たいていのことはぼくの予想をはるかに超える
「わかりました。私は先ほどのキャロルのじいじの話に乗りましょう。ガンガイル王国側での利の分配はそちらにお任せいたします。飛竜の里に行ってみたかったけれど、あの町を放置すべきことではない。宮廷側の交渉はそちらの条件に全面的に賛成です」
ぼくたちが知らないサウナでの交渉を無条件で飲んだかのようなハントの発言にイーサンも頷いた。
「そうですね。私は領主に交渉いたしましょう。帰路の魔力負担も私たちが負います」
イーサンの発言に辺境伯領主は首を横に振った。
「いや、二度手間になるから、今晩はうちの領に泊まりなさいな。あの町の対処は急ぐべきだが、現在、教皇猊下がご滞在なので、今晩どうこうなりはしない。あの町の領主には明日の正午に町に来るように呼び出してある」
今すぐ帰ろうとするハントとイーサンにもう手配している、と辺境伯領主が言った。
二人の皇子から言質を取るまで黙っていたことに、まるでいたずらが成功した小さい子どものように辺境伯領主は満面の笑みを浮かべた。
「可愛い孫が立ち寄りそうな町の調査は済んでいる。行くなと言えばムキになりかねないから根回しだけはしっかりやっておった。だがなぁ、まあ、こっちがどんなに気を揉んで手配していても、二人の皇子を引き連れて旅をするなんて、事前に予測することはできなかったよ」
やれやれ、と辺境伯領主が肩を竦めると、先ほど強気の発言をした相手は帝国の皇子たちだと気付いたイザークが頭を抱えた。
「なに、入国の条件で身分を隠すことになっているので、気にすることはない」
ガハハハと辺境伯領主は豪快に笑ったが、イザークは首を小さく横に振った。
「立太子の礼の後の出兵地にうちの領を選ばないでくださいね」
イザークのきつい冗談にハントとイーサンは苦笑しながら否定した。
「我々はその立場になる予定はないし、誰がその立場になっても模擬戦の形式に戻す意向です」
イーサンが真面目に返答すると、ハントも頷いた。
「真面目な話に戻すと、明日の正午にはあの町に領主と休暇中じゃない軍の士官が来ているはずだ。一気に片を付けてしまおう」
辺境伯領主が話を〆ると、三日分も周遊券を購入してくれたのに申し訳ない、と休暇中の旅行を台無しにしてしまったことを第一師団長がイザークに謝罪した。
じゅうぶんに観光できなかったことをまた訪れる口実にしますよ、とイザークは笑いながら言った。
夕食会場に向かうと一足先に食べていた子どもたちの数人が安心感と満腹感から舟をこぐように体を揺らしていたので騎士が抱きかかえて背中をトントンしながらベッドに運んでいた。
従者ワイルドがこっちにいたのは存在しているだけで子どもたちが安心するからなのだろう。
父さんが遠い目をしながらそんな子どもたちの姿に、あの日のぼくを思い出したのか涙ぐんでいた。
「世界中の子どもたちを助けてあげることはできないけれど、せめて直接かかわった子どもたちだけでも何とかしてあげたい。だからといって、お前たちが危険地帯に足を踏み入れるのは心配でならないんだ」
何かあってから報告してばかりのぼくたちにやきもきしている父さんの心配もわかるが、ぼくたちも好き好んでトラブルに巻き込まれているわけではない。
「これでもましな選択をしている方なんだよ。たいていのことはぼくの予想をはるかに超えるから映像が見つけられないんだ」
ボソッと兄貴が言うと、これがましな方なのか、と父さんは苦笑した。
保護された子どもたちのためにお腹に優しい鶏白湯のワンタンメンに、元気な子どもを満足させる唐揚げの夕食は大好評で、たくさん食べたよ、と三つ子たちもお腹を撫でている。
「早起きできた子どもだけ観覧車に乗れますからね」
エミリアさんに声を掛けられると学習館の子どもたちも就寝の支度を始めた。
ワンタンメンに舌鼓を打っていたイザークが、朝から観覧車?と尋ねると、エミリアさんは頷いた。
