変化の兆し
食後すぐ走るとお腹が痛くなる、と言うジェイ叔父さんに驢馬のクーに乗ることを勧めたら拒否された。
スケートボードに乗りたいと言うので中庭で練習してから出かけることにしたが、どうしようもないほど下手くそだ。
見かねた兄貴がジェイ叔父さんの足元に広がり身体強化をかけて強引に体に覚えさせた。
帝都を高速で駆け抜けるぼくたちは人々の注目を集めた。
頑張れよ!と声をかけられるとぼくたちも手を振って応えた。
白いローブの貸し出しも始まっており、白い巡礼者たちを何人も追い抜いた。
帝都に到着して数日で少しでも結果が目に見えたことが嬉しくて目頭が熱くなった。
「風が吹くって、こういうことなんだな」
ジェイ叔父さんが感慨深げに呟いた。
寮に戻ると面白い検証をするらしいな、と試験農場から帰ってきていたボリスたちに取り囲まれ、ぼくたちは談話室に連れ込まれた。
「この検証には、七大神の祠で魔力奉納をする自分のポイントを把握している人物を、等間隔に配置して検証すべきことだ、と寮長に進言したんだ!」
鼻息を荒くしたビンスがそう言うと、我こそはこの検証に参加する資格を持つ、と自負する寮生たちが談話室で待ち受けていた。
「寮長は、大司祭には大きな貸しがあるから認めさせてやる、と意気揚々と教会に直接交渉に行きましたよ」
寮監が、あの人が本気を出すなんてねぇ、と含みを持たせた言い方をした。
寮長が本気を出したら何が起こるんだろう?
「礼拝室での祭壇の位置と、予想される魔法陣の全貌を考えると、こういう風に配置すべきだと思うんだよね」
ケニーが早朝礼拝の参加者から聞き取りした情報を記した礼拝所の図面に、予想した魔法陣を描き込んだ薄紙を重ねて、検証に参加する寮生たちを配置する印を書き込んだ。
ジェイ叔父さんは精霊たちが空中で象った床の魔法陣を記憶していたので、薄紙の描かれた魔法陣を修正した。
「これは……!礼拝所は小さな帝都なのか!」
ケニーが頭を抱えて言った。
「帝都の小さな古い祠まで一致しているよ」
七大神の祠だけでなく各種の神々の祠の位置まで礼拝所の隠し魔法陣は再現していた。
「古い祠か……。帝国が遷都してくる前の祠だとしたら、古の魔法陣の上に新たな祠が作られているのかもしれないね」
「ああ、だとしたら封じられた祠があるはずなのか!封じられた神の祠にはとりあえず兎でも描いておいて、古代魔法陣を考察してみようか」
ウィルとぼくがノリノリで言うと、ジェイ叔父さんと寮監が駄目だ、と慌てて止めた。
「廃鉱の時もこうやって古代魔法陣を考察したので、この方法では呪われませんよ」
ボリスが良識ある大人二人の制止に反論した。
「言ってはいけない、描いてはいけない、ならば、言わない描かないを徹底すればいいんだよ。今回は兎にしたけれど、次は蛇でもいい。とりあえず代入しているだけで、規則性を持たせていないよ。規則性を持たせたら、関係のないこの兎に別の意味がついてしまうから駄目なんだ」
「なるほど。これについて考える時はいつも違うものを当て嵌めれば良いのか」
納得したジェイ叔父さんが古代魔法陣の考察に参加し、時折、あー、うー、と唸り声をあげた。
「なんとなく推測できることは……混乱の時代に消えた神は一柱じゃないんだな」
両手で頭を掻きむしりながらジェイ叔父さんは言った。
「そこのところを突き詰めてはいけない気がするから、触れてはいけない集合体として処理していきましょう」
ウィルが地雷に足を突っ込みそうになるジェイ叔父さんを諭した。
君子危うきに近寄らず、と寮監が言いながら、ぼくとウィルと兄貴とジェイ叔父さん以外をテーブルから離した。
「急速な国の発展の裏側に、こんな危険なことを子どもたちがしていたのか」
寮監の嘆きにボリスたちが頷く様子が視界の端で見えた。
ぼくたちが考える礼拝所の魔法陣が完成して顔を上げると、寮長が談話室にいた。
「教会側と参加人数と場所の調整は済ませていたけれど、変更があるのかい?」
笑顔の寮長は変更があっても教会側に飲ませる自信のある声で言った。
「いえ、このままの人数と配置で大丈夫です。教会側に提出しない情報を精査するために検討していただけです」
ジェイ叔父さんの報告に寮長が満面の笑みを浮かべた。
「アハハハハハハ、これは愉快だ!今回の検証に選ばれし精鋭たちよ!中央教会は魔力不足に喘いでいる。我々は教会に魔力を提供すれば我々のご加護が更に強化され、いくばくかの小遣いを得る。実にいい取引だ。我らの研究は世界を豊かにする重要な研究だ!帝都の結界の全貌を暴露せよ!」
寮長の掛け声に、談話室に居合わせた全員が、オーと答えた。
「夕食前ですが、食堂に小腹が空いた人のための特別食が提供されています」
寮監の一言で談話室の熱気がさらに上がった。
腹が減っていては魔力奉納が辛くなる。
おっちゃんの計らいで夕食前なのにお握りに豚汁と卵焼きの軽食が用意されていた。
おにぎりの具に天むすがあったので辺境伯領出身者たちが大喜びした。
「試験農場にエビの養殖場を建てたんだ。簡易の施設だから簡単に移築もできるよ」
ボリスが得意気に言うと。お前の妹は海老にうるさいもんな、とからかわれた。
