私とダンスを踊ってください!
「全くもう、肝が冷えたよ。いや、上出来だった」
晩餐会の会場の隅でアーロンたちが挨拶をするのを見守っているオスカー寮長は合流したぼくとマリアの皇帝への対応を褒めた。
皇帝は笑顔でアーロンに海産物をねだっている。
「例年にない饒舌な皇帝陛下に適切な対応ができていましたよ」
オスカー寮長夫人は何度も小さく頷きながら緊張のあまり涙目になっていたのか目頭にハンカチをあてた。
アーロンは漁獲制限内でしたら都合がつくはずなのでムスタッチャ諸島諸国代表国に問い合わせてください、と発言し献上するとは明言しなかった。
言いたいことを言う流れを作ったのは皇族たちが勢ぞろいしている公の場でオスカー寮長が不在の第三夫人の話題を振り、深追いせずにサッと身を引くというお手本を見せてくれたからできたのだ。
ぼくたちと合流して緊張が解けたアーロンは、自分の後に続くボリスやロブとそれぞれのパートナーたちが、飛び級の秘訣は何だ?と尋ねる皇帝への返答を両手を握りしめて見守った。
大きな目標を立て、同時に実現可能な目標をいくつか立て、一つずつこなす、とか、できないと思わない、などと素直に回答した四人に、そうか、と皇帝は終始笑顔を見せていた。
本来は実体のない兄貴を目の前にしても気付いた様子もない皇帝のご機嫌は続き、魔術具暴発事件で小さいオスカー殿下と共に瘴気を押さえる活躍をしたことを褒めた。
魔術具暴発事件の活躍を公の場で皇帝に評価された小さいオスカー殿下は頬を赤く染めて喜びをかみしめるかのようにやや俯いた。
「私たちは親しみを込めてですが、小さいオスカー殿下とお呼びしていますが、オスカー殿下の魔力量に絶大な信頼を持っていたからできた行動です」
小さいオスカー殿下の魔力を当てにしていたので、褒め殺しではなくまごうかたない事実を言った兄貴の発言に小さいオスカー殿下はさらに顔を赤くした。
これからも仲良くしてやってくれ、と皇帝に小さいオスカー殿下のご学友認定をされた兄貴は、恐縮です、と言ってパートナーをエスコートして下がった。
兄貴は去り際に小さいオスカー殿下に微笑みかけると、小さいオスカー殿下は皇族然とした気取った笑顔だったが瞳は嬉しそうに輝いていた。
次に一礼したジェイ叔父さんとお婆を見た皇帝は今日一番の笑みを浮かべた。
「ジュンナさんは美しい上に薬師として大活躍されているようだね。私の妻たちへのお勧めがあったら紹介してほしい。ジェイ君の魔術具は我が軍でたいそう重宝している。二人とももうしばらく留学を続けてもらいたいものだ」
「「恐れ入ります。私どもの甥が来年度入学予定ですので、あと一年ほど留学を続ける予定です」」
ジェイ叔父さんとお婆は声を揃えて答えると、皇帝は笑みを深めて、そうか、と言った。
「「今後も精進いたします」」
二人が声を揃えて言うと、まるで夫婦のようじゃないか、と皇帝は喜んだ。
「「御前を失礼いたします」」
ぴったり声を揃えた二人が一礼して下がると、オーレンハイム卿夫妻が間髪を入れずに一礼して一歩前に出た。
皇帝はオーレンハイム卿に、魔獣学の体力テストでは上位の成績を出し、魔術具暴発事件で市中を駆け回り活躍したことを指摘し、隠居するのが早すぎたのではないか、とからかった。
息子が立派に成長したので爺は好きにさせてもらっている、と言うような発言をオーレンハイム卿がすると皇帝はゲラゲラと笑い出した。
オーレンハイム卿夫人には、妻たちが夫人のサロンで販売している化粧品を気にしている、とおねだりするかのような発言を皇帝がすると、化粧品は使用感に個人差が大きいから肌の状態をご確認しなければ勧められない、とオーレンハイム卿夫人はやんわりと断った。
