引き籠り姫
「皇帝陛下が詠唱魔法を使用するという話は聞いたことがないが、カイル君のように魔法陣の仕込みが多く多彩な魔法を一瞬で行使するという噂は聞いたことがある」
オーレンハイム卿の発言に東方連合国バヤル寮長も頷いた。
「即位の派兵で例年通りに東方連合国と模擬戦争をするのかと思いきや、模擬戦争をしつつも、南方の小国に宣戦布告して三日で陥落させた時の変わり身の魔法は有名ですね」
皇帝即位の模擬戦争は新皇帝の威信をかけて大編成で出兵するのが慣例で、大々的な軍事パレードの側面もあるらしい。
全軍東方連合国の当番国に派遣したと見せかけて南部の小国に半数を派遣し、その両軍のどちらも皇帝が指揮したと言われている。
身代わりに認識魔法をかけておいて必要な時に本人が転移すれば、同時に二つの戦争の指揮をとることも可能だろう。
“……ご主人様。皇帝は精霊使いではありませんし、精霊たちにも好かれていません”
シロがぼくの脳裏をよぎった精霊魔法をきっぱりと否定した。
帝国全土の土地の魔力が下がった状態にした真犯人の皇帝を精霊たちが好むはずがない。
とはいえ皇帝が精霊言語を習得している可能性は否定できない。
“……ないとは言い切れないけれど、六人目の実行犯を皇帝が見抜いたのは、たぶん、精霊言語を行使したのじゃなくて、宮廷内の皇帝が敷いた魔法陣に引っ掛かったんじゃないかな。なんだかすごい魔法陣が会場内にあったんだよね”
マルチアングルで撮影するために会場内に多数の分身を配備していたみぃちゃんのスライムは撮影を始めた時に魔力を使用すると体を探るような魔力の干渉が一瞬あったと精霊言語でぼくに伝えた。
魔力で体を探られる感覚まで伝わるのだから、精霊言語が万能な言語なのだと再確認させられた。
“……ご主人様。皇帝に話しかける精霊もいませんし、皇帝も思考を駄々流しにする人物ではないので、皇帝が精霊言語を習得したかどうか今のところはわからない、としか言えません”
“……何度も生まれ変わることで身につけた知識の幅が広い、と考えて用心した方がいい”
シロと兄貴が判断を保留にしたということは、太陽柱の過去の映像を全て洗いざらい探さなくては断定できないからだろう。
「皇帝陛下の経歴から鑑みても教会に所属した経歴はないが、陛下が独自の魔法を極められた稀有な方ということは確かだ」
オスカー寮長はクレメント氏を寮に呼んだサプライズが成功した時に亜空間で皇帝の転生の話を擦り合わせ済みだったので、ウィルがうっかり漏らした、無詠唱魔法、という言葉から話を逸らした。
「それにしてもあれだけ華やかな衣装で斬新なダンスをしたのに精霊たちは出現しませんでしたね」
ぼくたちが公の場で歌って踊ればほぼほぼ精霊たちが出現するはずなのに、と帝都にきてからの精霊たちの出現条件を研究していたビンスが言うと、ロブが即座に否定した。
「精霊たちは勧善懲悪を好む傾向があり(圧政に苦しむ)市民が救済されて喜びから歌い踊るのが好きなだけであって、(圧政を強いている)権力者たちのパーティーで、身分に囚われず市民を守るために活躍した人物たちが襲撃される現場では出現しないでしょうね」
ロブの推測に談話室に集まった全員が、それもそうだ、と苦笑した。
ぼくの土壌改良の魔術具がなければ満足に一般国民が食べることもできない状態だったのに、毎年、千人規模の卒業記念パーティーを皇帝が威信をかけて開催していたなら、精霊たちがパーティーそのものを面白く思うことはないだろう。
オスカー寮長はマリアとデイジーとアーロンに今日は寮に泊っていく方がいいのではないか、と勧めていた。
お泊りが決定するとデイジーは夜食を求めて食堂に行こうと席を立つと、お風呂の後に用意しますね、と食堂のおばさんに先回りで釘を刺されていた。
