天候の悪化
「今はとりあえず大人しくしているのがベストだな」
グラッドさんの言葉に無言で頷いて、外の空気を吸うために甲板に向かうことにした。
これがグラッドさんを襲った敵とは無関係だと祈りながら。
甲板に出ると、風が少し強くてスカートがはためく。
空を見上げると雲が早く流れていた。
帆を畳む船員が話しながら作業をしている。
私達は黙って海を見ながら聞き耳を立てていた。
檻から逃げた何者かの話をしているのかもしれない。
「今から天気が崩れるようだ」
「荒れるだけならいいさ。嵐に乗って厄介な魔物が一緒にやってくるかもしれい」
そう言って一人の船員は声を上げて笑った。
「おいおいそんな事言うなよ。本当にやってきたらどうするんだ。この前この海域にセイレーンが出たっていうじゃないか」
「俺もその噂聞いたぞ。セイレーンに出会ったら厄介だな」
二人組の男性がそう話しながら空を見上げると雨がポツポツと降り出した。
ちょうど帆をたたみ終えたようで、尚も話しながらどこかにいってしまった。
「セイレーンって?」
先程の船員達の言葉で疑問に思ったことを聞いた。
「上半身は人間、下半身は魚の姿をしていて、岩礁のの上から美しい声で歌を歌って近くを通る船を惑わせ座礁させるんだ。そして、中の人間を襲う厄介な魔物だよ」
「遭遇したらどうするの?」
「戦闘になるだろうね。それより、嵐になると、乗客は客室から出られなくなるかもしれない。檻の主が現れるかもしれないな」
嵐になる……。
それって『嵐が迎えにくる』と言われた事と関係あるのかしら?
なんとなく気になるけど『嵐』は天候の状況を説明しているだけであって人ではない。
そう思って、不安を感じながら客室へと戻った。
あの男性2人が話していた通り、強い風はやがて灰鼠色の雲を運んで来て、だんだんと船の揺れが大きくなってきた。
小さな窓の外が、強い光に照らされた、と同時に大きな落雷の音が響く。
船は通常嵐を避けて航行するそうだが何故か嵐の中を突っ切ろうとしている。
私は怖くてシーツを被った。
シーツの隙間から部屋を見ると、雷鳴と共に暗い部屋が明るくなる。
今は、船を安全に航行するために、動力を上げているから、そのかわり部屋の灯が消えているようだ。
もしも船に雷が落ちたら私達はどうなるんだろう?
そんなことを考えてしまい、恐怖で目を開けていられない。
グラッドさんはそんな私の背中を撫でてくれる。
「雷はいずれ鳴り止むから」
そう言って、時折窓の外を眺めている。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
外はずっと暗いので時間感覚がない。
その時、ノックの音がした。
部屋を訪ねてくる人なんているはずがない。
私は急いでシーツから出て手櫛で髪を整える。
グラッドさんと目を合わせて頷いた。
「はい」
グラッドさんが緊張を押し殺した柔らかい声で返事をする。
「お客様、魔道具の灯りをお持ちしました」
ドアを開けると船員が立っていた。
「客室の灯りをつける動力は当面回復しませんので、くれぐれも蝋燭などに火を灯さないようにしてくださいね。一酸化炭素中毒になってしまいます」
「わかった。忠告をありがとう」
渡された灯りはあまり光が強いわけではなく暗がりよりはマシだと言える程度のものだった。
「暗がりが続くのが苦手な方々は皆様でカフェテリアに集まっています。ただ、そちらの方が揺れますけど、強い灯りを灯す魔道具がありますから。夕食の準備も整っておりますしもしよかったらいらっしゃってください」
「ちょっと聴きたいんだが、通常は嵐を避けて航行するかと思うがなぜ嵐の中を?」
「嵐を避けようにもセイレーンが近くの海域で出たとの情報がありまして、嵐の中を通る方が安全ではないかという船長の判断です」
「セイレーンか……。それなら仕方がない」
「ご理解いただきありがとうございます。嵐を抜けるまでは揺れますからお気をつけください」
船員はそう言ってドアを閉めた。
「いつ嵐を抜けるか聞きそびれた」
グラットさんはそう言ってライトをベッドのわき机に置いた。
