マルコとジョージ
翌朝、日の出前に起床し中庭の山の神の祠に魔力奉納に行こうとすると客室棟のエントランスにガンガイル王国留学生一行が集まっていた。
ぼくたちが山の神の祠に着くとマルコが既に魔力奉納を済ませていた。
「せっかくですからこの後、舞踏室のバルコニーで早朝礼拝時の城下町を見に行きませんか?」
マルコの提案にぼくたちは一も二もなく頷いた。
山の神の祠に魔力奉納を終えると気の早い精霊たちがぼくたちの周りに出現し、昨日がよほど楽しかったのかキュアと戯れた。
舞踏室のバルコニーには眠そうな顔をしたジョージが二人の護衛の青年を伴ってベストポジションに椅子を出して座っていた。
ジョージはキュアと精霊たちを見ると満面の笑みになり、立ち上がって元気よく挨拶をした。
「おはようございます。きちんと相談したら早朝礼拝の時間もバルコニーに出ていいと許可をもらいました」
たぶんジョージには起きれないだろう、と両陛下は踏んだのだろうが、ジョージは好奇心が睡魔に勝ったようだ。
みぃちゃんとみゃぁちゃんがジョージの座っていた椅子を不敬にも占拠するとミロの猫が抗議の鳴き声を上げたが、いいよ、と言ったジョージは二匹の背中を撫でて満足そうに笑った。
日の出の時間を告げる鐘が鳴ると教会の建物が薄っすらと光り出した。
精霊たちは昨日ほどの量ではないが七大神の祠周辺や教会付近に出現した。
うわぁ、光った!とジョージが喜ぶと二人の護衛の表情がほころんだ。
「騎士団員を七大神の祠に派遣したのですね!」
マルコの発言に護衛たちは頷いた。
「ホントだ!ジョンが火の神の祠にいるよ!」
視力強化をかけても顔の判別が難しい距離なのにもかかわらず、ジョージは顔なじみの騎士を見つけ出した。
身体強化で魔力を使うことを日常的にしているのか、二人の護衛はジョージの強力な視力強化を気にしていない。
そういえば、ぼくとケインもイシマールさんにお目こぼししてもらいつつも経過観察されていたな。
ウィルとキャロルは何か思案するように目線を上にあげたが、ぼくと同じように判断を保留にすることにしたようで話題を変えた。
「両陛下のご決断の早さが素晴らしいですね」
「騎士団員たちが市民たちのお手本となれば、市民たちも日常的に魔力奉納をするようになるでしょう」
ウィルとキャロルの言葉に、騎士に憧れる子どもたちには覿面でしょうね、とマルコは頷いた。
「帝都のように祠巡りの貸衣装を作ることを真似してもいいですか?」
もちろん!とぼくたちが声を揃えて即答すると、かしいしょう?とジョージは首を傾げた。
祠巡りをする人たちに貸し出す衣装についてマルコがジョージに説明した。
「国民は服を買えないほど貧しいの?」
「多くの国民が祠巡りのために服を新調するほど服は安くないのよ。毎日着る服でさえおさがりを着まわすのが普通だよ。ジョージは国を代表する立場だから立派な服を着れるけれど、おそらく貴族の子どもたちだって、おさがりを着まわすことはよくあることだろうね」
マルコの説明にジョージの護衛たちは頷いた。
「キリシア公国は国土が狭いので繊維にする植物や動物に限りがあります。人間が利用できる量がおのずと決まっているのですよ」
ウィルの説明にジョージは首を傾げた。
ぼくはフフっと笑って城下町を指さした。
「殿下。町の暮らししか見ていないとこのくらい人間は密集して暮らしていけると思うでしょう。ですが、この城下町のどこにこれだけの市民を支えられる畑や牧場があると思いますか?」
質問の内容にいまいちピンとこなかったのか首を傾げたジョージに、昨晩のご馳走の素材がどこからやってきたのかな?とキャロルが言い換えると、えーと、とジョージは口籠った。
「この城壁の向こう側の農村ですよね」
ケインの助け舟にジョージはコクンと頷いた。
「国土の多くが山林である我が国では、食料の生産こそが最優先の産業なんだよ」
「お腹がすいたら生きていけない……」
ジョージが話についてきていることを確認したマルコは頷いて話を続けた。
