私を淑女にしてください!
中庭では朝食の準備を教会関係者たちと留学生たちが合同でしていた。
不器用な手つきでシュウマイを包むクレメント氏に合流したベンさんが形を整えていた。
朝食を仕込みに手間のかかる点心にしたのはワイルド上級精霊のリクエストで、中華まんじゅうや蒸し餃子をみんなでワイワイと包む作業に夢中になったから、ぼくたちが身代わり人形だったことをキャロルやミロに気付かれなかったようだ。
祭壇の供物を珍しいものにした早朝礼拝では湯気の上がる蒸したての海老餃子と小籠包に興奮した精霊たちが礼拝室から溢れ出るほど出現し、教会前の特設祭壇に魔力奉納にやってきた参拝者たちを喜ばせた。
精霊たちは中庭での点心の仕込みを続ける作業を見学しにきて、お手伝いをする孤児院の子どもたちが上手にできると褒めるかのように点滅した。
ハンスはぼくたちが町の結界を越えて勝手に出入りしたことに触れず、精霊たちが早朝礼拝を終えても消えないのはぼくたちの滞在を精霊たちが喜んでいるからだ、と語っている。
「目新しい美味しいものを供物にすると精霊たちも喜んでくれるんですよ」
ウィルの説明に、そうだよ、と精霊たちが点滅した。
「それだったら、オレンジのゼリーに感激してくれたのかもしれないな」
司祭の言葉に、それも好きだよ、と精霊たちが点滅した。
「美味しいものを神々に感謝して教会で市民たちに振る舞えば、祠巡りだけでなく定時礼拝にも人々が集まってくれるかしら……。それだと何もないときは市民たちはがっかりしてしまうでしょうね」
今朝も肉まんのおさがりを市民たちと分け合った聖女は振舞うものがなければ市民の関心が薄れていくのではないか、と危惧した。
「教会の恩恵を感じた町の人たちが少しずつ持ち寄って供物を寄進するようになるはずですよ」
実際に今日の早朝礼拝に食材を寄進した市民たちもいたのでぼくの話に教会関係者たちは頷いた。
「教会関係の方々は教会のお勤めでは市民カードのポイントがつかないから、お気づきにならないでしょうけれど、定時礼拝に参加するとポイントがたまりますから、美味しいものを振る舞わなくても信仰心とちょっとしたお小遣い稼ぎに市民たちは集まりますよ。ぼくはポイントがなくても信仰心と義務感から魔力奉納を欠かしませんでしたが、帝国に入国してからは祠巡りでも定時礼拝でポイントがつくとやっぱり嬉しいので励みになるのですよ」
ガンガイル王国内の魔力奉納では一切ポイントがつかない王位継承権を持つ王族だと何気に暴露したキャロルは、帝国に入国してから初めて普通の人たちと同じようにポイントがついた、と無邪気に笑った。
「お姫様は、いえ、公子殿下は自国の護りに繋がる魔力奉納は一切ポイントがつかないのですか!」
驚いた司祭の言葉にキャロルとマルコは頷いた。
「魔力奉納をしていると魔力の扱いになれる上に、翌日、少し魔力量が増えたように感じるので、無報酬で尽くしていたというわけでもないのですよ」
マルコの発言にキャロルも頷いた。
「うむ。その感覚は日々お勤めを果たしている我々も実感している。神々につくし、人々の暮らしを支えている仕事を続けていると必然的に自分が磨かれていく。だから、ハンスの留学に私は賛成だ。今のハンスなら上級魔導士並みの魔力がある。実用的に研鑽しないのはもったいない」
今のハンスの状態は大聖堂の一つ目の扉を開けられないのに最後の部屋を開けられる、いびつな状態だ。
「教会内でハンスさんの不在に問題がないことが確認されたらいつでも留学できますよ。ガンガイル王国の魔法学校は夏場の休校期間にも一般市民に向けた特別講座が常時行われています」
ミロはガンガイル王国の魔法学校の現状を教会関係者たちに説明した。
「帝都でも学び直しの機運が高まっているので、じきに地方の魔法学校でも成人の入学が珍しくなくなるはずです。ハンスさんは留学で資格を手にして先駆けになってください」
ウィルは帝都で魔術具を多用した工房がいくつもできたことで、初級、中級魔術師が不足しているから次年度は学び直しの成人が初級魔法学校に入学予定だ、と教会関係者たちに帝都の現状を説明した。
「時代が変わっていく瞬間に立ち会っている気がしてきました」
聖女の言葉に教会関係者たちは頷いた。
朝食の後片付けが済むと子どもたちと魔獣カードで一勝負してから、バイソンの追跡調査を継続する名目で帝国に併合された旧ランドール王国の領地へ向かうことになった。
この勝負が終わるとお別れだと感じた子どもたちの中には泣きながらカードを出す子もいて、キャロルが再訪を約束すると、かえって号泣させてしまい、精霊たちがパッと光って子どもたちを慰めた。
教会関係者たちに涙ながらに見送られた三台の馬車は、まるでパレードのように見送る大勢の市民たちに手を振られて北門から出発した。
「転移魔法で帝都入りすると、こういった人々との出会いがないのですね」
キャロルの言葉にミロとマルコが頷いた。
すっかり仲良くなった三人の男装女子は、昨年のマルコの男装が秒でバレた出会いの話を聞いて笑っていた。
「……その、声変わりの魔術具とやらがあれば私も女装できるかな?」
クレメント氏が話に割り込むと、女装?とぼくたちは脳裏に疑問符を浮かべてクレメント氏を見た。
