閑話#20 それぞれの非常事態への備え
~仮面の青年と呼ばれても顔に注目が集まるのが嫌いなだけの男~
緊急円卓会議の後、ジョシュアに頼んで亜空間で回復薬の噴霧器の改良に勤しんだ。
わざわざジョシュアに頼んでまで亜空間で制作したのは、いつ上級魔導士たちが帝都に到着するのか、もうとっくに到着してディミトリー王子の邪神の指輪を探しているのかわからず、時間の猶予が全くないから、ということと……。
「ジェイ。浄化に特化することで粘力が増したのか飛散範囲がまばらになってしまったわ」
回復薬の飛散範囲を自分のスライムに計測させていた母さんが薬品の種類と噴霧器の相性を検証していた。
母さんが噴射に向いた回復薬に改良してくれるのはありがたいのだけど、同じ研究室に籠もると、親族なのに若い男女が同室で長時間一緒にいるなんて、と女子寮の寮監が同室にジョシュアがいるのにもかかわらず苦情を申し立ててくるのだ。
最近では知り合いの女性と話すだけで赤面することがなくなってしまったので、女性嫌いだ、という言い訳も通用しないしましてや、母と共同研究しているなんて言い訳ができないのが辛い。
「浄化の作用が強いのなら、霧状にしないでそのままドンと弾丸にして飛ばしてしまったらどうだろう?」
「圧縮魔力で飛距離を伸ばしてみるか」
ジョシュアの意見を採用しようと検討すると、母さんは自信なさげに首を傾げた。
「散弾式じゃないと外す自信しかないわ」
「兄さんが照準器を開発していたはずだな」
「連れてきたよ」
仕事の早いジョシュアがジュエル兄さんを自宅から連れてきた。
というか、もうすでにいくつかの試作品を持参している。
「過去に作った魔術具の手直しだからすぐ用意できたんだよ。母さんにはこれが向いていると思うんだ」
筒形の噴霧器は小型の大砲と思うほど大きかったが、軽量化されているようで母さんでも簡単に肩に担ぐことができた。
「このレバーを切り替えるとドンと大量に一か所にかけるというより、ぶちあてる感じになる。照準はスライムに任せて母さんは姿勢を固定して打つだけでいい。こっちにレバーを切り替えると、内蔵されている蝶の魔術具が弾丸のようなスピードで回復薬を届けてくれるから、対象人数が多いときはこっちがいいだろう」
試し打ちをした母さんも驚くほどよく飛んだので遠方からの救助に役立ちそうだった。
「辺境伯領主様からこれの使用許可が下りた。便利だからジェイも練習しておいた方がいい」
ジュエル兄さんが俺に差し出したのは小さいタイヤがついた板だった。
「少しだけ空中を浮いているから飛行の魔術具といえなくもないギリギリの魔術具だ。地下鉄の技術にも取り入れているから譲渡不可で頼むよ」
登録した魔力以外では浮かないのでただのスケートボードになるのだが、それでも特殊なタイヤを使っているから他人に触らせたくない技術だ。
いざという時に使いこなせるように練習に励むと、霧状になったジョシュアが体を支えて正しい姿勢を教えてくれた。
ありがたい。
本番までに使いこなしてやるぞ!
~魔法学校きっての天才少女と呼ばれても、誰より年上なのですが~
うちの精霊が言うことには帝都にヤバい連中がやってくるらしい。
「邪神の欠片を加工した魔術具を携帯する五人の上級魔導士が、カイルたちと入れ替わりで大聖堂からやってくるらしい!?らしいというのは邪神の欠片を携帯しているから太陽柱で確認できないからなのね。教会の連中は何を考えているのかしらねえ!」
「帝国に対抗する確たる武力が欲しいのでしょう、いえ、収集した邪神の欠片を取り戻したいのでしょうね。あら、ガンガイル王国で動きがありました。ジュエルがたびたび亜空間に消えています。辺境伯領主が緊急事態特別予算を組んで帝都に回復薬を融通するようです」
ガンガイル王国の辺境伯領主が張り切るのは、次年度に領主の掌中の玉ともいえる姫が留学する予定になっているからでしょうね。
それにしても聞き捨てならないのが、邪神の欠片を取り戻すって、ディミトリー王子の王家の指輪に封印されたアレのことなら……カイルの懇意にしている上級精霊の預かりになっていることを知らないなんて……教会関係者に精霊使いはいないに違いないわ!
