微笑みの下
ぼくの鬱屈とした表情から、魔法学校の新生活でガンガイル王国色を出すのは疎外感を生じさせるのではないか、とのぼくの考えを察したボリスが無言で頷いた。
「多数派じゃなくても、ぼくたちはぼくたちのやり方で研鑽するのみだよ。もちろん帝国に留学したからこそ学んだことはあるよ。特に競技会はいい経験になったね」
まあ頑張ろう、とウィルがぼくの肩を叩いて馬車の方に歩き始めると、カイル君と声をかけられた。
商会の代表者とベンさんが商業ギルドの建物から出てくるところだった。
「もう少し早く中央広場に来ているのかと思ったけど、従業員宿舎でもう一働きしていたんだね。ここまで来たついでだから、冒険者ギルドに依頼を出していこう」
魔術具の鳩で連絡を受けていた商会の代表者はすでに手続きを始めていたようでベンさんの食堂の物件の候補の一つを祠巡りの検証の拠点にしたらいい、と貴族街と繁華街の中間地点で治安がそこまで悪くない物件を勧めてくれた。
「お金がかかるわりに儲けが絡まない研究なのに、ずいぶん協力的なんですね」
ウィルが儲からない研究と言うと、商会の代表者が笑った。
「新学期が始まったら、ウィル君の領地まで商売の話が流れるほど大わらわになりますよ。帝都で祠巡りが流行りだせば我々は大忙し間違いなしです。その為に商業ギルドで貸衣装屋の登録を済ませておきました」
祠巡りのための貸衣装屋を始めれば必ず儲かる、と笑顔で商会の代表者が言った。
祠巡り専用の衣装が定着すれば、誰でも七大神の祠をめぐることができるようになる。
屋台のおっちゃんとベンさんは食堂の準備の仕事があるからここで別れた。
ジェイ叔父さんは自分には関係がないけれど、冒険者ギルドに立ち寄る機会がないから見学したい、とついて来た。
冒険者ギルドの受付で名のるなり、お待ちしていました、とギルド長室に案内されるとジェイ叔父さんの口角があがった。
未知の経験を純粋に楽しんでいるジェイ叔父さんの仮面に、ギルド長が不敵な笑みを浮かべる変人を見るかのように目を見開いたのがぼくたちの笑いのツボに入り、腹筋はおろか肩を震るわさないように全員が深い息を吐いた。
案内した受付の女性がご苦労をなされてここにいらしたのですね、とでもいうかのように英雄を見るようなうっとりとした目でジェイ叔父さんを見た。
いやいや、ジェイ叔父さんは偶々ここに居るだけで、冒険者ギルドをにぎわせた一連の依頼に何も関係していない。
イケメンは顔の半分を隠してもイケメンなんだなぁとぼんやり考えている間に、商会の代表者が依頼達成の報酬と引き換えに終末の植物の種を受け取っていた。
バイソンの肉があれば高値で買い取ると言うギルド長に、余すことなく美味しくいただきました、と商会の代表者が笑顔で流した。
「帝都の教会に寄進できれば良かったのですが、なにぶん育ち盛りの留学生たちなので美味しくいただいてしまいました。皮と角は明日教会に寄進する予定です」
貴公子スマイルを浮かべたウィルが優先すべきは教会だ、と言うと、ギルド長は顎を引いて笑った。
「ガンガイル王国の留学生のみなさんは本当に信心深い。土壌改良の魔術具の販売にも村民が出来得る限り毎日七大神の祠に参拝させる村を優先に販売したと聞いております」
ウィルが少しだけ口角を緩めて背筋をピンとさせたまま、努力をしなければ結果が出ないので、数少ない魔術具を無駄にできませんからね、と頷いた。
「ぼくたちの今度の研究は神々に毎日祈ることで得られるご利益を数値化してみる検証なのです」
信心深いという話題から今回の核心にウィルは話題を持っていった。
「つきましては冒険者ギルドへの新規の依頼として、一日で七大神の全ての祠に魔力奉納をした経験がない冒険者を対象として、全ての祠に原則毎日魔力奉納をしていただいて、初日の奉納のポイントから記録を取り、継続するとどう増減するのかを調査したいのです」
ギルド長は突拍子もない依頼内容に自身の頭頂部をぺしっと叩いた。
「……拘束期間は長期になるけれど、冒険者として力量を問わないということか」
ギルド長はもっと大きな依頼があるかと期待していたのか、口がしょぼい依頼だ、と動いた。
「被験者として様々な階級を想定していますから、秀優可を問わず、どなたでも構いません。駆け出しの方からベテランの方まで幅広い方に依頼を受けてもらえたら、こちらとしては嬉しいです」
「ガンガイル王国では五歳児の登録を終えた幼児から祠巡りをするのが一般的なので、祠巡りをしたことのない人物を被験者として集められない状態だったのです」
ウィルの話をケニーが補足した。
「魔力奉納とご加護の関係は数値化されたことのない事案ですが、魔力奉納による魔力量の底上げを実感しているガンガイル王国国民としては、帝国では対象者がたくさん居るので非常に興味深いのです」
ぼくが留学生らしくそう締めくくると、ギルド長は深い息を吐いた。
「神学と被る領域の研究だから教会の寄進を優先するのか。……地味な研究だが、私もその研究には興味がある。論文に個人名が出ないのなら私も参加したい」
ご加護を得るため後追いして七大神の祠巡りをするより留学生たちの検証に協力した、という形をとる方が外聞的にいいんだよ、とギルド長は苦笑した。
「君たちの活躍は、にわかには信じられないような話ばかりだ。だが、君たちが旅をしてきた地域から、水や食品の出荷が始まった。新たな水脈を掘り当てた井戸や、浄水の魔術具の効果は聞いている。この植物の種子が採取されるうちは……土地が荒廃して渇水の危機があるということなんだろう……」
ギルド長が語尾を濁した。
帝都の周辺で終末の植物の種が採取されるという異常事態に心を痛めているのだろう。
「浄水の魔術具でしたら在庫がありますよ」
商会の代表者の言葉にギルド長の瞳が輝いた。
ぼくたちの心証をよくして我先に浄水の魔術具を入手したかったのかな?
