留学の意味
封じの魔法陣に囲まれた地区と、七大神の祠と眷属神の祠の魔法陣が重なるご利益がありそうな土地と寮長の貴族街の知人宅にプランターを仕込むことにした。
寮長は教会内部にもう一度潜入するために大司祭と親しくするべく教会関係者を徹底的に探る、と宣言した。
美味しいトマトがなるプランターを話の種に持ちかけて、洗礼式前後の子どものいる貴族から教会関係者の噂話を聞き込むつもりらしい。
本気になった寮長は行動が素早い。
知人に手紙を書くため速足で研究室を後にした。
夏の洗礼式のシーズンで上位の貴族は自宅でお披露目会を兼ねた盛大なパーティーを開くらしい。
「ぼくの時も王都の邸宅で行ったけれど、今になって思えば教会で同学年の子どもたちと一緒にやった方が断然ご利益があったろうね」
礼拝室の魔法陣を見ながらウィルが言った。
辺境伯領の教会の床にも魔法陣があったし、各地の教会にもきっと何らかの仕掛けがあるんだろう。
「エリザベス嬢の洗礼式の時はハロハロの息子も同い年だから、きっと何かが起こるかもしれないね」
最近目覚ましい活躍をするハロハロは息子の教育もしっかりしているだろうから、洗礼式は教会でするだろう。
「一時帰国してでも見てみたいけれど、洗礼式当日は教会内部には保護者も途中までしか付き添えないらしいから、わざわざ帰ってもエリザベスの可愛い顔を見に行くだけになってしまうんだよね」
魔本の説明によると、洗礼式では上位貴族の子どもも順番を早くするくらいの依怙贔屓しかされず、保護者や付添人を同伴できないところが嫌われて、全世界的に司祭を自宅に招く形式になっていったのだ。
「たまには帰るくらいは良いんじゃないかな。帝都には転移魔法を商売にしている貴族もいるから、魔術具でひと稼ぎしたらたまに帰国するくらいはできるよ」
「ジェイおじさんだって、帰国する気になったらいつでも帰れたんじゃありませんか?」
ジェイ叔父さんの提案にウィルが疑問で返すと、しまったという顔をした。
「転移屋は某国王家の末裔が、没落しても生活の質を落とさないために始めた特殊な商売で、完全予約制なうえ、全ての情報が宮廷と軍に流れているのは帝都の常識でした。考えなしで申し訳ありま……」
「気にするな」
ウィルが間髪を入れず謝罪すると、ジェイ叔父さんは謝罪を制した。
「俺は魔法学校で好奇心のおもむくまま魔術具を製作して、帝国軍に足場を固められてしまい、帰国できなくなっただけだ。あの時俺が上手く立ち回っていればなんて言わない。当時のガンガイル王国は独立国家であったのに、遠すぎて帝都まで抗議してくることはない、と侮られていた。国境線の小競り合いではなく、遠く離れた帝都では何も出来まいという宮廷側の驕りがまかり通っていた。それでも、留学生を送り続けるのがガンガイル王国の伝統だったんだ」
そこまで言うと、ジェイ叔父さんがお茶のカップに手を伸ばした。
「ちょっと待ってて、淹れなおすわ」
ぼくのスライムが新しいお茶を用意する間、ジェイ叔父さんは自嘲気味に笑った。
「十年も引き籠っている間に何も研究ばかりしていたんじゃない。どうしてこんな事態になってしまったのかを考察する時間はたっぷりあったんだ。当時は力無ない外国の平民出身者は生きのこるために手段は選んでいられないと考えていた。ああ。ありがとう。……淹れたてのお茶はいいね」
ジェイ叔父さんがぼくのスライムの入れたお茶でのどを潤すと深い吐息を一つはいた。
「今はラインハルト様から色々聞いたから知っている。ガンガイル王国はこの世界の北の砦を護る一族だから、守りを固めると同時に世界情勢を把握しておかなければならないこと。そのために王位継承者は一度は外国に留学する必要がある。そのうえ、国の人材を育てるため、特権階級だけが知識を独占してはいけないからと平民にも留学の機会を与えていたんだ。ああ、国を護るという仕事は途轍もないね。結界を乗っ取られないためには一族秘伝の魔法を一族で保持し続けなければならない。一族の秘伝を残すためにできることは何でもしなくてはいけない。側室を儲けて子どもたちを世界中に派遣する。そして、その中で優秀な子どもに伝承を継続させるために側室の子だったら地位を上げる。知らない人間から見たら王の寵愛を受けた側室の子のが出世したようにしか見えない。いつしか側室の実家が大きな顔をし始めるがそこを抑えてこそ王の器だ、という慣習がガンガイル王国の王家のしきたりだったんだ」
ジェイ叔父さんの言葉に、ウィルが頷いた。
