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燃えよ貴婦人

「今現在困っている地域に優先販売するのはわかるが興味深い魔術具だね」

 アルベルト殿下の言葉に領主が頷いた。

「蝗害はいつどこで起こってもおかしくないので備えておきたいのは理解できますが、完全に抑え込める魔術具ではないうえ、もしかしたらこの地方の飛蝗に効かない可能性もあるので、私共といたしましては現在飛蝗と戦う地域以外には販売できかねる商品です」

 商会の代表者は試作品を試した使用感の聞き取りをしながら改良しているので、現段階では販売できない、と即座に断った。

「帝国の魔法学校の競技会で使用しようかと考えていた魔術具を改良したものなので、まだまだ改善の余地だらけですね。我が家は魔術具制作の達人ぞろいなので、どんどん改良されていくことになるでしょうから、しばしお待ちください」

 蝗害対策の魔術具は、父さんの悪臭を閉じ込める魔法陣を飛蝗が好む草の香りに変え、母さんがうちの蜜蜂の死骸から取った魔石に魔法陣を刻んで、小型の魔術具に仕立てたのだ。

 小さければ運搬も楽だし、魔術具の解体も困難を極めるから模造品ができにくい。

「ああ、ガンガイル王国のジェイさんは変わった魔術具をつくる事で有名ですわ」

「ぼくの父の弟です。帝国にまだ在住しているのですが、研究室から出て来ないことで有名で、ぼくたち家族も連絡が取れない人物です」

 あの方のご親族でしたか、とアルベルト殿下が苦笑すると、カテリーナ妃が競技会ではてこずりましたね、と微笑んだ。

「ああ、それでなのかしら。皆さんは魔力を抑える魔術具か何かをお使いなのですか?体から漏れ出る魔力が極端に少ないので、まるで洗礼式前の平民の子どものような気配です」

 カテリーナ妃は人間の魔力の漏れを察知できるということは、精霊言語を取得しているか、学習館の老師様のようにその手前なのだろう。

 カテリーナ妃が一個連隊の戦力で、アルベルト殿下とペアで行動すれば旅団規模の魔法を行使できるとということは、誇張があるとしても人間の出来る技とは思えない。

 この二人は精霊使いなのだろうか?

 シロは完全に気配を消して沈黙を保っている。

「気配を抑える目的ではありませんが、日常生活でただ魔力を垂れ流すのがもったいないから、みんなそれぞれ魔石を身につけて漏れ出る魔力を充填しています」

「魔術具の試作品に多数使用するので、魔石を常備しておくと重宝します」

「わたくしも見習って魔石を携帯するようになりました」

 カテリーナ妃がマリアの言葉に左眉を上げた。

「魔石はどうやって調達したのですか?」

 マリアは視線が左上を向いたかと思うと、小さく吐息を漏らした。

「昆虫を捕まえたり低級魔獣を狩りしたり……兎とか狩りまし…」

「……捕まえた兎をどうしたのですか……?」

 カテリーナ妃の体からオレンジ色の炎が立ち上がると、妃の頭の上に積乱雲が立ち込めて突然の豪雨が起こった。

 積乱雲は怒りが瞬間沸騰したカテリーナ妃だけを濡らす豪雨を降らせ、妃の炎を鎮火させると霧散した。

 妃はおろか周囲に濡れたところは全く無かった。

 アルベルト殿下の手腕に留学生一行は拍手をして喜んだが、商会の代表者とベンさんは引きつった顔をした。

「兎は夕食のシチューになりました。冒険者修行の一環として低級魔獣駆除依頼に則って適切に狩りをしたもので問題はありませんよ」

 ウィルがとりなすようにそう言うと、アルベルト殿下が苦笑した。

「カテリーナはね、幼少期に罠にかかった一角兎の角をつけたまま内密に王宮で飼いならして、侍女たちを驚かせた逸話があるんだ」

「わたくしだって兎が繁殖しすぎる危険性は理解しているのです。美味しくいただいたのなら……いいのです。

魔石欲しさに低級魔獣を乱獲してほしくないだけですわ」

 瞳にうっすらと光るものをにじませて語るカテリーナ妃は、兎好きなのは間違いない。

 “……あたい、この姐さん好きだな”