「そうだよ。国民の衣食住を守るためにはこれ以上は畑の面積を増やせない。というのも、山林と鉱山を畑にしてしまうと薪や石炭がなくなるから冬は寒くて凍えてしまうよ。私たちは山の恵みで暮らしを立てているのだから、衣服の繊維のためにこれ以上麻の畑を増やせないし、羊毛も魔獣毛皮もたくさんは取れないんだよ」
マルコの説明にジョージは上着をぎゅっと掴んで素直に頷いた。
春を迎えたばかりで高地に位置するキリシア公国では、温度調節の魔法陣が施された上着がなければこのバルコニーで快適に過ごせないことをジョージが知っているとしたら、寝間着で部屋を抜け出したことがあるのだろう。
「じゃあ、何でわざわざ祠巡りのための衣装を貸し出さなくてはいけないの?」
新調する余裕がないのなら平服でいいじゃないか、と言い出したジョージにマルコが言った。
「城下町の市民たちは町にふさわしい衣装で暮らしているけれど、近隣の農村の村人たちが城下町に立ち寄った時、七大神の祠巡りが流行っているからと魔力奉納をしてくれたなら、それはとてもありがたいことでしょう?」
国民の魔力奉納も国の護りの結界を強化することになることを、昨晩学習していたジョージはマルコの説明に素直に頷いた。
「その時、ジョージは門限付きで七大神の祠巡りを許されていたとしたなら護衛たちは、時間にシビアになるでしょうね」
ジョージも護衛たちも頷いた。
「でも、その時、田舎から出ることが一生に一度かもしれない城下町を訪れた農村の青年が野良着のまま門限の迫ったジョージの魔力奉納の列の前に並んでいたとしたら、護衛たちは時間が来たら諦めるように言ったとしても、見ている市民たちは順番を無視してジョージを前に送り出そうとするでしょうね」
ジョージと護衛たちは素直に頷いた。
「その農民は日没前に村に帰らなければいけないとしたら、彼は魔力奉納を諦めてしまい、一生、城下町の七大神の祠巡りを達成することなく、死を迎えるでしょうね」
マルコの言葉にジョージは全てにおいて自分の行動が最優先されることを当然として生きてきたから気が付かなかったことに気付いた。
「ぼくの行動が、国民の一生に一度の機会を奪ってしまうのかもしれない……」
極端な例ではなくじゅうぶんにあり得ることだ、とジョージの護衛たちは頷いた。
「一日に魔力奉納する魔力の量ならばジョージを優先した方が護りの効果としてはいいでしょうけれど、農村の青年はジョージと違う意味で貴重な存在なのです。王家が足を運ばないような農村の青年が祠巡りを楽しんで精霊たちに気に入られて故郷へ連れ帰ったならば、青年の村の祠巡りにも精霊が光り輝いてその村でも祠巡りが流行するでしょうね。もしそうなったなら、王族の誰もなし得ないことを一農村の青年がすることになるでしょう」
ジョージは自分には次の機会があるから我慢した方がいい、と即座に理解したけれど、護衛の二人は顎を引いて、それは極端な例ではないか、と言いたいのを堪えるかのように頭を抱えた。
「国を豊かにするためには目に見える範囲だけに心血を注いでいたのではだめなんだよ。ジョージ。一人一人の国民は偉大な功績をあげないかもしれないけれど、彼らの仕事で私たちの暮らしは成り立っている。あなたの今日食べる食事も、着ている衣装も、あなたの部屋が暖かいのも、すべて誰かの仕事のお陰なの。王家が尊ばれるのは、国を護り、国を維持する仕事をしているからであって、あなた自身が偉いわけではないの。もし、祠巡りの人々が同じ衣装をまとっていたならば、行列に並んでいる市民たちは農村の青年もジョージも対等に扱うでしょう?」
「身分で魔力奉納の行為を邪魔してはいけないんだね」
頷いたジョージをマルコはギュッと抱きしめた。
「どんな人も、神々に感謝し、ささやかな願いを神々に申し出る機会があっていいはずでしょう?」
マルコはジョージに城下町を指さした。
