見えているもの
ジェイ叔父さんの研究室のドアをぼくと兄貴とウィルと寮長で叩いたが、返事がない。昼食のトレイがワゴンに載ったまま冷めている。
冷めること前提のメニューのような気がするから、慌てることはなさそうなのにね。
「撮影した教会の魔法陣の解析に夢中になっているだけなら良いのだけれど、倒れていたらと思うと気が気じゃなくてね」
寮長の心配は相談事があるからのような気がする。
「十年も引き籠っている間に研究に夢中になって食事を忘れることもあったでしょう?」
「以前も食事を忘れることはあったそうだが、辺境伯領の支援があって食事が劇的に美味しくなってからは時間が来たらちゃんと食べていたんだ」
ぼくたちがドアの外で話している間に兄貴の一部が黒いモヤになって部屋の中に入っていた。
兄貴が何も言ってこないということは研究に夢中になっているだけだろう。
ガチャとドアが開く音がして、ジェイ叔父さんがすまなかったな、と頭を下げた。
「古代魔法陣は知らないことだらけだから、つい夢中になっていて時間を忘れてしまった。カイル良いところに来た、ちょっと意見を聞かせてくれ」
「ジェイさん、それが興味深い話なのはわかるが、先に私が話をしてもいいだろうか?」
「ああ、寮長、いらしていたんですか。どうぞお入りください」
ジェイ叔父さんはぼくたちの真ん中にいる寮長に全く気が付いていなかったようだ。
ぼくたちは昼食のワゴンを押してジェイ叔父の研究室に入った。
いらないなら食べちゃうよ、という視線をキュアがジェイ叔父さんに向けると、叔父さんはおにぎりと冷や汁と卵焼きのトレーをすぐさまテーブルに運んで、いただきますと、むさぼるように食べた。
お腹は減っていたんだね。
ジェイ叔父さんも世話をしてくれる使役魔獣を飼えば良いのにね、という目で、みぃちゃんとスライムたちが見ている。
ジェイ叔父さんのスライムは只今仕込み中なのでもう少ししたら会えるよ。
「ジェイさんの退学届けを受理しないのなら、甥御さんがいる期間、復学も検討しているようだ、という触れ込みをして、安全確認のため初級中級上級魔法学校の在籍者名簿を見せてもらったよ。寮に帰って文字起こししたものがこれだよ」
寮長は教会の寄宿舎から魔法学校に通っている生徒の名前をすべて調べ上げていた。
「初級学校生は一学年に十人前後いるのに中級魔法学校からは半分以下になっていますね」
「そう言えば礼拝所にいた魔法学校生たちに初級魔法学校生らしき小さい子はいませんでしたね」
ぼくたちは書き出された名前と出身地と家名を確認すると、初級魔法学校生は人数も多く、半分以上が両親の名前や地名の後ろに平民と記載されているのに、中級魔法学校から平民の記載があるのは一人か二人になっている。
……出身地が帝都と記載された平民の子は一人もいない。
「初級魔法学校生たちはまだ幼いから別室で礼拝をしている、と大司祭が言っていたよ。我々が入れなかった区域だろうね。それにしても凄いだろ、私も自分の目を疑ったよ。こんなに極端な結果になっていると思わなかったから、驚いて魔法学校の職員に聞き込みをしたんだ」
昨日の教会で寄宿舎の魔法学校生と一緒に礼拝に参加したから親近感がある子たちだ、日々神に祈る教会の子はさぞ優秀なんでしょうね、と世間話として聞き出したようだ。
「初級魔法学校の事業態度には問題なく、成績も良かったのだけど、体力がなく、長期休みの間に亡くなることが多いそうだ。神の家ともいえる教会付属の寄宿舎で子どもが大量死しているなんておかしいだろ!それも、全員平民の子どもたちだから訴え出る場がないということで問題視されていないだけなんだ……。魔法学校で叫びださなかった私を褒めてくれよ」
