祈るための町
観光地として魅力のあるカラフルな町並みに、魔法学校の生徒さんですか?と親し気に話しかけてくる露店主から三つ子たちのお土産に匂いのいい蝋燭を買った。
七大神の祠で魔力奉納をして町の護りの結界を調べると、案の定世界の理に繋がっていない上っ面だけの結界だった。
「建物が可愛らしいだけであまり見どころのない町だね」
ウィルが小声で言った。
お金持ちの巡礼者相手の商売だからお土産の絵付きの蝋燭が高価なのかと思ったが、路地裏の町民たちが利用する品を売る店の日用品も野菜も肉も高すぎだった。
「外部と遮断された町だから物価が高すぎるのは仕方ないのかもしれないね」
全ての商品が検問所で留め置かれて、仲介業者が買い上げるのなら物価高にもなるだろう。
教会に戻りながらこの町は聖地巡礼者が落としていくお金だけで回っているのではないか、とぼくたちは小声で話し合った。
「カイルはアイスクリーム。ウィルは飴細工、ボリスはハンバーグを捏ねて、ロブはポテトサラダね」
ぼくたちが教会の裏庭に戻るなり、祭壇にお供えするお肉を薔薇のように盛り付けていた上級精霊に追加のメニューを作るように唐突に命じられたが、誰も不満を口にせず黙々と作業を始めた。
ぼくは神々のご所望だろうとあたりがついたが、ウィルたちは上級精霊に微笑まれると一も二もなくやらなければならない気分になっただけのようだ。
鉄板アイスで薔薇を作りながら上級精霊に精霊言語で語り掛けた。
この町は護りの結界が世界の理と繋がらずに浮いているのに、教会の結界が強固だから辛うじて正常な状態を保っているのですよね。
“……まあ、そういうことだ”
街道と町だけ守っていても周辺の魔力が薄くなれば魔獣たちや死霊系魔獣が寄って来ますよね?何でこんなに平和なのでしょうか?
留学の際の旅路で死霊系魔獣に襲われた村は魔力の流れに沿って順々に襲われていた。
帝国軍が死霊系魔獣ごと全て焼き払ってしまったとしたら街道の向こうはずっと不毛の地になっているということだろうか?
“……帝国軍は死霊系魔獣の被害が拡大する前に堀のように街道沿いに沿った農地を不毛の地にして人の住めない地域にすることで被害をなくしてしまったんだよ”
あえて帝国軍が作物を枯らし農村ごと移住させ、被害そのものがない状況にしたのか!
上級精霊の回答があまりにも予想外だったせいでアイスを練る手が止まってしまった。
いかんいかん。
これはカップアイスにしよう。
固まってしまったアイスをヘラでこそぎ取ると冷やしてあったカップに突っ込んだ。
スライムたちは任せておけ、とばかりにぼくからヘラを取り上げて、カンカンと鉄板の上でアイスを練り始めた。
「どうしたの?何か心配事でもあるの?」
熱々の飴を素手で練るウィルに気遣われてしまった。
「いや、物価があんなに高いのは運送費をかけてまで遠くから運んでこなければならないからだし、この町なら高くても売れる保証があるからわざわざ運んで来るのかなと考えていたんだ」
「周辺に村があったころはここまで物価が高くなかったのだろうな」
蒸したジャガイモを潰しながらロブが言うと、上級精霊はフフっと笑った。
「教会都市の周辺は都市を支える農村が存在しているからここほどひどくないが、それでも物価は高いよ。ここは教会都市から若干離れているから教会都市の魔力的影響が薄まっているので近隣の農村まで恩恵がいきわたらないから、農地として成り立たなくなっている。だが、領主にはこの教会が聖地巡礼の逗留地として機能している限り一定の税収が見込めるのだから、農地がなくても問題がないように見せかけているのだろう」
見せかけているという上級精霊の説明で、ウィルとボリスとロブも魔力の偏りで農村が消滅したのはこの地を治める領主が関わっているであろうことに気付いた。
「聖職者の祈りがなければ豊かで平和な世界にはならないのだが、聖職者が祈っているだけでは聖職者の暮らしは成り立たない。暮らしを支えている人たちがいて祈りのある生活が送れるのに、この町の聖職者たちの心は世俗から遠くなりすぎている」
上級精霊の言わんとしていることはわかるが、聖職者とは世俗から遠く切り離された環境で高尚な修行をして神々の教えを人々に教え諭す存在……。
あれ?
