襲来
村長の自宅は半分が公民館の役目があったので村長の自宅の裏庭に露天風呂を作った。
真ん中に柵をたてて女湯も作ったら、キュアとみぃちゃんのスライムたちは女湯に行ってしまった。
洗い場も広くとったので留学生全員で一度に入浴することができた。
ぼくたちが体をわしわし洗っていると、留学生たちのスライムたちがぷかぷかと湯船に浮かんでいた。
ウィルのスライムがろ過の魔術具に変身することを思いついて、排水をシャワーとして循環させてぼくたちを頭から流してくれた。
今日は魔術具で井戸から水を汲んで沸かしたけれど、明日水道を作るつもりだった。
水道よりも、水を浄化して循環させた方が貴重な水を風呂にたくさん使用することに抵抗がありそうな村人たちが毎日利用しやすいかもしれない。
湯船に浸かりながら浄水の魔術具を風呂用に改良するならどうしたらいいか、みんなで話し合った。
ぼくたちが上がると商会の人たちや村人たちと交代した。
お酒が入っているから風呂は危ないのじゃないか、とベンさんに訊くと、酔いは覚ましたから大丈夫だと言われた。
飲んですぐ洗浄魔法で酔いを覚ますなら、何のためにお酒を飲むのだろう?
「ベンさんは料理人兼護衛なんだから、酔っていては仕事ができないでしょう?」
「村人たちも飲酒の習慣がないから、酔いは早めに覚ましてあげないと、お酒で失敗する行動に出かねないよ」
ウィルと、本当は成人していてこの世界では飲酒可能な年齢のロブが言った。
ロブはお酒で失敗したことでもあるのかな?
水を贅沢に使ったお風呂は村人たちには最高の贅沢だったようで、恐縮しつつも楽しんでくれたようだ。
明日からこのお湯を浄水してまた使えるように魔術具を改良する、と言うとみんな笑顔になった。
すっかり打ち解けた村人たちに畑の隅を貸してほしい、と申し出ると、畑の畔の草さえ牛の餌にしなければいけないほど、土地に余裕がないということだった。
畑の全てを麦にしなければ税が払えず、村人たちは家の周辺ギリギリまで蕎麦や豆を植えて凌いでいるとのことだった。
村長の家の中庭は、かつては花が植えられ村人たちの憩いの場だったが、今では牧草を植えて家畜の餌にしていたらしい。
……大きなお風呂を作ってしまったのはマズかったのか。
相手の要望を聞かずに我儘を押し付けてしまったか、と気落ちしたぼくに、村長は水脈が枯渇していないなら灌漑を復活させることができるかもしれない、と興奮気味に言った。
灌漑!ため池!用水路!とケニーも鼻息が荒くなった。
商人たちは水汲みの魔術具を紹介し、川から水を引かなくても灌漑を復活させられる可能性を示唆した。
お高いんでしょう、と額を叩いた村長に、安くはありませんが分割払いが可能です、と商会の代表者が答えた。
村人たちのほとんど全員が村長の自宅に集まっており、収穫量が増えるなら自分たちが食べられる分が増える、と熱い議論を交わしだした。
「まとめて買えばお得な土壌改良の魔術具販売の親元になってみませんか?」
商会の代表者がにっこりと微笑むと、なんだかマルチ商法の元締めのようにみえてしまう。
でも、これはマルチ商法じゃない。
ただの委託販売だ。
ぼくたちは子どもたちを集めて魔獣カードで遊んでいると、半鐘のような警告音がした。
楽しく遊んでいた子どもたちはカードを放り出して両親の側に駆け寄った。
「商会のみなさん!ポニーたちを中庭に避難させてください。村が死霊系魔獣に襲われています!!」
ポニーたちなら何かあれば自分たちで馬車の扉を開けて避難できるようにしてある。