首を大きく横に振ってから項垂れた寮長にぼくたちは、よく耐えましたね、と慰めた。
「教会はしばらく大賑わいで、一般礼拝者は教会外の特設祭壇に参拝することになるだろうから、内部には入れませんね」
ウィルが残念そうに言うと、寮長が頷いた。
ぼくたちが早朝礼拝を教会の外で行ってしまったので、あの祭壇が教会の正面玄関脇に常設されることになり、市民が気軽に参拝できるようになった反面、部外者が礼拝所まで行く理由がなくなってしまったのだ。
「初級魔法学校生の寄宿生に急死が多いのに、ぼくたちは中級魔法学校だから校舎がちが……!」
言いながらウィルも気が付いたようだ。
ぼくたち全員が顔を見合わせて、頷いた。
「あの健啖家の東方連合国のデイジー姫は初級魔法学校の新入生だったな!弁当をたくさん振る舞っておいて良かったなな。ハハハハハハハハハハ」
寮長が豪快に笑った。
「デイジー姫は東方の珍しい素材を持って寮に遊びに来たいとおっしゃっていました。この資料を見せたら協力してくれる、とまではいかなくても、初級魔法学校で寄宿生を気にかけるようになるはずです」
ウィルのこういう着眼点は凄いと思う。
圧倒的上位者は下位の人々を気にかけない。というより目に入っていない。
目につくのは、おべっかを使ってすり寄ってくる人間で当然ながら下心がある。
そういう人間関係における上位者と下位者という立場は、双方ギリギリまで自分の側が多くの利益を得ようとする駆け引きする緊張感をはらんでいる。
アネモネさんはそう言った駆け引きはしない。
幼いころに妖精と契約して、緑の一族とかかわった世間知らずだから、できないだろう。
上位を笠に着て偉ぶり、下位を憂さ晴らしのための玩具のように扱う人間はそもそも人格破綻者なので除外すると、アネモネさんほどの世間知らずではなくとも、普通の上位貴族は無為自然に暮らしている人々は目に留まることがなく、気にかけないから、暮らしぶりを知らないだけだ。
視界に入る全てを理解できないのは上位者も下位者も関係ない。
目に見えるものの範囲の己にとって必要なものや興味のあるものしか認識できない。
溢れるほどある視覚情報は、一人の人間の脳みそでは処理しきれないのだ。
無意識に取捨選択して生きている。
アネモネさんはぶっきらぼうだけど、一度認識したら保護する人だし、最後まで責任を取らないように見えても、まどろっこしい合言葉を伝えて急場に駆けつけようとする気概がある人だ。
初級魔法学校の平民出身の寄宿生が中級魔法学校に進学する前に命を落としていることを知れば、気にかけないはずはない。
「そうか、それは食堂にたくさん食材を仕入れするように伝えておかなければ……ああ!入学式の新入生代表挨拶を出身地域の代表者数名にさせる案が正式に採用されることになった。これで、皇子より成績がいいことを理由に襲撃される危険度が下がったから、新入生たちが帝都の外の試験農場に出かけても大丈夫だよ。たくさん食材を持ち帰ってくれ」
「精霊神の像の隣に植えたからオレンジの苗木があんなにすぐ実をつけたんですよ。寮長も王族なんですから精霊神の像を製作して試験農場に設置してください」
ぼくたちが試験農場に行けばすぐに収穫できると期待する寮長に、植物が急成長する裏には条件のいい場所があることを指摘した。
「無茶言ってくれるなよ。そんな王家の秘密を継承できるほどの才能がなかったから、王位継承権を放棄したんだ」
頭を抱えた寮長にぼくたちは笑った。
「試験農場は先輩たちが一から苦労して作り上げた場所ですよ。しゃしゃり出て引っ掻き回すつもりはありません」
ぼくはマークやビンスたちが苦労して始めたことだ、と強調した。
