「運命の神のご加護があるとはいえ、うちの家族を思って危険な役目を引き受けてくれたイザーク君は私にとって家族同然だと考えてしまうのです。次期公爵にこんな気持ちになるのもおかしなものですが、どうか、うちの息子として心で慕うことをお許しください」
カイル君の父の言葉に頭を鈍器でなぐられるような衝撃で心臓がドキンと高鳴った。
……家族同然!
魔法学校でのカイル君との出会いにぼくの心が救われたのは確かだけれど、同時にどうしても羨ましく感じてしまったカイル君の兄弟や家族の温かさの中ぼくを受け入れてくれるということだろうか?
両目から温かい涙があふれだすのをどうすることもできなかった。
跪いたカイル君の父が困ったように口角を下げたのを見るとただ、とてもうれしい、と言うことしかできなかった。
呼吸を整えてから、胸に溢れる思いをぽつりぽつりと語るぼくの肩に手をかけたジュエルさんは、家族は増えるのだから、この家にいる間は息子として寛いでほしい、と優しく語り掛けてくれた。
ジーンさんもジュンナさんもその言葉に賛同した。
ああ、ぼくは本館で次期公爵として認められたけれど、未成年なのに課せられた責任を果たすことでようやく認められるのでなく、責任なんてことはまるで関係なくただ一人の男児として受け入れてもらえる温かな場所を猛烈に欲していたことを、自覚すると同時に満たされて、ただただ幸福感に浸って涙した。
いや、未成年の魔法に対する基準がカイル君とケイン君なのだから、貴族の義務を果たすより厳しい!
特別な空間にいることを察したが、時間がないことを理解していたから、ここがどこか追及するよりやるべきことをすべきだと考え必死に取り組んだが、ジュエルさんは褒め上手だけど合格基準が非常に高かった。
「上手に圧縮できたから、これをまとめてもう一度圧縮しよう!……ふむ。あと十回くらいこの作業を繰り返してから練成を始めようね」
ジュエルさんの辞書に妥協という言葉はないようだ。
カイル君とウィル君とケイン君は何か違う魔術具を制作しながら微調整に苦しんでいる、と思いきや毛生え薬の改良に取りかかっていた。
この家族の作業速度が早すぎてついていけな……いや、家族になりたいならやるしかない!
限界の手前でベッドに押し込まれ、気を失うように眠り、目覚めるとカイル君たちは研究を続けていた。
どうしようもないほど厳しい環境なはずなのに、いつもは自分のために割ける時間に制限があったから、この環境が楽しくて仕方なかった。
極小のぼくの、魔力の塊が練成できた時の幸福感は、ぼくの人生史上上位に入る。
カイル君たちに、綺麗だと認められると魔法の絨毯なしでも空を飛べるかもしれないというほど心が浮き立った。
「さあ、ここに魔法陣を刻みましょう!」
はぁ!
こんな小さな粒に魔法陣を描くのか!
ジーンさんはぼくの目の前に砂のように小さな魔石を積み上げると、練習しましょうね、と笑顔で言った。
平民の初級魔術師でありながらその特異な技術で不動の地位を確立しているジーンさんが直々に技術を伝授してくれることに感激して打ち震えた。
息子同然なのですから、教えますよ、と言ったジーンさんの言葉にさらに感激しつつも、ジーンさんの教示してくれた技術は初級魔術師のレベルではなかった。
「私が魔法学校に在籍していた当時、王都に被害をもたらした魔獣暴走のどさくさもあったから中級魔導師試験に合格していたけれど登録もしないで上級魔法学校の授業を受けられたのよ。平民の女子が過剰に資格を取得して目立ってしまえば、高位の貴族のお妾さんとして目を掛けられてしまうでしょう。自分の人生を自分で切り開くために、学ぶだけ学んで資格取得をしないように寸止めにしていたのよ」
ああ、そうだった。
母は歌声に魔力を載せられたから舞台が話題になり父に見初められることになってしまった。
歌姫としての成功を夢見た母は、出すぎない処世術を見誤ってしまったので、貴族の鳥籠に閉じ込められてしまった。
「私は自分が幸運に恵まれたことを確信しているけれど、もう一度人生をやり直すことができたなら、父を死に追いやった魔獣暴走からの復興のための特別措置で魔法学校に通い続けるより、父の死を止める方を選ぶわ」
世迷言よね、とジーンさんは学徒動員で魔法学校生を現場ですぐ使える人材にするために講座の受講基準が甘くなっていた時代を生き抜いたことを話してくれた。
人生に後悔はつきもので、ぼくの母にも父にも、もしもの人生があっただろう。
……嘆くだけの人生ではなく、どん底から希望を見出し努力したからこそ、今の輝くジーンさんがいるのだ。
幼少期の虐待から生きのこったぼくは、幸せを掴むために最大限の努力をし続けなくてはならない。