「今回はガンガイル王国寮生の補助にまわるわ。そうするにしたって、東方連合国の留学生たちが足を引っ張るわけにいかないから警戒を怠らないように、バヤルから警告を出すようにしましょう。これは教会関係者たちが邪神の欠片を用いて悪事を企んでいる証拠になり得るから、東方連合国として干渉して奴らの汚いやり方を暴く一端にしてやりましょう!」
オホホホホと小指を立てて口元にあてて高笑いをすると、いつもならノリを合わせて小芝居に付き合ってくれる精霊が険しい表情をした。
「ご主人様。どういった経緯かはわかりませんが、教会内部の秘密結社が崩壊する未来が太陽柱に現れました!」
大聖堂にカイルたちが訪問しているのだから、カイルたちが何かやらかすのでしょうね。
「旅行に行くだけで世直しをして回る未成年なんて、史上初じゃないかしら?」
「ええ、太陽柱をつぶさに観察していても、カイルたちが次に何をやらかすのかは推測できません」
教会の連中にまんまとディミトリー王子を拐されて、皇帝にまんまと一杯食わされてしまった雪辱を晴らしたいけれど、カイルが教会内部の悪の組織の崩壊を促すのなら、私怨に拘っている場合ではないわ。
「よろしいのですか、ご主人様」
「よろしいのですよ。カイルたちのいない帝都で五人の上級魔導士たちが一騒動起こすのなら、私が正面からぶっ叩いても正当防衛と主張できるでしょう」
「ご主人様。それはガンガイル王国寮生たちへの助力ではなく、ご主人様が大暴れしたいだけではないのでしょうか?」
精霊のいうことは概ね間違ってはいないわ。
でもね、太陽柱の画像に移らない事態が多いからこそ、今、時代が動いている気配がするのよ。
私の精霊を頼っているだけでは駄目なのよ。
そう、肌で感じる違和感。
魔法が発動していないのに精霊素が動いている……その場所は!
「私、マリア姫のことはそんなに気にかけていなかったのだけど……いえ、違うわ。数百年前に置いてきた私の幼心がマリアを羨ましいと思ってしまうのよ」
小国のお姫様として生まれて両親や親族に愛されて育ったからこそ心根から優しいマリアを見ていると幼い私が送りたかった日常を享受したに違いないので、切ないほど愛おしく感じる瞬間があるのよ。
貴族街で騒動があるのならマリアを護りたいと考えてしまう。
幼くして契約してしまった私の精霊が申し訳なさそうに俯いたので、その小さな手を取って私の胸にあてた。
「私は今幸せよ。多くの犠牲を払い長い時をかけなければそのことを理解しなかったけれど、私は幸せなの。過ちばかりの人生なのに、こうして今私が幸せを実感できるのはあなたと契約したからなの。あなたと契約しなかったら私はカイルに会うことはなかった。どんな過ちも私とあなたと一緒にしてきたことだもの。そして、過ちばかりではなかったことを、ディミトリー王子を探すついでに保護した子どもたちが世界中で活躍していることが現している。私は愚かだったけど、私とかかわった人物が立派に育ったなら私は愚かなだけじゃない、ということだわ」
支離滅裂なことを言っているのはわかっていたけれど、幼すぎた私と契約した精霊は間違いを犯したが、私と契約したことは間違いなんかではない、と伝えたかっただけなのよ。
私の胸の鼓動と熱を感じながら幸せそうな表情を浮かべた精霊は、それでも現実的な質問を投げかけた。
「精霊素の流れから貴族街にも何かありそうだと推測されたのでしょうが、具体的にはどうやってマリア姫を保護なさるおつもりですか?」
「うーん。マリアは魔法学校でもう必要な単位はとれているはずだから、お泊り会に誘って一緒に生活するのはどうかしら?」
「それはいい案です」
太陽柱の映像を確認するかのように一瞬目を泳がせた精霊は満面の笑みで賛成した。