「そうか、残念だな……」
ジェイ叔父さんが眉を寄せて考え込んだ。
「神々の祠とか神々の像は作れないけど、礼拝所の魔法陣を仕込んだ柱でも作ってみようかと考えていたんだけど、試験農場で試せないのか」
「あのまんま再現するのはどうかと思うな。無駄な魔法陣が多くない?」
帝都は古い街だが、遷都前の古い街の魔法陣に新しい魔法陣を重ね掛けして出来ている分、魔力の流れが悪いのでは、とぼくが考察すると、ジェイ叔父さんが頷いた。
「だからこそ試してみたいんだ。この帝都は禁止文字ができる前に二度、文字が変わってからは五回も為政者が変わっている。街の規模が大きくなって帝都の教会の移築された回数だから、実際の歴史上ではもう少し数が多い。ガンガイル王国のように国土が広がっても、旧為政者の一族に護りの結界を維持させていれば魔法陣を書き換える必要がないから国が変わってても教会的には変更がない」
ジェイ叔父さんが昼食のトレーをワゴンに戻し、テーブルに清掃魔法をかけると、帝都の古い地図と教会の礼拝室の魔法陣を写した展開図を並べて出した。
「この魔法陣はこの古い祠跡を消すための魔法陣で、教会の魔法陣を別の土地で使用するならいらないものだ。ただ、この魔法陣のこの線を延長すると、こっちの封じの魔法陣と繋がっているだろう?この線をそのままこの祠跡と繋げると、魔法陣としては連結していないし、作られた年代も違うんだけど、この三角地帯は花街なんだ」
ジェイ叔父さんが平面の地図と展開図の魔法陣を両手の人差し指でたどりながら説明した。
「花街周辺は都市型の瘴気が湧きやすいのは、治安の悪さゆえでなく、そもそも護りの魔法が局所的に薄くなっているのか?」
寮長は両手で頭を掻きむしった。
「薄くなっているかどうかは確認のしようがないから、試験農場の一角を借りて疑似帝都を再現してみようかと考えていたんだ」
ジェイ叔父さんは何もない土地に封じの魔法陣を描き、その上に帝都の魔法陣を描いた畑に作物を植えて成長の違いを検証してみたかったらしい。
「ジェイおじさん。試験農場は地主も立ち寄るし、村人たちを雇って農地を管理しています。極端に育ちの悪場所が目に見えてわかると、怪しい研究をしているように見えてしまいますよ」
「寮の中庭に花壇を作って検証してみようかい?」
「中庭には七大神の像が祀られているじゃないか、影響を受けるから正確な検証にならないよ」
ウィルが、試験農場での検証に否定的な意見を出すと、寮長が中庭で検証するように勧めたが、兄貴が寮の護りの結界が強化されていると指摘した。
「せっかく帝都にいるんだから、帝都で試してみようよ。植木鉢を販売して、各地区で同じ種類のトマトでも栽培してもらえばいいよ。土を掘り起こして畑にしてもらうのが一番いいけれど、肥料のやり方が変わると条件かかわってしまうし、いっそ腐葉土入りの植木鉢で条件をそろえて、空気中の魔力の違いを検証してみたら良いんじゃないかな?」
「空気中の魔力かぁ……考えても見なかったが、試してみる価値はありそうだ。ばあちゃんの家のプランターのように成長を促進する魔法陣を描いておくのかい?」
ジェイ叔父さんが真面目に検討し始めた。
ばあちゃんの家のプランターは急成長をする魔術具の鉢とは違い、育てる楽しみを知ってもらうために成長を促す魔法陣と豊穣の神の魔法陣と重ね掛けしてある。
丹精込めて世話をしたら願いが神々に届くと良いな、という程度の期待しかしていない。
「友人知人に頼んで気になる地点で育ててもらおう。検証というには物足りないだろうけど現状できることをすぐやるとしたらこれが一番いい案だろう」
ぼくたちはどこにプランターを設置するか、ということに話が移った。