予想できたやり取りに寮生たちから笑いが起こり、暗殺未遂の衝撃から日常へと気持ちの切り替えになった。
「結局のところ吹き矢の犠牲になり得る範囲内にいた全員の衣装が光ったため、特定の誰を襲撃しようとしていたか明確になっていないから、寮生たちは今後も、単独行動をしないよう注意を怠らないでいるように」
オスカー寮長は気の緩んだ寮生たちに声を掛けると、はい、と元気よくぼくたちは返事をした。
風呂と着替えが済んだら寮長室に来るように、とぼくの耳元で寮長が囁いた。
ぼくがクレメント氏を見遣ると、寮長が頷き、それを見たお婆がぼくをジト目で見た。
ぼくのスライムに、着替えが済んだら亜空間で打ち合わせしよう、とお婆のスライムに伝言を託した。
第三夫人の話もあるので女性目線があった方がいい。
風呂と着替えを済ませると一旦自室に下がったウィルがぼくたちの部屋にやってきた。
「お婆の支度も済んだようだよ」
ぼくのスライムがそう言うと、シロはぼくと兄貴とジェイ叔父さんとお婆とオスカー寮長とクレメント氏を亜空間に招待した。
「寮長室にお邪魔するより、この会議室の方が時間経過を気にしないでゆっくり話せるのでしょうか?」
オスカー寮長に尋ねると、その方が助かる、と苦笑した。
「本当はお城の舞踏会の話をゆっくり聞きたかったのに、とんだ目にあったのね」
みぃちゃんは白いソファーの真ん中にどっかりと座り込んでシロの真っ白な亜空間の大きなスクリーンの正面を陣取った。
「好きなところに座ってください」
ウィルがまるで自宅のように寮長に勧めると、ああ、と違和感なく答えた寮長はスクリーンのそばの一人掛けのソファーを選んだ。
「ダンスパーティーは中継で見たから、深窓のお姫様の様子を知りたいわ」
キュアがみぃちゃんの両隣に座ったジェイ叔父さんとお婆の真上を陣取ってぼくのスライムをせかした。
クレメント氏がオスカー寮長の隣に座り、ぼくとウィルがオスカー寮長たちの反対側に座ると真ん中のテーブルの上にスライムたちが集まった。
「まあ、順番に見せるわよ。まずはみぃちゃんのスライムの秘蔵映像よ」
ぼくのスライムが仕切ると、みぃちゃんのスライムは寮生たちには見せられない宮殿内の検査を紹介する映像を流した。
「使用人通路にも持ち物検査のエリアがあって、廊下のここの区間が毒物を搬入したら床が光る魔術具が設置されていて、こっちが凶器の検査の区間になっているわ。武器も携帯許可なく持ち込むと壁が光る仕掛けね。カトラリーも調理器具も運搬用の箱に入れなければ宮殿内に持ち込めないようになっているのよ」
みぃちゃんのスライムは分身を定点カメラのように配置していたので、人の出入りをダイジェストに映し出した。
ぼくたちは勲章をジャラジャラ身につけていたが収納の魔術具を置いてきたので不審物の待ちこみはなくここを難なく通過していた。
「城内の警備は通常入り口の検査で事足りているようなんだけれど、晩餐会の会場とダンス会場は特別な結界が張られていたよ」
みぃちゃんのスライムは会場内で魔力を使うと結界に探られたことを話すと、ウィルとジェイ叔父さんとお婆のスライムも頷いた。
「スライムたちはぼくたちの護衛を兼ねているとして魔力の使用を皇帝陛下に黙認されていたということでしょうか?」
「晩餐会での謁見の際にスライムたちの魔力使用を咎められなかったということは、黙認されていたのだろうな」
ウィルの疑問にオスカー寮長も頷いた。
「第三夫人の離宮に忍び込むときは外から見ても厳重な結界が張られていたのがわかったから、あたいの魔力がバレないように使用人の動きに合わせて侵入したからあたいの行動はバレていないと思うよ」