前世の知識が邪魔をする。
修行僧なんて存在しないはずだ。いや、神学の勉強の中にそういう過程もあるのかもしれない。
この世界の宗教は、人々は神に祈り魔力を奉納し、神々の恵みである大地の実りを摂取し、再び神々に祈ることで世界が循環する、という教義で、聖職者は祈りの達人というポジションだと、辺境伯領出身の司祭たちから聞いている。
「だから、司祭たちを先にお風呂に入れたの?」
飴で薔薇のブーケを仕上げたウィルは簡易浴場というには立派すぎる白壁に覆われた風呂場を指さして言った。
「ああ、司祭たちは世間を知った方がいいだろう。身を清めるために早春の夕刻に水浴びすることを神々が喜ぶとでも思うかい?そんな過酷なことをしなくても体を清めるなら温かい湯に浸かればいいじゃないか。薪を焚くのをケチるより、祈りで豊かにした大地で大地の恵みを享受するために祈るべきだろう?」
ごもっとも、とぼくたちは頷いた。
「近くに牧場もないからミルクなんて、バターとチーズくらいしか口にしていない。甘味はお茶の時間に甘いお茶を飲むことがあるだけだ。柔らかい肉なんて塩のきついソーセージくらいしかない。柔らかい肉汁溢れるハンバーグにほど良く香辛料の効いたカレーソース、卵とマヨネーズのたっぷり入ったポテトサラダを食べれば彼らは腰を抜かすほど驚くだろうね」
ああ、そうだろう。
教会に供物が集まるから食べる物には困らないが、遠方からやってくる巡礼者の供物は保存食ばかりだ。
近くに農村もないから、町に入荷される食材だって鮮度が落ちている。
聖地からの魔力をこの世界に循環させる大事な仕事をしている人たちなのに、世俗から遠くなりすぎて金額的には高価なものを口にしているが豊かな暮らしをしているとはいいがたい。
「領主様は聖地巡礼の拠点となるこの町を守るために死霊系魔獣が発生しそうな不安定な農村を排除し隔離した。でも、そのことで、祈りを繋ぐ拠点となるこの町を支える普通の人たちがいなくなってしまい、司祭たちの暮らしが徐々に限られたものしか口にできない不憫な生活になっていたのか」
教会関係者の誰もが口にしやすいように小さな薔薇飴をたくさん作りながらウィルが言った。
「人間らしい生活をするためには、いろんな仕事をする人たちが身近にいなくてはならない。この町の教会関係者たちが声をあげれば近くに牧場の一つくらいできるだろう」
「牧場を支えるためには相当な牧草地が必要になるよ」
「ああ、周辺地域を牧草地にする何らかの対策が必要になるから、領主の仕事が増えるだろうね」
簡単に土地を改良する魔術具といえば、ぼくの土壌改良の魔術具だろう。
「そうか!これは司祭様たちがどうしてももう一度食べたいと思うような美味しいものにしなくてはならないね」
司祭たちを新鮮な食品の美味しい食事でもてなして教会の外の環境にも目を向けさせようとする、上級精霊の意図を完全に理解したぼくたちはがぜん張り切りだした。
夕方礼拝はぼくたちも参加した。
司祭が祭壇で祈りと魔力を捧げる時、礼拝所の後方で教会関係者たちとぼくたちは床に跪き同時に魔力を奉納した。
魔法陣がゆっくりと光り輝き、薄暗かった礼拝所内が黄金色に染まった。
魔力奉納を終えて全員が立ち上がると、よくできました、というかのように司祭の周りに精霊たちが現れると、教会関係者たちの周囲に分散した。
教会関係者たちが精霊たちから認められたように見える光景に司祭は両目から涙を流し、鼻を啜っている。
この場では魔力奉納をするふりをしていた上級精霊の指示をきちんと聞いて、司祭たちが温かいお風呂でぬくぬくと体を労わり英気をたっぷり養った状態で魔力奉納をしたことを精霊たちが喜んでいる気配がするのだが、そこのところを司祭はわかっているのだろうか?
