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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第六章 アルと孤児院の視察
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極秘会談

「エレン、しばらく部屋に入ってこないように」


 部屋に入るなり、スペンサー将軍は、お茶を給仕したメイドを人払いしていた。

「畏まりました」

 そういってエレンは、俺たちと入れ違いに院長室を出る。


 俺は院長室に入って、その作りの良さに目がいった。勿論、アルの書斎に比べればウサギ小屋だが、元の世界の基準に照らせば十分豪勢だ。

 なので、将軍が座ったソファはベルベット地でサイズも大きい。アルは静かにその正面に腰を下ろす。


 ――会談。


 スペンサー将軍はそういった。何やら物々しい響きがある。


 本当に俺なんかが同席していいのだろうか。いや、でも今は執事なのだし、むしろ聞くことが必須なのかもしれない。そんな逡巡をしながら、俺はアルの横に直立不動で侍る。さすがにソファに座るわけにはいかなかった。


「では本題に入りましょう。例の調査、首尾よくいきましたぞ」

「ご苦労様でした。それでメンバーの名前は?」

「ピーター・ウェルベック卿、ジェレミー・トランザム卿、ロバート・ヘインズ卿、トマス・ダドリー卿――いうなれば、イギリス政治の裏で暗躍する四人組といったところですかな」


「やはりそうでしたか。それで首謀者はクラリック公と」


「ご推察のとおりです。彼らの目的はまだ掴めておりませんが、クラリック公は公爵という高い地位を持ちながら、わざわざ選挙に出たお方。いずれ首相になるのが宿願と考えるのが妥当かと思われる」

「その辺りは詳しく掴めなかったのですか?」

「私の情報網にも限界があります。四人組が裏でつながっていることは判明しましたが、クラリック公は高位のお方。その真意までは掴めませんでした」

「なるほど。そうでしたか」


 エレンの淹れた紅茶をひと飲みし、アルが言葉を区切った。

 俺は唐突に話し始められた話題についていけないが、余計な口を挟むわけにはいかない。アルはただ知っておいてほしいとだけ言っていた。俺はその指示に従うまでだ。


「ところでアイルランドの動きはご存知でしたかな?」


 将軍もお茶でのどを湿らせ、アルに問いかけてくる。


「ダドリー卿から内密に伺いました。独立運動が過激化しているようですね。バルフォア首相も鎮圧に動き出そうとしていると」

「なるほど。ダドリー卿から」


 俺はこの時代のイギリス政治に通じてない。世界史というマニアックな科目は得意だったが、細かいテーマはあまりにマニアックすぎる。

 だから思考が追いつかなかった。完全に聞き役に徹することになった。


「そうなるとダドリー卿の依頼も受けましたでしょう」

「ええ。資金提供のみならず、私に政治に関われと仰られました」

「ネヴィル卿にそのおつもりは?」

「ありません。資金を出すだけで、高貴な義務は果たされたと考えます」


「それは残念ですな。個人的には卿の活躍に期待していた」

「すぎた期待かと存じます。出る杭は打たれるもの。どんなやっかみを受けるか、知れたものではありません」


「嫉妬を恐れているのですかな」

「すでに嫉妬されています。あなたが仰る四人組の方々には、私に資金提供を求めれど、どこかで成金の私をやっかむ気持ちが感じられました。なにしろネヴィル家のため込んだ金は、四人の資産を合わせたものより大きいのですから」


 アルがカーソンを使って営んでいるアメリカ絡みのビジネス。それは俺の想像を遙かに超える利益をもたらしていた。最先進国のイギリスと、急速に発展するアメリカ。その地位が覆り始めるのは第一次世界大戦後といわれている。イギリスを離れ、アメリカに投資する決断が、ネヴィル家に富をもたらしたわけだ。


