閑話#14ー1 公爵子息三男の視察
ラウンドール公爵領は叔父上が領主名代を務めており、新しい神の誕生による豊作の前から健全な黒字経営を続ける手堅い運営をしていた。
収穫高と気候変動、領民の人口統計、労働人口、生活水準、作付け品種……資料が足りない。
オーレンハイム卿の御子息の領地でカイルが見ていた基本資料がこの領地にはない。
父上のすぐ下の弟である叔父上に何故これらの資料が必要なのかを説明することから始めなくてはならなかった。
叔父上の料理人が用意した昼食の横に、朝一番に魔法学校の購買や屋台やカフェテリアで購入したパンやおにぎりやケーキを保存の魔術具に入れてぼく自ら背負って早馬で運んできた、それらの品を並べた。
「料理人や執事に給仕の侍従も着席してください。みんなで取り分けて食べ比べしましょう」
叔父家族や使用人を集めて、これは調理人を辱めたり陥れたりするために食べ比べをするのではない、と宣言してから、パンの食べ比べから始めた。
バターが効いてパリっとした食感のクロワッサン、小麦の味わいや香りがわかる固めのパン、もちもちな食感が特徴のベーグル、ふわっと柔らかい食パン……。
全員が食べられるように一口ずつの大きさになってしまったが、同じ小麦からこんな様々な味わいの違うパンになるのかと驚いている。
「同じ小麦じゃないんだ。小麦の品種が違うんだ」
ぼくはみんなが食べたパンの種類だけ、小麦粉が入った袋をテーブルに並べた。
「種籾は管理されていて入手することは出来なかったが、すべて別の品種だ」
叔父上は合点がいったように額に手を当てた。
叔父上の資料には小麦は小麦としか記載されておらず、領内で作付けされている小麦の種類を領主名代が把握していなかったのだ。
ぼくは多めに購入していたロールケーキを全員が食べられるように切り分けて、スポンジの軽さ、砂糖をふんだんに使った贅沢なお菓子が辺境伯領では一般市民がちょっとした贅沢品として口に出来ることを告げた。
全員が驚愕に体を震わせた。
三大公爵家子息の手土産として王族に献上できるほどの高級な味がするのに、平民が自分へのご褒美として時折口にできる品だというのだ。
「豊作が続いているなら領民の人口も増加しているはずなのに、洗礼式後の領民税に変動はなく、洗礼式で登録された人数の一定数が王都や他領へ流れてしまっている」
「ウィリアム。この土地で養える人数は決まっておる。余剰人員が他に流れていかなければ領民の生計が成り立たない」
土地が支えられる人口は決まっている。開拓には新しい結界が既存の結界に及ぼす作用も計算しなければならず、場合によっては領都の結界も描き変えなくてはならなくなる。
簡単なことではない。そんなことは知っている。
「ここ数年はどこへ行っても暮らしていけるでしょうが、新しい神が誕生する前の周辺領地や王都に出て生計を立てられる仕事がありましたか?」
使用人たちは口に出さなかったが心当たりのある親族が居るようだ。
「三大公爵家の二家の失態を他山の石とできなければ、ぼくたちは生きのこることが出来ない」
ぼくは二家の没落の原因を公開しても構わない情報だけ、使用人を含めて全員に強烈な印象をつけて共有することを選んだ。
これはカイルがクラーケン襲来の時に、ぼくたち子どもにも打ち明けられる情報を共有したことで、あの場に居た全員の力を活かすことが出来たことを真似ただけだ。
ぼくやマークやビンス、ボリスも?緑の一族がそもそも何たるかを知らないかった。
伏せられていた情報はあったが、クラーケンの実体を詳細に現場で知っていたから、打開策を知らなくても、大人に任せて(実際は緑の一族に任せて)ぼくたちは全力で後方支援をすることができた。
だが、この領地では、ぼくが打開策を出す立場なのだ。
後方支援は使用人たちの仕事だ。
使用人たちに最高の仕事をしてもらうためには、出せる情報は全部出すべきだし、使用人たちの意見もちゃんと聞き取らなければいけないのだ。
それが出来なければ港町の領主のように権謀術数に長けていても、事態の適切な解決が出来ない愚鈍な支配者になり下がってしまう。
今でも時折、夢に見る。
クラーケンが結界を破壊し高波が町を襲い、住民を説得できなかったぼくは海の藻屑と消えてしまうのだ。父上の調査員と一緒に。