「王位を継げるのが、結界を維持できる魔力のある王族としていたことで、王太子が正妻の子である必要がない。王妃や側室の実家に乗っ取られないようにするため辺境伯領が、王家の本家として監査をする役目があったのです。古い結界を維持するために併合した国々の為政者たちの血筋を残し、拡大した領土に合わせて遷都し国土全体を護る結界を張りなおすなんて当たり前のことだと思っていました。外国に出てガンガイル王家が国に施していた結界の素晴らしさに気付き、ぼくも感動しました。でも、近年、王宮内の派閥争いがそんな王国を蝕んでいました。ぼくに物心がついた頃は王国の派閥争いを制した者が時の覇者だと、信じていました……。そう、まるっきり、洗礼式は教会に行くものではないと、教会で洗礼式を上げるのは市井の人間だけだと、すでに六歳で思い込んでいたように擦りこまれていました」
ウィルの告白にジェイ叔父さんが俺の認識もそんな感じだった、と言うと、魔獣たちがケタケタと笑った。
「人間は難しいことを考えるよね。……ああ、子どもに縄張を継がせたいのは魔獣たちも一緒だわ」
みぃちゃんがそう言うとキュアも頷いた。
「ボンクラが縄張を仕切っているなんて魔獣の世界でも許されないね。ううん、貴族階級が魔獣にはないからそこは理解しがたいわ。実力のないやつは縄張を失うもんよ」
キュアの言葉にスライムたちが笑った。
「魔獣も親から子に教えられる魔法はあるよ。だけど、あたしたちは小さいときに魔法陣の学習を先にしちゃったから、普通の魔獣じゃないのよね」
みぃちゃんの話にジェイ叔父さんが仰け反って頭を抱えた。
ぼくはジェイ叔父さんに魔獣の魔法は本能と神々のご加護で突然変異することがあるけれど、基本的には土地の魔力と生態系に則った魔法を使うことを説明した。
「うちの魔獣たちは偶々すごく小さいときに保護することになって、ああ、スライムたちは飼う気で育てたから除外してね、そう、離乳前のまだまだ母親が必要な時期に保護してぼくたちの玩具で遊んで育ったから、自力で魔法陣を解読して、駆使して魔法を使うようになってしまったんだよ」
ジェイ叔父さんは頭を抱えたまま、みぃちゃんとキュアとスライムたちとウィルの胸ポケットから顔を出している砂鼠をまじまじと見た。
「玩具……。ああ、魔獣カードの魔法陣を記憶して使用したのか!」
「そうなんだよ。魔獣カードを競技台の上で遊んだことがある魔獣だけが、魔法陣を駆使して魔法を使えるんだよ」
ジェイ叔父さんが眉間にしわを寄せて叫んだ。
「魔獣カード大会の優勝者はカイルのスライムだろ!スライムが最強の魔獣になり得るのか!」
驚愕するジェイ叔父さんにぼくのスライムが、誇らしげに胸を張った。
「まあ、ガンガイル王国最強、と言いたいところだけど、キュアが参加していなかったからガンガイル王国使役魔獣最強とは言い難いわ。まあでも、厳しい戦いだったから勝ててうれしかったわ」
神前試合を熟したことを思い出して感慨にふけったのか、ぼくのスライムは目がないのに遠い目をするように上を向き触手を二本に握りしめて語った。
「ああ、あれは凄い試合だったね。神々からの祝福とご加護を得て、他のスライムたちではなし得ないような大活躍をしているじゃないか」
ウィルが手放しで褒めると、ぼくのスライムだけでなくスライムたちが嬉しそうに震えた。
「ああ、スライムたちが分裂して連絡を取り合ったり、そのうえ結界を強化する魔術具を地下から繋ぐ役目をはたしたりしているんだったな。スライムを使役する内容が辺境伯領の秘伝なのは理解できる。戦争用に特殊に培養されたスライムたちが戦地に赴くことになりかねない。スライムたちは魔獣カードで遊びながら人間の仕事を時折手伝ってくれればいいんだよ」
ジェイ叔父さんがスライムたちを労うと、スライムたちが理解された喜びに体を震わせた。
全スライムたちがあと数日で誕生するジェイ叔父さんのスライムを可愛がってやると決意しているのが精霊言語で聞かなくても理解できた。
ぼくたちは急ぎで必要な分のプランターを作ってから寮に戻ると、寮監が、丁度呼びに行こうとしていた、と声をかけた。
「お客様がいらしたので、談話室にご案内しています。キリシア公国のマリア姫の使者と東方連合国ファン国のデイジー姫の使者で、お二人とも姫の親書をお持ちになっています。デイジー姫の使者からはたくさんの珍しい食材を手土産にいただきましたから厨房に運んであります」
デイジー姫は弁当の代金を食材で支払うことにしたようだ。
「何やらお二人とも相談事がありそうな様子でしたので、念のために寮長も呼んでもらっています」
ただのご挨拶だけですめばいいのですけどね、と寮監は眉間にしわを寄せた。
デイジー姫は今朝会った時は相談事なんかなさそうだったし、マリアは帝都に来たばかりだろうに、何か問題でもあったのだろうか?