肌に合わずに爛れた、と言いがかりをつけられかねない事態を危険回避したオーレンハイム卿夫人に皇帝の左右に並ぶ皇帝夫人たちはかすかに眉を顰めた。
今までガンガイル王国を散々馬鹿にしてきた皇帝夫人たちがガンガイル王国産の化粧品を簡単に献上品で入手できると考える方がおかしいよ。
陛下の御代の安寧を心よりお祈りしております、とオーレンハイム卿が締めくくって夫人とともに一礼して下がると、ガンガイル王国関係者の皇帝への挨拶が終わったことにぼくたちは安堵した。
見事な受け答えだった、とお互いの健闘をぼくたちが声を出さずに称え合っていると、オーレンハイム卿夫妻の後に並んでいた人たちに、其方たちとはいつでも会える、余はダンス会場に行く、と皇帝が言い出して会場内は騒然となった。
皇帝陛下がご臨席される卒業記念パーティーも稀なうえにダンス会場に行くことはめったにないことだ、とオーレンハイム卿夫人が囁いた。
皇帝が移動すれば他の皇族たちも右倣えでついてくるのだろうな、と予想をしたぼくたちは大急ぎでダンス会場に移動した。
広い廊下一つ隔てたダンス会場では先に皇帝への挨拶を済ませた卒業生たちが楽団の演奏に合わせてすでに大勢踊っていた。
晩餐会の会場と少し離れたダンス会場は成人の祝いの場を兼ねており、本来は無礼講になるらしい。
帰郷する前に憧れの人と一度だけでもダンスをしたい、と青春の残像を追う場になることも多々あるようで、恋バナ好きのオーレンハイム卿夫人は目を輝かせて説明してくれた。
「例年、卒業生総代の眉目秀麗なカップルがダンスフロアーの中心で踊っているはずなのに……卒業式で精霊たちに祝福されなかった卒業生たちは中心にいないのですね」
盛られた成績より人柄を重視して精霊たちが光ったことで卒業生総代カップルは負い目を感じているのか、ぼくたちが入場するとフロアーの中心から端の方に移動してしまっていた。
後から皇帝が来ることがわかっているぼくたちは上座っぽい椅子が置かれたのとは反対側のバルコニー付近の壁際へと早々に逃げ込んだ。
オーレンハイム卿夫人曰く、この場所は華やかなパーティーに不慣れな人たちがかたまる、いわば『壁の花』のたまり場になりがちだけど、バルコニーに外の空気を吸いに行くという言い訳をしていい感じに持ち込みたいカップルがやってくる場所にもなるようで、ダンス会場の機微を観察するのにベストポジションらしい。
ポケットの中にいるぼくのスライムの本体もそういう話が大好きなのでポケットから触手を出してあたりを観察している。
みぃちゃんのスライムが分裂してマルチアングルでダンス会場を撮影するので、ぼくのスライムは宮廷内の密偵を主な任務としながらも、本体はダンス会場の雰囲気を楽しんでいる。
皇帝陛下のお出ましの先触れがアナウンスされると会場内がざわつき、踊っていた卒業生たちも動きを止めてしまった。
「そのままパーティーを楽しみなさい」
大勢の取り巻きを引きつれてダンス会場に来た皇帝が、無礼講のままでかまわない、と言っても、皇族たち全員の御前でダンスを続けられる強靭な精神力の卒業生たちはいなかった。
楽隊は演奏を続けているのにダンスフロアーには踊り手がいなくなってしまい、会場内は気まずい雰囲気に包まれてしまった。
そんな空気を読まずに第三皇子は夫人を連れてぼくたちのところに突進してきた。
妻の紹介を手短にして魔術具談義を始めようとする第三皇子に、まず奥様と一曲踊らなくてはいけませんよ、とオーレンハイム卿は手本を示すかのようにオーレンハイム卿夫人に手を差し出して丁寧に申し込んだ。
「私の愛する美しい妻よ。年老いて魔法学校生となった私と一曲踊っていただけませんか?」
「もちろんです。老いてなお美しいと言ってくださる貴方と再び青春を謳歌できるなんて、新婚の頃には想像もできませんでしたわ」