「洗礼式前の子どもたちはまだ定時礼拝に参拝させていないので、明日は特別に日の出の時刻に観覧車に乗せてあげて、光る教会と朝日に染まる山を観覧車で見る約束をしているのですよ」
イザークだけでなくハントとイーサンも、羨ましい、と呟いた。
「ご一緒なさいますか?」
「大変興味深いのですが、ガンガイル王国の早朝礼拝に参加したいのですよ」
魔術具オタクのハントは、是非とも観覧車に乗りたいが、一日しか滞在できないのなら精霊たちが頻出するガンガイル領での早朝礼拝を逃したくない、と顔を顰めて苦渋の選択をしたかのように言った。
「早朝礼拝も夕方礼拝もどちらも混んでいますから、祭壇後方の階段の下からの魔力奉納になりますよ」
マルクさんの説明に、そんなにたくさんの市民が参加するのか!とハントとイーサンだけでなくイザークも驚いた。
「早朝礼拝に参加するためには日の出前に教会に行かなくてはならないのですよね!」
「市電の始発は日の出前なので、朝に強い市民は薄明の時間から巡り、早朝礼拝の市民たちを相手にする商売人は仕込みを始めていますね。夕方礼拝は早朝礼拝に参加できなかった市民が訪れるのでこちらの方が混んでいます。大人はそのまま居酒屋に流れるので、繁華街は深夜まで賑やかです。遊びすぎると早朝礼拝に起きれないので、やはり早朝礼拝の方が空いていますね」
唐揚げのおかわりを持ってきた騎士が説明すると、大人たちは苦笑した。
「魔力が安定しているとはいえ、都市型瘴気の発生をどう防いでいるのですか?」
王都でも繁華街は深夜まで営業していないはずだ、とイザークが驚くと騎士団員たちは誇らしげな表情になった。
「市内のいたるところに騎士団の小さな詰所があります。夜勤は大変ですが深夜にも人員を配置しているので、市民同士のトラブルから瘴気の気配の警戒まで、トラブルが小さいうちに対処しています。瘴気の気配に対しては複数の警報装置があるので発生したらこの宿舎はハチの巣をつついたような大騒ぎになります」
「たまに誤報もあるのですが、それも抜き打ち訓練のようなものですから本気で対処します」
幼いころに好奇心に駆られて一度押してしまったことがある、とボリスが告白すると、あったなぁ、と騎士団員たちが笑った。
騎士団員やマルクさんの説明に、イーサンは感動したように頷いた。
「それで、子どもたちや我々の宿舎をわざわざ別に用意してくださったのですね」
騎士団の宿舎は深夜でも人の出入りがあるので配慮してもらったようだ。
「我々は昼夜を問わずに活動していますからお気になさらないでお休みください」
騎士団員の言葉に、軍で馴れているから気にしない、とハントとイーサンは言った。
「田舎ですからほぼほぼ平和なのですよ。夜通し起きて真面目に働く市民がほとんどで、酒が入ると鬱憤を爆発させる者や喧嘩なんかが起こるだけです。ですが、都市型瘴気はそんな人間の負の感情に忍び寄るから常に警戒を怠りません」
「これだけ発展している都市に、田舎という言葉はそぐわないですよ」
ハントの言葉に辺境伯領主は首を横に振った。
「面積が広いだけで人口規模は王都よりずっと少ない。王都を拡大しないよう地方都市が外側から支えているから広いのだ。王都は広げたらすぐ人口が増加するので一極集中になってしまい周辺の農村では支えきれなくなる。ガンガイル王国は地方都市が発展することで王都の負担を減らしている状態だ」
辺境伯領主は王都と辺境伯領都と分割して国の護りの結界を支えていることを話さず、地方都市の発展という話題にして帝国の国土の結界の弱さを指摘した。
「「勉強になります」」
ハントとイーサンは声を揃えて言った。
「この地の護りの結界は鉄壁だけど、人間は完璧な存在ではないから瘴気は必ずどこかで湧く。夜間外出禁止にして市民たちの行動を制限するのが一番手っ取り早いけれど、悪い奴らは深夜に悪事を働く。それなら、日頃から真面目に働く市民たちが夜間も寛ぐ場がある方が治安向上にもつながるし経済も回る。税収も上がるから騎士団の予算も増える」