 低級魔獣を可愛がる王太子妃に、ぼくのスライムが好意を寄せた。

 ウィルの上着のポケットからこっそり様子を窺っている砂鼠も、期待の籠もった輝いた目をしている。

 低級魔獣好きでも鼠はなかなか難しいかもしれないよ。

「魔獣駆除依頼に則って、ということは冒険者登録をしたのかい?」

 ユゴーさんの事故の後始末で立ち寄った冒険者ギルドで、マリアは通称マルコとしてケニーと共に冒険者登録を済ませていた。

 空気を読んだぼくは内緒話の結界を張った。

「ガンガイル王国の留学生のみなさんの足を引っ張るような食客になりたくなくて……皆さんのお役に立ちたかったのです」

 食客では居心地が悪いだろうからお金をもらっていたのだが、手伝ってくれた分割引になっていて……手伝うことによる一体感が楽しかったんだよな。

「アンナが居ながらどうしてこうなったのですか!」

 カテリーナ妃から炎が立ち上がる前に、妃の頭上に再び積乱雲が発生し、雲の中だけで雷がバチバチしている。

 この積乱雲はカテリーナ妃の感情を抑える魔法なのか、稲光が輝くと妃の表情が穏やかになった。

「この旅路では蝗害被害地を避けたため、安全確認の取れていなかった町や村に滞在することもあったので、マリア様には男装していただいておりました」

「まあ!十人の美少年を侍らせた姫ではなく、十人の冒険者の少年と共に冒険の旅をする、男装の美少女だったのですか!!」

 カテリーナ妃が胸の前で両手を握りしめて瞳を輝かせた。

 頭上の積乱雲は消えることなくバチバチと帯電したままだ。

「幼いころからカテリーナは冒険者になりたかったんだよ」

 マリアが憧れの冒険者になったことに興奮しているのか。

「ぼく以外の留学生たちは冒険者登録をしていますが、依頼をこなしながら旅をした、というよりは緊急依頼を受けて清算するために登録したようなものです」

 積極的に依頼を受けていない、と兄貴はカテリーナ妃の妄想が暴走しないように釘を刺した。

「皆さんは登録時に既に優でしたが、わたくしは実績が無いので可です。一人で受けられる依頼内容は低級魔獣の駆除か、素材採取程度です。留学生のみなさんはバイソンの群れの駆逐など、大きな仕事をこなされましたが、わたくしは畑を荒らす兎の……」

 カテリーナ妃の頭上の積乱雲がバチバチからゴロゴロと鳴り出したので、マリアは兎の話題を止めた。

「バイソンの焼肉は、たいそう美味しゅうございましたわ!」

 アンナさんが兎からバイソンに話題を逸らせた。

「ハハハハハ、昼食で焼いていた肉はバイソンの肉だったというのかい?」

「牛も豚もバイソンもございました。どのお肉も大変美味しかったですわ」

 マリアの言葉にアルベルト殿下の瞳が輝いた。

「我が国は山脈に挟まれた地形ゆえ、かつてバイソンもいたらしいのだが、野生のバイソンは絶滅したといわれている。帝国留学の際もバイソンは皇帝陛下の獲物とされていて、農村襲来の駆逐以外の狩りは認められていなかった。バイソン狩りか……」

 アルベルト殿下も王族でなければ冒険者になりたかったのだろうか、バイソンの群れを追いかけることを夢想するかのような遠い目をした。

「バイソンの群れを養えるほどの土地の魔力がない地域が増え、異常な数がガンガイル王国の国境付近に集まっていました。ガンガイル王国はかつて魔獣暴走の被害を出しているので、魔獣侵入の結界が通常の国より厳しく、侵入できる群れの数が制限されています。ですから、国境付近から広範囲に移動させる必要があったのです」

 ベンさんが帝国本土にバイソンがもう居ないのではないか、という疑問をやんわりと提示した。

「あなたたちの冒険の旅の話を詳しく聞きたいが、私たちは今日中に王都に帰らなくてはならない。魔法学校の新学期までまだ日数もあることですし、是非王都にお越しいただけないでしょうか?」

 日帰りの予定でこの地に来ていたということは、ぼくたちの行動を何故予測できたのだろう?