嵐がどんどん近づいているのか波のせいで船の揺れが大きくなる。
その時、綺麗な歌声が館内を流れた。
それは憂いを帯びた透明感のある声で聖歌を歌っている。
なんだか安心する声に、私は被っていたシーツをめくった。すると、船内のライトは一斉に灯り、荒波の揺れがなくなった。
「何がおきているの?」
「コニーはここにいて。私は外の様子を見て来る」
今離れたらいけない気がして、上着の裾を咄嗟に引っ張った。
「どうしたの?また雷が鳴るかとこわがっているのか?大丈夫だよ」
簡単にそういうグラットさんを訝しげに見る。
「つい数秒前まであんなに荒れていたのにおかしいでしょ?行ってはダメ!これはグラッドさんを捕まえる罠かもしれないわ」
「突然灯がついたのはきっと船が危機的状況になって魔道具が発動したんだよ。それで嵐が吹き飛んだんだろう。気にする必要はないよ」
軽く笑ってドアに向かおうとするのを私は無理矢理止めた。
「お願い、しばらくはここに居て」
真剣な目で訴えかける。
私がそうやってグラットさんを引き留めている最中にも、周辺の部屋から人が出て行き、沢山の人が船内の廊下を歩き階段を上っていく音がする。
「周辺の部屋の人たちが皆、カフェテリアに行ってしまったら、この客室の階には私しか居なくなるかもしれないから。だからお願い。ここにいてほしいの」
ドアの前に立って懇願すると、仕方ないという顔をした。
「わかったよ。たしかに急に静かになったから、もしかしたらすべての部屋の乗客がカフェテリアに行ったのならここに居た方が安全だな。下手に人ごみに行くと、狙われるかもしれない」
ほっとして硬直した体から力が抜けた。
グラッドさんは、そんな私の手を握った後、客室の外の様子を探るためにドアをそっと開けた。
耳が痛くなるくらいシンとした船内は、本当にここに誰もいないことをいやがおうでも気づかせてくる。
「このあたり一帯に誰もいないみたね。何故みんな突然カフェテリアに向かったのかしら?」
「きっと、衝動的に上に行ったんだよ。さっき、急に明るくなった時、ここから離れたい気持ちでいっぱいになった。皆同じ気持ちになったんじゃないのか?」
ドアを閉めて鍵をかけ、窓から外を眺めた。
さっきまでの風と波が嘘のように静まっていて、そこには穏やかな海が広がっている。
「外を見て!どうなっているのかしら」
私の横に来てグラットさんは小さな窓を覗いた。
コンコンコン
突然、この部屋のドアをノックする音が響く。
このフロアには誰もいないはずだし、足音も聞こえなかった。
これは奇襲かもしれない。
私達は顔を見合わせて身構えた。
「カロリーヌ様、お迎えに上がりました」
その声は男性のものだった。
グラットさんはすぐにでも応戦できるように掌に魔力を込める。
「私に攻撃は通用しませんよ。3つ数えるうちにドアを開けないなら、あまりやりたくありませんがドアを開けますよ?」
私達は顔を見合わせて、いますぐ相手の攻撃をかわすために戦闘態勢をとる。
「3……2……」
部屋の外から冷静にカウントダウンをする声がする。
「1!」
その声と共にドアが自然に開いた。
廊下に立っていたのは、タキシードを着たストロベリーブロンドの髪をした大男だった。
「嵐に乗ってお迎えに上がりました。カロリーヌお嬢様」
深々と礼をする姿に何故だか引寄せられるように一歩前にでてしまう。
「コニー!行ってはダメだ!」
ドレスの袖を引っ張られてハッと我に返ると、もう少しで大男の手を取るところだった。
「グラッド様。お嬢様をお守りするのは貴方様ではありません。そして貴方様のお迎えは私ではありません。貴方様のお迎えはこの船に乗っているはずなのですが……」
大男はそう言うと、廊下をきょろきょろと見回した後、ため息を吐いた。
「せっかく人払いをしてお迎えに参ったというのに。どうやら貴方様のお迎えは仕事を忘れて遊び惚けているようです。仕方ありませんね、一時的に一緒にいらっしゃっていただきます」
大男はその言葉を言い終わらないうちに腰に提げた袋の口を開けた。