細菌レベルまで小さくなって侵入したぼくのスライムは自信満々に言った。
「それで、これがお姫様の離宮の内部ね。こぢんまりとした一軒家ってところね」
ロココ調っぽい猫足の家具に統一されているのに華美になり過ぎず、白を基調とした室内にアソートカラーに淡いオレンジベージュを使用し、アクセントカラーにピンクが映える乙女チックな内装だった。
「ああ、ガンガイル王国城に残されている伯母上の部屋の趣味そのものだよ。あああ、そうだね、少女趣味のままお婆さんの年齢になってしまっているんだね……」
スクリーンにドピンクのドレスを身に纏った第三夫人が映し出されると、事前にぼくのスライムから情報があったのにもかかわらず、オスカー寮長は映像に衝撃を受けてピシャリと額を叩いた。
「姫君の好みが最優先されており、健康に問題がありそうに見えないということは、溺愛されているという話に間違いないようですね」
質素倹約が尊ばれているから上流階級のドレスも色を押さえた物ばかりだったのに、華やかなピンクを身に纏うことが許されている立場なのだと、お婆が指摘した。
「ふーむ。これは困ったな。いや、伯母上が大切に扱われているということが確認できたのは良いことだけれど、こぢんまりとした生活に伯母上が満足されているのなら、我々がいくら手紙で外に出るように促しても上手くいかないだろうなぁ」
寮長の嘆きにぼくのスライムは頷いた。
「そうね。外の世界が面白いという方向性で寮生たちの薄い本の存在を臭わせても、実際に手に取ってみなければ、なかなか安全な離宮を出ようなんて思わないかもしれないね。宮廷の敷地内の結界だけでは武器や毒物が持ち込めるくらいゆるゆるなんだもん」
広い宮廷の敷地内には美しい庭園だけでなく自前の畑もあり、手入れをする使用人たちは道具を使用するし、綺麗な花には毒があるものも多い。
厳重にしたら宮廷内が要塞化してしまい、芸術性を失えば帝都襲撃を恐れる皇帝というイメージが湧きかねない。
抜け道があるからぼくたちは襲撃されたのだ。
「いっそこの場にお姫様を招待してみたらいいんじゃないの?」
みぃちゃんは亜空間なら薄い本を持ち出しても問題がないと提案した。
「辺境伯領主夫人をお招きできるなら、伯母上も安心してこちらで寛げるかもしれませんね」
寮長が乗り気になると、ちょっと待ってください!とお婆が声をあげた。
「十年も引き籠っていて家族にろくに手紙を書かなかった人物の親族として物申しますわ!」
隣に座るジェイ叔父さんの名前を呼ばずに例に挙げると、ジェイ叔父さんの眉が寄った。
「本好きのお姫様に今まで見たこともないような刺激的な本を時間経過のない部屋で見せてしまうと、この部屋から出なくなることが見え見えです!」
ジェイ叔父さんは返信の手紙が書けない状態ではなかったのに、引き籠り生活ゆえに止める人間がいなかったため魔術具の研究に夢中になり過ぎて返信しなかっただけだったのだ。
第三夫人は女性親族に手紙の返信をするくらいできるはずなのに、それをしないということは、新刊が次々に手に入る状態だから、返信を後回しにしたまま何十年もズルズルと連絡が取れなくなっているのではないか?とお婆は指摘した。
「それはあながち間違いではない気がします。使者から託された第三夫人の手紙にはオーレンハイム卿夫人の小劇場の脚本を読みたいから差し入れしてほしいと書いてあったのだよ。ご自身が何十年も返信の手紙を書かれないからご兄弟が心配していたのに、やっと返事をいただけたと安堵したら、出版されていないオーレンハイム卿夫人の本を求めてきたんだよ!」
長年交渉してもなしの礫もなかったオスカー寮長は怒りをあらわにして、新刊読み放題は危険だ、とお婆の意見に賛成した。