「陸稲だけでなく、水田もしたいから井戸を掘ったんだけど、陸稲が上手くいっているからどうしようかと躊躇していたら、水が出たなら養殖をしないかって、商会の人から声をかけられたんだ」
「畜産は村人を雇って管理してもらっているけれど、誰もやったことのないエビの養殖は王国から退役騎士の技術者が派遣されていても、子ども用プールくらいの規模でしかできなかったんだよ」
ケニーはボリスが来る前から小規模ながらも実験していたことを明かした。
「なんだか、屈強な男性たちが何人も働くことになったから、試験場を増やすことになったらしいんだ」
ぼくたちは屈強な男たちに心当たりがあったから、眉をひそめた。
ウィルは怪訝な表情を隠そうともしなかったが、知っていたのかジェイ叔父さんは無反応だ。
「水質浄化の魔術具を作った張本人たちが、その可能性に気が付いていなかったようだね」
寮長が知らなかったんだね、と笑った。
ぼくたちが作った魔術具で養殖で一番の問題だった汚水処理が容易になり、水を循環して使用できるようになったのだ。
小規模でできるから場所をとらず、どこででもできるようになり、作業員が足りないらしい。
花街で取り立て屋のようなきわどい商売をしていた連中に、真っ当な商売をさせるべく、商会の人たちが水面下で求人を出していたところ、ベンさんがスカウトしたようだ。
花街で阿漕な商売をしていただろう男たちに養殖業を手伝わせるのなんて、伊勢の禁漁区で密猟を繰り返しぼろもうけしたことから、悪質でしつこい商売を意味する『阿漕な商売』の語源を知っていれば、巡り合わせとして面白い。
この世界にも似たような伝承があるのなら、なんだか精霊たちに遊ばれているような気がしないでもない。
「真っ当なことをしてこなかった人がまともに働けるのか、という気もするけれど、真面目にきわどい仕事をしていた人が、まともな仕事を真面目にするようになれば世の中が良くなりそうだし、これで良いのかな」
ぼくの呟きにウィルが苦笑した。
アリスの馬車を含む六台の馬車で教会の正面玄関に乗り付けた。
二十二人のうち半数以上がアリスの馬車から出てきたので門番は苦笑していた。
早朝とは違い神官たちに恭しく案内されて礼拝所に入ると、ぼくたちはあらかじめ決めていた持ち場へと、すでに並んでいた参拝者たちの間を割り込みながら移動した。
闇の神と光の神の位置は寮長とジェイ叔父さんで、土の神がぼく、火の神がボリス、空の神がウィル、風の神がマーク、水の神をロブが担当することになった。
光と闇の神を平民と王族の成人男性にすることで、奉納する魔力は個人の能力を超えて引き出されないことを際立たせる意味がある。
残りの五つの神のメンバーは、マルチカメラに変身出来たスライムたちの能力で決まった。
中央で撮影するぼくのスライムはジェイ叔父さんのスライムのふりをしている。
担当する神を決めた方法は、祠巡りの魔力奉納ポイントは神々が競うように次の祠に行くと多く奉納することになるので、前の神の祠から魔力奉納のポイント差が一番少ない祠の神を配置することにした。
ポイント差が少ないということは、より少ない魔力で満足していただいているのでは、という強引な解釈で決めただけだ。
配置についたぼくたちがそれぞれの使役魔獣を自分の脇に置くと、事前に聞いていたはずの参拝者たちの狼狽えたような声が響いた。
ほぼ全員がポケットからスライムを取り出し、猫や鼠に飛竜の幼体までいるのだ。
驚かれるのは仕方ない。
ぼくの両脇にはキュアとシロがひかえ、みぃちゃんのスライムが肩に乗っている。
みぃちゃんは光と闇の神の間で線対称になる場所の空の神担当のウィルに貸し出しているので、ウィルは猫と鼠に挟まれてスライムを肩に乗せている。
そんなシュールな状況下、大司祭はぼくたちには理解できない古語混ざりの祝詞を唱え始めた。
神学を学んでいない人にはわからない言葉を使っているのに、早朝礼拝から締め出されたのはやっぱり嫌がらせだったんだな、と考えていると大司祭が祭壇の前で跪いた。
参拝者たちも続いてその場に跪いた。
手順は周知徹底されていたようだ。
スライムたちは主人の肩から床に飛び降り、大司祭が魔力奉納を始めたら圧縮した魔力を一気に奉納し、主人の頭の上で球体になり指示された方向を撮影する予定になっている。
大司祭が祭壇に手を触れると同時にスライムたちが床に叩きつけるように魔力奉納をしたため床が先に光り、その輝きに後押しされたかのように祭壇が光った。
礼拝所の輝きは後からゆっくり検証できる余裕から、ぼくたちは真剣に魔力奉納をした。
日の入りを告げる教会の鐘が鳴るなか引き出される魔力が少なくなり、魔力奉納が終わった。
鐘の音が止むタイミングで魔力奉納を終えて立ち上がると、朝ほどではないが精霊たちが漂っていた。
とても神聖な儀式を終えたかのような達成感に包まれた参拝者たちの表情は、とても生き生きとしていた。
その頃、教会の正門は日の入りの鐘の音と同時に教会の建物が薄っすらと光ったため、問い合わせる人々が押し寄かけてきたらしく、対応しきれなかった門番が正面玄関を閉めていた。