「そんなに焦らなくても大丈夫です。ぼくたちの馬車には護りの結界がかけてあります。村長は礼拝室で神々に祈ってください。ぼくたちは七大神の祠と大地の神の祠に魔力奉納をしに行きます」
ウィルが呼びかけるとぼくたちは頷いた。
子どもが外に出るのは危険だ、と村人たちは口々に言ったが、家畜を救助しに何人かの男性が外に飛び出している。
「ぼくたちは魔法学校で騎士コースを受講しています。死霊系魔獣対策の魔術具も装備していますので、ある程度自分の身は守れます」
「土壌改良の魔術具は護りの結界も強化します。今なら一個販売の価格をまとめ買いの価格で一個販売いたします」
火災現場で消火器を売りつけるような状態だが、村人たちは全員賛成した。
子どもたちを宥めるように寄り添っていた魔獣たちを連れ、ぼくたちはそれぞれの順路を決めて、装備の確認をしてから祠に向った。
外に出るなりキュアが広範囲に浄化の魔法をかけた。
西の空はまだ茜色に染まっていたが、東の空はすでに濃紺の闇が訪れていた。
魔力奉納をしないうえ、すでに一度死んでいる兄貴と、シロが東に向かって走った。
留学生一行の中で魔力の多いぼくとウィルが光と闇の祠に走り、ベンさんが大地の神の祠でポニーたちの安否確認し、残りの留学生たちもそれぞれの持ち場へ急いだ。
日中の祠巡りでこの村の護りの結界の状態は把握している。
結界は浮き草のように浮いているが、ごくわずかの細い根が世界の理の手前の固い地層まで伸びていた。
そのお陰で村への死霊系魔獣の侵入を辛うじて防いでいるのだろう。
だか、瘴気の気配が入り込んでいるから、キュアが浄化の魔法をかけ続けている。
ぼくは闇の神の祠の横の土を掘り、ウズラの卵型の魔術具を埋めると、ぼくのスライムに触れて魔力を送り、急ぎで地下のスライムの分身に届けてもらった。
キュアとみぃちゃんとみぃちゃんのスライムも協力した。
電光石火で結界は繋がり、村の外から漂ってきていた瘴気の気配が消えた。
光と闇の神の祠だけ魔力奉納を済ませ、他の祠の魔力奉納をみんなに任せることにして、瘴気にやられた人や家畜がいないか魔力探査をした。
脇道の牛舎の側で瘴気が漂っていた。
瘴気の方向に向かって廃鉱の坑道で使った手榴弾型の魔術具の改良版を投げつけた。
「やったー!閉じ込めたよ」
キュアはそう言うと厩舎の前に飛んでいき、封じの魔術具の中に閉じ込められている塊に浄化の魔法をかけた。
封じの網に掛かっていたのは、気絶した二頭の親子の牛に挟まれた牛を救助に行った男性だった。
魔法の杖を取り出して癒しをかけるべく、右手に魔法の杖を取り出した。
「意識がないんだったら、光る苔の雫の原液を飲ませてみたら良いんじゃないかな?」
「試してみるのもいいかもね」
ぼくのスライムとみぃちゃんはまだ人間に試したことのない、激マズな光る苔の雫の原液を勧めた。
二匹ともあのマズい原液を二回も摂取している。
意識がなければあのマズさも耐えられるかもしれないということか?
確かに、廃鉱で瘴気にやられたハルトおじさんの護衛は、ぼくの癒しの魔法では回復こそ出来たが後遺症が残った。
こんな小さな村で精神障害を負って生きていくのは辛すぎる。
ここはひとつ、帝国の孤児院で酷い目に遭った子どもたちを癒した光る苔の雫の力を信じよう。
ぼくが男性の口を開けて原液を数滴たらすと、ぼくのスライムとみぃちゃんのスライムが二頭の牛の口を開けてドバドバと原液を流し込んだ。
ああああ!
子牛にその量は多すぎるだろう!