ばあちゃんの家でも少ない食料より先に水の話になった。
帝都も地方のように水問題に悩まされているらしい。
なんだかモヤモヤとする。
帝都の結界は世界の理と繋がっているのに帝都の周辺地域は繋がっていない。
水は大気の流れに沿って空中を漂い雨雪となって大地に降り注ぐ。
山が保水し、川に流れ、海が空中に水分を放つ。
一つ所の結界を整えても世界は繋がっているんだ。
大陸の中央にある帝都だけが豊かになることは不可能のように思える。
世界の理はこの世界全部の調和で成り立っているのだろう。
恩恵を一所に留めておいてはいけないように、厄災でさえ共有されるものなのだろう。
帝都の地下水を掘り当てたって、水の循環が上手くいっていなければ、付け焼刃にしか過ぎない……。
モヤモヤとした気持ちで俯いていると、ボリスがぼくの服の裾を摘まんで引っ張った。
何も表情を変えずにギルド長の話に相槌を打つボリスの横顔が、明日留学生たちの畑に行こう、と言っているかのように、ぼくを心配する気配を出した。
ぼくは余計なことを言わないように、帝都への不満を顔に出さないように、表情筋を身体強化するのではなく、つるんとした能面のようなもう一つの顔を作るように意識した。
ぼくが顔を上げると柔和な笑顔になっているはずだ。
ウィルも穏やかな笑顔でぼくを見た。
みんな作り笑いだ。
それでも、ぼくたちの情熱は消えていない。
……みんなで心から笑って過ごせる未来をつくるために、今はこんな作り笑いでいい。
兄貴を振り向けば仕方ないという微笑だった。
商会の代表者が依頼内容を整えていくのを、ぼくたちは微笑んで見ていた。
寮に帰るとやるべきことが山積していた。
ボリスの驢馬の蹄鉄の魔術具を設計し、子どもたちを運ぶお散歩カートの安全性の検証を寮の中庭でした。
夕食の食堂で祠巡りの衣装の公募を発表するウィルを眺めていた。
「カイル。お前、今晩帰れ。帰って自宅のベッドで寝るだけにしろ」
スープカレーのスプーンを置いてジェイ叔父さんがぼくの肩を叩いた。
「俺もジュエル兄に会いたいからな」
スライムたちが心配そうにぼくのスプーンの両側から覗き込むようにぼくの様子を窺っている。
昼食が少なかったのに食欲がない。
みぃちゃんとキュアも心配そうにぼくの後ろをうろうろしていた。
“……ご主人さまは、死霊系魔獣よりも、見放された子どもや見捨てられそうな地域に心を痛める傾向があります。今日は両方の問題が見える日でした。ゆっくり自宅で静養されるのも必要でしょう”
食卓テーブルの下からシロが思念を送ってきた。
そうなんだ。
ぼくは死なない程度に放置されている子どもを見るのがとても辛いのだ。
世の中は悪い人たちばかりではない。
でも、生きるのに必死な人たちは弱くて小さな生き物を保護できない状態なのに、まだ死んでいないからまだ大丈夫、という最低限の基準になってしまう。
それでもお婆の家のように地域で包括できなくなると、ぼくの生まれた村で起こった悲劇が起こるのだろう。
そんな子どもたちはいなかったことになるのだ。
夕食を何とか完食したぼくは、中庭のハンスのオレンジの木を見に行きたくなった。
日没の時間を過ぎたばかりの中庭で、ぼくの安全を配慮するかのように精霊たちが現れてハンスの木までの足元を照らした。
みぃちゃんとシロがぼくの前を歩き、キュアは音もなく飛んでいる。
スライムたちが精霊たちに負けじとぼくの両側でキュアのような羽を出して飛びながら光るのが、可愛らしかった。
兄貴とボリスとウィルが何も言わずについて来ている。
ハンスのオレンジの木がぼくの背より大きく育っているのを見て、ただ涙が溢れてきた。
遠く離れた友だちがぼくに語り掛けているかのように葉を揺らした風がぼくの涙を乾かした。
ハンスも今頃頑張っているんだろうな。
今朝花を開いた萼に青い小さな実が付いていた。
ぼくが手を触れると精霊たちが集まってきた。ぼくの手の中でオレンジの実がどんどん大きくなって黄金の輝きを放った。
ぼくのスライムが剪定鋏に変形し、輝くオレンジを収穫した。
「一人で勝手に落ち込んで、一人で奇跡を起こすなんて、まったく、ほっとけないよ」
振り返るとウィルとボリスと兄貴が苦笑していた。
「どうしよう。寮のみんなで食べるには少ないよね?」
「教会に寄進するかい?」
「俺たちで食べて種を植えるのはどうかな?」
黄金に輝くオレンジを教会に寄進して騒ぎを起こすより、今ここで精霊神の像にお供えしてからぼくたちだけで食べてしまえば、現物が消えてしまうので問題がないような気がした。
「美味しくいただこうか!」
みんなに内緒で食べたハンスの輝くオレンジはびっくりするほど甘く、後味が微かに苦かった。