祭壇脇の水瓶からコンコンと水が溢れてきているが、あれが教会都市から送られてきている水だとしたら聖水ではないのだろうか?
ぼくは咄嗟に大盥を土魔法で制作して溢れる水を床にぶちまけないように受け止めた。
「せっ聖水がこんなにたくさん!」
「三十人分の聖水ということでしょうか?」
寮長の言葉に司祭は首を横に振って否定した。
「三十人分にしては多すぎです」
寮長は礼拝所内をぐるりと見渡して、全員で飲めということかな、と呟いた。
精霊たちがパチパチと点滅して寮長の言葉を肯定した。
司祭は大きく頷いた。
「全員で有り難くいただきましょう!」
どんな効能があるのかぼくにはまだわからない聖水だが、とても高価で貴重な水をその場の全員で飲んだ。
聖水は毎日目にしているのに初めて飲んだ、という職員も多かった。
晩餐の御馳走もたくさん用意したから時間帯はズレるだろうが、末端の職員まで全員の口に入るはずだ。
今日という日を楽しんでほしい。
薄暮の時間の裏庭を照らすのはスライムたちの明かりの予定だった。
精霊たちが大人しくしているはずもなく、たくさんの精霊たちが晩餐の御馳走を照らした。
司祭たちは七輪で焼く炭火焼肉の味わいに感動し、ハンバーグカレーとポテトサラダの初めての味覚の出会いに衝撃を受け、食後のアイスクリームを目にすると食べる前から感激していた。
「帝都周辺も近年、不作続きで食糧事情が芳しくなかったのですが、うちは試験農場と牧場を運営していますから寮の食事は充実しているのですよ」
感激しっぱなしの司祭に寮長が説明した。
「美味しいものを確実に入手するためには自身で育ててしまえばいいのです。キリシア公国の姫君は留学後、牧場を購入してご自身で経営なさっていますよ」
寮長は司祭にこの町の近隣に牧場があれば毎日新鮮な牛乳を入手できると力説した。
「倹しく暮らし、日々神々に祈る生活は素晴らしいです。ですが、皆さんが心から寛ぐ時間を持ち美味しい食べもので英気を養い、たっぷりと魔力奉納することでこの地の魔力の循環がよりよくなるでしょう」
司祭たちは寮長の言葉に何度も頷いた。
「年を重ねるごとに早朝礼拝の沐浴が骨身に染みるようになっていたのです」
温かいお風呂はありがたかった、と司祭はぼそっと呟いた。
「裏庭の浴場は残しておきましょう。ああ、湯沸かしの魔術具も用意しますね」
寮長の提案に、そんな魔力の無駄はできない、と首を横に振った司祭の言葉に教会関係者たちはがっかりした表情をしないように顔をこわばらせた。
「この教会には見習いの神学生もいないし……。五歳児登録が終わった洗礼式前の子供程度の魔力でも足しになるのだけれど、教会に子どもを呼ぶのはマズいでしょうかね」
中央教会の孤児たちでも魔力供給ができるのだから町の子どもたちを頼っては、と寮長は司祭にさらなる提案をした。
「それが……できないのですよ。この町ではたとえ若い夫婦がいたとしても何年ももう子どもが生まれてないのです」
町中で三つ子のお土産を探していた時に、子どもの玩具が全くないとは思っていたが、そもそもこの町で子どもが生まれないから何もなかったのか!