「叔母さまは、わたくしを迎えるためにわざわざこちらにお越しになったのですか?」

「大きな魔力が動く気配を王家の人間が見逃すはずは無いでしょう?二つの大きな魔力が山を越えてくるから、怪鳥チーンの番が襲来したのかと、取り急ぎ警戒してわたくしたちが来たのです」

 二台の馬車が怪鳥チーンの番と間違えられたのか。

 核兵器並みの威力の魔法に撃墜されてしまった可能性があったのか。

 未確認飛行物体になってしまうから、迂闊に空を飛ぶものじゃないな。

「あら、叔母様。怪鳥チーンはハゲタカのような魔獣で、長寿の魔獣かもしれませんが、それ程高魔力の塊、という気配ではありませんでしたわ」

「「「怪鳥チーンを見たのか!」」」

 マリアの発言に王太子夫妻と領主が驚愕の声を上げた。

 留学生一行は、隣国でぼくたちを遠巻きに観察していた怪鳥チーンを他の人たちは大きなハゲワシとしか思っていなかった、と証言した。

「伝説のように飛ぶだけで耕作物を枯らすようでしたら、魔獣というより、死霊系魔獣のようなものになってしまうでしょう。隣国の旧王家では聖鳥として崇められていましたから、何らかの魔法を行使できるのでしょうが、今のところぼくたちが知り得たことは、糞が強い酸性で馬車の手綱を溶かすということです」

 ユゴーさんの身元を明かさず、隣国で馬車の事故があった事実だけ説明した。

「周辺の道草も枯れませんでした。ただ、あの糞は研究したいから採取したかったのですが、馬たちが匂いを嫌がったので、急ぎで洗浄魔法を使用してしまったのですよ」

 貴重な素材だったのにもったいなかった、とぼくがこぼすと、留学生一行はあの場は早急に事態を収拾する方が優先だったから仕方がない、と慰めてくれた。

「怪鳥チーンは隣国の旧王家の聖鳥で山越えすることなく、隣国の王都に向った、ということで間違いなく、山を越えてきたのは精霊たちに導かれた二台の馬車である。こんな報告を口頭でしても信じられない内容でしょう。わたくしたちも馬車と同行して入城すればいいではありませんか」

 カテリーナ妃が満面の笑みでそう提案すると、アルベルト殿下が苦笑した。

「我々が街道を移動するだけで大騒ぎが起こるだろう。警備の手配も間に合わない」

「あら、わたくしたちを奇襲できる戦力を一両日中に手配するなんて無理でしょうに。奇襲される前に帰還できますわ」

 体裁を気にしなければ何も問題はないが、体裁を気にしなければいけない立場なんだよ、とアルベルト殿下が呟いた。

 王都へ向かうなら、気さくな王太子夫妻と同行すれば、通過する町の検問でいちいち止められる手間がない利点がある。

 ぼくが商会の代表者を見ると、仕方ないですね、と無表情で小さく頷いてくれた。

「休憩なし、魔力出力全開、検問無視で進めるのでしたら、日没前に王都まで行くことは出来ますよ」

「先ぶれに速達の鳩の魔術具でお知らせしておかなければ、各地の騎士団が総出で追いかけて来る事態になりかねません」

 商会の代表者は、通過する町に新型魔術具の実験として先ぶれを出すように提案した。

「あなたたちの馬車はやはり魔術具でしたか」

 アルベルト殿下はマリアの移動距離と日程から、馬車が魔術具であると推測していたようだ。

「十人の冒険者と優秀な商会と共に、最新魔術具の検証をするのですね」

 カテリーナ妃が再び両手を胸の前で握りしめ瞳を輝かせると頭上に積乱雲が出現した。


 興奮するたびこうして抑え込まなければいけないご婦人を馬車に乗せても大丈夫なのだろうか?

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