「我々の給料が上がると飲みに出るので街の経済も回るのです」
辺境伯領主と騎士団長がコントのようなやり取りをすると爆笑が起こった。
「楽しそうなお話かと思ったら夜のお酒のお話なのですね」
就寝の挨拶に来た不死鳥の貴公子が呆れたように辺境伯領主に言った。
「お前も成人したらこの楽しみがわかるよ」
「子どものうちに早朝の楽しみを堪能しますので、本日はここで失礼いたします」
ぺこりと子どもたちが頭を下げると、おやすみなさい、と騎士団員たちから声が上がった。
兄さんたちも観覧車にのるの?と小声でアリサが尋ねた。
ぼくたちはいないことになっているのだから、早朝礼拝より観覧車に行った方が市民たちに気を使わせなくて済むだろう。
行くよ、と口を開きかけると、アレー?!とクロイが素っ頓狂な声を上げた。
「イザークさんの髪の毛がなんだかとても長くなっていませんか?」
イザークの髪が徐々に伸びて腰に届くほどになっていたのに、席を外したクロイに指摘されるまでぼくたちは全く気付いていなかった。
「育毛剤の効果がありすぎるだろ!」
第一師師団長の発言に、育毛剤でこんなに伸びるのか!と驚きの声が上がった。
つけすぎたのかな?と自分の髪を手に取ったイザークが首を傾げると、そんなはずはない、と父さんが首を横に振った。
「専門家に相談しよう!」
父さんの言葉に、飛行許可を出そう!と辺境伯領主が即答した。
「カイル、魔法の絨毯で自宅に帰ろう」
ぼくが頷くと、帰っちゃうの!と三つ子たちが慌てた。
「お前たちはお泊り会を続行してかまわないよ。ちょっとイザーク君をお婆に見てもらうだけだよ」
「エミリアさん。お願いできますか?」
母さんもついて来るようで三つ子たちをエミリアさんに託した。
「私は事情を聞いたら戻ってきますから、寝たふりしないですぐに寝なさいね」
枕投げを警戒したような母さんの言葉に、はい!と元気よく三つ子たちは返事をした。
保護された子どもたちのことを気遣うはずだから、さすがに枕投げはしないはずだ。
急いでワンタンメンのスープを飲み干したウィルはついてくる気満々のようだ。
魔法の絨毯にイザークと父さんと母さんとぼくと兄貴とケインとなぜだかウィルが乗ると、自宅に向かって飛行した。
おまけ ~次期公爵領主のお忍び旅行 其の2~
彼は関係者だ、とぼくを見たボリスそっくりの男性が教会の正面玄関を凝視したぼくに向かって声を上げた。
その声が耳に届いた時には辺境伯領騎士団員たちに押し出されるようにカイル君たちの前に進むことしかできなかった。
人ごみから押し出されたぼくがカイルたちと合流すると、栄養状態が悪いせいか瘦せこけた目ばかり大きい洗礼式前と思しき幼児たちを引率した留学生一行と軍服の男性たちがいた。
何か非常事態があって一時帰国しているけれど、領民たちに緘口令が敷かれた状態だ、ということにすぐ気づいた。
「生徒会長、お久しぶりです!」
キャロライン嬢そっくりの少年に挨拶されると、高位の帝国軍人らしい二人の男性が、彼が噂の生徒会長か!と言うので、口に含んだまま咀嚼することを忘れていた肉まんが喉に落ちかけて咳き込んでしまった。
帝国軍人にまで伝わるぼくの噂とはどんな噂なんだ!
三十代と思しき軍人が、それ、美味しいよね、と呑気にぼくに声を掛けた。
口に含んだ時は美味しかったけれど、今は味なんかしない。
二十代後半と思しき軍人が、騒がしくて申し訳ない、と謝罪した。
状況確認をしたいのに迂闊に、どうしたんですか?と聞けない雰囲気にのまれたぼくはただカイル君を凝視した。
お元気でしたか!と言うウィル君に回り込まれると、流されるまま歩くしかなく、今向かっている方角が水の神の祠の方だと推測することしかできなかった。
これが市電か!