熟年夫婦の熱々ぶりを見せつけられた第三皇子は自分の妻に向き合うと、恥ずかしそうに手を差し出した。
「婚約時代からロマンティックな言葉を言うことはなかったから、こういう時にすらすら言葉が出てこないのだが、愛する人と踊れることはダンスが苦手でも幸せなことなのです。私と一曲踊っていただけませんか」
不器用な第三皇子の誘いに、はい、とだけ返事をした第三皇子夫人の頬も赤らんでいた。
この夫婦はきっと普段から会話が少ないからこんな拙い誘い方でも夫人を喜ばせることができるのだろう。
「ジェイ君やジュンナさんも一緒に踊っていただけたら人生最高の思い出になります!」
第三皇子の発言にジェイ叔父さんは流れ弾があたったかのように仮面越しにも嫌そうに眉を寄せたのがわかった。
「そうですね。こんな機会はもうないかもしれない!」
お婆と同じダンスフロアーで踊れることに気付いたオーレンハイム卿がキラキラした笑顔でお婆を見ると、オーレンハイム卿夫人も嬉しそうに頷いた。
あんなに熱心に指導してくれたオーレンハイム卿夫人の誘いにお婆が頷くと、こんな機会は確かに二度とないだろう、とジェイ叔父さんも頷いた。
三組のカップルがダンスフロアーの真ん中で踊り始めるとマーメイドドレスだったお婆とオーレンハイム卿夫人のドレスはダンスの動きに合わせて百合のつぼみが大輪の花を咲かせたように大きく膨らんで広がったので、会場内の女性たちから、まあ素敵、と歓声が上がった。
スカートが広がるとジェイ叔父さんとお婆のステップが多少ぎこちなくても見えにくくなり、リズムさえ外さなければ問題ない、と二人に言っていたオーレンハイム卿夫人の助言が正解だったことがわかった。
「次はジョシュアやカイルも踊るんだよね」
いつの間にかぼくたちの側に来ていた、小さいオスカー殿下がぼくたちに尋ねた。
「ウィルとデイジー姫の身長差でもパートナーになれるのだから、私も年上の憧れの女性に声を掛けると一曲踊ってもらえることになったのだ。是非みんなでダンスフロアーに繰り出さないかい?」
絶句したぼくたちに、どうしてこうなったのか小さいオスカー殿下が経緯を語った。
主役の卒業生たちが踊らないのだから、自分たちがダンスフロアーの中央で踊っても問題ないだろう?と小さいオスカー殿下は意中の皇女殿下の側近にアプローチしたらしい。
皇子殿下の誘いを断りにくかった皇女殿下の側近は、ぼくたちが一緒に踊ってくれるのなら、と条件を付けたようで、小さいオスカー殿下は行き勇んで彼女を連れてぼくたちのところに突進してきたらしい。
アーロンどころかマリアもデイジーも競技会で同じチームだったから、小さいオスカー殿下の恋心ゆえの努力を身近で見ていた。
最近優秀になった皇子の立場ではきっと恋愛結婚が難しいだろう友人の青春の思い出のために一曲くらいダンスに協力することはやぶさかではない。
小さいオスカー殿下の横にいる彼女はデイジーやマリアのドレスを不躾にならないように気を配りながらも観察しているようだったので、小さいオスカー殿下の誘いを断り切れなかったのではなく、ぼくたちのパートナーの女の子たちのドレスを間近に見たい欲求が勝ったのだとぼくたちは察した。
あんなに練習したのだから嫌がらずに踊ってもいいかな?とマリアを見ると、マリアも楽しそうに頷いた。
ぼくのスライムがポケットの中で、しっかりしろ、とばかりに震えた。
しまった。
またしても乙女心を無視した誘い方をしてしまうところだった。
「マリア姫。ぼくと一曲踊っていただけませんか?」
ロマンティックな言葉が出てこなかったぼくが差し出した手にマリアが手を添え、はい、と返事をすると、小さいオスカー殿下は飛び上がらんばかりに大喜びした。