「二家の失態にそれぞれの派閥の関係もあっただろうけれど、本当に恐ろしいのは帝国の影なんだ。ぼくは三男だけどああはならない。家業に関われるかギリギリの立場の人間が身を立てるために足掻いていたところを帝国の手練手管に捕らえられた。帝国に騙される人間が悪いのか?そうなるように追い込んだのは誰なんだ?志を持って領を出た人間が身を立てられる道筋もないのにどうやって成功できるんだ。立身出世を果たしたやつが既に帝国の手に落ちていたなら、右倣えしたものたちはみな帝国の手先になり下がるだろう」
二家の没落のあらましを既に知っていた叔父上は平然としているが、知らなかった一部の使用人たちに動揺が走る。
「身を立てる仕事があっても誘惑されたものもいる。足を掬われたものもいる。君たちを疑っているのではなく、帝国の魔の手がどうやって、どこまで伸びるのかが知りたいんだ。些細な噂話でも知ったら教えてほしいんだ」
自分の身近な人の話はしにくいだろうから、口が軽くなりそうな遠い話題を振ることにした。
「東の魔女の伝説を知っているかい?実在しているなんて誰も思わないだろう?だが、ぼくはクラーケンのように、見る人や場所が変われば違う容貌で語り継がれていると思うんだ。ぼくが遭遇したクラーケンは討伐されていない。南洋に誘導されただけだ。それでも話を面白くしようとするものが現れたら、少年たちが空飛ぶ魔術具でクラーケンを撃破した、なんて話に改変されることがあるだろう。ぼくは東の魔女のそういった伝承の中に、僅かにでも真実が含まれているかもしれないと思うので、たくさんの逸話を集めたいんだ」
「わかりました。我が領の東部は王妃殿下の出身領に隣接しています。下働きのものを使えば平民からも広く話が聞けるでしょう」
「うん。平民の話は結構重要だよ。クラーケンの件でもクラーケン本体を見たのは飛竜騎士たちと結界の端まで見に行った漁師だけなんだ。公的記録が残るのは飛竜騎士の視点だけで、漁師の話は市井の噂話に留まってしまうだろう」
みんなが本気になってくれた。
ぼくは手土産のクッキーを下働きの人たちにも配って感想を聞くように頼んだ。
お茶とお菓子に他家の没落話にクラーケン、これだけ揃えたら人の口も軽くなるだろう。
事前準備が一番早かったのは母上だった。
二年も前から個人資産で辺境伯領に別荘を購入して家具の入れ替えも済ませており、ぼくが領地に視察に出ている間に母上はもう出発していた。
新しい女性たちの活躍を視察しに行く、という母上の名目に父上も納得されていた。
辺境伯領では貴族女性も結婚後離職することなく、また離職してもすぐ働きに出る女性が多く美容につぎ込めるお金が王都の女性より多いというのだ。
冬の社交シーズンにやって来る夫人たちも美容部員として王都に出向しているので、サロンを開いて化粧品やドレスを美しく着こなせる下着を販売している。
「おむねを大きくみせるしたぎです」
エリザベスにカフェで一番人気のケーキを差し入れして聞き出した。
小さいよりは大きい方が良いだろう……男とはそういう生き物だ。
オーレンハイム卿のジェニエさんは神々しいお胸の持ち主だ。女性の造形として完璧な人に憧れを抱くのは健全だ。
オーレンハイム卿を尊敬するのは、そんな若き日の造形美を越えて、月日を重ねて腰が曲がり目尻の皺の一つ一つにまで愛情をもって人形に再現し、老いが美として成立していることだ。
それは造形美を越えて、教会の神々の像とは違う、老いていくのが当然な人間らしい美しさが表現されていた。
ぼくはカイルに受け取ってもらえなかった、見かけだけ前回よりましになったみぃちゃんのチャームを掌でもてあそびながら、何故ぼくにはあのような造形美を再現できないのか考えたが、わからなかった。
母上の別荘への滞在許可が取れたので早馬で強行しようとしたら家庭教師に止められた。
今や人気の観光地である辺境伯領に勢い勇んで乗り込んでいくのは外聞が悪いというのだ。
品がないかもしれないが、調査員によると王都と辺境伯領の往来では特急便という、早馬で人や物を一気に輸送する運送業者がいるので、そちらを頼れば悪目立ちしないとのことだった。
