チョコレートの香り
「これは美味しい。苦みが強いのも、甘い方もどちらも好きだ」
「いや、甘い方が断然に美味い」
「こんなに美味いのに、高温多湿な気候でしか繁殖しないのか……。実験的に温室で栽培したとしても日常的に食べられるようにはならんとは、残念だ……。まて!ハルト!もう一粒くれ!」
仮面の叔父さんたち食べ比べと称して箱から手をどけないので、ハルトおじさんが強制的に箱の蓋を閉じた。
「たくさん食べなきゃいいんですよ。特別の日に少しだけ食べる特別な食べ物だとすれば、領内で試験的に流通させられるかもしれませんよ」
また辺境伯領が先行か、とウィリーの仮面のパパが嘆いた。
「そうこうしている間に南が安定してくれて買い付けできるようになってしまうので、魔力をたくさん使用する温室栽培に投資しても回収しきれませんよ。辺境伯領では南方の植物を栽培している試験農場が既にあるので気候的には厳しくても追加投資が少なくて済みます」
ぼくの提案に、それはそうだ、と三人の仮面のおじさんたちは頷いた。
それでも、やっぱり王都でも食べたい、と予算や実現可能な土地はとか、試験的に自領で、など具体的な話を始めた。
「このノリで辺境伯領やガンガイル王国は発展していったのか……」
ジェイ叔父さんは箱を閉められる前に三つ取っていたミルクチョコレートを、ぼくとみぃちゃんのスライムたちとキュアに分け与えながら言った。
「新しい神の誕生から続く豊作の備蓄食料の古い物を、おう……仮面の紳士ハロ様が買い上げてくださり、お古を売り飛ばした二人の仮面の紳士の懐具合が温かいうちに、そこの仮面の紳士がうまい具合にカイルの話に便乗しただけだよ」
緊急支援で経済を回したといえば聞こえがいいが、身内でお金を転がしているようにも見えてしまう。
「チョコレートが美味しすぎるからだよ」
ぼくのスライムがそう言うと、家族みんなが笑った。
「ジュエルはチョコレートの種をもらったんだな!植えたのか!発芽したのか!」
「叔父上は口を挟まないでください!」
ハルトおじさんがキャロルの仮面じいじに声を荒げると、父さんは困った顔をしつつも、いいんです、と首を横に振った。
「ああ、もう、苗木にしてからカイルの誕生日プレゼントにしようとジェニエさんが頑張っているのに、叔父さんときたら本人の前で苗木の話を持ち出すなんて、無粋ですよ」
「いやぁ、すまなかった。そうか、カイルは夏生まれだったね」
キャロルの仮面じいじが素直に謝罪すると、ジェイ叔父さんが口をパクパクさせた。
「ハハハハハ。悪気がなかったとはいえ謝罪するのは当然だ。ジェイ、昨日の寿司は美味かったかい?ガンガイル王国に稲作を普及させるきっかけになったのはカイルだぞ。儂はその時もカイルから助言を得た。カイルは孫娘の友人で、領の発展に協力してくれる恩人だ。儂は年の離れた友人だと思っている。本人は貴族階級などいらないだろうけれど、成人したら叙勲されることが決まっている。これはカイルをガンガイル王国に縛り付けるためではなく、カイルが自分の将来を自分で選択できるようにするためだ」
キャロルの仮面じいじが胸を張って、カイルがどんな将来を選択しても帰って来られる道筋を作ってやるだけだ、と言った。
「……ジェイのように帰って来られなくなる危険があるのなら、今の留学生たちに貴族階級の保証を与えておくべきだったんだなぁ。ああ、魔法学校時代の私がジェイにろくな庇護を与えられなかったことが悔やまれてならないよ。でもね、口にはしなかったが、王子の私よりモテていたのはちょっと悔しかったんだよ」
仮面の紳士ハロの告白に三人の仮面のおじさんたちが爆笑し、ぼくたち家族も困ったように笑った。
「私は大人になるのに時間がかかった。私はすべき時にすべきことができなかった。かつての愚かな私をジェイに許してくれというのは虫が良すぎる。当時の私の態度で、取り巻きたちが嫌味ばかりいうようになり、ジェイを研究室に籠もりきりにさせることになった。寮内に毒物が持ち込まれたなら、私が全力で対処しなければいけない地位にいたんだ。私は敬われる地位にありながら責任を果たさなかった。過ぎ去った時間は巻き戻らない。ジェイが十年研究室に籠もることになってしまったことは変えられない。……ただ、これからの私の行動は極めて注意深く行っていくと、ジェイに誓うよ。私は国民を見捨てない行動をする。……出来得る限り」
内省の告白に続き、唐突にジェイ叔父さんの前で跪いた仮面の紳士ハロが誓いの言葉を述べたので、車内の全員が驚いた。
カッコよく決めたかと思いきや、最後に予防線を張ったので、三人の仮面のおじさんたちが吹きだした。
「王族のそっくりさん、もとい、仮面の紳士が迂闊なことを宣誓できないゆえ、最後の一言は評価できる。いや、内容が間違っていなかったから言い切っても良かったな。国の結界を守るのが王族の務め。だが民なくして国はないのだ。……」
キャロルの仮面じいじが王族の矜持を熱く語りだすと、二人の仮面のおじさんもウンウンと頷いた。
帝王学は学ぶ必要のないぼくたちは仮面のおじさんたちの話を気にすることなく、チョコレートの感想を語り合った。
ビターもいいけどミルクチョコレートが早朝の体に染み渡るほど美味しい、ということで意見が一致すると、兄貴が父さんの腕を掴んでいった。