「光る苔の雫は摂取量じゃなくて、摂取者の能力に合わせて効力が現れるから大丈夫だよ」
みぃちゃんが、大丈夫、大丈夫、と笑いながら言った。
二匹と一人は嚥下の動作をしたのに目覚めない。
「今起きたら口の中が酷いことになっていそうで可哀想だから、眠りの魔法をかけておいたよ」
キュアは気が利くでしょう、と得意気な顔になった。
寝込んでいる男性の呼吸と脈拍が正常であることだけ確認して、安堵で腰を下ろした。
「村の外側の死霊系魔獣の退治は済んだよ」
兄貴とシロがぼくの両脇にいきなり現れた。
「ご主人様。この二頭と一人はもう大丈夫です。瘴気にやられた時の記憶も消しました」
最強メンバーが揃ったぼくたちは、村の各所で瘴気にやられた生き物や人々を見つけて介抱して回った。
村全体に魔力探査をかけても瘴気の気配を探知できなくなった頃、ベンさんと留学生一行が祠巡りを終えて合流した。
「村の外の死霊系魔獣も殲滅したのか!」
驚く留学生たちに兄貴は厳しい顔で言った。
「魔術具の実験を兼ねて、敵が自滅する魔術具を試してみたところ、効果はてきめんだったけれど、土地に与える影響力を考慮するために、発動した後の制御に細心の注意が必要なものだったよ。まだまだ実用化は出来ないね」
兄貴が精霊言語でぼくに伝えた内容と異なるが、自分の魔法を魔術具に置き換えて説明しているので、あながち真っ赤な嘘ではない。
死霊系魔獣に中級精霊の存在を隠すため、シロは後方支援に徹底し、兄貴が緑の一族の村を襲った魔獣たちの撃退に使った、相手の魔力を利用して攻撃して自滅させる方法で死霊系魔獣の撃退を果たしたのだ。
「まだ宵の口なのにこのありさまなんだから、今夜はぼくが警戒するよ。とても他人に任せられる魔術具じゃないからね」
兄貴はそれ以上、研究中の魔術具の具体的な話はしなかった。
開発中の魔術具の詳細を訊かないのは暗黙の了解だったので、誰もそれ以上追及しなかった。
ぼくは村のあちこちで熟睡している村人たちの場所を伝え、みんなで村長の家まで運ぶことになった。
瘴気に冒された人間を癒した、と留学生たちは更に驚愕したけれど、廃鉱の一件で一緒に居たウィルは奇跡の生還を果たした村人たちの精神状態を気にして渋い顔で頷いた。
「村に死霊系魔獣が侵入してくる前に結界を強化することができました。運ばれてきた人たちは瘴気に冒された可能性があったので、浄化の魔法をかけて眠らせてあります」
村人たちが息をのんだ。
「浄化は間に合っているはずです。瘴気の気配は完全に消えています。起きた時に瘴気に触れた記憶が消えているかもしれません」
村人たちは安堵し、瘴気に襲われた男性たちの家族は涙を流して喜んだ。
ベンさんは瘴気にやられた人間が無事に救助されて記憶が消えるという事態に、ありえない、と呟いた。
「ベンさんが引退されてから、新しい魔術具が沢山出来たんですよ。件の廃鉱に見学に行った時に貴人の護衛騎士が瘴気にやられましたが回復しました」
ウィルは小声でその人は後遺症が出たので、この男性たちが目覚めたら注意してください、とベンさんに伝えた。
村人たちは村長の家に泊まり込むことになった。
「ぼくとジョシュアはまだ警戒のため村を巡回します」
村人たちは子どもがそんなに頑張らなくても自分たちで何とかする、と言い出したが、ベンさんが一喝した。
「現実を認識しろ!普通、瘴気に冒された人間は貴族であっても殺さなければいけない。そうしなければ自分たちが襲われるからだ。訓練された騎士団員も上級魔術師でも細心の注意を払わなければ対処できないんだ。この子たちは特殊な魔術具を開発中で、この子たちしか扱えない。今夜全員が無事に生きのこるためには、すべてをこの子たちに任せるべきだ」
ベンさんは床に寝かされている男性の傍らに膝をつき厳しい口調で続けた。
「目覚めたこの男たちが正気じゃなかった時に取り押さえられるように、体格のいい男たちは付き添ってくれ」
治療は上手くいっているはずだから男性たちは大丈夫だけど、ぼくたちだけで村の巡回に行ける方がいいので、村人たち全員が村長の家に籠っていてくれる方がありがたい。