水の神の祠前駅と書かれた看板のある駅に二両編成の車両があり、不幸そうな顔の子どもたちは女性たちの案内で後方の車両に乗り、ぼくは帝国軍人が乗った先頭車両に流されるまま乗り込んだ。
レールの継ぎ目に市電はゴトンゴトンと音を立てるが、滑らかに進む車両の中では、キャロルのじいじ、と自称した辺境伯領主が古代魔法陣が残ったまま現代に引き継がれ、ほぼ廃墟となっている町について語っているのが推測できた。
ぼくは即座にどう対処すべきか対処法が脳裏に浮かんだが、ぼくが引っ掛かったのは辺境伯領主の話の流れから推測すると、カイル君の両親を惨殺したのは帝国人、いや、ただのコソ泥ではなく帝国政府がかかわっているかのようにも聞こえたので黙っていた。
頑張った自分へのご褒美のような気分で旅に出たのに、ぼくはここに神々によって導かれたのだと、いや、再びカイル君の人生に関わり合える資格を研究によって手にしたのだと気付いた。
努力しなければ辿り着けない、神々の目に留まることなどない、その領域に足を踏み入れたことに体が震えた。
辺境伯領主はぼくに、教会の護りだけで辛うじて町の原形をとどめている町をどう対処するか、とぼくに尋ねた。
創造神が作ったこの世界に人が快適に住めるようにする方法を領主一族のぼくは知っている。
だけど、人間はこの神々が創り給うた美しい世界を我欲で汚す生き物だ。
ぼくが古代魔法陣を封じれば教会からの恵みの多いその町はアッという間に人間の欲望に汚されてしまうだろう。
手を貸す意義が見つからなくてぼくは言葉を濁した。
全身から汗が噴き出すほど緊迫した会話が続いていたが、市電が速度を落とすと、この後もぼくにこの話し合いに参加するように辺境伯領主は促した。
護衛とはぐれたことを伝えると、問題ないと返答された。
市電が停車して車両の扉が開いた時に出迎えてくれたのは中央広場ではぐれた護衛たちだった。
「地上の発展も素晴らしいのですが、さすが北国!地下街の発展も素晴らしいのです」
護衛の癖にぼくについてこられなかった二人は辺境伯領騎士団員に、辺境伯領主の護衛がついているから一旦任せて先回りをしよう、との誘いに乗ってしまったらしい。
ぼくが乗った市電は領都を円を描くように進むが、地下に潜れば領都を十字に横切る地下鉄があり、地下鉄と地下歩行空間を使用して先回りしていたらしかった。
明日は地下鉄に乗りたいな、と考えながら廃墟の町から保護された子どもたちの宿舎を見学していると、辺境伯領主に風呂に行こうと誘われた。
辺境伯領の風呂の文化は聞いたことがあったので、大浴場を楽しみにしていたぼくはご機嫌でついて行き、号泣した。
子どもたちが痩せこけているのはぎょろりとした目の大きさで想像していたが、助かった子どもたちから、こんなゆめのようにたのしいことがつづくはずがない、という声があがると、ぼくは両目から涙が溢れ出てくることを止められずお湯で顔を拭った。
どうしようもなく苦しい日々が続くなか突然助けられても、悪いことばかり起こることが日常だったので次にやってくる苦しみを予測して心を守ろうと反射的に考えてしまう思考に心当たりがあった。
神様は喜びの次に苦しみを用意している。
こんな苦しい日々の先に何かしらの喜びが待っていることになっているはずだ。
そうでなければ、耐えられない。
……そう考えることで心を守っていた。
痩せこけた子どもたちに、そんなことを信じていた幼いころのぼくを見るようで苦しかった。
……いつか、死ぬ、とばかり母が言わないで、自分の未来やぼくの未来に母が希望を持ってくれるはずだ……そんなことが起こらないことをなんとなく理解していたのに、信じていたかった。
温かいお湯で目頭を拭っているとカイル君の飛竜が小さな手でぼくの肘を優しくトントンと叩いた。
うん。
大丈夫だよ。
ぼくは努力してこの場に居る資格を勝ち取った……。
ぼくが気持ちを整えようとした時、カイル君はぼくの心をグッと抉る言葉を言った。
……幸せになるための努力は笑うことから始めるんだ。
堪えきれずに嗚咽が漏れると、カイルが孤児になったころからの友人のクリスとボリスも喉から奇声がでた。
ぼくたちの涙に優しさを感じ取った子どもたちが幸せを掴む第一歩として口角をグッと上げたのを見て、この笑顔を、本当の笑顔にできる仕事をするんだと心に誓った。