夏場は人気が高くて予約も取れないというので、直接業者を尋ねたら、メイさんの店の従業員がいたので、荷物の便に同乗させてもらった。
海産物と一緒に家庭教師と荷馬車の端っこに乗せてもらうと、普通の馬車より揺れも少なく魔力豊富な御者が巧みに馬を操るので、予定よりかなり早く辺境伯領都に着くことが出来た。
南門の中にあったアーチは人と荷物が別々にくぐり抜けると、持ち込み禁止の魔術具や薬品が発見される魔術具であった。
商品や荷物は、品目や到着先の所在地ごとに自動的に仕分けされ、大きな台の上に乗せられて巨大なフォークのついた機械を動かす作業員が、台の隙間にフォークを挟んで持ち上げて運ぶのだ。
流れるようにたくさんの荷物が運ばれていくのを家庭教師と二人で見とれていたら、門番に、辺境伯領都は初めてきたのかい、と声をかけられた。
南北線の始発駅から噴水広場前まで市電に乗って、光と闇の神の祠で魔力奉納をすると領都での滞在が円滑になると言われているから参拝してみたら良い、と言われた。
滞在先で真っ先に神の祠に参拝するのは、ぼくも習慣化していたので、門番にお礼を言って、言われるがまま駅に向かった。
四角い簡素な部屋が移動して人と物を運ぶ……。
そういう噂は聞いていた。
百聞は一見に如かず。
ぼくは市電の無駄のない機能的な美しい姿と、これを円滑に動かす動力と魔力の仕組みに思いを馳せた。
家庭教師は開いた口がふさがらずに、お上りさんらしく切符の購入方法にあたふたしていた。
洗礼式直前くらいの年の子どもたちが乗客の荷物を運んだり、切符の買い方や路線図を片手に乗り換えの案内をしたりしてお小遣いを稼いでいた。
年が近いぼくは彼らからこの領に住む子どもたちの常識を聞いた。
五才の教会登録が済んだら七大神の祠巡りをするのが幼い子どもの憧れであり、市電に乗るために商店街の魔術具に魔力を扱う練習として魔力供給をしてお小遣いを貯めて、電車で祠巡りが出来たら友達に自慢できるというのだ。
話を聞いた少年は今年洗礼式の年で、もう領都を市電で五周もしたと得意気に言った。
平民の子どもたちですらこうして魔力を鍛えているのだ、上位貴族の子どもたちならどれほど熱心に祠巡りをしているかは、王都の寮生たちを知っているから想像できる。
ラウンドール公爵領は大きく水を開けられている。
ぼくはお礼を言って少年に小銭を握らせると、領都内で観光客が迂闊に近づいてはいけない地域がないか聞いてみた。調査員によるとスラム街はないとのことだったが、歓楽街にも危険な地域はあるだろう。
街の中で危険な地域はないが、工業地域はよそ者が近づけば偵察を疑われるから気をつけた方が良いと言われた。
「平和で先進的な街ですね」
家庭教師が別世界のようだと付け加えた。
揺れの少ない市電に乗ると、何もかもが珍しくて窓から顔を出しそうになって小さい子どもに怒られた。
光と闇の神の祠に真っすぐ向かうより環状線で七大神の祠の外周を先に参拝する方が良い、との少年の助言に従って快速列車に乗車していたら各駅停車の車両が小さな駅で待避していた。
カイルが乗っている!
ぼくが両手を振ったらカイルも気が付いた!!
領都に着くなりカイルに会えた。
だがしかし、ぼくの乗車している市電とカイルの市電では進行方向が逆だ。
水の神の祠駅で下車すると父上の調査員が近づいてきて、各駅停車便に乗車しているという事は祠巡りの他に目的があると思われます、と呟いて、カイルの家族が立ち寄りそうな場所をいくつか記載した紙を手渡してくれた。
各種ギルドの所在地、贔屓にしている商店、貸本屋……。
……貸本屋。
貸本屋で間違いない。ぼくの勘がそう告げた。
足に身体強化をかけて走っているように見えないぎりぎりの速度でぼくが歩き出すと調査員が先導し始めた。家庭教師はエレガントとは言えない小走りになった。
ぼくの勘は正しかった。
とても営業中とは思えない粗末な外装のドアを開けると、カイルと麗しの美貌のジェニエさんが若々しい姿でいた。
オーレンハイム卿は御子息をそのまま年を取らせたような容貌なのですぐにわかった。
わからないのはジェニエさんの存在だ。
カイルの祖母のはずなのに、老いた姿絵も人形もあったのに、どうして二十歳そこそこの全盛期の姿で目の前にいるのだろう?




