冷たい人
~鹿狩り前(第二二話付近)のお話~
「アイスクリーム?」
「そう。アイスクリーム」
いつも通り私の部屋を訪れソファに寝そべっている陛下が、本に落としていた視線をベッドに腰掛ける私に寄越し、そう尋ね返してきた。
ここ、レストアにもいよいよ夏がやってきた。
アブレンよりもずっと北の方に位置するはずのこの国はどちらかというと寒さが厳しい国だけれど、だからと言って夏の暑さが全くないわけでもない。むしろレストアの建物は寒さ対策ばかりが万全で、熱を逃がしにくい造りの建物になっているから夏の城内は熱がこもりすぎて辛いものがある。庶民時代の、隙間風が吹き放題だったボロ屋がとても懐かしく思えるほどに。
夏なんて嫌いだわ。
開け放した窓から出来る限りの風を取り込み、ささやかな涼を楽しんでいたそんな時に急に思い出した、ランベールの言葉。
『僕の国にはアイスクリームという食べ物がありましてね。暑いときに食べるそれはもう絶品なんですよ。是非姫にも召し上がって欲しいのですが、残念ながらあれはここまで運べるようなものではなくて』
アブレンまで運べないものということは腐りやすいものなのだろうか? でも暑いときに食べたくなるものって?
それを尋ねてもランベールは、
『もし気になられるのでしたら僕の国までいらしてください。歓迎しますよ。姫もきっと後悔しないはずだ』
なんて言って何の意地悪なのかちゃんと教えてくれなかったから、それがどんな食べ物かそのときからずっと不思議に思っていた。
それが!
ついこの間、彼がこの国の人間だったということが分かったのだ。それはとてつもなくどうでもいいことだったのだけれど、つまり、つまりよ? アイスクリームはこの国にあるっていうことなんじゃない!? と私は気が付いてしまった。
だけれど不思議なことに私がエリカとしてこの国に生まれてから18年。そんなもの一度もお目にかかったことも無ければ聞いたことも無い。
これはいったいどういうことなのだろうか?
少し考えて私はとあることに気が付いた。
彼は曲がりなりにもこの国の王子だった。ということはもしかするとそれは宮廷料理か何かなのではないだろうか、と。それならば庶民が知らなくても合点がいく。
きっと私の推理は正しいはず。
だから今日、私は陛下の訪れをソワソワと首を長くして待って、そのアイスクリームのことについて尋ねてみたのだ。
「アイスクリーム、ねぇ」
「もう! 焦らさないで。知ってるの? 知らないの? どっちなの!?」
「知ってる」
やっぱり!
その答えに私はベッドから急いで飛び降りて、「で? それがどうした」という視線を投げかけてくる陛下の近くまで駆け寄った。
「ねぇ、それってどんなものなの? 本当に美味しいの? いつ食べられるの?」
「……うるさい」
心躍らせて問いかける私に対して陛下は顔を歪め、片方の耳に指を押し当てて塞いでみせる。
そして深々とため息を吐いてまた本の方へと視線を戻してしまった。
「人と話をするときは目を見て、でしょう?」
それにムッときた私はその本を取り上げパタンと閉じた。けれど陛下は恨みがましく私を一瞥した後、脇からもう1冊の本を取り出して来てそれをまたパラパラと捲りだす。
もう! この人は!
私の期待とは裏腹に真面目に取り合ってくれる気がないらしい。
冷たい。とんでもなく冷たい、この人。
そんな陛下に私がイライラとしだしたとき、
「アイスクリームとは」
あ、話す気はあったのね。
「とは?」
私は思わずその言葉尻を繰り返す。
「冷たくて甘い食べ物だな。氷に似てるが柔らかい。材料は主に牛乳と卵黄と砂糖だったか、まぁそんな味だ」
そ、それは!!
美味しいかもしれない!
私のアイスクリームに対する期待が一気に膨れ上がる。
早く食べたい。今すぐ食べたい!
「で? それはいつ」
「ないぞ」
私が急き立つ心でいつ食べられるのかを尋ねようとしていたのを遮るように陛下は言った。
「無いって、何で?」
「俺は甘いものが嫌いなんだ。だから食事に出されることはない」
「えぇーーーー!!」
それは食べられない、ということだろうか?
そんなの嫌よ。私は食べてみたいのに。
でも待てよ。この人が嫌いでも私は食べたい。すなわち料理長に私のためにそのアイスクリームとやらを作ってくれるように頼めばいいんじゃないだろうか。
そんな希望を私が抱いた時だった。
「無駄だ」
「何が?」
「どうせお前のことだから料理長に頼めば何とかなるかもしれないとか考えているかと思って」
「……」
何故分かった。
「で? なんで無駄なのよ?」
「そう簡単に作れないんだ。夏にあれを作ろうとすると北の方にあるスルレフ山の山頂から採取した巨大な氷が必要で、それをここに持ってくるまでに時間もかかるし、氷はほとんど溶けてなくなるからその労力に見合うものはほとんどない。莫大な金もかかるし。お前が頼んだところでどうせ料理長は俺のところにどうするか指示を仰ぎに来る」
「それで陛下は……?」
「勿論却下だ」
「そんなぁ!!」
その晩、王城内には私の嘆き悲しむ声が響き渡った。
陛下の人でなし。
きっとそのアイスクリームという食べ物よりも陛下の方がずっと冷たいと思った、とある夏の夜。