 そしてその金を、政界進出という名目と引き替えに、自分たちの自由にしたいと考える連中が現れた。それが将軍のいうところの『四人組』だと俺は理解した。


「しかしネヴィル卿、ひとつよろしいかな」

「なんでしょう?」

「卿は資金提供を高貴な義務と仰った。しかし我々軍人にとって、真に高貴な義務とは、あくまで戦場に立たれることを意味する。私が言いたいことがわかりますかな」

「ええ。血を流し、手を汚し、命を懸けることこそが義務だと仰りたいのでしょう」

「そのとおりです」

「けれど将軍。私は自分の命が惜しい、臆病者です。いくら高貴な義務だからといって、簡単に懸けるわけには参りません。これは信念といってもいい」


「そうなると政界進出もなく、戦いの最前線に立たれることもなく、ただ金を払っていくだけで満足なさるおつもりか?」

「十分満足です。なぜなら金は力だからです。政治は二の次だ」


 口調こそ穏やかだが、将軍とアルは真っ向から対立していた。

 側で聞いている俺としては冷や汗をかきそうになる。


「ふむ。見解の相違ですかな」

 ついにスペンサー将軍は舌鋒を収め、紅茶に手を伸ばす。

 アルもその動きに合わせ、ティーカップを口にもっていった。


 これは会談決裂というやつなのだろうか。重たいムードに包まれる院長室。俺は小さく息をつき、窓の外に目をやってしまう。


 その小休止のあいだ、スペンサー将軍は急に話題を変えてきた。

「ネヴィル卿、あなたはそれで幸せなのですかな?」


 ――幸せ。

 ただ金を出すだけで自分を納得させられるのかということ。アルはどう答えるのだろう。彼の発言に耳をそばだてていると、


「幸福感には三つあると思うんです。今に満足すること。過去を肯定すること。そして未来を受け容れること。この分け方に従えば、ぼくは今に満足しているし、自分の選んだ結果という未来を受け容れる覚悟があります。だから、十分に幸せです」


 お茶を飲みながら、優雅に答える。

 ここに来て、アルの貴族としての振る舞いが将軍の熱意を上回っていた。

 重みをこめた問いかけをあっさり切り返され、将軍も黙りこくるほかないようだった。

「…………」

 返す言葉をなくした将軍が、アルから視線を逸らしていると、

 コンコン……

 部屋のドアをノックする音がする。


「入りたまえ」


 会話が途切れたところだったので、将軍は入室を許可した。


「失礼いたします」


 入ってきたのはメイドのエレンだった。彼女は低い姿勢のまま部屋を横切って、ソファの反対側に座る将軍の側に寄った。そして小さく耳打ちをする。


「電話があったようだ。ネヴィル卿、少し席を外しますぞ」


 エレンを付き従え、将軍が部屋を出る。爵位もないのにメイドを自由に使い、将軍という地位はそんなに偉いのか、なんていう反発心が俺のなかで湧いた。


 というのも、俺はアルの執事なので、どうしても彼寄りの立場でものを考えてしまうからだ。これまで相手をした貴族も、結局はアルの金が目当てではないか。それをより高貴な義務に服せよとは、一体なにをもって言えるのか。ただの傲慢ではないか。

 そんな憤りを感じていると、アルが俺のほうを振り向いた。


「玲君にはつまらない話になってしまっているね」

「いえ。いろいろ辻褄が合いました」


 アルの金を狙う四人組。首謀者とおぼしきクラリック公。公爵以外の面々は、これまでに関わったことのある連中だ。


「全ての糸はつながっていたんだな。アルの金を目当てにして」

 俺は執事という立場を横に置き、吐き捨てるようにいう。

「でも玲君」

「なんだ?」

「君はクラリック公の真意まではわかってないだろう。将軍もわかってないようだった。彼が首相になって何をしたいのか。君に想像がつくかい?」

「名誉ある地位が得たいのでしょうか」


「それなら公爵というだけで十分だよ。彼はね、おそらくイギリス政治を牛耳りたいんだ。首相に就くだけではなく、その権限を拡大してより強力なパワーをもった首相としてね」

「なぜそんなことがわかる?」

「ただ首相になるだけなら今だってなれる。彼は四人組を使って多数派工作をしている。そこまでして得たい力とは、この国の王室に匹敵する名誉だ。なまじ公爵という高位に就いているがゆえに、さらに上を目指す気になったのだろう。権力というのは怖いね、ひとをその妄執に駆り立てる」


 お茶を飲みながら、さも全てをお見通しとばかりにアルは語ってみせる。

 俺は四人組という貴族とバラバラに向き合ってきたため、そこに共通の利害があるなんて考えもしなかった。よりによってあのトランザム卿まで一味だったなんて。

 アルと俺は見ている世界が違う。

 この会談を通じて、その事実がくっきりと浮かび上がっていた。


「あと玲君、ほかに気づいたことはなかったかい?」

「いや。話を追うのに精一杯だった」

「アイルランドの独立運動の話題があっただろう。元の世界ではそれは一九一九年に戦争に発展する。でもこの世界ではその動きが早い。ここから導きだせる答えは?」

「ふたつの世界は同じじゃないってことか?」

「そういうこと。ふたつの世界はまったく別々の歴史を辿っている可能性が高い。独立運動が戦争にならないことを願っているが、そうもいかないだろう。そしてそれが王室による名誉ある君臨を揺るがすものになるなら、ぼくはその動きを封じなければならない」

