生徒たちの牽制
オスカー殿下はウィルの耳元に顔を寄せて囁いた。
「関わりたくないなら、わざわざ精霊たちを挑発しなくても良かったのではないのかな?」
囁きを聞き取れなかった殿下の取り巻きたちがざわついたが、ウィルは冷笑の貴公子然とした微笑を浮かべた。
絵になる二人、とマリアが声を出さずに口だけ動かした。
「同郷のケニーの存在を失念していたぼくの負けです。ガイダンスが終わったらぼくたちは昼食の屋台に行きます」
ウィルはオスカー殿下を学習会の仲間にするとは一言も確約せず、昼食で偶然会うなら仕方がない、という態に持ち込んだ。
生意気な……と殿下の取り巻きたちが口を開いた時、教員たちが専攻課程の資料を持って入室してきたので口を噤んだ。
個人別の資料を手渡す都合上、並び順を指定され生徒たちは出身地別の成績順に並ばされた。
オリバー殿下が内部進学生の中で真ん中の位置になり、取り巻きたちがその後方に並んだのを見たウィルが、お山の大将、と口だけ動かして取り巻きたちの顔を真っ赤にさせた。
ウィルなりに考えがあって挑発しているのだろうけれど、なかなか過激だ。
成績トップのぼくは一番先にお勧め専攻が記載されたメモをもらった。
案の定お勧め講座は全て上級魔法学校だった。
午後からは上級魔法学校へ行けということのようだ。
兄貴は地方出身となっているので中級課程にまだ少しながら必修講座が残っていた。
ウィルも上級課程しかお勧め講座がなく、軍事課程がお勧めに上がっていたのは騎士コースの成績が良かったからだろう。
ぼくには軍事関係がないけれど、ジェイ叔父さんが軍事系にいつの間にか囲い込まれてしまったように、お勧め講座の中に軍事系が隠れているのかもしれない。
お昼休みに相談しよう。
マリアが再びぼくたちのところにやって来て、兄貴とケニーとどれを受講しようかとワイワイしている。
視線を上げれば寄宿舎生たちがこっちを見ていたので、手招きして話し合いに加わるように誘った。
教室内は内部進学生と留学生や地方出身者たちのグループが半々と言ったところで、内部進学生でもオスカー殿下より成績上位者は教室の隅っこで息をひそめるように自身の個人別資料を凝視している。
内部進学生なら専攻課程が内定しているはずだから悩むことはないだろうに、視線を上げないということは殿下たちのグループにかかわりたくないのだろう。
ウィルの毒舌は、オスカー殿下の一派がこのクラスの中で四分の一を占めているから、ぼくたちが抜けた後でもオスカー殿下の一派が教室内で過半数を越えないだろうと踏んで、先手を切って牽制したのだろう。
初級魔法学校から持ち上がりの内部進学生と外部から試験を優秀な成績で突破してきた生徒たちなら、直前まで必死に試験勉強をしてきた外部生の方が良い感じに仕上がっているから、中級魔法学校のオスカー殿下の成績はこのままだとさらに下がるだろう。
本人も自覚があるからマリアたちの勉強会に入りたいのだろう。
オスカー殿下は昼休みまでに取り巻きたちに苦言を呈すことができなければ、お話にならない、と遠巻きにウィルは警告したのだ。
嫌味と交渉を同時にするウィルを尊敬するよ。
「なるべく予習をしっかりして、さっさと試験に合格すれば、ぼくたちも魔法学校で自由時間ができるのか」
寄宿舎生が晴れやかな笑顔でそう言うと、どっちが先に合格するか競争するか、とケニーが持ちかけていた。
新入生ガイダンスは一見和やかに終わり、ぼくたちは連れ立って教室を出た。
兄貴とケニーとマリアと寄宿舎生たちはそのまま履修登録に行き、ぼくたちは待ち合わせの中庭の屋台のおっちゃんのところに一足先に行くことにした。
新規事業を始めたおっちゃんはとても忙しいはずなのに、ぼくたちの入学祝ということで屋台を引いてくれたのだ。
履修登録を済ませたジェイ叔父さんと、上級魔法学校の入学式は辞退して履修登録から参加したお婆とオーレンハイム卿たちと合流した。
女子生徒たちに囲まれて中級魔法学校の入学式の話を聞いたお婆は、楽しい入学式だったのね、と簡易のテーブルに頬杖をついて言った。
オーレンハイム卿がニコニコ見ている。
お婆本人に自覚がないのだろうがテーブルの上に大きなお胸がドンと載っている。
ジェイ叔父さんがさり気なく背中が丸まっている、とお婆に注意する姿は客観的に見たらカップルだ。
「上級魔法学校の入学式には皇女様がいらしたけれど、精霊たちは出現しなかったようですよ」
醤油ラーメンを注文したお婆が精霊たちは歌が好きなのかしらね、と微笑むと屋台を遠巻きに見ていた一般の男子生徒たちが顔を赤らめた。
美しい成人女性が魔法学校の制服を着ていると、コスプレ感があって艶めかしい。
おっちゃんは女生徒たちから先にラーメンを提供した。
寮の食堂のラーメンも美味しいが、おっちゃんの屋台ラーメンはまた格別なのだ。
「カイルー!」
初級魔法学校の校舎の方から猛スピードで走って来るのは、魔法学校では身分を気にしないことにしたデイジーだった。