マリア姫を保護したい、という気持ちもあったが、気心の知れた女友達と夜通しお喋りしてみたい私の願望も加味しての返答なのだろう。
でも、困難時なのに心が浮き立つのは、新しくできた大切な友人を自分で守る決意を実行できる機会を与えられたからなのかしら。
もう一度子供時代をやり直していることに、心が躍っていることは自覚しているわ。
でも、悲劇は繰り返さない。
五人の上級魔導士をディミトリー王子のようにさせないわ。
~元飛竜騎士団員なのに帝都ではパティシエとして名を馳せた男~
「呼び笛を吹けばかつて契約していた飛竜が様子を見に来てくれるというのは本当ですよ」
ガンガイル王国寮の寮監に大至急寮まで来てほしいと連絡をもらい駆けつけると、オーレンハイム卿とジェイさんとジュンナさんまで、本人不在の寮長の私室の応接室にいた。
「このところ治安のよくなっている帝都で都市型瘴気が異常発生する危険度が増しているから最大限に警戒するように、と巡礼の旅に出た寮長から緊急指示が出て、イシマールさんには万が一の際飛竜を呼び出してほしいとのことなのです」
帝国に飛竜を貸し出せないとしているさなかに、民間人が飛竜を呼ぶ影響を考慮できないほどの緊急事態が起こるということか!
俺が眉をひそめると左腕にいる俺のスライムが、偽セシル級の騒動が地上で起こるかもしれない、と伝えてきた。
あの件はカイルたちが知り合いの上級精霊に偽セシルを託したが、カイルたちがいない時にそんなことになるなんて、狙いすましたかのようじゃないか。
カイルのスライムから連絡が入ったようで、俺のスライムは興奮気味に、邪神の欠片と呼ばれる封じられた神の欠片を魔術具に仕込んだものを携帯した五人の上級魔術士が帝都の小さな教会に来るらしい、いや来ているかもしれない、とまくしたてた。
「巡礼の旅の途中で連絡が入るほど警戒しなければならない事態ですが、ガンガイル王国と帝国の関係性からしますと、事が起こってから飛竜を呼び出す方が後の言い訳も立ちますね」
「ああ、そうなんだが、寮生たちの安全を考えるとできれば帝都の近くで待機していてほしいのだが……」
そんなことを頼めるのだろうか、という寮監に、そこは大丈夫です、と明言した。
「あいつは新婚旅行の最中だけど滞在先に心当たりがあります。カイルを好いているのでカイルの旅路の後追いをして帝国内をフラフラしているのです。今頃は魔猿の村の猿の楽園に長期滞在しているでしょう」
帝都に近いじゃないか、と寮監とオーレンハイム卿は喜んだ。
「新婚旅行ということは番で応援に駆けつけてくれるかもしれないのか!」
「そうですね。嫁の飛竜もカイルを仲人だと考えています」
オーレンハイム卿は時間がある時にじっくり飛竜の恋バナを聞きたい、と言うと、真顔に戻って対策を話し合った。
商会関係者に連絡し、オーレンハイム卿が出資している事業は営業時間を短縮し、貴族街では魔力むらがある地域には近寄らないことを徹底することになった。
「貴族街に魔力むらがあるのですか?」
「帝都全体に魔力の偏りがあることをカイルたちが帝都に来て早々調査して判明しているのです。市街地には遷都前の祠跡地に緊急避難用の結界を張ってあるのですが、ええ、動作確認も済ませました、貴族街にはそう言った避難所がなく、各屋敷の個別の護りの魔法陣に頼る形になります」
帝都の地図を指さしながらジェイさんが説明すると、従業員寮に移動する区間の安全経路がないのか、とオーレンハイム卿が嘆いた。
「寮長宅の従業員たちは当面屋敷に宿泊してもらうとしても、家族持ちをどうするかだな」
「家族ごと屋敷に避難してもらいましょう。優勝パーティー用に食材の備蓄もあります。従業員宿舎にはばあちゃんの家の子どもたちの家族を受け入れるようにすると関係者を広く保護できるでしょう」