「待て、アル。おまえはなぜそこまで政治に入れこむ?」


 いま目の前にいるのは、ビジネスが全てといわんばかりのアルとは別人の彼だった。


「今まで話さなかっただけさ。政治的関心の理由は単純。それが父の遺したたったひとつの遺言だからだ。――王室を守れ。それが貴族の究極的な義務だとね」


 そのために権力拡大を狙うクラリック公に反発し、アイルランドの独立運動を押さえ込もうという考えにつながっている。そういうことなのだろうか。


「ことはそう単純じゃないよ。この世界はぼくたちの生き方次第では別の歴史を辿るかもしれない。だから一つひとつの判断を意志をもってやり遂げなければならない。たとえそれが流血の事態を招こうとも」


 俺の顔を見ず、お茶をすするアル。その柔らかい優雅さとは裏腹に、口をつくのは大袈裟というには真実味があり、傲慢と呼ぶには気高き生き方だった。


「それにしても本当に不思議だよね。君はそこにこだわっていたようだけど、元の世界での記憶が曖昧だというのに、自分が体験していない父の遺言は覚えている。そしてそれがぼくという人間を動かしている。転移とはそこまで人を縛るものだとは、最初は考えもしなかったよ」


 不思議とはいえば、俺はこんなことを思いだした。きょう会った孤児院の子供たち。どこか元気がないように見えたけど、俺は『去年ここを訪れた』記憶に照らしてそう思ったのだった。なぜか知らないが、そのときはもっと子供たちが楽しそうだったと、体験さえしてない記憶にもとづき判断したのだ。


「そうだな。本当に違う自分とすり替わったみたいな体験だ」

 俺は思考を続けながら、アルに相づちを打つ。

 するとドアを開け、小走りになったスペンサー将軍が戻ってきた。


「失礼した、ネヴィル卿。大事な話だったもので少々戻りが遅くなった」

「構いません。ゆっくりさせて頂きました」


 さっきまでの雑談からモードを切り替え、アルはにっこりと微笑んだ。

 俺としては、スペンサー将軍の立ち位置がわからない。アルの味方なのか、それとも四人組と同様、アルの敵対者なのか。どちらともとれるがゆえに判断に迷う。


「では、政治の話から離れ、退役軍人として依頼を申し上げてよろしいかな?」

「どうぞ。妥当な申し入れであれば受け容れます」


「さきほど申し上げたアイルランド問題ですがな、私は反独立派のアルスター義勇軍を支援している。ボーア戦争時の部下だった者たちがその中にいるが、全面戦争になる前に義勇軍のレベルで争いを食い止めたい。この孤児院への支援とはべつに、義勇軍の武器弾薬にかかわる資金を供出願いたい」

「それをやると内戦になるのではないですか?」


「その前に食い止めるのだ。圧倒的戦力で独立派の動きを封じ込める。戦略的にはそれが最もよいと考えている。義勇軍はいわゆる私兵なため、国からの財政支援がない。戦争に反対すればこそ、ここは力添えをお願いできないだろうか」


「べつに私は反戦派ではありません。信念に反することをやらないだけです」

 そこまでいってアルは、将軍の顔をまっすぐに見つめた。


「アイルランド問題は、将来にまで禍根を残すものになるでしょう。我がイギリスの一体化が平和裏に維持され、かつ王室の永続を約束するものであれば、支援は惜しみません」

「では支援は頂けると思ってよいのですかな?」

「いま言った条件を遵守されるのであれば」

「勿論、そこは外しませぬ」


 ソファを立ち上がり、将軍がアルに握手を求めた。アルは冷淡な顔でその握手に応える。


「いやはいや、有意義な会談でした」


 アルはその場で小切手をきり、無言で将軍に手渡した。

 そこにいくらの額が書き込まれたのか定かではないが、数万ポンドは下らないだろうと俺には思えた。

「…………」

 だが会談を終えた途端、俺の興味は、独立運動のことや金銭的支援を離れた。

 先ほどから気になっていること。子供たちの元気のなさだ。


「将軍。ひとつお伺いしてもよろしいですか」

「なんだね」


 アルとの交渉をうまくまとめ、スペンサー将軍は表情を緩めていた。この様子では多少切り込んでもいいと思い、俺は疑問を発した。


「きょうの子供たちは、以前お邪魔したときと比べ、些か大人しく感じられました。何か彼ら彼女らを悲しませるような出来事でもあったのでしょうか」

「む……そのことか」


 スペンサー将軍の顔色がゆっくりと曇った。

 程なくして返ってきたのは歯切れの悪い低い声だ。


「大したことではない。ここしばらく寒い日が続いたせいでしょうな」


 確かに五月にしては、肌寒い日が多かった。

 その答えに納得したわけではないが、気軽な雑談として振った話だ。あまりしつこく聞くと礼儀に反すると思い、俺は早々に話題を切り上げることにした。


「なるほど。また暖かくなれば、子供たちも元気になると」

「できれば夏にでもお越しくだされ。子供たちも喜ぶでしょう」


 曇りきった顔を晴れやかに戻し、将軍は優しい父親のような微笑を浮かべた。

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