「父さん。お婆のカイルへの誕生日プレゼントなんだけど……。諸刃の剣になるかもしれない。断言はできないけれど、いい方向に行けばガンガイル王国の影響力を上げられる。……悪い方に行けば南方戦線が激化して世界中を巻き込んだ大戦争が起こるかもしれない」
兄貴の爆弾発言にシロが頷いた。
ぼくたち家族が顔色を変えて沈黙すると、仮面のおじさんたちの話も止まった。
「いま、なんて言った!」
直感で何か大事な話があったと気付いたのはキャロルの仮面じいじだった。
耳聡かったのはウィリーの仮面のパパで、兄貴の言葉をまるっと復唱すると仮面のおじさんたちまで青ざめた。
「南方戦線の激化?」
「世界中を巻き込んだ大戦争だと!」
「どうしてそんなことになるんだ!」
詰め寄ってきた仮面のおじさんたちに、兄貴は両手を前に出し、拒否するというよりは落ち着けというように、掌を何度も前後させた。
「チョコレートが美味しすぎるからですよ!また食べたくなるものなのに、需要に対して供給量が圧倒的に足りない。特別な日に特別なご褒美として、少しだけ、なんて感覚は慎ましいガンガイル王国の国民性だから通用するんです」
「慎ましい国民性と言われると嬉しいが、我が国だって、希少なものを買い占めて権力を誇示するのが好きだったやつらが失脚したからこうなっただけだ。人を不快にさせるような言動をする貴族は、あさましいいとされる風潮が宮廷内でも浸透したからな」
ウィリーの仮面のパパがそう言うと、仮面の紳士ハロは、そういった類の連中はまだ絶滅していない、と苦笑した。
「必ずしも悪い方向に行くとは限らないのです。帝都の宮殿では粗食がもてはやされている現状で、チョコレートは個人の秘密の楽しみになります。販売元はガンガイル王国の商会だけ。ガンガイル王国の留学生たち以外に流せる量を管理徹底させれば、留学生がご褒美で獲得するチョコレートの一粒に金同等の価値がつくことになります。魔法学校内でガンガイル王国の留学生たちが苛められることが減るでしょう」
それはぼくが望んでいる未来だ。
「悪い方向は、チョコレートの原材料が、南方の一定の地域でしか取れない希少な植物だとバレてしまうことです。南方戦線を何としても勝利させねばならない、という世論操作に利用されてしまい、南方で一儲けしようと企む人々を引きつけ、チョコレート生産可能地域をめぐり、今まで静観していた国も帝国の侵略を阻止するために共闘する、なんて御託を並べて戦争に参加するでしょう」
仮面のおじさんたちは、あり得る事態だ、由々しき事態だ、と頭を抱えた。
「カカオの木は帝国に持ち出さない方がいいな。チョコレートが食べたければ飛竜便の定期便を運航させるように求める方向にしたらどうだろうか?」
ハルトおじさんの提案に、ウィリーの仮面のパパが賛同した。
「原材料の主要産地がガンガイル王国ではない、と明言しておくと、カイルたちが帝都に来た北西ルートの植物だと勘違いさせることができるかもしれない」
「ああ、カイルたちがわざわざ迂回して帝都に向かったのは、チョコレートの主原料生産地の土壌改良を目的としていたのか、と誤解させておけばいい」
仮面のおじさんたちは嬉々として画策するが、北方に生息する植物にチョコレートの香りのするものなんて心当たりがないから、早々にバレそうだ。
「カカオの香りは独特だから、チョコレート自体が流行してしまうと南方戦線の将校たちが原木に気付くんじゃないですか?」
「食べ方が全く違うし、他にも甘い香りの植物がたくさんあるから、成分分析でもしない限り同じものとは気付かれないよ。現地では甘くしないで香辛料をたくさん入れて、苦くて辛い飲み物として食されているんだ」
飲み物と聞けばココアを連想する。
苦くて辛いは想像もできない。
「甘い香りのする花を北部の人たちに、蜂蜜採取用や、すき込み用の植物として販売したら良いんじゃない?」
ぼくのスライムが提案すると、ウィリーの仮面のパパが蜜蜂の繁殖地域を地図で示した。
ぼくたちの旅のルートに重なる地域もある。
「この方針で検討してみよう」
ハルトおじさんがそう言ったとき、市電は領都を一周してぼくたちが乗りこんだ駅に到着した。
ゾロゾロと全員が下車し、仮面のおじさんたちは自宅までついて来た。
驚く母さんたちの様子から予定外の行動だったことがわかった。
キャロルの仮面じいじはお婆にサプライズを台無しにしたことを謝罪し、チョコレートの香りがする花がないか、と無茶ぶりをした。
お婆は心当たりがない、と渋った。
チョコレートの懐かしい匂いに、何か思い当たるようなことがあったような気がする……。
「緑の一族に聞いてみましょう。世界中を渡り歩いている一族ですから、何か手掛かりが……」
「あああああ。思い出した!生まれた村の家の花壇に咲いていた!手入れが難しい花だから、ぼくたちが村を出た後、生きのこっているかどうかはわからないな」
そんな身近にあったのか!とキャロルの仮面じいじが食いついたが、お婆は渋い顔をした。
「専門家がいなくなった後は残っているとは考えにくいわ。でも、一応当たってみましょう」
「縁を切っている都合上、うちから問い合わせはしたくないな」
従兄弟がいるかもしれないけれど、まだ会いたくない。
「ぼくはそんなに心が広い人間じゃないようだよ」
「そんなことあるもんか、面倒事が起こりそうな気配がそこはかとなく漂うところには近寄らない方がいいもんだ」
ハルトおじさんがそう言うと、ぼくの頭を優しく撫でた。
そんな仕草にちょっと嬉しくなる。
ぼくはまだ子どもでいていいんだ。