「いや、ドレスを着て女言葉でしゃべりたいという願望があるのではなく、キャロルが第三夫人と面会することが叶えば、従者として面会に付き添えるかもしれない、と考えただけだよ」
女装趣味があるわけではない、とクレメント氏は両手を広げて激しく振りながら否定した。
「認識疎外の魔法を使ったまま宮廷の敷地内に入れるかどうかの問題がありますが、女性従者が付き添うことは可能でしょうね」
ウィルの推測に、大丈夫か?とみんなが首を傾げた。
「卒業記念パーティーで宮廷内に足を踏み入れた時の感覚だと、宮廷の敷地内の結界は皇帝の入場許可が下りた者には出入りの検査が簡易化されているから、付き添いの許可さえ下りれば何とかなりそうな気がするよ」
「無理ね、考えが甘い!」
ボリスの発言をミロがきっぱりと否定した。
「魔法でどうこうする以前の話なのです!クレメント氏を見てください!」
ぼくたちはダンディーな髭を生やしたクレメント氏を注視した。
「お顔は問題じゃないのですよ。お綺麗なお顔立ちなので、髭を剃ったら高齢のご婦人のふりをすることは可能ですが、その座り方です」
足をどっかりと広げて座るクレメント氏を見たぼくたちは、ああ、と声を上げた。
「女装したらスカートが広がってその足を隠すでしょうけれど、誤魔化しきれるものではありません。キャロル、いえ、キャロお嬢様の付添人ともなれば王宮内の女性従者の鑑のような立ち居振る舞いができなくてはなりません!」
キャロお嬢様の幼馴染として学習館時代から厳しく仕込まれていたミロの言葉に重さを感じたクレメント氏は、駄目か、と項垂れた。
「駄目なことはないですよ。なにも、明日明後日の話ではなくまだ時間があるのですから練習してみたらどうでしょう?」
ケインの提案にクレメント氏は希望の光を瞳に宿してミロを見た。
「弟子入りさせてください!どうか、私を淑女にしてください!」
顔の前で両手を握りしめたクレメント氏の懇願に、ミロは嫌そうに顔を顰めたが、ぼくたちは爆笑した。
「ふざけてません。本気です!キャロライン姫と第三夫人との面会にはおそらく皇帝陛下自らご臨席されるでしょう。生まれ変わるたびに私は彼と親友になった。……それなのに、彼は私を裏切って侵略戦争を吹っかけてきたのだ!」
爪が食い込むほど強く握りしめた両手を小刻みに震わせたクレメント氏の姿から、友人から裏切られ祖国を焦土にされ、ガンガイル王国と併合せざるを得なかった最後の国王の悔しさが痛いほど伝わった。
「前世の話はちらりと伺いました。そうですね。皇帝陛下に前世の記憶があるのなら、女装したクレメント氏を見たらどれほどの衝撃を皇帝陛下に与えられるかを考えると……面白そうですね」
キャロルは不敵な笑みを見せた。
前世?と話の見えないマルコに、ウィルとクレメント氏が無難な説明をした。
「私は大病から生還する時に前世の記憶を思い出したのです」
「大伯父上はラウンドール王国最後の国王クレメントの生まれ変わりなのです」
そうなのですか!と驚くマルコは今の話の流れから、現皇帝がクレメント氏を裏切った親友の生まれ変わりだとクレメント氏が考えていることに気付いたようで小さく頷いた。
「それで卒業記念パーティーで宮廷内に侵入するために男性従者の役を買って出ていらしたのですね」
「ああ、スライムたちの手伝いもあって、現皇帝が彼の生まれ変わりだと確信したんだ。あいつは生まれ変わるたびに同じ女性を妻にした。現在皇帝として十七人の妻を持つが、あいつが本当に自分の妻だと認識しているのは第三夫人だけだろう」
結婚してから一度も自身の離宮から出たことのない第三夫人の話を聞いていた三人の男装女子は皇帝の執着心に恐怖を感じてゴクリと唾を飲み込んだ。
「私もご協力いたします。前世の裏切り者の姿を見に行く機会を逃さないために、微力ながら力をお貸しいたします」
マルコの言葉にミロは頷いた。
「クレメント氏の覚悟を聞いて決心いたしました。クレメントさんが完璧な淑女として振る舞えるように鍛えて差し上げます!」
口調がキャロお嬢様の付添人だったエミリアさんそっくりになったミロに、頼もしさを感じてぼくとケインとボリスは顔を見合わせて笑みが漏れた。
真面目な雰囲気になったのに笑みが漏れたぼくたちに、どうしたの?とウィルが尋ねた。
「ミロの話し方がマークの母親にそっくりなんだ」
辺境伯領出身者たちから笑いが起こると、ミロは涼しい笑顔で立ち上がった。
「ぼくの師匠に似ていると言われることは光栄です。クレメントさん膝を揃えて足を閉じてください。座席が低いようですから、揃えた足を前に出さずに横に少し傾けて……。そうです。よろしいですよ」
クレメント氏の隣に座ったミロは手を置く位置や、胸を張らずに肩を下げるなど、細かい指示を出し始めた。
「正しい姿勢を身に付けるまでドレスの着用は認めません。服装に頼らなくても女性らしい仕草になればあなたは淑女らしくなれます!」
自分は認識疎外の魔法で体格を男児らしくみせているのに魔法や衣装なしで淑女になれ、と理不尽な要求を出すミロに、はい、とクレメント氏は真面目に答えた。
うまくいくの?とみぃちゃんは小声で兄貴に尋ねた。
「クレメント氏の本気を見ていればいいよ」
兄貴の言葉に犬型のシロも頷いた。
クレメント氏はきっとやり遂げるのだろう。