バルコニーから見える城下町に出現した精霊たちが差し込むオレンジ色の朝日と同化するように消えていく様子を眺めながら、綺麗だね、とジョージが言った。
「この光景が国中に広がっていくためには、誰もが気兼ねなく魔力奉納ができて、その話を地方に広めてもらわなくてはいけないんだよ」
どれほど手紙で伝えても、目の当たりにするまでうちの国の貴族たちは本気にならなかった、とマルコがボソッと呟くとジョージの二人の護衛は項垂れた。
「ガンガイル王国の留学生たちは魔法学校の授業でたっぷり魔力を使用するのに、夜明け前に起床し、寮の庭で魔力奉納をして、それから祠巡りや教会前の早朝礼拝に参加するの!それが朝の日課!朝飯前の行動なの!騎士課程の専攻者は朝練の後に祠巡りをしたり、放課後に祠巡りをしたり、とみんな時間帯をずらしているけれど、全員がほぼ毎日しているの!忙しいことは言い訳にならないの」
語気を強めたマルコの言葉に、国王陛下に祠巡りを推奨されていましたが毎日七大神の全ての祠に魔力奉納はしていなかった、と護衛の二人が告白した。
あーあ、と声に出して残念な子を見るような目でジョージが護衛の二人を見ると、あなたが余計な仕事を増やすから時間が取れなかったのでしょう!と即座にマルコに突っ込まれた。
「お二人もお忙しいでしょうが魔力奉納に力を入れられた方がいいですよ。祠巡り、というか、神々に魔力を奉納する行為は魔力量が増加するだけでなく、若さを保つ秘訣のような気がするのです」
ぼくが何気に口にした言葉に、何ですって!と後方から女性たちの悲鳴のような声が上がった。
振り返ると両陛下とエイダ殿下も使用人の服を着てぼくたちの背後から早朝礼拝の城下町を見守っていたようだった。
「魔力奉納が若さを保つとは、いったいどういうことでしょうか?」
エイダ殿下が目をぱちぱちさせてぼくに詰め寄った。
「エイダ殿下が若々しく美しいことがその例の一つです」
まあ、お上手なお口ですこと、とエイダ殿下は微笑んだ。
「高位の貴族が若々しいのはその魔力量から、とされていますが、高位の貴族だからこそ魔力奉納をする機会が多いのです。そうなると、若々しさと魔力奉納の繋がりが見えにくくなるのですが、そこで気になったのが、あちらでぼくたちの従者として控えているクレメント氏です。実はかなりの高位の貴族なのです」
突然ぼくに紹介されたクレメント氏は、驚いた表情を押さえてたおやかな仕草で一礼した。
ぼくが何を言いたいのかに気付いたウィルの頬が上がった。
「ええ、ラウンドール公爵家の重鎮ですが、青年期に病弱だったため、帝国に留学したことがなかったので、従者として付き添ってでも旅をしたい、とのことなので、ぼくの大伯父なのに本当に従者になってしまったのです」
ウィルの追加の紹介に、どうりで物腰が柔らかく気品がある人物だと思った、と両陛下が口にした。
ミロとスライムたちの淑女指導の賜物なことを知るぼくたちは吹き出さないために腹筋と表情筋に身体強化をかけた。
「体が弱かったことを家の者たちが気遣うので、領都では館の魔力奉納だけで祠巡りを日課にしていなかったのですが、この旅に同行してから毎日ぼくたちの魔力奉納に付き合うようになると、なんだか若返ったようにはつらつとなり、魔獣調査に同行すると元騎士のベンさんや現役の魔法学校生たちと同じ速度で走れるようになったのです」
姿勢のいい物腰柔らかな細身の老人が、冒険者登録をしている魔法学校生と同じ体力があることに、護衛たちも両陛下も驚きの顔でクレメント氏を見た。
「なるほど、魔力奉納で神々のご加護が増えると考えればあり得ることだな」
国王陛下の言葉に頷いた王妃殿下とエイダ殿下は顔を見合わせると優雅に微笑んだ。
「祠巡りの貸し衣装はいいアイデアですね」
そうだな、と国王陛下もいい笑顔で頷いた。
予備騎士の制服で城下町に降りた成功体験を思い出したかのような両陛下の微笑に、護衛たちの顔色が変わったことをジョージが面白そうに見ていた。
好奇心旺盛なのはきっと家系に違いない。