ぼくを見つけて手を振るデイジーに席を離れて両手を広げると、胸に飛び込んできたので、そのまま高い高い、と放り投げると膝を抱えて三回転し横捻りをまで加えた超高難度の技を決めてぼくの腕にスポンとおさまった。
前回より多く回転したデイジーに辺境伯寮生たちが拍手をしたが、オーレンハイム卿や遠巻きに見ていた生徒たちは口をあんぐりと開けて驚いていた。
「醬油チャーシュー大盛り、味玉増量!替え玉の用意もよろしくね!!」
「あいよー」
すぐさまおっちゃんに注文したデイジーは小さい体を活かし女生徒たちの間をするっと抜けてお婆の隣に座り込んだ。
お婆からチャーシューを一枚貰ってもぐもぐ食べている。
ぼくたちの分より先にデイジーのラーメンを作ってくれるようにウィルがおっちゃんに頼むと、おっちゃんは無言で味玉を先に出した。
「中級魔法学校の入学式の話は聞いたわ。中級魔法学校で精霊が出るのは予想できたから、私も新入生代表挨拶で一発噛ましてやったの!」
お姫様とは思えない口調にデイジーに追いついた東方連合国の三人組が苦笑した。
「姫様は新入生代表挨拶で祖国の歌を引用する際、綺麗な歌声で一節歌ったので、精霊たちが十数体現れたようですよ」
「中級魔法学校は新入生全員が歌ったので、けっこうたくさん精霊たちが出現しましたよ」
中級魔法学校の入学式に参加していた三人組は規模が違うと指摘した。
「私はそこそこに目立てばよいのであの程度でいいのよ。中級魔法学校に乗り込んでいくときに在校生たちと遜色なければいいだけだもの」
味玉を一口で食べたのに口の中を見せずに話すデイジーにはデイジーの意図があって、入学式に精霊たちを呼んだようだ。
「醬油チャーシュー大蒜マシマシ三つに大盛りチャーシューできたよ!次は味噌の注文を出すよ」
ぼくたちのラーメンが出来上がったから屋台からテーブルに運ぼうと立ち上がると、オスカー殿下が取り巻きたちを引き連れてやって来るのが見えた。
ラーメンが伸びるから取り敢えず無視しよう。
ぼくとウィルが顔を見合わせて無言で頷くと、殿下たちの後ろからマリアたちが猛スピードで走ってきた。
「殿下!御免あそばせ!!」
マリアはスピードを落とさず取り巻きたちの間を器用に通り抜けると屋台に突進した。
「おじ様!玉切れになっていませんか!!」
「今日はデイジー姫様がいることを想定して仕込んでいるからまだ大丈夫だよ」
おっちゃんの笑顔に、やったー!とマリアが喜んだ。
ぼくたちがいそいそと席を詰めてマリアたちの席を作るとオスカー殿下が声をかけてきた。
「ここは、何の屋台なんだい?」
「殿下、失礼いたしました。売り切れ御免の超人気ラーメンの屋台なので、殿下に順番をお譲りするわけにはいきませんでしたの」
息を切らしたマリアの言葉にケニーも無言で頷いた。
デイジーは兄貴が注文した分をよこせと目で訴えかけている。
異様な雰囲気の中、ぼくとウィルとデイジーは伸びる前に黙々と麺を啜った。
音を立てて食べるぼくたちの様子に殿下の取り巻きたちが顔をしかめたが、殿下は美味しそうだな、と気にする様子もなかった。
「私も注文していいだろうか?」
「オスカー様、席もないようですから、食堂の方がよろしいかと……」
「待てばいいだろう。私はこの屋台で食事がしたいのだ。魔法学校内の屋台ということは営業許可も出ているだろうから食品安全検査は済んでいるはずだ」
「こっちのカウンターに詰めれば五人は座れるよ。テーブル席の注文が先だから、提供するのはもうしばらくかかるが、それでよければどうぞ」
おっちゃんは、殿下、という言葉を聞いていたはずなのに一般客として話しかけた。
殿下は嬉しそうに頷くとカウンターの端に座った。
「お前たちは食べないのだったら下がっていろ。営業妨害だぞ」
殿下の言葉に取り巻きたちは顔を見合わせてゴクンと喉を鳴らしてから無言で座れる人は座って、残りが大人しく並んだ。
行儀はともかくとして美味しそうにラーメンを啜るぼくたちを見て、食べずに帰る選択肢は選べなかったようだ。
「おっちゃん替え玉ちょうだい!」
「あいよ!」
先に替え玉まで注文していたデイジーの麺は待たずに茹で上がっていたようだ。
「飛ばしていいよ!」
「カウンターさん、ちょっと真ん中開けてね!」
おっちゃんが殿下の取り巻きたちを左右に除けさせると、湯切りした麺の入ったデボを振り上げて麺を空中に飛ばした。
熱々の麺が放物線を描いてデイジーのどんぶりに飛び込むと、しぶきの上がったスープは力学を無視してラーメンを包み込むように球体になり、どんぶりから溢れることはなかった。
「なんという魔法の無駄遣い……」
あきれる取り巻きたちを横目に、たいしたもんだ、とオスカー殿下は手を叩いて喜んだ。
「ご主人。元軍人ですね」
「ガンガイル王国出身の傷痍騎士です。南方戦線で騎士団に復帰できないほどの怪我を負ったので、帝都の市民権を賜りました」
「激戦地で我が国の軍と共に戦ってくれた盟友だったのですね」
殿下とおっちゃんのやり取りを聞き、取り巻きたちは気まずそうに俯いた。
ハロハロとは違いどうやらオスカー殿下はボンクラ皇子ではなさそうだ。