オーレンハイム卿と寮監が関係者の避難先を検討していると、ジェイさんとジュンナさんは回復薬の保管先の検討をし始めた。
「従業員宿舎の警備は引き続きスライムたちの輪番でいいでしょう。有事の際は公安も貴族街を優先して警備するでしょうから、避難者に回復薬を噴霧するのにもスライムたちは適役です」
俺が口を挟むと、ああ、そうだ!と寮監の表情が明るくなった。
「寮生たちはスライム使役者とグループを組んで行動すればいいのか!辺境伯領出身者が多くて助かった」
安堵する寮監にオーレンハイム卿が尋ねた。
「クリス君たちは今どのあたりなのかな?」
「急ぎでも三日以上はかかるところです。今回は緊急の呼び出しをしない方がいいだろう、と寮長は判断しています」
急ぎで呼び出して都市型瘴気と対峙するより、万が一の長期戦に備えて万全な状態で帝都に入った方が見習い騎士たちの安全を考慮すると、その方がいいだろう。
何かあったら急ぎで帰ってくるよ、とカイルのスライムは言っているらしい。
カイルたちなら本当にぶっ飛んでくるだろうし、ぶっ飛んできても魔力も体力も十分な状態なのだろう、と根拠のない信頼をしてしまう。
油断しては駄目だ。
偽セシルのような上級魔導士五人と対峙するのに油断は大敵だ。
そうだよ、邪神の欠片は危険なんだよ、ガンガイル王国の魔獣暴走はたった一個の邪心の欠片が持ち込まれたことがきっかけだったらしいよ、と俺のスライムが恐ろしいことを伝えてきた。
五つの邪心の欠片か……。
どれほど用心しても用心しすぎることはないということか。
俺は一般市民たちの避難経路を確認するジェイさんとジュンナさんに、集団心理から起こる行動予測を交えた助言をした。
~小さいオスカー殿下と呼ばれることに慣れてきた少年~
日中の自由行動の範囲が広がり、七大神の祠巡りが認められると、いかに私が今までものを見ていなかったかがよくわかった。
私は洗礼式前でも魔力奉納をしていた自分は皇族の務めを果たしていると考えていたが、市民たちも洗礼式前から自分たちのできる範囲で魔力奉納をしていた。
生きるために必死にできることをしているのはみんな同じなんだ。
定時礼拝で光る教会を見たいけれど、護衛を伴う身分なのだからわがままは言えない。
私の行動一つで離宮の警備予算を食いつぶすわけにはいかないのだ。
「小さいオスカー殿下!あっちの屋台の蒸し饅頭が美味しかったですよ。売り切れる前に並んだ方がいいですよ」
ポンチョ型の礼拝服を着た洗礼式前後らしき幼児に声を掛けられた。
競技会速報が市民の間でも読まれていたため、中級魔法学校所属で大会最優秀選手に選ばれた私は挿絵で小柄に描かれていたため『小さいオスカー殿下』という愛称が定着してしまった。
ガンガイル王国寮生たちが寮長と区別するために呼び始めたのを知っているので別に不快ではない。
中央広場の屋台でホカホカの肉まんを購入すべく市民たちの列に並ぶと、気付けば後方にガンガイル王国寮生も並んでいるのだ。
友人たちがたくさんできて嬉しくもあるし、私が市民たちとトラブルを起こさないように彼らがそれとなく見守ってくれている気遣いも嬉しい。
こんなに美味しいのに販売数量が減っているなんて残念だ、と嘆く市民の声が聞こえた。
最近の屋台は日中の日の高い時間しか販売しないので買い物客は正午近辺の時間帯に集中しているらしい。
「お待たせいたしました。オスカー殿下でいらしても、特製肉まんは一人二つまでですよ」
売り子のお嬢さんに、二つで十分です、と言って購入した。
母上のお土産にするために一つを包んでもらい一つは食べ歩きをすることにした。
こんな幸せな生活ができるようになったのはカイルと出会えたからだ、としみじみと感じ入りながら、肉汁滴る肉まんにかぶりついた。
この先に起こることなど予想できないほどのどかな昼下がりだった。




